目次
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6月9日――その日、スーパーの卵売り場にいつもより多くの主婦が群がっていた…なんてことは、まぁたぶんない。
でも、実はこの日は「たまごの日🐣」。
愛知県の養鶏場が制定したれっきとした記念日なのだ。
理由?
なんでも「卵」という漢字が6と9に似ているから…という語呂合わせに、夏前の栄養補給もかねて、たまごの魅力を再認識してもらいたいんだとか。
つまり、“たまごよ、ありがとう”を心の中でつぶやく日。
それが6月9日なのだ。
そんな卵、私たちの日常に溶け込みすぎて、改めて語るなんてちょっと恥ずかしい。
でもちょっと待ってほしい。
冷蔵庫を開ければいる、朝ごはんにいれば安心感がある。
なんなら卵かけご飯でちょっと贅沢気分にもなる。
そんな「いて当たり前」な彼らの、隠された世界的活躍にあなたは気づいているだろうか?
世界にはいろんな卵があって、いろんな鳥たちが卵を産んで、いろんな人たちがいろんな方法でそれを食べている。
ちょっと目を向ければ、日本人が生で食べることに驚かれる国もあれば、ダチョウの卵でオムレツパーティーしちゃう国もある。
ピータンに驚き、鳩の卵にうっとりし、コレステロール論争に白身が震える。
今回はそんな“たまごワールド”を、ちょっとおふざけ多め、でも知識は濃いめでお届けしたいと思う。
栄養価の差、珍しい卵のこと、施設や病院の食事で卵がどれだけもったいない扱いをされているか――そんなあれこれを、ゆるっと、くすっと、でもちょっと感心しながら読んでいただけたら嬉しい。
さあ、卵の殻をぽんと割って、物語の黄身にフォークを突き刺してみよう。
意外とトロ~リ、あなたの知らない世界が広がってるかもしれませんよ。
旅に出て、異国の地で目が覚める。
朝、ホテルのレストランに降りていくと、そこには例のあの子がいる。
そう、目玉焼きだ。
どこに行っても卵料理がそこにいる。
なぜだ…どこにでもいるのに、なんだか見知らぬ顔をしている…。
フランスの朝に出てきたのは、うふマヨネーズ。
「うふ?」なんだその可愛い名前は。
実はこれ、ゆで卵にマヨネーズをのせただけ。
なのに、パセリとピクルスの演出でお皿の上にフランス映画のような優雅さを放つ。
たかがゆで卵、されどうふマヨ。
まさかゆで卵に嫉妬する日が来るとは思わなかった。
イタリアでは、卵は野菜たちと仲良し。
フリッタータという名のオムレツは、具だくさんの厚焼き玉子。
まるで“ピザの卵版”。
いやそれもうピザで良くない?と思ったら最後、口に入れた瞬間「これ、卵料理の革命児じゃん…」と態度が一変する。
卵が野菜を引き立て、野菜が卵を支える。まさにイタリア式Win―Win。
おとなり中国ではピータンがお出迎え。
あの黒いゼリー状のやつだ。
「これは食べられるのか?」とひるむ人が多いが、もぐもぐした瞬間、味の奥行きに圧倒される。
粥に混ぜると、白粥がいきなり三ツ星級に昇格。
これぞ卵の変身魔法。
発酵という手段で卵が悟りを開いてしまったパターンだ。
トルコでは、トマトとピーマンと卵のハーモニー、メネメンが登場。
見た目はスクランブル、味はまるでトルコ風ラタトゥイユ。
パンに乗せると絶品で、「ああ、卵って地球規模でパンと相性いいんだな」としみじみ。
卵に国境はない。
むしろ「パンが来たら私、いくわよ」みたいなスタンバイ態勢がすごい。
そしてアメリカ。
エッグベネディクトなるシャレた食べ物が朝のテーブルに鎮座する。
ポーチドエッグにオランデーズソースがかかったその姿は、もう“朝ごはん界の貴族”。
ホテルの朝に現れると「さすがUSA…」とつぶやきたくなる。
卵にここまでの社交性を見出した国、他にあろうか。
そんな風にして、どこに行っても卵はいる。
でも、よく見るとその土地ごとの文化や気候や宗教観が、卵の姿や食べ方を変えている。
生食文化が当たり前の日本にとっては、「卵は生でいくでしょ?」が常識。
でも世界の多くの国では、「えっ、生で!?あぶないよぉ~!?」という反応が返ってくる。
