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ちらし寿司にトロミをかける?
──そう聞いたら、たいていの人は目をまん丸にして一瞬沈黙するか、なんだかもったいないような顔をするか、もしくは「なんか…給食みたいだね?」なんて口にしてしまうかもしれません。
でもね、そこで驚いてはいけません。
時代はもう、「お寿司にワサビとガリを添えて…」だけじゃないのです。
むしろ、「え、あんかけ?」と言われるその一瞬の戸惑いの中にこそ、これからの寿司文化のヒントがぎっしり詰まっている──と、わたしは密かに確信しております。
だって、想像してみてください。
蒸し暑くて、気圧も湿度も気分もすべてが下がり気味な6月のある日。
元気も食欲もそこそこ、そんなときにキラキラとした旬の素材が乗った酢飯に、出汁のきいたやさしいあんがとろ〜んとかかっていたら?
「食べてみようかな」じゃなくて、「今すぐ食べたい!」って、胃袋が前のめりになるはずです。
ちらし寿司って、もともと「混ぜても、散らしても、見栄えよくて、しかも美味しい」っていう、かなりオールマイティな立ち位置のごはん。
そこにトロミという魔法をかけることで、高齢者施設でも、体調に配慮が必要な方でも、みんな一緒に「今日の昼ごはん、ちょっといいね」と言えるようになる──それって、すごいことだと思いませんか?
もちろん、そんなアイディアがぽんっと出てきたのは、6月27日が「ちらし寿司の日」だから、というわけではありません…と言いたいところですが、そうです、実はそうなんです(笑)。
ちらし寿司が生まれたといわれる江戸時代の知恵、庶民のささやかな贅沢心、そして現代の介護食文化をつなぐ1本の糸。
それが、今日の「水無月あんかけちらし寿司」なんです🩷。
さあ、お話はここからです。
梅雨空の下、ちょっぴり心が晴れるような、おいしいおいしい“ちらし寿司進化論”へ、どうぞご一緒に──。
6月27日──それは、曇り空と湿気が主役の梅雨ど真ん中。
そんな時期の真ん中に、ぽつんと立っている「ちらし寿司の日」という記念日。
えっ、ちらし寿司ってそんなに特別だったの?と思ったあなた。
そう、**特別なんです。
しかも、ちょっとした“反抗の味”**なんです。
この記念日を制定したのは、広島県の食材メーカー「あじかん」さん。
ちらし寿司の具材などを手がけている企業で、「ごちそうをもっと気軽に!」「混ぜても散らしても美味しいは正義!」という想いを込めて、2004年に晴れて記念日登録されました。
なぜ6月27日かというと…この日が、ちらし寿司誕生のきっかけを生んだ、岡山藩主・池田光政の命日なんです。
時は江戸時代。
1654年、岡山で大洪水が起きました。
物資も乏しく、生活は苦しく、そんな中で池田光政が出したのが「一汁一菜令」。
これはもう、現代なら炎上確実な“贅沢禁止令”で、おかずは1品まで、ご飯と汁だけで我慢せよというお達しだったのです。
でも、ここで黙って我慢するだけじゃないのが庶民の力!
「おかずは1品まで?…なら、ぜんぶご飯の中に隠せばよくない?」と気づいてしまう。
そして誕生したのが、混ぜご飯スタイルの“ばら寿司”、そしてのちの“ちらし寿司”。
しかも驚くべきはその工夫。
桶の底に具材をびっしり敷き詰めて、その上から酢飯でフタをする。
パッと見た感じは、ただの質素な白いご飯。
「ほらね?一汁一菜だよ?」ととぼけながら、実は下にごちそうを隠してる。
そして食べる直前に…ひっくり返す!
