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ひまわりおべんとう革命!~夏休みの自由研究が世界を変えた日~

はじめに…娘のひとことがまさかの世界進出!?…そんな夏がやってきた!

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「ママー、ひまわり、植えてみたい!」

そんな声が響いたのは、ある真夏の朝。

セミの大合唱がBGMとなる中、小学二年生の娘がふいに発したこの一言から、我が家の小さな革命は始まった。

ひまわりを植える。

まぁ、よくある夏の自由研究だ。

じぃじの畑の一角を借りて土を耕し、種をまき、水をやり…その先に見えるのは、写真と感想文と、たぶんに刺された数の記録くらい。

そんな“平凡な夏”を思い描いていた私たちは、まさかこの出来事が、世界を巻き込む食材大旋風につながるとは、誰ひとりとして予想していなかったのだった。

世界食品商社で働くパパも、介護施設でお昼を工夫するママも、ただただ娘の興味に付き合っていただけ。

いつのまにか、ひまわりの種は畑から台所へ、そして弁当箱からオフィス・施設へと広がっていく。

最後にはなんと、世界中の料理人たちが「この料理はローストひまわりなくして完成せぬ」と宣言するまでに…。

そう、この物語は「自由研究」の仮面をかぶった、世界食文化の変革レポートである。

ちょっと大げさ?──いやいや、読めばきっと分かる。

これは“バタフライ効果”ならぬ、“サンフラワー効果”だ🩷。

笑って読んで、ちょっと食べてみたくなる。

そんな夏のひととき、あなたもこの家族と一緒に、ひまわりの可能性をのぞいてみませんか?