だから、もし旅先で卵料理が出てきたら、その形や香りや固さに注目してほしい。
そこには、その国の台所事情やおふくろの味、そしてほんのちょっとの冒険心が詰まっている。
卵はいつでも、ちょっとした驚きとぬくもりをくれるのだ。
さて、お次は「鶏」以外のたまご🥚たちにスポットライトを当てていこう。
主役じゃなかった彼らが、なぜかしら、やけに光って見えるんだよねぇ…(^-^)
卵と聞けば、思い浮かぶのはやっぱりニワトリ。
朝のコケコッコーとともに命を吹き込まれる、あの白くてまるい希望のカプセル。
たしかに、スーパーで並んでいるのは、ほぼ全員ニワトリの子ども候補。
でもよく考えてみてほしい。
世の中には、羽根があって卵を産む連中がわんさかいるのだ。
まずは烏骨鶏。
漢字からして何やら気品ただよう存在だが、実物もなかなかに高貴なビジュアル。
真っ黒な羽に覆われて、足まで黒い。
しかも、鳴き声が控えめでおとなしいというから、お坊さんタイプ。
そんな彼らが産む卵はちょっぴり小ぶりで、殻がごつくて中身が濃い。
美容にいい、滋養強壮にいい、なんなら「不老長寿に効く」とまで言われるレジェンド卵。
なんだその設定、RPGの回復アイテムですか?
次に名古屋コーチンや比内地鶏といった地鶏の面々。
彼らは卵界のグルメ代表。
黄身が濃くて味が強い。普通の鶏卵と比べると「え、これ別の食べ物では?」とすら思える存在感。
スクランブルにしても、親子丼にしても、なんかこう…卵が一人でしゃべってる感じがする。
具材に埋もれず、味で前に出る。
それが地鶏魂。
そして七面鳥。見た目はちょっとパーティーのマスコット感あるが、実は産む卵もなかなかユニーク。
サイズはちょい大きめ、味は淡白でクセがなく、スイーツ系にも合う。
アメリカではハレの日のごちそうに登場することもあるらしい。
おお、卵界にも「祝祭仕様」があるのか…!
アヒルの卵はどうだろう。
中国や東南アジアではおなじみで、ピータンや塩卵の材料にもなる。
黄身が大きくてとにかく濃厚。
水鳥だけあって、ゆでてもふわっと柔らかい。
中華料理では欠かせない卵であり、家庭の味に欠かせない一品。
鶏卵と並んで、卵界の両翼と呼んでもいいだろう。
極めつけは…そう、ダチョウ。
もう卵じゃない、これはもう球体兵器だ。
重さはなんと1.5kg。
殻を割るのも一苦労、料理するには一族郎党の集いが必要。
だけどその味は意外にも繊細で、なめらかで、オムレツにすればどよめきが起きる。
卵を使った料理が「パフォーマンス」になる数少ない存在、それがダチョウ卵。
そして忘れちゃいけないのが…鳩。
えっ、鳩🕊?と驚いた人、私もです。
でも中東や中国ではちょっとした高級品。
小ぶりで、でも黄身が大きくて、味は意外にもコク深く、ほのかな甘みさえ感じるらしい。
栄養価も高く、薬膳では“回復力アップ系”のアイテムとして重宝されているそうな。
こっそり優等生。
まさに隠れた実力派。
世界にはキジの卵やスズメの卵といったさらにニッチなものも存在するが、そこまで行くともう「食べていいのか…?」と哲学的な気分になる。
キリがない。
でもそれだけ、羽の数だけ卵があって、それぞれにストーリーがあるってことだ。
つまり卵は、ただの食材じゃない。
生まれてくる場所、育つ環境、人の手に渡るまでのルート、それらすべてが卵の味や価値を決める。
そして、それを選ぶわたしたちの感性もまた、卵によって育まれているのかもしれない。
さて次は、黒い見た目に誰もが二度見する、あの伝説の存在――ピータンの世界へと、飛び込んでみようじゃないか。
殻の向こうには、驚きと旨みが待っている。
もし冷蔵庫の中から黒くて透けた卵が出てきたら、多くの日本人は少しのけぞるだろう。
いや、のけぞるだけで済めばいいほうだ。
中には「ひゃぁっ!」と叫び、卵に向かって合掌する者すらいるかもしれない。
でも落ち着いてほしい。それは悪魔の卵でも、失敗した化学実験でもない。
そう、それがあの有名なピータンである。
