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7月11日。
カレンダーを眺めながら「今日は何の日?」とつぶやいても、ピンと来る人はまだ少ないかもしれません。
でも実はこの日、「ロコモコ開きの日」という、なんとも陽気で食欲をそそる記念日が制定されているのです。
そう、あのハワイ名物のロコモコ。
ごはんの上にドンとハンバーグ、上にはトロンと目玉焼き、そしてじゅわっと肉汁たっぷりのグレイビーソース。
南国気分が口の中ではじける、あの一皿のことです。
なにが驚きって、この記念日を制定したのがハワイ州観光局。
しかも「夏(7)のいい(11)日」の語呂合わせという、ノリの良さまで詰め込まれています。
観光局が本気で「ロコモコを日本で流行らせたい」と動いた結果が、まさかの記念日登録。
暑い夏を乗り切るには、冷房よりもまずロコモコ。
体力が落ちる前に、スタミナを一皿でガツンとチャージ。
そんな願いが、笑顔まじりに込められているのです。
でも、ここでちょっと思ってしまうのが、「あれ?ロコモコって、なんかどこかで見たことあるような…?」という既視感。
そう、日本のどんぶり文化とそっくり。
でも日本の介護施設では、こんな楽しい一皿がなかなか出てこない。
おかしいなあ、ごはんもおかずも一緒にのっかってて、食べやすそうなのに…。
そんな素朴な疑問から、このロコモコをきっかけに、食の自由と楽しさを、もう一度考えてみたくなったのです。
さあ、ハワイの波に乗って、味の自由を旅してみませんか?🩷
次の章では、ロコモコの魅力と、食事介助を受ける人にも届けたい“おいしい自由”が待っています。
ロコモコという名前を聞くと、なんとなく楽しげで、ちょっと南国の風が吹き抜けていくような響きがある。
でも「モコって何?」「ロコって狂ってるの?」と疑問を抱くのも無理はない。
実はこのロコモコ、1949年にハワイ島のヒロという町で、学生たちのお腹とお小遣い事情を救うために生まれたとされるメニューだ。
作ったのは日系2世のナンシー・イノウエさん。
リンカーングリルという小さなレストランで、仲良しの高校生たちが「ごはんの上に肉がのってて卵がついてる、腹にたまって安いやつ!」とワガママを言ったのが始まりなんだとか。
いやもう、青春ってお腹がすく。
名前の由来についても、なかなかに愉快だ。
「loco」はスペイン語で“イカれてる”という意味らしいのだが、当時そのグループの一人に「クレージー」ってあだ名の子がいたらしい。
そして彼らはスペイン語を習っていたから、ノリで「ロコ」にしようぜと決めたとか。
そして「moco」については…もはや語感で決定。
深い意味はない。
でもこの語感が、妙に耳に残るのだ。ロコモコ。
言いたくなる。
ちょっと口に出すと笑える。
食べ物にしては不思議な名だが、それも含めて愛されてきたのだろう。
そんな歴史のあるロコモコだけれど、その魅力は何と言っても「一皿完結」にある。
ごはん、ハンバーグ、目玉焼き、ソース。
これが見事なバランスで重なり合い、食べる人のその日の気分やひと口の欲望に応えてくれる。
今日はお肉が主役、いや、トロトロの黄身を絡めたい。
いやいや、あえてソース控えめでごはんの甘みを噛みしめたい…そんな注文を口に出さずとも一皿で叶えてくれる優秀選手なのだ。
まるで和の丼物のようでありながら、パンチの効いたアメリカンソウルも忘れない。
ハワイの空気と共に、自由な食文化の象徴として、今も多くの人に愛され続けている。
それがロコモコ🩷。
語感も中身も、やっぱりイカしてる。
さて、そんなロコモコ、ハワイで食べると実に自由奔放である。
基本形はもちろん「ごはんの上にハンバーグと目玉焼き、そこへとろ~りグレイビーソース」なのだが、いざ現地のカフェやプレートランチ屋に入ってみれば、「これは誰のロコモコ?」と聞き返したくなるような個性のオンパレードだ。
まず、ごはんが白ごはんとは限らない。
ガーリックライスになっていたり、ブラウンライスになっていたり、なんならカリフォルニアの健康志向が混じってキヌアが敷かれていたりする。
