目次
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きょうは朝から、談話室のテレビがやけに賑やかだった。
「信長は本能寺で死んでいなかった!?」と特番が流れた瞬間、うちの利用者さんたちの目が一斉にカッと開いたのだ。
「ほら見てみぃ、わしはずっとそう思うとった!」と鼻息を荒くするじいさんがいれば、「今さら生きとっても、年金どうなるん?」と真顔で心配するばあさんもいて、朝のロビーは完全に“歴史戦国トークバトル”の様相に。
気づけば囲碁盤はほったらかし、お茶もぬるくなり、新聞すら読まれずに横たわっている。
「信長が生きていたら、戦争はもっと早く終わったやろうな」なんて一言に、
「いやいや、また始まるんや」と返す声。
これが思いのほか奥深くて、もはや談話室というより、「時空を超えたシンポジウム🩷」が開催されたかのようだった。
そんなわけで、今日はその“信長談義”を、記録係の職員がこっそりまとめてみました。
この施設には、歴史を語る資格を持った人が揃ってるんです。
なんせ、皆さん本気で「信長と同い年やったかも」と言い出す人たちばかりですから──。
「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」――この物騒な句をテレビが読み上げた瞬間、椅子から立ち上がったのが、我らが中西さんだ。
「わしの親父もまったく同じやった!ホトトギス鳴く前に焼き鳥になっとったわ!」と、妙な誇らしさを胸に語り始めた。
それを聞いた石田さんがすかさず、「いやいや、それは短気やのうてただの飲兵衛や」と突っ込む。
気がつけば、「うちの親父短気選手権」が始まり、それぞれが誇らしげに“史上最速で怒った親族エピソード”を披露し始める。
「うちは炊飯器の音で怒鳴っとったわ」
「わしのとこは郵便ポストに文句つけとったな。朝早すぎる言うて」
「わしんとこは、テレビのリモコン押しすぎて指つったらテレビに八つ当たりしとった」
なんだか信長が小さく見えてきた。
いや、彼もきっと、リモコンがあったら毎朝「本能寺チャンネル」に変えて怒ってたんかもしれんな…と誰かが呟くと、談話室に笑いが起きた。
結局、誰の親父がいちばん短気だったかは決まらなかったが、皆で出した結論はこうだ。
「信長が本能寺でやられたのは、リモコンがなかったからや」
そして中西さんがこう締めくくった。
「うちの親父が代わりに信長の隣におったら、明智光秀、怒鳴られて気絶しとったやろな」
あまりに堂々とした物言いに、職員の私はお茶を吹きそうになった。
まさか、短気というテーマで、戦国武将と昭和のおとっつぁんが同列に語られる日が来ようとは🩷。
だがそこには、不思議と説得力があった。
人の怒り方って、時代は変われど、案外似てるもんだ。
「あの人、家では天下人やったで」
そう言って肩をすくめたのは、かれこれ92歳の渡辺さん。
話の主語は信長……ではなく、自分の奥さんだった。
濃姫の話題がテレビに出たとき、誰かが「信長の奥さんって気が強かったんやろ?」と言ったのがきっかけで、渡辺さんは「気が強いどころやない」と小さく咳払いをしてから話し出した。
「表向きは上品やのに、こっちが味噌汁の具を間違えただけで“これ誰の舌に合わせたん?”て言われてな。黙って引き下がろうとしたら、“返事で命拾いすることもある”って。お前は信長か!」
そこからは、もう止まらない。
「うちは小遣い減らされたとき、財布の置き方が悪かったって言われた」
「うちなんか“足音がムカつく”って言われたぞ」
「こっちは“座布団が信長より斜め”って説教された」
談話室の空気は、戦国時代よりピリピリしていた。
しかし、どの語りにも共通していたのは“誇らしさ”だった。
どこかに「うちの濃姫は最強やった」という讃えがにじんでいたのだ。
「まぁでもな、あの人がいなかったら、わしはとっくに討ち死にしとったわな」
と渡辺さんが言うと、誰かがうなずいて、誰かがちょっと鼻をすすった。
濃姫の話は、ただの昔話ではなかった。
それは、戦を経て生き抜いた家庭の記録であり、戦国の姫たちにも負けない“昭和の戦場”の物語だったのだ。
「うちのばあさんはな、戦で刀は使わんけど、言葉の一閃で全部切り伏せとったわ」
これには全員納得。
濃姫と、あの人。
どこかで血がつながっていても、誰も驚かない🩷。