ピータンとは、アヒルの卵をアルカリ性の土や灰などで包み、数週間から数か月かけて熟成させたもの。
時間をかけて白身は黒いゼリーに、黄身はチーズのようなねっとりとした存在へと変化していく。
ある意味、卵が大人の階段を登り切った姿だ。
白身はもはや白くない。
黄身はもはや黄色くない。
名前と色がここまで乖離した食べ物も珍しい。
その香りは…うん、そうだね、なかなかに独特。
初対面の人に無理やり嗅がせたら、たいていは「くさっ!」と叫ぶ。
アンモニア臭と硫黄の香りが鼻先を刺激するが、これこそがピータンの個性。
いや、“大人の魅力”と言ってもいい。
たとえるなら、クセの強いチーズや発酵納豆と同じようなカテゴリー。
最初は「これはムリ」と言っていた人ほど、ある日突然虜になる。
ピータン、恐るべし。
とはいえ、この黒き卵、見た目のインパクトに反して中身はかなり栄養豊富。
発酵によりタンパク質の構造が分解されて、体に吸収されやすくなっているし、アミノ酸もうま味成分も大放出。
料理としては、細かく刻んでお粥に混ぜたり、冷や奴に乗せたり、中華風サラダに散らしたり。
あれ、なんだかオシャレ。
まさかあの黒い物体が、和洋中にマッチする万能具材だなんて。
見た目にビビってしまうのは、日本人の“白くて清らかな卵信仰”が強すぎるのかもしれない。
でも、ピータンは教えてくれるのだ。
「見た目で判断しないでね」と。
人も卵も、中身が大事。
いや、そもそも中身どころか、発酵しきった先にしか見えない景色があるってことを、ピータンは黙って教えてくれる。
ちなみに、最近は“におい控えめ・まろやかピータン”も登場しており、施設や病院でも導入できそうな気配もある。
誤解されがちなこの黒い勇者を、そろそろ食育の舞台に招いてみてはどうだろうか?
ひとつひとつが手間と時間のかかった結晶🩷。
それがピータン。
料理の中でそっと輝き出したその姿に、きっと誰もが「ごめん、見た目で判断してた」と反省することだろう。
さあ、次なる卵は高級感あふれる別世界。
烏骨鶏、そして薬膳の世界へ、ぐっと踏み込んでみるとしよう。
回復魔法の卵、登場である。
ある日、スーパーで“6個入りで100円”の卵の横に、“1個300円”の卵が置いてあったとしたら…あなたはどうするだろう?
手が勝手にお得な方へ伸びるその瞬間、目線だけが高級卵のパッケージに吸い寄せられる。
そこにはこう書かれている――「烏骨鶏の卵」。
えっ、なんか…強そう。
烏骨鶏と聞いてピンとくる人は、かなりの卵通か、あるいは薬膳マニアか、はたまたテレビで見た“体にいいらしい食べ物”をちゃんとメモしてる几帳面な人か。
なんといってもこの鳥、見た目がもうただ者じゃない。
黒い。
全身真っ黒。羽もくちばしも足の指まで真っ黒。
まるで忍者鳥。
おまけに目がちょっと赤い。
でもね、この鳥、性格はおっとりで愛らしく、声も控えめで、なんなら“癒し系”に分類されるというギャップ持ち。
アイドルでいうところの“無口だけど実はやさしいセンタータイプ”である。
そしてその卵。
見た目は地味だが、中身がすごい。
黄身は濃厚、味はまろやか、そして栄養価はもうお医者さんもびっくりレベル。
ビタミンAが普通の鶏卵の約2倍、たんぱく質は吸収されやすい形で整っており、アミノ酸もばっちり。加えて鉄分やカルシウムも豊富という、栄養のフルコンボ状態。
まさに「滋養の塊」。
昔から“不老長寿の薬”とか“皇帝への献上品”とか言われているのも、あながちオーバーじゃない。
特に中華圏では薬膳料理の重要な材料として扱われていて、体調を崩したとき、産後、疲れがたまったときに食べる「回復のたまご」的なポジション。
つまり…そう、これは卵界のポーション。
ゲームでいうところの“HP全回復アイテム🩷”に等しい存在なのだ。
ただ、これだけ栄養があるとなると、逆に心配になるのが例の“コレステロール問題”。
たしかに数値的には高め。
でも、これも最近では「適量ならむしろ脳にも体にも良い」という説が主流になってきた。
「卵1日1個まで」なんて過去の話よ。