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第1章…じぃじの畑とひまわりの種と虫に負けた小学生


ある夏の朝、畑の横にある我が家の縁側で、牛乳と食パンを口に運びながら小学二年生の娘がぽつりとつぶやいた。

「ひまわり、植えてみたいなぁ」

唐突すぎて、バターがずり落ちたトーストが皿の外にダイブするほどの不意打ちだった。

その言葉を聞いたパパは、すかさずスマホで「ひまわり 育て方 子ども向け」と検索。

ママは横で「あー、また畑がジャングル化する…」とつぶやくけれど、娘の眼差しはすでに種をまく未来を見つめていた。

そしてこの家で一番敏感に“家庭内ブームの気配”を察知するのが、じぃじである。

「ひまわりなら、うちの畑のあの端っこでちょうどええわ」

さすが百戦錬磨のじぃじ、耳がいい。

誰よりも早く動き出したのは、じぃじの耕運機であり、その背に乗った孫娘であった。

土を耕し、雑草を抜き、石を拾い…このあたりまでは楽しかった。

だが、運命の種まき当日──7月某日。

長袖長ズボンの完全防備をすり抜けてきた蚊軍団に娘は完敗し、手足を赤く膨らませた状態で「今日は…ここまでにしとくね…」と力なく退場。

かわりにじぃじが残りの種をまき、水をやり、心の中で「これ自由研究ちゃう、じぃじ研究や」とつぶやいたとか、つぶやかなかったとか。

こうして、じぃじの畑の片隅には約20株のひまわりが静かに、けれど確実に芽吹こうとしていた。

小さな希望と、大きな蚊柱を残して。

次回、「カメラマンじぃじ、ついにバズる🩷」。

ついでに、成長日記に添えられた写真が予想外の事態を引き起こすことになるなんて、まだ誰も気づいていなかった──。

第2章…じぃじがインフルエンサーになる日の巻


芽が出た、というだけで娘のテンションは3割増しになった。

自由研究のノートには、でっかく「やったー!はつが!!」の文字が踊る。

だが、その後の成長観察となると…娘の関心は気温と比例するかのように下降線。

毎朝の水やりは「あとでやるー」、観察スケッチは「今日はいっかー」。

気づけば、じぃじが朝6時にホースを持ち、帰り道にスマホ片手で畑に寄ってはシャッターを切る日々が始まっていた。

最初はただの記録だった。

畑の隅っこで、1本、2本と伸びていく小さな芽。

雨が降った日、風に揺れた日、虫にかじられた葉っぱまで撮っていた。

それがある日、娘が「じぃじ、それSNSに出してみたら?」と口にした瞬間、物語が加速する。

スマホに関しては「着信音が鳴るとどっちのボタン押すか毎回迷う」レベルだったじぃじが、まさかの投稿デビューを果たしたのは7月の終わり。

孫娘のアカウントを借りて、#じぃじの自由研究 というハッシュタグをつけ、写真と一言コメントを添えてポンっと投稿した。

──すると、これがバズった。

「このアングル、プロ農家」「じぃじの語りが泣ける」「続きが気になる」など、じぃじの写真がちょっとしたネットの話題に。

ついには地元のケーブルテレビ局が「家庭農園とSNS活用」特集に声をかけてくる始末である。

娘は「じぃじ、もうTikTokもやれば?」と言い、ばぁばは「うちの人、なにやっても目立つわぁ…」とつぶやくが、当のじぃじは「わしが撮っとるんやなくて、ひまわりが撮らせとるんや」と妙な悟り顔をしていた。

夏の陽射しの下、スマホを構えるじぃじの姿はどこか神々しくすらあり、畑のひまわりより先に、じぃじのフォロワーがグングン伸びていった。

自由研究は、もはや自由な研究を通り越して、地域社会とネット文化の架け橋になりかけていた。

そしてじぃじの写真記録は、ある人物──ばぁば──の脳内に、「この種…食べられるのよね?」という新たな疑問と野心を芽吹かせることになる🩷。

それが、次なる革命のはじまりだった。

第3章…収穫と乾燥とこすり出しの夏


8月某日、ひまわりが静かにうつむいた。

首を垂れたその姿に、娘が小さな声で言った。

「あ、終わっちゃうのかな」。

じぃじが言うには「終わりやない、ここからが本番や」。

こうして、自由研究の第2ステージ『収穫と乾燥』が幕を開けた。

ひとつひとつの花を、じぃじが片手でつかみ、大きな剪定バサミでジョキンと伐採する。

切ったそばから娘が「これは名前つけよう!」「この子は“フラワーちゃん”ね!」と花に一々名付けていくので、じぃじの作業効率はすこぶる悪い。

自宅の軒下には、洗濯物に混じって吊るされた20個近いひまわりの頭部たちがずらりと並び、通りかかった近所のおばちゃんが「ここ、ひまわり干してんの!?」と二度見していた。

娘はそれを見て「ちょっと恥ずかしい…」と言いながらも、夜になると懐中電灯で照らして「今日も乾いてるねぇ~」と満足げにうなずいていた。

乾燥が終わったひまわりは、いよいよ“こすり出し作業”へと突入する。

花の中心部をぐりぐりと指でこすれば、黒いつぶつぶの種がぽろぽろと落ちてくる。

「出た!出た出た!」と娘が盛り上がる中、じぃじは黙々と作業を続け、気づけば娘の3倍の量をこすり出していた。

「やっぱりね、こういうのは根気よ。じぃじの十八番や」と自慢げに語る背中が、どこか誇らしげだった。

途中、娘は「あたしの自由研究だから、ちゃんとやる!」と気合を入れ直してもうひと花ぶんこすり続けたものの、3分後には「手が痛いー」と言ってジュースを飲みながら撮影係に戻っていた。

だが、彼女の観察力と写真の腕前は確かで、「じぃじの集中フェイス」「種がぽろっと落ちる瞬間」「カメラ目線で指に種つけてくるじぃじ」など、謎にインスタ映えする写真が何枚も生まれていた。