「歴史ってのは記録に残ったものが勝ちやで」
と語ったのは、元・書道教室の先生だった山田さん。
でもその口ぶりは、なぜかあまり楽しそうではなかった。
「信長公がどこで死んだかって話もな、本当は誰も見てへんやろ?わしらが“焼け跡に残された頭蓋骨”のニュースで盛り上がるのと一緒や」
そう言いながら、湯呑に口をつける手はやけに滑らかだった。
するとすかさず、斜向かいの藤原さんがつっこむ。
「そんなん言いだしたらな、わしの家の“味噌汁の味が変わった記録”も残すべきやな。あれは事件やで」
笑いながらも、話題はどんどん“記録されなかった歴史”へと進んでいく。
「あの頃、物資もなかったしな」「家族が生きてただけで奇跡やった」「履歴書もなけりゃ卒業写真もないんや」
気づけば、信長の話だったはずが、談話室には“日本のもうひとつの歴史”が立ち上がっていた。
それは、巻物にも史料にも残っていないけれど、味噌汁のにおい、火鉢の灰、ばあさんの咳払いといった、**“生活の音と匂いの歴史”**だった。
「けどな、そういう話の方が、よう回るんよ」
と、ぽつりと山田さんがつぶやいた。
「だって、巻物はしまわれるけど、茶の間の話は毎日誰かの口に乗るんやもん」
誰も頷かないのに、なぜか全員の肩がふわっと緩んだ。
まるで“談話室こそが歴史の現場”だと、全員が認め合ったようだった。
信長の火縄銃より、ここの笑い声のほうがずっと響く気がする🩷。
この日、記録は残らなかったかもしれないけれど――間違いなく、歴史はまたひとつ動いていた。
「信長が生きてたら、いま何してるんやろな」
そんなひとことがふわっと落ちたのは、お茶も話もひと段落した、ちょうど三時のおやつのあとだった。
誰が言ったかは分からない。
でも、確かに空気が少しだけ変わった。
笑い声の残響が壁に吸い込まれ、時計の針の音だけがやけに大きく聞こえる。
「生きてたら……また何かやらかしてたんやろな」
「でも、年金とか出るんかな?」
「年金どころか、戦国ポイントカードとか作ってそうやな」
何人かが笑った。でも、そのあとに続いたのは、別の声だった。
「わしらは……どうなるんやろな」
その声は小さくて、誰が言ったかもやっぱり分からなかった。
だけど、それぞれの胸の中にそっと火が灯る音がした。
ぽっ、と小さな問いの火。
それは誰にも見えないけど、確かにあった。
「若いもんはええな、未来がある」
「けどな、わしらにだって“いま”があるんや」
「その“いま”が、いちばん大事なんとちゃうか?」
誰がまとめたわけでもない。
でも、全員がなんとなく納得したように、お茶を飲んだ。
ゆっくり、味わうように。
まるでその一杯が、答えになりそうな気がして。
施設の天井には、相変わらず蛍光灯の光がまぶしかった。
でもその日は、談話室の隅に小さく、あったかい火が灯っていたように思えた🩷。
問いの火。
誰も消さず、誰も答えを急がず、ただ静かに燃えている火。
――それがある限り、きっと、わしらはまだ物語の中にいるんやろな。
職員として、この施設で働いていると、毎日が“ドラマの裏側”みたいなものだと思う。
スポットライトは当たらなくても、そこには確かに、登場人物たちの声があり、表情があり、過去があって、なにより“問い”がある。
今日の談話室だってそうだった。
ただの歴史の話、テレビ番組の余韻、そんな小さなきっかけが、利用者さんたちの奥深くに眠っていた記憶を呼び起こし、言葉を与えた。
「信長が生きてたら?」なんて、歴史の仮定の話かと思いきや、気づけば「わしらはどうなるんやろな」という、いちばん大切な問いにたどり着いていた。
答えなんて、たぶん誰も持っていない。
でも、それでいい。
問いがある限り、人は今を生きられる。
そして問いを口に出せる場所がある限り、人は孤独にならない。
だから、今日もお茶はぬるめに出す。熱すぎると、急かしてしまうから。
話が弾む温度で、今日も談話室に“問いの火”がゆらりと灯れば、それだけでいいと思っている。
きっと明日もまた、信長か、濃姫か、味噌汁か、誰かが何かを語り出す。
そしてその語りの中に、小さくてあったかい“歴史”が紛れ込んで、静かに生き続ける。
誰が主役でも、舞台がどこであっても、物語がある限り――
私たちは、ちゃんと、寄り添える🩷。
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