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子育て育児論です。
はい、私の理論ですね。
いつもの如く正解がない。
けども、何かに気づき、反発修正したり、肯定して受容して進歩するきっかけになるかもしれませんよ(*^▽^*)
今回は、子どもっていろんな好奇心に溢れた生き物ですよね?
大人がその思いを壊さないように大切にすることが大事というお話です(*^▽^*)
あこがれを抱く、やる気を起こすといった心の動き、大人になると表にあんまり出さなくなります。
もちろん頑張っていたり、やる気に満ちる、あこがれる~という気持ちは、大人にもあるものですが、子どもほど純粋に表面化しませんよね。
子どもがあこがれを抱いたり、やる気を起こす姿って、とても周りの人々を感動させませんか?
『おっしゃ、応援したろ』って気にさせてくれますよね。
積み木でも、砂場遊びでも、鬼ごっこでも…遊び一つ夢中になって真剣になれるのが子ども。
子どものあの興奮と熱意はどこから来るんでしょう?
まずはその辺りを考えてみました。
簡単に言うと先が見えていない、予測できないという拙さを指すんですけども、経験がないということが新しいことに向かう気持ち、知りたいという気持ちに繋がり、アクションに直結するのです。
糸の束を引きずりながら、小学校のグラウンドでゴールを目指して走る感じ?
糸の束の先には友だち、親、勉強、優しさ、あこがれが結んであって走り抜けるような…そんなイメージが子どものあこがれややる気のことを考えると私には浮かんできます。
ゴールも遠くて本人には見えてないんですけども…。
そうして様々な引きずるものにふと気づいては拾い上げてポケットにしまいつつ、ゴールに向けてまた走る子どもたち。
大人は最初の一歩目から糸を束ねて肩で担いで全力疾走してゴールを目指す。
ゴールも予測してあるから時間通りに結果に到着という具合ですかね。
拙いと大人目線で表現すると実も蓋もありませんが、ゴールだけを見据えてなりふり構わぬという必至さを持っているわけでもありません。
ゴールは目指すけどもひたすら一直線ではなく迷いながらも進む感じですね。
そこで、最も子どもたちが大切にしていることはその時の感情なのです。
楽しいという感情、一緒に楽しむ感情、ときには大泣きして悲しい思いを思いっきり出す、感情を露わにすることをとても大切に生きています。
子どもの感情に寄り添うことです。
泣いている時、怒っている時、楽しんでいる時、いろんな時に寄り添うこと。
小さい時ほど多く、自立するにつれて徐々に一緒にはいられなくなってきます。
共働きで一緒にいられない…なんてことも昨今の社会事情はありますけども、一緒にいることが豊かな人間性を育むことは間違いありません。
横にいる、そばにいるというサポートがあるのとないのとではとても大きな差になります。
例えば小学校の低学年で一つのハードルとなる鉄棒の逆上がり。
子どもにとってとても難しいと思い、支障となっているとします。
そこに親が横で見ているというサポートがあるのと一人で公園で頑張って練習するのと、どちらが達成するのに近道となるでしょう?
親が横にいる方が過程は早く昇華されます。
何もしなくても傍で見てくれているという安心感はチャレンジ精神を支える土台になるからです。
けっして手を貸す、口を出すというわけではありません。
横で見守るという行為の中に見ている、支えているという言外のサポートに含まれる感情があるのです。
この感情の動きを子どもが感じてやる気を加速させていきます。
漫画の中に表現される力的なものやセリフ…大人から見ると現実的ではないそれらも子どもにとっては大きな驚きと受け止められて、あこがれの対象になることがありますけども、子どもにとって最も身近なあこがれの存在は父と母であることは間違いがありません。
話が出来ると『お父さん大好き』『お母さん大好き』と表現してくれますけども、赤ちゃんでも動き出すとおもちゃがあっても、親を追い求めますよね。
身近なあこがれである自覚を持って傍らにいる意義って奥が深いですよね。
現代の社会は共働きでなければ十分な生活収入が得られないとも言われる。
共働きの結果、見過ごしてしまう子どもの発育があります。
現代の医学や学問は見れること、数値化できること、統計にできたことしか理論として世に広めることができない欠点があります。
今回はそんな世に警鐘の一石を投じつつ、子育ての大事な視点、子を思う親の心の大切さとあり方を記事としてまとめてみた次第です。
子どもは親の鑑という言葉もありますから。
子は宝…。
大切に育てようね…(*^▽^*)