最終的に集まったひまわりの種は、大きなボウルで山のように盛り上がり、娘は「おおお…!」と目を輝かせた。

自由研究のレポートにも、感想欄にこう書き込んでいた──

「まさか、こんなに手が痛くなるとは思いませんでした。でも、じぃじがたくさんこすってくれたので、だいじょうぶでした。」

そして種は、しっかりと陰干しされたあと、「来年のための保管用」と「何かに使えるかもしれない実験用」に分けられた。

その“実験用”に目をつけた人物こそ、そう──次章の主役、ばぁばである。

ばぁばはそのとき、台所で味噌を混ぜながらぽつりとつぶやいた。

「これ、食べたらおいしいと思うのよね。ふふふ…🩷」

次回、「ばぁば、キッチンに立つ。種と油と、そして秘伝のタレ」。

第4章…ばぁばキッチンに立つ!種と油と…そして秘伝のタレ


台所には、静かな音が響いていた。

じぃじと孫娘がこすり出した“実験用ひまわりの種”がザルに山盛りにされ、ばぁばはそれを手に取ってしばらく見つめたあと、口角をゆっくり上げてこう言った。

「これは…揚げても、焼いても、練っても良いわね。ふふっ」

そう、ばぁばが本気を出すとき、それはキッチンがラボと化す瞬間である。

家庭の味を守る主婦、というよりは、発明家ばりの好奇心で鍋を振り、調味料を組み合わせ、気がつけば手書きメモがキッチンの壁に貼られていく。

まず着手したのは「油搾り」だった。

ひまわり油を家で搾るという前代未聞の試みに、じぃじは「そんなもん、搾れんのか?」と半信半疑。

しかし、ばぁばはすり鉢で仁をゴリゴリとすりつぶし、さらし布に包んでぎゅーっと絞り、ついにはほんのり黄金色のしずくを小皿に浮かべてみせた。

その艶、まさに宝石。

「これ、ドレッシングにも使えるし、炒め物にもいい風味が出るのよ」

そう言いながら、ばぁばは玉ねぎとズッキーニをその油で軽く炒めた。

ひとくち食べた娘は「なにこれ…野菜の味がするのに、おいしい!」と驚き、じぃじは「おお、これ白米いけるな」とすでに茶碗を持っていた。

だが、ばぁばの実験はまだ序の口。

次に取りかかったのはローストひまわりクッキー。

ナッツの代わりに炒ったひまわりの種を入れ、香ばしく焼き上げるそのレシピは、孫娘のおやつとしても抜群のヒットを飛ばした。

焼き立ての香りに誘われてキッチンへやってきた娘が、ちょっと焦げた一枚をつまみ食いし、「これ、毎日お願い」と言ってから三日後には、すでにばぁばのレシピ帳に“定番”の赤マルがついていた。

そしてばぁばの真骨頂──秘伝のタレ作りへ。

ひまわりの種をすり鉢でペースト状にし、そこへ味噌、みりん、砂糖、そしてほんの少しの酢とごま油を加えて練り上げる。

その仕上がりは「甘じょっぱくてご飯泥棒」「ディップしても良し」「冷や奴が高級前菜に化ける」と家族の舌をうならせた。

このひまわり万能ダレが、後日、ママが勤める介護施設のお昼ご飯にこっそり採用され、利用者さんたちが「今日のは、なんだかやさしい味がするねぇ」と話題になったというのは、ばぁば本人にはまだ知られていない。

なぜなら、ばぁばはその頃「ひまわりでパウンドケーキって、ありかしら…」と、次のレシピに取りかかっていたからである。

こうして、畑で育ったひまわりは、料理に、調味料に、おやつに…ばぁばの手で次々と姿を変えていった🩷。

そのすべてが、家庭で生まれ、食卓にのぼり、そして静かに外の世界へと広がり始めていた。

次回、「サラリーマン、昼休みに栄光をつかむ」。

香ばしい弁当が、オフィスの空気を変えることになる──。

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第5章…サラリーマンが昼休みに栄光をつかむ


午前十一時五十二分。

パパの胃袋が、静かに騒ぎ始める時間である。

世界食品商社でバリバリ働く28歳。

商談資料と一緒に抱えて出社したのは、ばぁばが作ってくれた“今日の一品”──ひまわり尽くし弁当である。

その中身は、普通に見えてちょっと変。

いや、ちょっと変に見えて、じわじわと深い。

ふたを開けた瞬間、デスク周辺の社員が「なんかいい香りしますね…」と集まってくるのもいつもの流れ。

今日のメニューは「ローストひまわりと大葉の混ぜごはん」「ひまわり味噌ダレ焼きチキン」「にんじんとひまわり種のごま和え風サラダ」、そして「サンフラワークッキー」がちょこんと添えられている。

