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OTがやってきた村~笑わない村人と心の建築士の物語~

はじめに…ある日に心がカサカサに乾いた村へ一人のOTがやってきた

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ここは、とある山あいの村。

高齢者施設が一つだけある、小さなコミュニティだ。

この村には不思議なルールがあった――「今日も体操をせよ」「笑うな、黙々と動け」「つべこべ言わず主任に従え」

そう、そこはまさに“沈黙のレク村”。

誰もが、与えられたメニューをこなすことだけに全力を注ぎ、心の声をどこかに置き去りにしていた。

笑顔が消え、会話が消え、主任の眉間のシワだけが日々深くなっていくこの村に、ある日、ひとりの旅人がやってきた。

その者の名は――OT。

名乗りもせず、白衣も着ず、ただ名簿の空き職員欄に「作業療法士」と書かれていた謎の存在。

主任は眉をしかめ、「体操できるんだろ?よろしくな」とだけ告げ、村の中心にあるイスを指差した。

だが、OTは言った。「体操…はまた今度にしましょう。今日は皆さんと、お話ししたいんです」

村に衝撃が走った。

話すだと?レクで?体操をしないとはどういうことか!?

そんな常識破りのその人は、村のルールを少しずつ、でも確実に書き換えていくことになる。

そう、これは心の乾いた村を、作業療法士(OT)が再び“生きた場所”へと変えていったRPG的リハビリ大冒険である。

誰もがレベル1だった頃の“やる気”と“思いやり”を、もう一度取り戻す物語が、いま始まる――🩷。

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第1章…この村には“笑ってはいけない”という掟があるらしい


OTが村に現れて三日目、村人たちはまだその者を“体操をサボる変わり者”と呼んでいた。

いや、呼ぶというよりも心の中で思っていただけで、声に出して笑うなど言語道断。

なぜならこの村には“笑ってはいけない”という謎の掟があるからだ。

しかも誰が作ったかも分からないのに、みんななぜか守っている。

怖いのは主任の眉間のシワだけじゃなかった。

体操の時間になると、村人たちは律儀にイスに座り、腕を横に伸ばす。

全員が微動だにしない無表情のまま、CDデッキから流れる昭和の音楽に合わせて謎のリズムを刻んでいた。

「はい、右手!左手!1、2、3、4!」と声だけは張りのある主任の掛け声。

OTはそれを後ろで静かに見ていた。

まるで、全員が“命令された通りにだけ動く魔法にかかっている”ようだった。

その日の午後、OTは一枚の紙を持って現れた。

そこには手書きでこう書かれていた。

「今日の夕方、ちょっとだけ“じゃがいも”の話をしませんか?」――まったく意味が分からない。

何がしたいのか、誰も読み取れなかったが、なぜかそのメモを見たおばあちゃんが「私、昔…いも畑でねぇ…」と、ぽつりとつぶやいた。

主任の眉間がピクッと動いた。

「個別に話なんかしたら時間が足りなくなるぞ」

でもOTは、「時間があるときに、でいいんです」とにこやかに返した。

誰もが驚いた。

主任に“笑顔で逆らう者”など、これまで見たことがなかった。

その日の体操時間、主任は腕を振りながらチラチラとOTを見る。

「やらないなら、帰っていいぞ」と目が語っていた。

でもOTは、ただ一人でおばあちゃんと話をしていた。

「じゃがいも、いいですね。皮をむくとき、昔は新聞紙を敷いてたって本当ですか?」

おばあちゃんの目が少しだけ潤んだ。

もしかすると、OTが解いたのは“笑ってはいけない”という掟ではなく、“話してはいけない”という封印だったのかもしれない。

村人たちはその日、何も変わらなかった。

ただ、体操中に一人のおじいちゃんが、OTの話を聞きながらうっかりニヤリとしたことに、誰も気づかなかったわけではなかった…🩷。

第2章…OTは朝の体操には加わらなかったが代わりに“話”を始めた


翌朝、村の広場にはおなじみの光景が広がっていた。

主任の「さぁーて今日も体操いくよ!」の掛け声とともに、村人たちは魔法がかかったように一斉に椅子に座り、無表情で手足を振りはじめる。

まるで、儀式。

もしくは職員のストレス発散の場。

それを見てOTは…今日もやっぱり加わらなかった。

「えっ、またやらないの?」と新人ヘルパーがつぶやく。

「毎日座って見てるだけじゃ、主任に怒られるぞ…」とベテラン職員が耳打ちする。

それでもOTは言う。

「今日は、昨日お話したおばあちゃんと、いも新聞を作ろうと思って。」

いも新聞とは何か?

