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夢って何だろう。
幼い頃は、ケーキ屋さんとか、お花屋さんとか、ドラえもんと結婚するとか、割と何でもアリだった。
けれど大人になると、「現実を見なさい」と言われ、「夢見てる場合じゃない」と肩ポンされることもある。
だけど…6月10日は、そんな“夢見てる場合”の日。
「む(6)ちゅう(10)」と読めば夢中。
「叶」という字にだって、しっかり“十”が入っている。
つまり夢は6月10日に叶うことになってる(※諸説あります)。
この日は、夢を語ってもOK!むしろ大歓迎!
どんなに壮大でも、どんなに突拍子もなくても、今日だけは「ちょっと黙って聞いて」じゃなく、「もっと話して!」と言ってもらえる日なんです。
夢って、叶うかどうかよりも、それを語れる自分でいることが大切なのかもしれない。
それに、叶えてくれたのは案外、隣の席のあの人だったり、スーパーのレジのおばちゃんだったりするもの。
あれ?もしかして、あなたも誰かの夢を叶えてたりして?🩷
さあ今日は、“夢”という名の風船をたくさん空に飛ばそう。
そして、誰かがその夢に手を伸ばしたとき、「あ、それ、私のですけど?」とニヤニヤ言えるように、夢に名前、書いときましょうね(^-^)
夢を語るのって、案外むずかしい。
だって、夢を語るにはまず、自分の心の中をゴソゴソするところから始まるんです。
たいていホコリかぶってるし、思ってたよりデカかったり、小さすぎて「あれ?これ…夢って言っていいやつ?」と不安になる。
しかも、夢ってやつは往々にして、語ると周囲がザワつく。
「おまえが?」「その歳で?」「それ本気で言ってんの?」って空気が、見えない針みたいにチクチク刺してくる。
だからつい、「いや、ただの妄想なんだけどさ」って保険をかけちゃう。
でもそれ、夢に謝ってほしいレベルのセリフですよね。
せっかく心から出てきたのに、いきなり“ただの妄想”扱い。
夢だって落ち込むわけですよ。
ところがどっこい、この6月10日は違う。
「夢を語る=勇気ある人認定」されるスペシャルデー。
それどころか、「えっ、その夢いいね!」って言われた上に、「私も昔そんな夢あったんだよね」なんて語り出される始末。
夢って、誰かが語り出すと、伝染するのです。
くしゃみとか、笑い声とか、ラーメン屋🍜の匂いみたいに。
そしてね、夢を語るってことは、「今の自分でいい」と認めることでもあるんです。
だって、自分が主役の未来を信じてるから、夢が語れるんだもん。
ああ、何て勇ましく、何て照れくさく、何て楽しい!
さあ、あなたの夢は何ですか?
ドラえもんと結婚でも、フルマラソン完走でも、縁側で猫と昼寝でもいい。
今日だけは、夢のサイズに遠慮はいりません。
心の底から「ねぇ聞いてよ」って、ちょっとはしゃいでいい日なんです。
夢って、どこで売ってるの?って聞かれたら困るけど、きっとコンビニじゃない。
スーパーでもないし、アマゾンで「夢」と検索しても出てくるのは、枕とか睡眠サプリとか、ちょっと惜しいけど違うやつ。
じゃあ、夢ってどこで作るのか?
実は、頭の中に標準装備されてる「夢製造機」で勝手に作られてるんです。
この夢製造機、24時間年中無休で稼働中。
電気代ゼロ、点検不要、なのに妄想と期待を詰め放題。
すごいよね人間って。
しかも、夢製造機はとっても自由。
「現実」という縛りがあまりきかないから、「宇宙にラーメン屋出したい」とか、「空飛ぶ電動こたつを作りたい」とか、意味不明な案件にも全力対応してくれる。
それなのに現実の私たちは、そんな夢製造機を「非現実的です」の一言で雑に扱いがち。
もったいない話ですよ。
そして夢には、もうひとつ大事なポイントがあるんです。
それは、“最初はけっこう雑”ってこと。
夢の初期案は、たいていザックリ。
「世界を旅したい」とか、「なんか大きいことやりたい」とか、「有名になりたい」などなど。
方向はあるけど、具体性はゼロ。
でもいいんです。
最初の夢って、カップラーメンでいえば、お湯入れた直後くらいの状態。
まだ味もコシも足りない。
でも、そこからなんです。
時間とともに、ちょっと現実味を帯びてきたり、誰かのアドバイスで味変したり、うっかり冷めて「もう一回チンしよっかな」ってなったり。
でもそれ全部含めて夢なんです。
まるで実験中のレシピ。
レシピ通りじゃなくても、うっかり美味しくできること、あるでしょう?