もう、花ではなく完全に食材である。

「そのお弁当、なんすか?売ってるんですか?」

「いや、これ実家のばぁばが…」

「ばぁば、なにもの!?」

社内のLINEグループでは“ばぁばキッチン”という謎ハッシュタグが立ち上がり、パパの弁当写真が拡散され、あろうことか「社員が自作弁当で社内の健康意識を高める」的なポジティブ風メモまで上司に書かれはじめる。

いや、作ってない、ばぁばだ。

とはいえパパは意外とまんざらでもない。

デスクでランチしながら「これひまわりの種なんですよ」などと語っていると、なぜか商談相手にも話がウケる。

フードロス、地方農業、栄養バランス、植物性たんぱく質──話題が広がる広がる。

ひまわりひとつで、国際取引のブレイクタイムまで明るくしてしまうのだから、ばぁば恐るべし。

その日以降、パパは毎日、ばぁば弁当と共に出社。

「今日は何が入ってるの?」と聞かれると、ちょっと誇らしげに言う。

「ひまわりパスタの和風ジェノベーゼです」とか「ひまわりナゲットにひまわりチーズソースかかってます」とか。

正直、どこまで本気なのか自分でもよく分からない。

でも、ふと思った。

この種、娘が「植えてみたい」と言わなければ、ただの自由研究だった。

それが今や、ランチルームのアイドルだ。

オフィスの昼休みは、商談よりもメニューの方が注目される時間帯となり、パパは“ひまわり広報部長”という謎の役職で呼ばれるようになった。

そしてある日、社内のある女性社員が言った。

「ひまわりって、可愛いだけじゃなくて、食べられるんですね🩷」

そのひと言に、なぜかパパは軽く胸が熱くなった。

次回、「孫娘、白ごはんを選ぶ。そして静かにバズる」。

家ではクッキーばっかり食べているあの人が、実は革命の鍵を握っていたとは──。

第6章…介護施設にて花咲くランチ革命


ばぁばのひまわり料理は、家庭内で小さな喝采を浴びながら、静かに“拡散可能な香り”を放っていた。

その香りを最初にキャッチしたのが、介護施設で働くママだった。

「今日のお弁当、なんかやたらご飯が進むのよ…」

「この味噌っぽいタレ、何入ってるの?」

「ごめんね、今日だけおかわりある?」

職員室のランチタイムでそんな声が聞こえたのは、ママがばぁばの“ひまわり万能タレ”を自分の弁当につけてきた日だった。

タッパーの中には冷しゃぶと野菜、そして白米。

それだけのはずが、タレをかけた瞬間、その白米がまるで高級料亭の看板メニューのような存在感を放ち始めたのである。

同僚たちが「味見だけ…」と箸を伸ばし、結局タレだけが全滅したのを見て、ママはふと思った。

──これ、施設でも使えないかな?