烏骨鶏の卵をありがたくいただく日には、ちょっと拝んでから割りたくなる…そんなありがたみがある。
施設や病院で使うにはちょっとお高いし、流通も限られているから、毎日は難しい。
でもイベントや食育の日に、特別メニューとして登場すれば、入居者さんたちの目も輝くだろう。
「この卵、なんだか…すごいねぇ」「お肌つやつやになるかねぇ?」なんて言いながら、スプーンを進めるその笑顔こそが、卵にとっての最高の花道かもしれない。
烏骨鶏の卵は、数こそ少ないが、存在感は無限大。
数ある卵の中でも、まさに“女王”と呼ぶにふさわしい格を持っている。
そう思って味わえば、きっとその黄身の一滴にも、ありがた~いパワーがしみ込んでいる気がしてくるはずだ。
さて、お次はもっと身近で、もっと気軽な卵の変化球。
飲める卵?ゼリーになる卵?むしろプリン?
そんな、口当たりも心当たりもやさしい卵の魔法へとまいりましょう。
年齢を重ねていくと、体にいろいろな“わがまま”が出てくる。
食べたいけど飲み込めないとか、やわらかいけど味がしないとか、そもそも食欲が迷子になっているとか…。
そんな時、ふと登場するのが卵料理。
でも、ここでよくあるのが「また卵焼きか…」という心の声。
いや、分かる。
毎朝のあいつ、ちょっと飽きるんだよね。
でも卵は怒らない。
むしろ、こう言うのだ。
「なら、ちょっと変身してみようか?」
…かっこいい。
もはや卵がヒーローに見えてくる。
まずはスープ。
しかも普通の卵スープじゃない、スープをゼリーにした卵ゼリー。
あっつあつじゃなくて、ひんやりぷるん。
高齢者施設の食卓で、喉ごしの爽やかさに小さな歓声が上がるのを、想像してみてほしい。
具材も細かくしておけば、卵のとろみと一緒にツルンと入る。
もうこれは食事というより、たまごのリラクゼーション。
そして定番のプリン。
いやいや、おやつと思うなかれ。
ほんの少し塩をきかせた“出汁プリン”は、れっきとした和風スフレ的おかずである。
茶碗蒸しに近いけど、もっとやさしくて、口の中でふんわり溶ける。
体調がすぐれない日にも「これなら食べられるかも」と思わせる、たまごの気配りがぎゅっと詰まっている。
さらに最近話題になっているのが、卵ムース。
卵をベースに、出汁とミキサーの魔法で仕上げるこの料理は、まるで「飲む茶碗蒸し」。
スプーンですくってもいいし、絞り袋で“にゅるっ”と出してみても、それはそれでなんか未来食っぽい。
味も和洋中アレンジできて、栄養価も高く、厨房スタッフも思わずにんまりだ。
他にも、卵豆腐をアレンジしてスイーツ風にするという奇策もある。
黒蜜をかければまるで和風プリン。
フルーツソースならカフェスイーツ風。
食べる人が“これ、卵だって気づかない”くらいの変身っぷりで、卵本人も「ほら、やればできる子でしょ?」と誇らしげな表情を浮かべている気がしてくる。
こうして卵は、飲めない人にも、かたすぎると困る人にも、そして飽きてしまった人にも、あらゆる角度から寄り添ってくれる。
これが卵の底力。
誰にもやさしく、何にでもなれる。
まるで料理界の“変身ヒーロー”であり、栄養界の“よろず屋”。
…こんなに頑張ってる卵に「毎朝同じ味でゴメン」って、ちょっと謝りたくなるよね。
でも卵はきっと、にっこり笑ってこう言うんだ。
「また明日も、君の朝に寄り添うよ🩷」
さて、そろそろ次の話題は避けて通れない“コレステロール問題”。
卵が受け続けてきた誤解と戦い、名誉回復を図るその日まで。
次章では、卵の汚名を晴らすドラマが、幕を開ける──。
かつて、卵には“重罪”があった。
それは――「コレステロール値を上げる犯人」という濡れ衣。
どれだけ栄養があろうと、どれだけ美味しかろうと、「卵は1日1個まで」という通達が医療の世界を席巻していた時代が、たしかにあった。
朝ごはんに目玉焼きを出せば、「昨日も食べたでしょ」と言われ、茶碗蒸しを作れば「コレステロールがねぇ」と眉をひそめられ、プリンすら「ああ卵入りか」としぶしぶスプーンを置かれる。
なぜだ、なぜ卵ばかりが責められる?
