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子どもの言動で大人が感じられる純粋さ…。
赤ちゃんから小学生くらいまでは、純粋な一面が伺えるのではないでしょうか?
今日はそんな純粋さに秘められた発想を理解してみる必要性…。
見落とすとダメかなぁ?
という辺りをエピソードと共にご紹介です(*^▽^*)
もちろん、そこから、そう思える人と思えない人が世の中にはいますよね…。
赤ん坊に近いほど、黒目が大きく、頭が大きく、短い手足におむつのポンポンスタイル…。
ガニマタでトッテコとたどたどしく歩く姿。
二パッと花が咲いたように笑う様子は天使を彷彿とさせますよね。
お腹を痛めて、苦労して産んで育てる我が子は、親を慕いますし、かわいいものです。
誰もがそうとは限らないとも、世の中では言われますけども…。
私の場合、我が子はかわいいと思いますが、一方であんまり他人のお子様を見てかわいいと思ったことがありません。
いや、でも、他人のお子様も、かわいいと思うことはゼロではない…。
な、なんだ、あのモデル並みの美赤ちゃんは!美男子は!美女は!そう思ったことも、確かにありますね。
単なる顔立ちか、服装とのベストマッチングが…。
ドアップが、よだれを垂らしてデロデロであっても、遠目の立場で見るお子様のかわいさはいろいろとあるのかもしれません。
そんな赤ちゃんから幼児への魅力…。
大人と同じですね。
隣近所の知人、見知らぬ他人様…。
お金持ちのご家庭のお子様…。
いろいろなお子様をみてみて、いろいろな感慨を持つものです…。
こう考えますと、赤ん坊や幼児も、しっかりと接して、人と形を慎重に見極めるスタンスなのかもしれず、もちろん、その必要があるようです。
だんだんと社会や大人に毒されて、身を守るように育つにつれて、要領よく武装していく子どもたちですが…。
純粋さは生涯、パーソナリティーの一端に残るのではないか?と私は思います。
美味しいものに目がない…。
美しいものを愛でる…。
宝物を大事にする…。
楽しいことに熱中する…。
お母さんが大好き…といったところの特性・個性です。
介護のお仕事をして、大勢の高齢者さんと、そのご家族に接してみた中でも、人と形によって多くの考え方や人生がありつつという様子に触れてきました。
親孝行であったり、生活意識であったり、いろんな場面で、それぞれの方の思惑に触れてきた経験から、そう思うだけですけどね…。
大きくなるにつれて、知恵が増えていきますので、他人がその方の純粋性を分析して理解することは、成長するほどに、とても難しくなっていくのではないかとも思います。
さて、体験談・エピソードなのですが…。
先日、我が子の中学校の入学式に親として初めて参加してみました。
そこで、ふと感慨を抱いたエピソードはたくさんあるのですが…。
ダダっと書いてみますと…。
君が代や校歌のあり様に笑えた…。
誰も歌っていない…歌っても蚊の鳴くような声量…。
集う来賓席の区長の大勢…。
壇上に昇る教員は国旗に向けて、会釈するが、随分と丸まった背中ですね…。
新1年生は舞台前、後ろ左右に2年生と3年生の在校生たち。
その全体の最後尾に保護者・父兄の席。
父兄席は全体を俯瞰できる。
在校生男子の学生服の袖と裾から出る緑・赤など原色のセーター。
懐かしの不良スタイルだぁ…と一発でレトロな景色を感じさせてもらいました…。
女子は風が拭けば露出するかもしれないほどの短いスカートがちらほら…。
これも女子流の昔ながらの不良スタイルだ…。
子連れの父兄…。
2歳児くらいだろうか、堅苦しい入学式の間中、案の定、ぐずり始める。
抱っことお菓子で、ママは頑張って2歳児を宥めてる…。
小一時間ほどの式が終わり、生徒が先に消えていくが、1年生は理路整然と行進して退席。
2年生は列が間延びして崩れながらも、なんとか全員が退席。
3年生は列をなさず、パイプ椅子の間をバラバラに三三五五に散る…。
と、このような式次第の結果だったのですけど…。
3年生がひどい…と見るのが1つの感想ですよね。
不良とあえて書きましたけど、式の間中、周囲に声をかけて笑いを誘ってふざけてみたり、だらけた態度だったりと、式には見事に不適合・不適切な態度でしたし、周囲に悪影響もありました。
でも…思うがままに振る舞う…。
いついかなる時も自分を最大限に発揮する…。
見方によっては純粋だ…と言えなくもないですよね…。
もちろん対として、大人に向けた知恵が足らず、成長できていないとも…。
内申点はさぞ悪く、次なる高校の進級が危ぶまれるところだろう。
それでも自分が蒔いた種、立派な大人に向けて、自己顕示欲の芽を後悔なく育てて欲しいものです。
さて、子育て中のママと2歳児。
連れて来ざるを得ないほど、育児を一時、頼むお相手が存在しなかったのではないだろうか…。
堅苦しい儀式…そこに2歳児の興味や関心は、もちろんゼロである。
ママは2歳児の弟さんと共に家族で中学生に進学した兄をお祝いしたかったのかもしれませんね。
大人の保護者としての私とて、無意味を感じる義務教育の強制下での入学式なのだ…。
不良と呼ばれる子らや2歳児では、なおさらだろう(*^▽^*)
エピソードはまぁ実体験そのものなのですが…。
自分の頃と大差ないというか…。
立場が親になって観察してみると昔はもっとマシだったのではなかろうかと…。
入学式、あんまり儀式的にも、意義的にも、そんなに意味を成してない気がします。
やらない方が良いんじゃない?
もちろん、そんなわけにもいきませんが、そんな感慨をもったわけです…。
理由はですね、中学校は大人に向かう準備期間、義務教育最終段階。
思春期を迎え不安定さを乗り越える段階。
ここが眼目です。
まず来賓、県議会議員、市議会議員、教育委員会、区長、民生委員がずらりと並ぶ。
公選から地区代表ですけど…。
通学路の見守りや地域構成に重要なポジションですけども…。
そこだけしかないわけです。
大企業や警察署、消防署など地域を構成する要素は身近にたくさんあるのに、そこだけ。
企業は地域貢献の機会を積極的に探す時代ですが、教育の現場からお声かけすらしていない証拠かもしれません。
何事も角度を変えますと、儀礼的で意味が有る無しが違って見えます。
教育は常に広く、多くの個性を社会の輪に取り込んで成長を支えていくあり方に尽力して欲しいものです。
と、いつもの脱線を経つつ…子どもの純粋性、大人になっても失わないで欲しいものですよね。
大人が子どもの純粋性や個性を見失う時、初めて子どもの純粋性と個性は消失するのかもしれません。
角度を変え、シチュエーションを替え、子の成長の芽を大切に見守る工夫を尽くしたいものです。
…私の理想論でございました(*^▽^*)