それはきっと、“プロとしての使命感”なんて大げさなものじゃなく、日々の「おいしかったよ」の一言がやりがいにつながる、現場の実感だった。

ママがこっそり施設の試作メニューに、そのタレを忍ばせたのは翌週のこと。

その日の献立は、蒸し鶏の冷製と温野菜、そして炊き立てご飯。

そこに、ほんの少し──例のひまわり味噌タレをのせて出してみた。

すると、ご利用者のひとりが言った。

「これ、どこかで食べたような…でも初めての味だねぇ」

「うまい。こんなにご飯が進むなんて久しぶりだよ」

「ちょっと、あんたこれ作ったの?売りなさいよ、これ」

スタッフがざわつく中、ママは「いえ、それがですね…」と口ごもるしかなかった。

なにせ開発者はばぁば。

レシピはメモ用紙に走り書きされ、調味料の分量も「だいたいこんなもん」としか書かれていない。

だが、それでも伝わる。

“やさしさ”とか“気遣い”とか、言葉にしづらいものが、確かに味に宿っていた。

それが「施設の食事はどこか味気ない」という世間の先入観を、ひまわりの香ばしさが一撃で吹き飛ばした瞬間だった。

その日を境に、ひまわり万能タレは“日替わりトッピング”という裏メニューの地位を確立。

実際にはばぁばの冷凍ストック頼みだったが、職員の間では「タレがある日は当たり」とささやかれるようになる。

ママはまだ、この騒ぎの先に待つ“取材依頼”や“商品化希望のアンケート”を知らない。

ただ一つ分かっているのは、「ひまわりって、植えるだけじゃなかったんだね」という実感🩷。

自由研究で芽吹いたひと粒の種が、家庭を超え、職場を超え、人の心と胃袋を満たす──そんな奇跡の途中で、娘は今、普通の白ごはんと味噌汁をすすっている。

次回、「孫娘、白ごはんを選ぶ。そして静かにバズる」。

そう、彼女は何気なく、“世界ひまわり戦略”の最終兵器なのである。

第7章…孫娘は白ごはんを選ぶ~そして静かにバズる~


家ではいつも通りだった。

いや、むしろ、騒がしさの中にぽっかり静けさが混ざったような、妙に落ち着いた日常がそこにあった。

パパはオフィスで“ひまわり広報部長”としてなぜか若手にランチアドバイスを求められ、ママは施設の厨房スタッフから「例のタレ、まだありますか?」と在庫を聞かれ、じぃじはフォロワー1万人目前で「そろそろライブ配信でもやるか」とか言い出していた。

なのに娘は──白ごはんを食べていた。

目の前に、ひまわりクッキーが山盛り。

ばぁばが作った“あの万能タレ”もテーブルにある。

でも彼女は、ご飯とみそ汁、そして焼き魚を静かに食べていた。

「どうしたの?ひまわりクッキー飽きちゃった?」

そう聞いたばぁばに、娘はぽつりと言った。

「ううん、学校でね、『これ、ほんとに作ったの?』って言われたの」

そう、夏休みの自由研究にまとめた“ひまわり観察とクッキー開発”は、担任の先生に「完成度高すぎ!」と絶賛され、学校内でもひそかに話題になっていた。

でもクラスメイトのひとことに、なんだか自分が“食べてばかりの人”に見られた気がして、少しだけ、もやもやしていたのだ。

すると、ばぁばが言った。

「そりゃそうよ。だってあんた、じぃじが耕してる間アイス食べてたし、種はほぼこすってないし、クッキーも最初の2枚しか作ってないじゃない」

娘はむっとした。

が、そこで笑ったのはじぃじ。

「せやけど、おまえが『ひまわり植えたい』て言わへんかったら、わしら誰も動いてへんやろ」

家族が一瞬、静かになった。

そう、全てはあのひとことから始まったのだ。

その夜、娘はクッキーの写真を撮って、自由研究とは別に“ひまわりおやつ図鑑🩷”を作りはじめた。

「売るわけじゃないよ?」と釘をさすばぁばの横で、「クッキーの下に名前書いていい?」と楽しそうに言う娘。

図鑑の名前は《ひまわりたべものずかん・202Xねん》

──中には、クッキー、スナック、タレ、パウンドケーキ、謎のひまわりサンドまで並んでいた。

そして偶然、それを見たパパが言った。

「……これ、パンフレットにできるかもな」

偶然?

必然?

その“図鑑”が、後日、商品の販促資料として某バイヤーの手に渡り、「地方発・家庭料理から生まれたスーパーフード活用例」として世界へ飛び立つとは、まだ誰も知らない。

ひまわりの逆襲は、いつだって静かに始まる。

誰もが白ごはんを選ぶその裏で、革命の芽はクッキーのかけらと共に、確かに広がっていた。

次回、「ひまわり、世界を救う~ローストから始まる料理改革~」

商品化、販路、食の未来。

花はついに国境を越える!

