〈Episode1〉死に目に出会う。別れの感慨…。〈前編〉

はじめに

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本記事では、記事とは一線を画しまして…。

私の介護体験で既にオムニバス(omnibus;既に記事として何かしらで活用したもの)を含む中からエピソード(Episode)やエッセー(essay)を多少、ドラマチックにお届けしようというものです。

もちろん、盗作はありません。

実体験に基づく体験談になりますが…記憶が曖昧な面もあるので、結論としては読み物、小説に近い作りになります。

※尚、作中に登場します主人公は私の分身、登場人物や団体は全て架空の設定に変更しておりますこと、ご了承ください(*^▽^*)




22年の介護の世界で最も印象に残る利用者さんとの関わりの中から産まれたストーリーの数々…。

印象に残る利用者さんとは…。

とても深い情で繋がる。

亡くなって久しく時が過ぎても、瞼を閉じて思い起こすと…。

その声、姿が脳裏を過る…。

私が出会った利用者さんは数千人に及ぶ。

その中で1番の印象に残る出会いのEpisodeから…。

〈Episode1〉死に目に出会う。別れの感慨…。

出会いがあれば、必ず別れがあります。

出会いよりも別れが印象に残りやすいものです。

そして介護を提供する支援者にとって、避けられない出来事の一つがそこにあります。

生きていた時と心臓が止まった後、死後の姿は生前のそれとは別物の姿となる。

抜け殻…その人はもう旅立って…。

そこにはいないのではないか…。

ご遺体を前に、変化に出会い目にした私は、しばしば、そんな感慨を抱くのです。

死後の枕元で泣きじゃくるご家族様…。

ご遺体に向けて泣かれているのか、ありし日の思い出に向き合われているのか…。

きっと…その両方でしょう。

そんな死の直後に出会うこと…介護職に携わると決して珍しいことではありません。

その時、その場面、シチュエーションはおよそ人の数だけドラマがあると言えましょう…。

※※※

『今日が山です』

お医者様よりも看護師から、そんな先走り宣告を受けることも多い。

お医者様でも看護師様でも、意思疎通してアプローチする現代の医療制度にあっては、どちらの言葉でも同じ重みがある。

私の経験上、そんな言葉から数時間を経た結果は…。

的中率は未だに100%である。

ご家族様や親族様方が、入れ替わり、立ち代わりご利用者様の枕元に寄り添う…。

こんな円満に備えられたような臨終場面…。

自宅での実現は少ないです。

誰に看取られるわけでもなく…訪問介護員が自宅を訪問すると既に亡くなられていた…。

そんな突飛な亡くなり方も…じつは少ないものです。

大半は病を発症して救急車で運ばれる途中か、到着後に看取りを受けて亡くなる。

あるいは施設で看取られて亡くなります。

じつは私は死ぬ直前の利用者さんに出会い、看取った経験はとても少ないのです。

ゼロではありませんが…出会った数から逆算して1%に満たない…。

亡くなる数時間前に会うか、亡くなってしまった後に会うことがほとんどなのです。

そんな利用者様の死で最も印象に残っているのは…秦清春さんの死です。

※※※

清春さんは元学校の先生で校長先生を歴任した経歴を持つ風格ある立派な方です。

にっこりと笑う顔がとても柔和で、校長先生だった頃、いかに笑顔を大切に過ごしてこられたかが偲ばれます。

定年退職後には、年齢を重ねて皺もできましたが…土台が良いので深みある心地よい印象を伝えられる笑顔が自然とできる…最も凄い才能の持ち主です。

そんな彼も妻と共に始めた家庭菜園で脚立から落ちるアクシデントに見舞われ、腰痛を抱えて不自由な身の上になってからは…認知症を発症し、加速度的に進行する憂き目を見た。

私が出会った時には、会話が成立せず、ゼスチャーと場当たり的な雰囲気で意思疎通がかろうじて図れる状況…。

私は初めての出会いから、何故かお互いに受け入れがスムーズで、穏やかな面接が以後、彼が亡くなるまで続きました。

※※※

ある日、痰が絡み出し、風邪を引いたと思って受診もしていたのですが…。

咳も止まらず、高熱を出す清春さん。

立ち上がれませんし、いつものようにゼスチャーの手振りもできません。

一緒に訪問した看護師さんと頷き合わせて救急車を要請。

付き添いは妻の竹子さん。

看護師さんを事務所に戻して、私は後を引き受けて救急隊に清春さんを委ね別便で病院に向かう。

そのまま入院。

医師の診断は誤嚥性肺炎でした。

※※※

この場面で、私は同行した看護師と共に大失敗を一つ経験したことを記しておかねばなりません。

『高熱があって、歩けなくて部屋の真ん中で座り込んでしまい、困っています』

清春さんの妻・竹子さんから早朝に電話を受けて、看護師さんにも連絡して一緒に急行したのですが…。

そして無事に医療機関に繋げ、入院になったわけなのですけども…。

翌日、私とその看護師さん、吐き下しと高熱の…嵐の山で…二人でしっかり感染して戻ったわけです。

手袋やマスクは装着しておりましたし、手指の消毒にうがいといった行為は忘れてなかったのですが…。

準備の仕様はなかったのかもしれません。

誤嚥性肺炎と一口に言っても、肺の中で繁殖して炎症の原因となる雑菌は様々なのだそうです。

軽く殺菌できるものから、薬が効かない強い菌まで…。

室内に呼気が充満する中で踏み込んだわけですから…。

『誠ちゃん(私)も、昨日、熱出たり、下したりした?』

『うん、1日、トイレから離れられなかった』

『やっぱり?清春さんに(菌を)もらったのは確実よね』

そんな話題を交わしたのを覚えている。

吐き下しと高熱が伴う…。

ノロウイルスもインフルエンザも経験したことがある。

同時になったよりも、しんどかったです。

感染したとは言え…40歳の健康な2人が同時に罹患するほどの感染力…。

老体の清春さんが、どれだけ苦しい思いをしていることだろうと…。

私は落ち着かず、病室に自然と足が向かったのである…。

※後編に続く…。

後書き

介護とは振り返りを行うと何ともドラマチックなものです。

個人名や団体名は出せませんが、ドラマを小説として残したところ…。

とある小説サイトで1日だけですが、ランキング1位になり、その後の数か月間、ランキング10位内をキープさせていただいたことがあります。

はい、自慢でございますね。

メモリアルとして私の中にだけに、残すのはもったいなく…故人もきっと小説化しても怒らないだろう人でしたし…。

形にして残してみたいと思った次第です。

もちろん小説家としてもライターとしても未熟な私の文才ですのでお叱りを受けているかもしれませんが…。

事実はもっと輝いていましたし、私の頭の中のイメージもセピア色に彩られて美しく美化されています。

是非、後編も閲覧ください(*^▽^*)

管理人
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