ハワイでキヌア?と思ったら、時代の波は島にも届いていたのだ。
次に驚くのがハンバーグの代替選手たち。
ビーフじゃなくてターキー、ポーク、チキン、さらにはスパム、ベジタリアン用パティまで登場して、もはや「何でもあり大会」が開催されている。
卵にいたっては、トロトロ半熟から完全火通し、スクランブルまでお好みに応じて対応。
ソースもグレイビーだけではない。
テリヤキ、バーベキュー、ホワイトソース、さらにはチリソースがかかった“辛モコ”まで登場するのだ。
ひと皿の中で、これだけ自由に遊んでいいのかと驚く。
さらに、付け合わせの野菜にも注目したい。
レタスとトマトでサッパリさせるも良し、アボカドで濃厚さを増すも良し。
パイナップルを添えて南国の風をプラスするも良し。
甘さと酸味のバランスが絶妙で、次の一口の印象をガラッと変えてくれる。
そう、一口ごとにカスタマイズできるのが、ロコモコの本当の魅力なのだ。
結局のところ、ハワイのロコモコは「こうでなくちゃいけない」という型がない。
食べる人が自由に選び、自由に組み合わせて、自由に味わう。
それが許される空気こそが、ロコモコの美味しさを何倍にもしてくれる。
きっと、作ったナンシーさんもこう言うだろう。
「楽しんで食べてくれたら、それでいいのよ」と。
そんなロコモコ、見た目は素朴でも、味の選択肢はまるでビュッフェ。
自由で、楽しくて、食べるたびに新しい。
それはきっと、「食べることが人生を豊かにする」ってことを教えてくれているのかもしれない🩷。
さあ、次は世界のロコモコ仲間たちをご紹介しよう。
ロコモコは、ハワイだけのものじゃなかったのだ。
ロコモコがハワイ発の自由な一皿だとしても、その精神を受け継ぐ料理は実は世界中に散らばっている。
つまり、どの国にも「ごはんの上に何かをのっけて、混ぜて食べたい衝動」はあるのだ。
言うなれば、ロコモコは“グローバルのっけ飯同盟”の代表格。
たとえばお隣・韓国にはビビンバがある。
石焼きの器でジュウジュウ鳴るごはんの上に、肉、野菜、卵、コチュジャン…そう、一口ごとに組み合わせが変わり、味も食感もお祭り騒ぎだ。
しかも混ぜた瞬間から合法的に汚していいという、ちょっとした開放感まで味わえる。
東南アジアに目を向ければ、インドネシアのナシゴレンが待っている。
これはチャーハンなのかと思いきや、上に目玉焼きがのっていて、ソースを絡めて食べるとどこかロコモコ的。
甘辛の味がごはんと溶け合う瞬間には、まるで「アジア版グレイビーソース」が舞い降りてくるようだ。
そしてフィリピンには「シシグ」がある。
鉄板でカリカリに焼かれた豚肉を、ごはんの上にのせて、目玉焼きと一緒に混ぜる。
これはもう、見た目こそ違えど、味の構成は完全に“のっけ系ロコモコ”。
肉と卵と米。
どこに行っても、結局人類はこの組み合わせが大好きなのだ。
さらに日本に戻れば、ローストビーフ丼やカツ丼、親子丼、お好み焼き定食(炭水化物×炭水化物)なんてものまであるわけで、「おかずと主食の境界線ってどこですか?」という疑問が頭をよぎる。
もはやロコモコ的文化は、島国の彼方ではなく、すでに私たちの目の前の茶碗の中にも息づいているのだ。
それにしても面白いのは、どの国でも「のせたら最後、崩す前に眺めてからいきたい」という欲求があること。
視覚の美しさと、食べた時の味の変化。
その両方を楽しむという点で、ロコモコは世界共通語に近いのかもしれない。
名前は違えど、文化は似ている🩷。
それが“のっける料理”の不思議な絆なのだ。
そう考えると、ロコモコは世界のどこに行っても、なんとなく通じてしまう。
旅先で出会った見知らぬ料理に、どこか懐かしさを感じることがあるなら、それはきっと、心の中にある“ロコモコ感”が反応している証拠だろう。
気がつけば日本の食卓にも、ロコモコ的精神はすっかり根づいている。
牛丼、親子丼、カツ丼、天丼…と名前に「丼」がつけばもう、白ごはんの上に何かをのせるというルールは完成されていて、これを毎日食べても誰にも責められない。
オムライスに至ってはごはんを包んでしまうし、カレーライスだって半分はのっけ飯といって差し支えない。