第8章…ひまわりが世界を救う~ローストから始まる料理改革~


東京・大阪・ニューヨーク。

三つの都市のど真ん中で、同時に同じ言葉がつぶやかれた。

「え…これ、ひまわりの種でできてるの?」

ことの発端は、小さな図鑑だった。

あの《ひまわりたべものずかん・202Xねん》が、家族の手を離れていつのまにかバイヤーの机の上に置かれていた。

それは娘の夏休み自由研究の番外編、いわば“オマケ”だったのだが──

その手描きのぬくもりと、家族のにぎやかな実験の記録が、「企業の作為がない」と評判になり、「地域と食育とストーリーがある」「ナッツじゃないのにナッツみたい!」「アレルギー対応にも優しいかも!?」と、瞬く間に複数の食品関係者の心をつかんだ。

気づけば、ひまわりの種はローストされ、砕かれ、練られ、塗られ、焼かれ、そして袋詰めされた。

ひとつの花から採れる種は限られていて、農業的には決して“効率がいい”わけじゃない。

けれど、そこにあったのは、想像力という栄養素だった。

最初に売れたのは「ローストひまわりの香ばしクッキー」だった。

だが本番は、その次に出た「ひまわり×醤油×黒糖」の和風タレ。

「ご飯にかけるだけで幸せ」とネットで話題になり、レビュー欄には“ばぁば感謝”と涙する人が続出。

そしてついには、海外バイヤーからこんな連絡が入る。

──「ひまわりで、和・洋・中が全部そろうなんて、奇跡です」

ばぁばはそれを聞いて言った。

「うそでしょ?」

じぃじは「種まいたワシらの手柄やな」とうなずき、パパは「これ…プレゼン資料に使っていい?」とにやけ、ママは「施設でも出せたら素敵よね」と妄想を膨らませる。

だが、もっとも静かに、そして密かに喜んでいたのは──孫娘だった。

自分が「ひまわり植えたい」と言っただけで、世界がちょっとだけ優しくなる。

そんな奇跡が、クッキーの甘い香りと一緒に広がっていくなんて、8歳の彼女はまだうまく言葉にできなかった。

けれど、彼女は知っていた。

ひまわりは、太陽を見て咲く花だ。

きっと人の心も、ちゃんと陽の当たる方へ伸びていく🩷。

夏に植えたたった一粒の種が、世界中の食卓に希望を届けようとしていた──

もちろんその裏で、ばぁばは静かに言っていた。

「そろそろ、次はピーナッツかしらね」

次回、「そして次は、ピーナッツ…豆界の陰謀とじぃじの覚悟」

まだまだ種まきは終わらない。バタフライエフェクトならぬ、“ばぁばライエフェクト”は、続いていく。

第9章…そして次はピーナッツ…豆界の陰謀とじぃじの覚悟


夏が過ぎ、秋風が吹き始めた頃。

家族が少しだけ静かになった気がしたその日の夕方、娘がぽつりと口にした。

「ねぇ、来年は…ピーナッツ植えてみたいな」

その瞬間、ばぁばの手が止まった。

味噌汁をかき混ぜていたお玉が沈黙し、じぃじの新聞がかさりと音を立てた。

パパは口にしていた“香ばしひまわりラスク”をもぐもぐしたまま固まり、ママは炊飯器のタイマーを確認するフリをして現実逃避を図っていた。

ばぁばが言う。「あれは…豆よ」

じぃじが応じる。「しかも、落花生や。下に落ちてから実る、曲者や」

パパが震え声でつぶやく。「アレルギーリスク高め…国際商談に響く…」

ママが小声で呟く。「施設メニュー、全面見直しかも…」

だが、孫娘はそんな心配をどこ吹く風。

「ピーナッツって、バターにもなるし、おつまみにもなるし、炒めてもおいしいでしょ?」

もう完全にばぁばの血が流れている発言である。

その夜、じぃじは畑をじっと見つめていた。

かつてトマトの苗を枯らし、にんじんの間引きを失敗し、じゃがいもがなぜか花火大会前に腐った経験を持つ男が、なぜか“ピーナッツ”に対してだけは燃えていた。

「やるしかないんやな……豆界の頂点、取りに行くで」

