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介護を受ける人でも、当然、その人が歩んだ人生の歴史がある。
その人の歴史…生まれてから現在まで丁寧に聞き取りしたことがありますか?
そりゃ凄いもので、きっとそこには価値があります。
特に75歳以上の方の人生は…聞いてみても『凄い!』の一言しか感想が出ません。
数日かけてテーマを決めて聞き出す価値がそこにあります(*^▽^*)
人から物事を聞き出したい…そう思う時には傾聴する学びの姿勢がとても重要である。
高齢者は早口に話す方もおられますが、一般にはゆっくりとした語り調が多い。
脳の中の動き、思考が遅いというわけではない。
ゆっくりと物事を吟味して語る技術である。
一度、口を開いて出た言葉は元には戻らず、取り消せないからだ。覆水盆に返らずという。
たった一つの言葉で苦い経験を味わうことは誰にでもあることなのです。
そんな経験を経ている上で高齢者から様々な事柄を聞き取るのに真摯に前向きに、熱心に聞き取りを行う姿勢はとても大切である。
寝たきりで身動きが取れない方でも、その方の人生そのものが財産である。
脳の中身は常に多くの物事を思考されているはずである。
その方が表現のあり方を学ぶと、じつに深い人生の要諦の多くを聞き取ることができるだろう。
どんな高齢者であっても重ねた年輪の重みと厚みは複雑に多様化している。
70歳には70年分、100歳には100年分の歩みの重さがあるのです。
よく、震災を語り継ぐ高尚な活動を続けられている方々がいる。
大河ドラマで時代劇を考証して壮大な物語を作り上げる方々がいる。
大きな舞台で言えばそんな世界のことを今、私は書こうとしている。
身近な高齢者の歴史はその人が生きた世界で思い出の記憶の数々です。
これを知ることは継承の作業であり、伝統工芸を引き継ぐのと同じ領域の事柄です。
一切の否定的見解を交えずに、高齢者の言葉に耳を傾ける時間を作ってみることをお勧めする。
皆様も幼い頃、祖父母が大好きだったのではないだろうか?
祖父母はじつに様々なことを教えてくれるものである。
かくいう私もそのうちの一人である。
祖父母から得られる温かさや経験技術、じつに様々な角度で深い感動があった…。
多少外れて感慨に耽ってしまってホロリと今は亡き祖父母に感謝している。
私がこの文筆でこんなテーマに沿い、記事を書いていて思う感慨である。
そこはともかくとして…。
高齢者の過ごした数十年前の記憶には宝の山がある。
下賤な表現ではあるものの、宝と言って差し支えないほどの価値がそこにはあるわけです。
例えば70年前に携帯電話が1人1台、当たり前のように持つ時代なんて、誰も想像しなかったでしょう?
自動車がこんなにたくさん走って、飛行機が世界を飛び回り、誰でも宇宙旅行すら申し込める時代になるなんて…。
そう今、ここに至る歴史と過程を全て見聞して経験してきているのが高齢者の脳なのである。
記録の仕方も多様化しました。
インターネットで世界中に配信することも可能です。
このブログでも昨日はインドの方、アメリカの方のアクセスがあったくらいです。
日本語で申し訳なかったのですが…翻訳して、少しでも幸ある人生に繋がっていてくれたらと思う次第です。
いろいろな形で記録できる中で、記録しない手はないです。
日常から過去まで多くの記録を系統立てて記録することには資産的な価値があります。
個人情報保護法もあって開示できる制限も法的にちゃんとございますが…。
その方向性よりも、自らが何をどこでどのように感じて行動してきたのか…。
そこを記録することがとても大切です。
一昔前ならば日記を付けるという感覚です。
日記は不特定多数への情報発信にはなりません。
その辺りを考えるとインターネットは最強のツールです。
高齢者は長年の人生を歩んでいる。
振り返ると深く洞察された世界がそこに確かにあったはずである。
公的な記録の角度ではなく、個人個人がどう感じて生きていたのか…。
それを紡ぎ束ねると普遍的な歴史的価値と世界中での共感の境地が開けるはずである。
その辺りを空想すると、現代社会においても価値ある世界が想像できるだろう。
すると…転じて高齢者の頭の中には資産が多く眠っているという論理と解釈に辿り着くのである(*^▽^*)
介護支援専門員の仕事をしていると利用者さんから、地域における昔の様子を伺える機会がよくあるだろう。
私はその時に、本を書いたらいいのに…と、当時は思っていた。
現在は、インターネットでツイッターやブログにするといいのに…と思う。
テレビを見ていても廃れ行く伝統工芸や埋もれつつある価値を見出す為の工夫を凝らしている様子が伺える。
そこに登場するのはインスタグラム映えという言葉やブログといったツールに目を向けられている様子が良く分かる。
時代に乗って私もブログ風にサイトを作り、記事を作成しているが、波に乗る時点で少し遅いかもしれない。
だが、インターネットに馴染のない高齢者にとってはこれからの世界である。
是非ともインターネットの普及の恩恵を高齢者、一人一人が受け取ってほしいと思う今日この頃である(*^▽^*)