そして令和の時代に入ってからは、カフェのワンプレートランチが主婦たちのおしゃべりの主戦場になり、丸い木のプレートにごはんとメインとサラダとちょっとしたピクルスが並ぶ様子に「映え」という文化が生まれた。
こうして日本人は、ごはんのそばにおかずがあるだけで幸せになれる人種へと進化してきたのだ。
それなのに。
介護施設という場所だけ、まるで時間が逆流したかのように、四角いお盆の上に四角い器がきれいに並べられる。
ごはんはごはん、味噌汁は味噌汁、おかずはそれぞれ独立して、まるで別々の人生を歩んでいるかのように供される。
そこに「混ぜて食べよう」「一緒に頬張ってみよう」なんて言おうものなら、栄養士さんが眉をひそめる始末。
熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たく。
味が混ざるなんて不快です、という前提が、いつのまにか「介護される人はそうしておけば間違いない」というルールにすり替わっていた。
もちろん、健康管理や安全確保という名のもとに、細かな配慮が必要な現場であることはわかっている。
でも、かつて「どんぶり最高!」「カレーは飲み物!」と笑っていたその人が、今や器ごとに分断された食事を無言で口にしているとしたら、それはちょっと寂しい風景じゃないだろうか。
ごはんとおかずが出会わない食卓は、どこか味気ない。
そこには「ひと口の自由」がないからだ。
ひと口にどんな比率で、どんな順番で、どんな気分で食べるか――それこそが人生の楽しみの一つだったのに、どうしてそこだけが取り上げられてしまったのか。
今こそ私たちは思い出したい。
丼とは自由であり、ワンプレートとは遊びであり、食べることとは自己表現だったということを。
施設であっても、そこに暮らす人の“食べ方”にもっと寄り添えたら、どれだけ幸せなひと口が増えるだろう🩷。
ロコモコを見つめながら、ふと、そんなことを思ったのだ。
では、ここであきらめてしまってよいのだろうか。
「介護施設では無理だから」と割り切って、ごはんとおかずの間に厚い壁を建てたままでいいのか。
――いや、そんなことはない。
むしろ今こそ、大規模施設だろうと小規模事業所だろうと、ロコモコ的な「ひと皿の楽しさ」を見直す時代が来ているのではないかと思うのだ。
たとえばミキサー食でも、主菜・副菜・ご飯・ソースをそれぞれ一つの容器に並べてしまえば、ただの“流動的お重”になってしまうけれど、それらを色やとろみで調整して、見た目にも美しくワンプレート風に盛り付ければ、「今日のメニューはロコモコ風でございます」と胸を張って言えるはず。
嚥下の難しさがあったとしても、そこに創意工夫の余地は残っているし、何より“見た目”から伝わる食欲というのは侮れない。
もちろん、全員に一律で出すのは難しい。
だけど、たとえば月に一度のイベント食として「ロコモコの日」を設定してもいいじゃないか。
ごはんの上にそっと乗ったふわふわの卵。
やわらかく煮込まれたハンバーグ風のミートボール。
あっさりとしたグレイビー風のとろみソース。
そして角切りトマトのゼリーや、レタスの代わりに青菜のムースをそっと添えてみる。
これだけで、まるで南国からやってきたスペシャルプレートの完成である。
もはや介護食というより“祝福”だ。
実際に、そうした演出をしている小規模施設も存在する。
職員が自ら盛りつけを楽しみ、利用者さんが「これはどうやって食べようかね」と笑いながら悩む。
そう、その“ひと口の迷い”こそが、食事の醍醐味ではないか。
好きなものを先に食べるか後にとっておくか、ソースをつけすぎるか抑えるか、そんな自由が一瞬でも戻ってきたなら、それは食事介助の中でも立派な「自立の一歩」と言っていい。
食べるという行為は、生きることそのもの。
だからこそ、一皿で味わう喜びを誰からも奪ってはいけない。
嚥下機能が落ちても、記憶が曖昧でも、「これ、美味しいね」と言ってもらえる一皿があるなら、それは人生の最後まで“その人らしさ”が食卓に残っている証拠なのだ。
ロコモコがそれを思い出させてくれるなんて、なんて心優しい料理だろう。