それは昨日話題になった“じゃがいも”の思い出を手書きでまとめた手作りの紙一枚。

タイトルはなぜか『いもと私~皮むき人生録~』。

「読みたい人がいたら、昼食前に貼っておくので、ぜひ」とだけ言って、静かに談話室の掲示板に貼り出された。

それを見て、またしても主任の眉間がピクッと動く。

「そんな暇があったら午後の体操プログラムを考えてくれないか」と言いたそうだったが、実際に口にするほどの根拠もなく、飲み込んだ。

なぜなら、その新聞の前でぽつぽつと人が立ち止まり、そして読んで、笑っていたからだ。

“皮むき器なんてなかった”

“新聞紙の上で転がすと、土が落ちて便利だった”

“いもをふかして孫にあげたら、熱っつー!って言って投げたのよ”

この村に、久々に笑い声がこぼれた。

だが、それは大笑いではない。

声をあげて笑ってもいない。

けれど、確実に“話す”と“思い出す”という行為が、この沈黙のレク村に、小さな灯をともしたのだった。

主任は見て見ぬふりをしながら、それでも体操CDを流す手が少しだけ震えていた。

なぜなら、今日は誰かが「体操行くの、ちょっと後にしてもいい?」と言い始めたから。

この村でそんな発言をするのは、かつては主任クラスしか許されなかったはずなのに。

その日、OTはこうつぶやいた。

って、不思議ですね。話すだけで、動き出すこともあるんです」

誰にも聞こえないような小さな声だったけれど、たしかに村の空気が一歩、軽くなった🩷。

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第3章…村人が最初に笑ったのは「じゃがいも新聞」が貼られた日だった。


OTが貼った“じゃがいも新聞”は、いつのまにか第二号、第三号と続いていた。

村のご意見番であるカラオケ好きのおばあちゃんが寄稿した『歌といもと若気の至り』や、かつて農業青年団だったというおじいちゃんの『いもより団子より女房がこわい』など、どこからか人生の味がにじみ出た文が掲示板をにぎわせていた。