ご飯の下から彩り鮮やかな具材が現れ、「わぁ…」と広がる小さな宴。
なんというしたたかさ。
なんという粋。
この工夫があったからこそ、現代のちらし寿司の「混ぜる・散らす・彩る」文化が育まれたのです。
つまり、ちらし寿司って、庶民の知恵と願いと、ちょっとのユーモアがぎゅっと詰まった宝石箱なんです。
江戸時代の人々が「せめて口の中だけでも豊かでありたい」と願った気持ち、ちゃんと今にも届いている。
だから、6月27日。
「ちらし寿司の日」は、単なるグルメ記念日じゃありません。
食べる幸せをあきらめなかった人たちを思い出す日。
ひとくち、ふたくち、その奥にある“知恵”と“生きる力”を、味わってみてください🩷。
6月という月は、どうにもこうにも湿っぽい。
空はどんより、洗濯物は部屋中を占拠し、気圧もテンションも地面スレスレ。
靴は乾かず、髪も広がり、まるで自分まで湿度に巻き込まれてふやけていくような毎日です。
そんな時期にふと出てきたのが──ちらし寿司。
それも、うっかり「普通のちらしじゃない」。
あんかけという名前をまとって、ふんわりと、静かに、目の前に登場するのです。
見ると、酢飯の上に、ちらちらと並んだ旬の具材。
小さく刻まれた鯛、やわらかく炊かれた小ダコ、
彩りを添える錦糸卵に、れんこん、オクラ、生姜…。
その上から、まるで雫のようにやさしく流れる、薄く透き通った出汁のあん。
見た目は控えめだけど、なんだかすごく上品で…なんというか、心がふっと立ち上がる。
この一皿、見た瞬間は「え?あんかけ?」と戸惑っても、一口食べればわかります。
ああ、これは「梅雨の気分を救ってくれる食べもの」だって。
酢飯の軽やかさと、あんの包み込むような温かさ。
それぞれの具材が主張しすぎず、それでいて存在感がちゃんとある。
シャキッ、ふわっ、つるん──口の中で季節の感触が踊る。
あぁ、生きてるなあって思う瞬間です。
しかも、これはありがたいことに、食欲がなくてもするっと入る。
「なんとなく元気が出ない」「でもごはんは食べなきゃ」なんて日の、救世主ポジションにぴったりなんです🩷。
ちらし寿司って本来は晴れの日のごちそうだけど、この“あんかけバージョン”は、むしろ曇り空の救世主。
雨音と一緒に静かに寄り添いながら、心の中にポツポツと、味覚の花を咲かせてくれる。
そんなに派手じゃなくていい。
口にするたび、「ああ、今日も大丈夫だな」と思えること。
それが、今この時代の、ほんとうに贅沢なちらし寿司の姿かもしれません。
「日本食はね、素材を活かすのが基本なのよ」と聞くたびに、なんだか“何もしないのが美徳”みたいに感じる人もいるかもしれません。
でも、その「活かす」ってやつ、よーく考えてみてください。
それって実は──一番手間のかかることなんですよ。
たとえば、鯛。
「ただの白身魚でしょ?」なんて言ったら、寿司屋ののれんに頭突きされますよ。
ちょっとでも寝かせ過ぎれば水っぽくなるし、締めすぎれば固くなる。
そして「ちょうど美味しくなった」と思ったその30分後にはもう“惜しい鯛”になってたりするんです。
なんとわがままな魚。
だけど、これが“めでたい”の象徴というのも、日本らしいですよね。
小ダコに至っては、もう性格が職人気質。
火を通しすぎればゴムのよう。柔らかく仕上げたと思えば、今度は味が抜ける。
でも、そこにひと工夫──塩揉みからの短時間煮と、ほんの少しの出汁の魔法。
そうすると…「あらまあ、おいしい」と誰もが言ってしまうタコになるんです。
こんなふうに、素材を活かすって、つまりは“対話”なんです。
この鯛、今日はご機嫌かしら?
このタコ、今日はどんな火加減が好きかな?
お料理って、ちょっと恋愛に似てますよね。
わがままを受け止めて、その日そのときだけの“ちょうどいい”を引き出す。
だから言いたいんです。
素材を活かすって、手を抜くことじゃない。むしろ“手間と愛情のかたまり”です。
ただ切って並べて出してるわけじゃないんです。
ひとつひとつが、その人のために、季節のために、丁寧に準備された一口なんです。
それは、目立たないけれど、ちゃんと届く。
「今日のこれは、なんかいいね」と気づかれなくても、
身体がふわっと満たされて、「また明日も食べたいな」と思える。
そんな静かな感動こそ、日本食の真骨頂。
だから、あんかけちらし寿司。
これも決して“とろみでごまかしてる”なんて思わないでくださいね。
トロミにはトロミの意味があり、あのとろりの下には、ちゃんと素材の物語がある。
それを見えなくしてるようで、実はちゃんと伝えるためのベールなんです。
素材を活かすこと、それは「そっと背中を押す」やさしい技術。
そして何より、「あなたに美味しく食べてもらいたい」という、伝えたくてたまらない愛情なんです🩷。
さて、ついにその姿を現します──今月の主役、「水無月あんかけちらし寿司」さんのご登場です。
もう名前からして、どこか文学的。
どしゃ降りの中でも傘をさして静かに歩く、品のあるあの人。
見た目は地味でも、中身はぎっしり。
まさに、ちらし寿司界の紫陽花です。
今回のテーマは「優しさと、旬の重なり」。
出しゃばらない、でも確かに感じる。そんな味の物語を描くために、まず大切にしたのが出汁です。
そう、あの魔法の液体。
昆布と鰹でとった一番出汁に、ほんの少しのすだち果汁。
