目次
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気づけば6月。
あちこちで紫陽花が「咲いたわよ」と誇らしげに揺れている中、私は家でぐったりしていた。
「ねぇ、今日“ろうごの日”なんだって」
とスマホを見ながらつぶやいたら、隣のソファで寝ていたおばあちゃんが、目を開けた。
「ほう、ろうごの日か。いい日だねぇ」
そう言ってニッコリ笑ったその顔を見て、なんだかグッとくるものがあった。
…が、その後すぐに、
「昔はね、ぬか床の手入れで嫁の愛情🩷がわかったもんさ」と語り出した瞬間、孫(20代)がふすまの向こうから顔を出してこう言った。
「ぬか床って何? Bluetoothの仲間?」
……えぇ、出ました。世代ギャップどころじゃない。まさかぬか漬けがデジタルデバイスの仲間にされる日が来るとは。
そんなこんなで私は、70代の母と20代の娘の間で、今日もアナログとデジタルの翻訳機のような日々を生きている。
おばあちゃんの“宝物のような知恵”を、孫に伝えたい。
でも、伝えようとすると何かズレる。
いや、ズレるどころか、時空がねじれる勢いで伝わらない。
それでも、「あぁ…これが“つなぐ”ってことなんだろうな」なんて思ったりもする。
笑ってるけど、ちょっと泣きそうにもなる。
けどやっぱり笑うしかない、そんな40代の私の“ろうごの日”。
今日は老後の話。
だけど、私はまだ途中。
孫に伝えたい“何か”と、おばあちゃんから受け取った“何か”の間で揺れる、
ちょっとした“中間管理職”の冒険、始まります♪
「お味噌汁🍲はね、朝イチで飲むと体の中が目を覚ますのよ」
と、おばあちゃんはどや顔で語る。
まるで健康の仙人。
そのお味噌汁には、ほうれん草、豆腐、そしてなぜかプカプカ浮いてるのは、柚子の皮。
朝から香り高すぎて、こっちはまだ夢の中です。
「昔はねぇ、味噌ひとつで嫁の性格がわかったもんだよ」
いやいや、嫁診断キットじゃないんだから。
その横で、20代のうちの娘は「へぇ〜、味噌っていろんな味あるんだね!」と無邪気に反応。
いや、それは今しがたスーパーで見てきたラインナップの話だよね、おばあちゃんが言ってるのは昭和の“嫁チェック味噌テスト”の話だよ…。
そのあとも、「ご飯はお釜で炊くとうまみが違う」「梅干しは白ご飯に乗せるだけでごちそう」「味噌汁に入れる豆腐は手のひらサイズが正義」…と、次々繰り出される“おばあちゃんズ・ことわざコレクション2025”。
隣でスマホをいじってる娘が「ねぇママ、これってほんとに昔の人ってこうだったの?」と聞いてくる。
一応ね、ほんとだよ。
…たぶんね。
そして、またおばあちゃんが言った。
「昔の人はね、なんでも使い切ったのよ。魚の骨もスープにして飲んだもんだ」
娘が真顔で「それ、SDGsの元祖じゃん」と言ってたけど、
たぶんおばあちゃん、SDGsって言われても「略語はよくわからんけど、もったいないの精神なら負けないよ」って笑う気がする。
私はと言えば、その間にお茶を注ぎながら、うんうん頷いて、でもちょっと思ってた。
この“伝え方の温度差”、どうにかならんかな〜と。
おばあちゃんの言ってること、実はけっこう深いんだけどな。
伝え方ひとつで「ありがたい知恵」にもなれば、「懐かしの珍発言」にもなる。
孫の反応が薄いたびに、ちょっとしょんぼりしてるおばあちゃんを見ると、「わかってあげて〜」って叫びたくなる私。
けれど、ここで叫んでも誰も聞こえない。
なぜなら、おばあちゃんは語り続け、娘はTikTokで「ぬか床のダンス」とか検索している。
なんて日だ。
「今日は寒いから、あったかくして出かけなさいよ」
おばあちゃんが孫に言ったその一言に、何の問題があるというのか。
…と思っていたら、孫が小声で「なんか…ちょっと重い」とつぶやいた。
は?