最初は無言で読んでいた村人たちも、ある日、とうとう声を出して笑ってしまった。

「わはは、これ書いたの〇〇さんでしょ?昔の話、嘘じゃなかったんだなぁ!」と。

静まり返っていた村に、にぎやかな音が生まれた。

OTはそれを見ながら、何かを確認するように、ゆっくりと頷いていた。

その頃には体操の参加率がじわじわと下がっていた。

でもそれをサボっていたわけではない。

新聞を書くために手を動かし、記憶をたぐり、手がうまく動かない人には、OTが“紙芝居風いもエピソード”を代筆していたのだ。

この動きに主任も黙っていられなかった。

「ちょっと…体操の参加者が減ってる。これは問題じゃないか?リハビリはどうなるんだ?」

しかしそのとき、後ろからひとりの利用者がこう言った。

「新聞を書いてるとね、忘れてたこといっぱい思い出して、手も勝手に動くようになるのよ」

主任は言葉を失った。

それは、これまでの“CD音楽体操”では決して聞けなかった声だった。

しかも、普段は「めんどくさい」が口癖だったあの人が…自分から何かを言うなんて。

その日を境に、“いも新聞”の人気は村の話題の中心となり、ついには「掲示板前での立ち読み渋滞」が発生するというレベルにまで達した。

職員は慌ててベンチを増やし、施設長は“地域連携の成果”だと上機嫌。

OTはといえば、ひとつの小さな棚を使って「いも新聞のバックナンバーコーナー」を作っていた。

主任はそれを見てため息をついた。

「こんなに笑い声が響くのは何年ぶりだろうな」

そしてぽつりと、まだ誰も知らない第0号の記事のタイトルをつぶやいた――

『主任といもと眉間のしわ』

村の空気が、確実に変わってきていた。

それは、力ではなく、“心のやわらかさ”で進んだ革命だった🩷。

第4章…「花に話しかけてるなんて、暇か?」と言ってた主任が今じゃ朝の水やり隊長です


あれはある雨上がりの朝だった。

村の片隅にぽつんと置かれていたプランターに、小さな芽が出ていた。

それはOTがひとりでコツコツ育てていた“じゃがいも”だった。

なんの予告もなく始まり、誰の許可も得ずに置かれたそのプランターに、最初に文句を言ったのが主任だった。

「施設の敷地に勝手に植えるな。虫が寄ってくるだろ。第一、誰が世話するんだ」

だがその日、OTはにっこり笑って答えた。

「そうですね。虫が来たら、花の話し相手にちょうどいいかもしれません」

言葉の意味は理解されなかったが、村の誰かが「うまいこと言うなぁ」とくすりと笑った。

最初は無視していた主任だったが、ある日ふと見ると、その芽が雨に打たれて倒れそうになっていた。

そして誰にも気づかれないように、主任が静かに支柱を差し込んでいたのを、村人はちゃっかり見ていた。

それからというもの、主任が朝一番に外に出ていく姿が目撃されるようになる。

手にはじょうろ。

目的地はプランター。

動作は慎重。

村人たちはそれを“主任のレア演出”と呼び、密かにカレンダーに〇をつけていた。

あるとき、新人職員が「主任、それ水やりですか?」と声をかけると、

「これは違う。視察だ。成長管理だ」と謎の言い訳をしていたが、

その背中はなぜか、いも新聞のバックナンバー棚と同じくらい優しい雰囲気をまとっていた。

それからというもの、村の朝のルーチンがひとつ増えた。

“体操➡いも新聞のチェック➡じゃがいもの成長観察➡話題の共有”

OTはと言えば、それらすべてを「自然な流れですね」と一言だけ。

主任はついに新聞にも寄稿し、『いもと主任と朝焼けの一滴』という詩的すぎるタイトルを掲げ、村人全員から「これはもはや文豪」と称されていた。

かつて、何も笑わなかった村。

話すことすらタブーだったこの場所に、いまでは新聞、いも、花、そして“話題にされる主任”がそろい踏み。

これは革命などではない。

静かな再生だ。

そしてOTは、誰よりも静かに、でも確かに、その中心に立っていた🩷。


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まとめ…OTは静かに旅立った…けれどあの人の“心の図面”は今も村のあちこちに息づいている


それからしばらくして、OTの姿が村から消えた。

誰かが「転職らしい」と言い、誰かは「転移魔法を使って別の施設に行った」と言い張り、主任に至っては「うちの人事、何も聞いてないんだけど」とマグカップを持ったまま天井を見つめていた。

だが、OTが去ったあとも、村は元に戻ることはなかった。

いや、正確には“本来の村の姿”に戻ったのだ。

笑う声、語り合う時間、新聞に投稿する熱意、じゃがいもに名前をつけて世話する主任…。

気がつけば、体操の音楽は少しテンポがゆるやかになり、開始前に「今日の話題」を共有する習慣が生まれていた。

あの人が残したのは、制度でも、マニュアルでも、設備投資でもなかった。

ただ、“心が動く方向に、人と環境をちょっとだけ傾ける”という、不思議な力だった。

それは、誰かに指導されるものではなく、誰かの中にあったはずの何かを呼び覚ます技術だった。

いま、この村には新たな作業療法士が配属された。

その人は言った。

「え、いも新聞って何ですか?」

村人は一斉に笑った。

「じゃあ、読んでみるといい。1号から、じっくりね」

そして主任が、神妙な顔でじょうろを渡した――

「まずは、朝の水やりだ。基本は大事だぞ」

作業療法士とは、ただのリハビリ職ではない。

心を読み取り、暮らしに寄り添い、人と人のあいだに静かに橋をかける、生活の設計士である。

この村の掲示板には今も、誰かの笑顔と一緒に、あの日の“心の図面”が貼られている🩷。

OTという名の旅人はもういない。

けれど、その痕跡は、今も確かに、生きているのだ。

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