それをとろりと、でも重くなりすぎないように仕上げた“うす味あん”。
このあんが、酢飯と具材を結びつける美味しさの通訳さんになるわけです。
具材もまた、きらめく小宇宙。
6月の旬を意識して、まず主役に迎えたのが、鯛の昆布締め。
上品な甘みとしっかりしたうまみで、酢飯との相性はまさに“気の合う親戚”レベル。
そして小ダコは、やわらかく煮て、すこし刻んで。
噛む力にやさしいけれど、味の力は頼もしい。
ああ、そして忘れちゃいけないのが、錦糸卵のふわふわと、しらすのしょっぱさ、絹さやの緑の清涼感、生姜のキリリとしたアクセント。
これらすべてが、一皿の中で出会い、溶け合い、主張しすぎず、でもちゃんと感じさせる。
しかもね、あんかけって見た目もすごくいいんですよ。
ほんのり光をまとったようなツヤ感。あのとろりのベールの下に、宝石たちが隠れている感じ。
まるで、雨上がりの水たまりに映る空をすくうような、そんなひと皿です。
そしてこのちらし寿司は、ただ「美味しい」だけでは終わらせません。
高齢者施設で提供されることを想定し、咀嚼しやすさ、嚥下しやすさ、そして**「同じものを皆で食べられる喜び」**も丁寧に盛り込みました。
とろみを付けた出汁は、味のまとまりだけでなく、「のどごしの安心」まで添えてくれる。
「食べる」という行為を、もう一度“楽しい”に変える魔法──
それが、今回のあんかけちらしに込めた、いちばんの願いなのです。
つまり、これはただの変わり種じゃない。
伝統のちらし寿司と、介護食の工夫と、季節の食材が手を取り合った未来のお寿司。
それが、この水無月の空に咲いた、やさしさのちらし寿司なのです🩷。
「今日のお昼、みんなで同じものを食べましょう」
──この言葉が、当たり前のようで、実はとっても難しいことだって、ご存じでしょうか。
高齢者施設という場所には、じつにさまざまな個性が並んでいます。
歯の状態、飲み込みの力、食事のスピード、好み、アレルギー…。
なにせ人生100年分の経験を詰め込んだ猛者たちですから、「みんな同じ」が通じないことだって、ざらにあります。
だからといって、「あの人はうどん」「こっちはおかゆ」「私はいつものゼリー」なんてバラバラだと、食堂なのにどこか無言。
味はしても、食卓から「会話のにおい」が消えてしまう。
でも、そこで登場したのが──この、あんかけちらし寿司。
刻んでもよし、とろみをかけてもよし、見た目も美しく、しかも美味しい。
「えっ、これわたしも食べていいの?」「お隣さんと同じもの?」
そう、その笑顔が見たかったんです。
同じ食材、同じ器、同じ香り。
それを同じタイミングで「いただきます」と言って食べられる。
たったそれだけのことで、空気がまるくなる。会話がぽろぽろこぼれる。
「昔はこんなちらし、家で作ったわよ」
「この生姜、なかなかいいわねぇ」
「もうちょっと酢が強くても私は好きだけどね〜」
おやおや、料理評論家がいっぱい出てきちゃった。
でも、そんなやり取りが何より嬉しいんです。
「同じものを食べる」って、単なる栄養補給じゃない。
**“心の同席”**なんです。
味も、香りも、思い出も、今この瞬間も、誰かと一緒に感じられる──
そのことが、どれだけ人を生き返らせるか。
あんかけちらし寿司は、たしかに工夫された介護食です。
でも、それだけじゃない。
人と人とをつなぐ、“やわらかい橋”みたいな存在なんです。
ほんのり温かく、ほんのり嬉しい。
そして「また来月も楽しみね」と思わせるような一皿。
それがこの6月の宝物、“水無月あんかけちらし寿司”🩷。
雨音が窓を打つ6月、どこか気持ちも湿りがちになるこの季節。
そんなとき、食卓にそっと置かれた一皿──あんかけちらし寿司が、ふわりと心を持ち上げてくれることがあります。
素材を活かすって、ただ「薄味にする」ことじゃない。
見た目を華やかにするって、派手に盛ることじゃない。
そして、おもてなしって、ただ「出すこと」じゃない。
このあんかけちらし寿司には、季節の恵みと、出汁のやさしさと、伝統の知恵がぎゅっと詰まっています。
鯛や小ダコ、酢飯と出汁のハーモニー、そしてそれを包むトロミのやわらかさ。
見えないところで、手間も工夫もたっぷり。
でも、それらは決して「努力しています!」と主張せず、まるで静かな紫陽花のように、ひとくちごとにほころんでゆきます。
高齢者施設という舞台で、このちらし寿司が生まれた意味はきっと、ただ「食べやすい」や「健康にいい」を超えたところにあります。
みんなで同じものを食べて、「美味しいね」と言い合える。
それが、日々を生きる力にそっと変わっていく。
6月27日、ちらし寿司の日。
江戸時代の庶民が桶の底にこっそり幸せを隠していたように、現代の私たちも、小さなごちそうに大きな想いを詰め込める。
今日の食卓に、“豊かさ”は乗っているでしょうか?
それは、素材の数や見た目の派手さではありません。
食べる人の心にちゃんと届いているかどうか──
それが、ほんとうの贅沢。
水無月の空の下、あんかけちらし寿司を通して、誰かの一日がほんの少しでもやさしくなりますように。
そしてその優しさが、じんわりと社会全体に広がっていきますように。
それこそが、この“進化系ちらし寿司”に託した、わたしたちの願いなのです🩷。
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