だから夢を持つっていうのは、毎日、自分専用の実験室を持ってるようなもの。
思いついたこと、やってみたいこと、ちょっと変なことも、全部試せる場所。
たとえ失敗しても、それは“未完成”ってだけの話。
完成しなくても、夢見てる途中って、けっこう楽しいんですよね🩷。
夢って、自分のものだと思ってた。
確かに、自分で思いついて、自分で温めて、自分でコツコツ育ててきたもの。
でもね、いざ叶ったそのとき、よくよく振り返ってみると……
「あれ?オレ、あの時、何してたっけ?」ってなることがある。
そう、夢が叶う瞬間って、意外と自分は寝坊してたり、ぼーっとしてたり、トイレ行ってたりするものなのです。
夢が現実になるその舞台裏では、誰かがこっそりカーテンを引いてくれてたり、誰かがスポットライトを点けてくれてたりする。
「お先にどうぞ」と譲ってくれた誰か、
「いいじゃん、それやってみなよ」と背中を押してくれた誰か、
あるいは「…それ、無理だろ(笑)」とニヤついた顔で挑発してくれた誰か。
そういう“誰か”のおかげで、夢はするするっと近づいてきて、まるで自分の手柄のようにポンッと膝の上に乗っかってくる。
いやいや、自分の実力ゼロとは言わないけど、それ、半分以上は“他力本願”ってやつなんです。
しかも困ったことに、その“誰か”って、別に夢の応援団じゃなかったりもする。
たまたま話した近所の人とか、通りすがりのおばあちゃんとか、道に落ちてた1枚のチラシだったりもする。
「え?そこ?」っていうところから、夢の歯車が回り始めたりするんだから、世界って妙に粋なはからいしてきますよね。
それに、夢が叶ったときに「自分のおかげ」だけで終わらせると、なんだかもったいない。
あのとき助けてくれた友だちに、ちょっと照れくさく「ありがと」って言えたら。
陰ながら応援してくれてた人に「見ててくれた?」って笑えたら。
それはたぶん、夢の“おまけ”みたいな幸せなのかもしれません。
夢🩷って、ひとりで見るものだけど、叶うときはだいたい“みんなごと”。
「ありがとう」がいちばん似合う感情なのかもしれないなぁ。
夢って、なんだかふわふわしてて、現実とはちょっと違う場所にある気がする。
けれど今日という「夢の日」には、そのふわふわをグイッと手繰り寄せて、「はいこれ、私のです」って胸を張ってみたくなる。
誰かに笑われたっていいじゃない。
こっちは本気で妄想してるんです。
そして、夢には不思議な魔法があって、語れば語るほど、叶いそうな顔をし始める。
「それ、良いね!」って言われた瞬間、夢はちょっと膨らんで、「応援してるよ」って言われると、ふわっと空に浮き始める。
誰かの言葉がガソリンで、誰かの笑顔が追い風で、夢って、けっこう人間関係で飛ぶ乗り物なのかもしれない。
もちろん、途中で落ちることもあるし、燃料切れもある。
「夢見てる場合か」と自分を叱る日もあるし、「こんなはずじゃなかった」と夜空を見上げてボヤく日もある。
でもね、それでも夢を持ってる人って、ちょっとカッコイイ。
転んでも、また拾って持ち帰るところが、やたらと愛しい。
夢のかたちは人それぞれ。
ひと晩寝たら忘れるような夢もあれば、人生を変えてしまう夢もある。
だけどどんな夢も、語った人の中にはちゃんと残っていて、いつか思いもよらない形で芽を出すことがあるんです。
土の下で頑張ってたタネって、ある日突然「今です!」って芽を出しますからね。
夢もそんな感じです。
さあ、今日は6月10日。
夢を語って、感謝を伝えて、笑ってみる。
この記念日、ただの語呂合わせと侮るなかれ。
誰かの夢が動き出す、そのスタートボタンを押す日かもしれないのです。
さあ、どうする?🩷
夢、語ってみる?それとも、こっそり願ってみる?
……できれば、ニヤニヤしながらね(^-^)
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