ハワイ生まれの陽気なやつ、見た目はふざけてても、やってることは実に真剣である🩷。
ここまで語ってきたロコモコの自由さと楽しさ。
これをもし、介護の現場に持ち込んでみたらどうなるだろう。
味の冒険をあきらめかけた日々に、ふわっとハワイの風が吹いたなら――それはもう、食事時間が人生の中で一番輝く瞬間になるかもしれない。
たとえばこんな風景を想像してほしい。
今日の昼食は“ロコモコ風プレート”。
配膳されたお皿を見て、利用者さんが目を丸くする。
「これ…ハンバーグ?卵もあるの?」「ちょっとこれ、いつものより派手やねぇ」――はい、それだけでもう成功だ。
料理が人を笑わせた時点で、その一皿はただの栄養補給ではなくなった。
れっきとした“演出”であり、“記憶”になったのだ。
さらに素敵なのは、このロコモコという存在が、どんな嚥下レベルの方にも応用可能なこと。
きざみでも、ミキサーでも、とろみ食でも、組み合わせ次第で“ロコモコっぽさ”は演出できる。
ごはんをやわらかく炊いて丸く盛り、上にハンバーグ風のムース、卵風ペースト、茶色いとろみソースをかけるだけで、見た目には立派なロコモコ。
さらに副菜にオクラのねばねば和えや、レタス風の寒天ゼリーが添えられていたら、味変もリセットも自由自在。
まるで料理に“遊び心のスイッチ”がついているかのようだ。
実際、こうした取り組みを地道に行っている施設もある。
「どうせ介助するなら、笑って食べてもらいたい」「料理に驚きがあれば、認知症の方にも表情が生まれる」――そんな声に背中を押され、厨房がちょっとだけ冒険する。
そして利用者さんの「うわあ」「これ、好きかも」のひと言で、現場がしんみりと、でもじんわりと明るくなる。
もちろん、全ての介護施設で一気にワンプレート革命が起きるわけではない。
でも、「味わう自由」をあきらめないという発想が、まず一皿から始まれば、それは立派な進化だ。
食べる人も、介助する人も、盛りつける人も、みんなで楽しめるロコモコ的時間。
それこそが、これからの介護食の“可能性”なんじゃないだろうか。
気づけば、ロコモコはただのハワイ料理ではなく、食べることの原点を思い出させてくれる存在になっていた。
それは、自由な一口がもたらす「あなたらしい生き方」。
そしてそれは、どんな年齢にも、どんな食形態にも、きっと届くのだ。ロコモコ、恐るべし。
やっぱり、イカれてるくらいでちょうどいい🩷。
さて、7月11日――ロコモコ開きの日。
カレンダーの隅っこでひっそりと主張しているこの記念日が、こんなにも深く、優しく、そして大胆に「食べるって、自由だよね」と教えてくれるとは、思いもよらなかった。
ハワイの陽気な学生たちが、お腹を満たすために生み出したその一皿が、時を超えて日本の介護現場にまで、食べる喜びの火を灯してくれるなんて…ちょっと感動的ですらある。
ごはんとおかずと卵とソース。
それぞれは普通でも、ひとつに重なることで“わたしのひと口”が生まれる。
そのひと口に、どんな順番で、どれくらいの量で、どんな気分で向き合うかは、誰にも奪えない「人生のさじ加減」。
それを自由に選べるって、とても贅沢で、すごく尊いことだったんだと、改めて気づかされたのだ。
介護施設でも、病院でも、そしてご家庭でも、食べる人が「自分で楽しむ」という権利をあきらめなくていいように。
ミキサー食でも、きざみ食でも、見た目がロコモコ、気分がロコモコなら、それは立派な“ロコモコプレート”なのだ。
味も形もそのままでなくても、楽しみ方は無限大。
そしてそこに「今日は特別だね」と笑ってもらえるなら、もうそれだけで、ロコモコ記念日は大成功である。
食事は義務じゃない。
楽しみだ。
そしてその楽しみが、年を重ねた今もちゃんとそこにあることが、きっと、人生にとってすごく大事なこと。
ロコモコは、ハワイから届いたおいしいメッセージなのだ。
さあ、あなたも今日の一皿に、ほんの少しの自由を添えてみませんか?
もしかするとそこには、思いがけない“おいしい笑顔”が待っているかもしれないから🩷。
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