翌朝にはホームセンターで「落花生の種、今から予約ってできます?」と聞き込みを始め、ついでに肥料と土壌改良剤と、新しいシャベルを購入。

ばぁばはネットで“ピーナッツ味噌の作り方”を検索しながら、ひまわりタレのレシピ帳に「豆系応用ページ」を追加し始めていた。

パパは上司に「来年、うちピーナッツなんで」と謎の宣言をし、ママは「ピーナッツバターの手作り試食会とかやるかも…」とつぶやいた。

こうして、何の会議も開かれないまま、“豆界進出プロジェクト”は水面下で始動していた。

ただひとつ、誰もが気にしていたのは、ピーナッツがアレルギー問題で常に議論の中心にある“繊細な食材”であるという事実。

「ひまわりみたいに誰でもいけるわけじゃないからね…」

そんな声もあった。

だからこそ、逆に家族は燃えた。

「安心して食べられるピーナッツ」を目指して、“やさしさ”と“手作り”と“ばぁば”の力で乗り越えようという気配があった。

革命は、また始まろうとしていた。

そしてそれはまたも、小学三年生に進級した娘の、たったひとことからだった。

次回、まとめ。

ひまわりから始まり、ピーナッツに続いたこの一年──

その軌跡に、きっとあなたも「何か植えてみようかな」と思うはず🩷。


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まとめ…世界をひまわりで包みこむ──花は国境を越えてテーブルに咲く


あの夏、娘のたったひとことから始まった、自由研究と家庭革命

じぃじの畑に咲いたひまわりは、いつしか食卓を照らし、弁当箱に詰まり、施設の献立に香りを残し、そして今──国境を越えて旅をしている。

「ひまわりの種って、こんなに使えるの?」

と驚く声は、もはや日本だけのものじゃない。

フランスでは、ローストひまわりを練り込んだ田舎風ひまわりバゲットがパリのパン職人の新定番に。

外はカリッと、中はもちっと。

噛むたびに種の香ばしさが広がる逸品だ。

インドでは、スパイスと一緒に炒ったひまわりを使ったサブジ風野菜炒めが登場。

クミンとコリアンダーに、意外と合うのがこの種だったらしい。

じぃじに教えたら、「ワシの畑がインド進出やな」とにやついた。

メキシコでは、トルティーヤに挟んだひまわり豆ディップのタコスがビーガン料理として人気に。

アボカドと合わせると、これがまたバツグンに合う。

ばぁばはそれを知って「うちでもやってみようかしらね」と、さっそく近所のスーパーでトルティーヤを探していた。

アメリカでは、なんと「サンフラワーバター」がピーナッツバターに取って代わる勢いでランチボックスを席巻中。

「ナッツフリー・グルテンフリー・キュートラベル対応」とSNSでバズったらしい。

娘はそれを聞いて「え? それ、私たちのひまわりじゃん!」と目を輝かせた。

そして日本では──

ローストひまわりを練り込んだ味噌だれが、某コンビニのおにぎりの隠し味として採用されたとか、されないとか。

ばぁばのコメントは一言。

「タレは裏で支えるものよ」。

世界中で、食卓の“ちょっとした隙間”に、ひまわりは入り込んでいく。

主役じゃなくていい。華やかでなくてもいい。

でも、そこにあるだけで、食事が少し楽しくなる──そんな存在になっていた。

そして今、新しい年の春。

娘はノートにこう書いた。

「ことしは ひまわりと、ぴーなっつで、せかいをたべつくす」

その隣には、笑顔のひまわりが描かれている。

自由研究は、まだ終わらない。

ひまわりの種のように、小さくて、しぶとくて、そしてどこまでも広がっていく。

あなたの食卓にも、そっとひと粒──いかがでしょうか?🩷

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niiro makoto