どうやら娘にとっては、“防寒の助言”というより、“見えない束縛”に聞こえたらしい。
おばあちゃんの「やさしさ」が、孫には「プレッシャー」に変換されるこの現象、私は勝手に“感情翻訳エラー”と呼んでいる。
たとえば「もっと食べなさい」は、「あなたが心配なのよ」だけど、娘からしたら「太ってるってこと?」に聞こえてしまう。
「人と比べなくていいんだよ」は「あなたはあなたでいい」なのに、「結局、私のこと理解してないんでしょ?」になる。
おばあちゃん、悪くない。
むしろ愛に満ちている。
でも言葉のフィルターを通すと…カオス。
しかもLINEになると、それはさらに深刻化する。
おばあちゃんががんばって打った「気をつけてね」が、なぜか孫には「圧強っ!」と受け取られる。
絵文字やハートの“意味の温度差”がもはや天と地。
私はというと、二人の間で同時通訳のように「えーとね、おばあちゃんは“心配”って意味でね…」
「で、あんたが感じた“重い”ってのは、過去の体験が関係しててね…」
などと分析しては、最終的に「わかった、もう私がごはん作るね」となぜかキッチンに立つ。
こうして私は、愛の渋滞を解消する“感情交通整理係”となり、今日も台所で味噌汁を煮ている。
でもね、ふと思うのだ。
おばあちゃんの言葉って、実はすごくシンプルでストレートなんだ。
「寒いと体壊すから気をつけて」
「あなたが幸せでいてくれたら、それでいいのよ」
それだけ。
それだけなのに、なぜこんなにも難解になるのか。
SNSやネットに慣れた孫の心には、やさしさも“軽やかでオシャレな言葉”じゃないと届かないのかもしれない。
それでも私は思う。
言葉が不器用でも、その中身がホンモノ💡なら、きっとどこかで伝わる…はず。
そう信じて、私は今日も“やさしさ”の仲介業をがんばっている。
でもたまに、うっかりおばあちゃん寄りの口調でLINEしてしまって、娘に「ママも最近うるさいよ」と言われてしまうあたり、もう立派な“ろうご予備軍”なのかもしれない。
ある日の夕方、冷蔵庫の奥から、手作りの梅干しの瓶を見つけた。
「これ、もう何年ものかしらねぇ」とおばあちゃんがのんびり笑う。
「酸っぱすぎて一粒でごはん三杯いけるわよ」って、それ自体がもう武勇伝みたいな発言なんだけど、その梅干しの横に、そっと貼ってあった古びたラベルに気づいた。
“昭和の味”
ああ、もう…おばあちゃん、こういうの貼るの好きよね。
昭和って書いてあるだけで、なんかもう無条件に美味しそうに見えるのが悔しい。
その夜、その梅干しをちょっと崩して、娘におにぎりを握ってみた。
「えっ…これ、酸っぱい…けど、うまっ」
娘のその一言に、ちょっとだけグッとくるものがあった。
いや、ただの梅干しだよ? だけど、なんだかこう…涙腺がゆるむ。
昔、私が体調崩したとき、おばあちゃんがこの梅干しのおかゆを作ってくれたっけ。
あのときは「えーまたこれ~」とか言いながら食べてたのに、いまや自分の手で握って、誰かに食べさせてる。
そうか。あの梅干し、ずっと私の中にあったんだ。
しょっぱいし、酸っぱいし、すぐしわくちゃになるけど、でも元気が出る。
あれは、ただの食べ物じゃなかったんだな。
そしてふと、思う。
「おばあちゃんの言葉、私もけっこう覚えてるな」って。
昔は流してた「腹八分目がちょうどいい」とか、「靴は朝履いたときの感覚が一番正しい」とか、なんかもう標語みたいな人生アドバイス。
聞き流してたのに、なぜかちゃんと覚えてて、時々それを娘に言ってる自分に気づく。
気づいたときには、もう受け継いでたんだな。
しかも勝手に、ナチュラルに、DNAのように。
ああ、こういうのが“宝物🎁”っていうんだなぁ。
アクセサリーでもないし、高級バッグでもない。
だけど、きっとこれからも役に立つ、人生のポケットに入れておける、そんなサイズ感の“しょっぱい梅干し”みたいな宝物。
孫に伝わるのは、たぶんまだ先かもしれない。
でもきっといつか「あれ?ママってこういうこと言ってたなぁ」って思い出してくれる日が来る。
そのとき彼女の冷蔵庫にも、何か“しょっぱい宝物”が入っていたら嬉しいな、なんて思う。
気がつけば、私は“つなぐ人”になっていた。
おばあちゃんの味噌汁と、孫のスムージーの間で揺れながら、昭和の知恵と令和の感性の間を、毎日ジグザグに行ったり来たりしながら、なんなら時々「もうどっちでもいいわ〜!」って寝たふりをする日もありながら、
それでも私は、ちゃんと“つないでいた”らしい。
おばあちゃんの言葉は、いつも少しうるさくて、ちょっとしょっぱくて、でもあとから効いてくるスパイスみたいなもので。
孫の反応は、いつもシュールで鋭くて、でもどこかやわらかい空気を運んでくれる春風のようで。
その両方を知っている私は、やっぱり“今この時代に生きる意味”を持ってるんだろうなと思う。
老後はまだ先。
だけど、老後を支える立場も、未来を育てる役目も、案外すでに始まっていた。
板挟み?
いやいや、三世代バランス芸ですよ、これは。
言葉は時々迷子になるけれど、気持ちはちゃんと同じ方向を見ている。📌
それって、家族の中でいちばん難しくて、でもいちばん尊いことなのかもしれない。
6月5日、ろうごの日。
今日は、老後を考える日でもあるけど、“いま”を生きる自分を、ちょっと褒めてあげる日でもあっていい。
受け継ぐことは、難しい。
けれど、やさしい。
伝えることは、遠回り。
だけど、ちゃんと残る。
その真ん中に立っている私は、きっと、今日もちょっと忙しくて、ちょっと笑ってる。
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