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20年前の介護保険が始まった頃の私は介護現場で新米でした。
23~24歳頃で、体力もがっしりしてたんですけどね…。
楽しかったこともあり…苦しいこともあり…泣き笑いのスタートの頃が今でも目に浮かびますね。
え?Episodeで楽しそうだった?
いやいや反面もたくさんありましたって…(*^▽^*)
そうですね…老人保健施設や特別養護老人ホーム、在宅介護支援センター、起業支援と訪問介護、通所リハビリテーション事業所でケアマネージャー先が2カ所。
7か所の事業所でこれまで勤務させていただきましたし、ホームヘルパー2級から1級で実習で5カ所ずつくらい巡りましたね。
それも最初の3年くらいで免許系の実習であちこち覗いたり、いろんなところに実地研修に出されもしましたし…。
ケアマネージャーとしての直近15年はそれこそ多くの事業所さんを覗いてきてます。
その経歴から、お金やコスト面は最近の15年しか分かりませんし、その前の現場のコストは考えてませんでしたね。
そうですね、20年前は活気がありましたね。
今は汲々としているというか閉塞感が半端ないと言いますか、そんな差があります。
20年前の介護の世界はですね、紙おむつもありましたけど布おむつの事業所さんも多かったのですよ。
他にも繋ぎ服が普通に使われてましたし…。
一番驚いたのが、利用者さんと共に裸の付き合いだと言って一緒にお風呂に入る事業所があったりもしました…。
確かに服を着たまま介助する方が体力を消耗するのは間違いないですけどもね。
介護保険の登場で、それ稼げ!の時代でしたから、毎月、新しい事業所さんがオープンなんて活気ある頃です。
でも、激しい変化だったので、とても不正も横行していました。
水分補給なんてケアプランでヘルパーさんが利用者さんの自宅にいるのは3分程度で冷蔵庫から飲み物を出してストローを指して渡すだけで30分の身体介護の単価が請求される…2500円のサービスになるとか…。
高レベルな不祥事事件も今でも時々、ありますが、初期の頃は特にひどかったです。
潰れても場所を変えて創業したり…いたちごっこの側面もありました。
特にケアマネージャーさんの担当件数に縛りもなかったので、一行プランが横行したり…。
カルテの中身がボロボロで介護保険証のコピーすらない有り様でした…。
初期から5年くらいはそんな混乱期でしたね。
一方、事業所さんは効率よく稼いだのか、訪問介護員で月収50万円という出来高を弾いた方もいたくらいです…。
昔は勢いがあって、いろいろなことを新機軸で試す土壌があったと思います。
現在は規制も多く成熟してきていますけど、根本的に人は効率よく稼ぐことに特化するみたいで、経営者を一新しないとダメなものはダメな気がします。
介護の現場に関して言えば、熟達していると言えますが縦の命令系統が確立されており、融通が利かない面があると言えるでしょう?
無難な枠から出ることをしない傾向ですかね。
ですから単価が下がると猛烈な批判に変わってしまいます。
社会福祉って、もっと社会をより良くという発想も大事ですよね。
ですから介護保険という単価、10倍の魔力から脱却している様々なサービスのあり方に学ぶ必要もあるんじゃないかなと思います。
保険に関与しない実費で成り立つ、いろいろなサービス業や技能業の方々です。
シルバー人材センターさんが近年はその領域で頑張り始めていますけど、根強く地域で産業をしている業態をいろいろと取り込んでミックスすることが介護保険の閉塞感の打破につながるところかなと思います。
介護というと人の動きや生活をサポートすることが目的ですが、基本的な食事やお風呂、排泄といったこと以外にも生活全体はとても広いものです。
障子やふすまの張替、畳の交換、換気、老朽家屋の修繕、収入がなければ収入を産む方法の助言まで…もちろん、その筋のエキスパートもいるわけですけども、それぞれが別個に活動する中、2つ以上の領域に跨るあり方、『 二足の草鞋 』を履くようなお仕事が
今後は重宝される気がします(*^▽^*)
20年前を語るつもりが未来を語ってましたね…。
行政がやることは都度の時代を点で捉えてしまう傾向があります。
介護保険を作ったにしても、現在は地域包括支援センターで、行き過ぎを戻す停滞させるマイナーな動きになる。
そして数年が経過するとまた違う動きになる。
作った人が異動したり、任期が終了するまでの間の責任として放置するから連続性がなくなってしまう。
3年に一度の改革の介護保険に振り回されて右往左往する時代は去らなきゃいけないかなと思うのです。
複合して2系統で収益や実利を挙げる会社を作ることは安定した収益はもちろんのこと、先に新しい介護の形が見えることになる…私はそう思っています(*^▽^*)