バターや揚げ物やスナック菓子が笑って見ているのに…!
しかし時代は変わった。
科学の力が、ついに卵の“潔白”を証明しはじめたのだ。
最近の研究では、食べ物から摂るコレステロールが直接血中に反映されるわけではない、という見解が多数派に。
むしろ、体が必要と感じた分だけ、自分で作るという自律型の仕組みが判明してきた。
つまり、卵が悪いんじゃなかった。
卵はむしろ、良質なたんぱく質とビタミン、ミネラル、そして記憶力にも関わる“コリン”をしっかり備えた、心身のメンテナンス食材だったのである。
それに、卵は完全栄養食とも言われるほどバランスが良い。
筋肉をつけたい人、疲れをとりたい人、集中力が落ちてきた人…みんなにそっと寄り添って、ぐつぐつ、トロトロ、ふんわりと、希望を届けてくれる。
にもかかわらず、いまだに“卵アレルギーじゃないけど、なんとなく避けてる”なんて人も少なくない。
たぶんそれは、過去の刷り込みと、ちょっとした誤解の残像。
でももう、大丈夫。
卵は再び、信頼を取り戻しつつある。
施設の献立にも、堂々と「たまご料理の日」と書いていい時代が来たのだ。
もちろん、体質によって合う・合わないはある。食べ過ぎは禁物。
でもそれは、卵に限らずなんでもそう。
誠実な食べ方と、ちょっとの愛情。
それさえあれば、卵はきっと応えてくれる。
たとえ誤解されても、文句を言わず、おだやかに殻の中で力を蓄えてきた卵たち。
その忍耐力と誠実さに、そろそろ「ごめんね」と言おうじゃないか。
卵は、敵ではない。
むしろ、最も身近で頼れる栄養の味方。
その目玉に宿る光は、まるで言っているようだ――
「やっとわかってくれたね」
さあ、ここまでの旅のまとめに向かおう。
卵の奥深さと、世界の食卓と、あの殻の向こうにあった小さなドラマたち。
あなたのたまご観、少し変わっていたら嬉しい🩷。
朝、目玉焼きを見て安心する人がいる。
昼、茶碗蒸しを一口食べて笑顔になる人がいる。
夜、プリンの甘さにほっと息をつく人がいる。
そしてそのどれもに、そっと卵が隠れている。
卵は決して前に出てこない。
フライパンの上でも、蒸し器の中でも、冷蔵庫の隅っこでも、じっとしている。
だけどその中には、私たちが気づかないうちに失いかけた“やさしさ”と“栄養”が、ぎゅっと詰まっている。
旅をすれば、ピータンが姿を変えて粥の上で輝き、フランスでは「うふ」と囁きながら小粋な前菜になり、南国ではダチョウの卵がでーんと登場して、場の空気を一気に持っていく。
どこの国でも、どんな人の食卓にも、卵は何気なく、だけど確かに存在している。
栄養価の差や、食文化の違い、そして長年のコレステロール疑惑――
たくさんの視点が飛び交う中で、卵は何も言わず、ただ黙って割られる。
殻を割るのは私たち。でも、そこから広がる世界は、たまごが見せてくれる。
施設でも病院でも、家でもレストランでも。
嚥下が難しくても、食欲がなくても、ひとくちで笑顔になれる可能性が、卵にはある。
ごちそうでもなく、珍味でもなく、ただのたまご。
でもそれは、どんな時代にも、どんな世代にも寄り添える、やさしい革命家。
そして忘れてはいけないのが、“たまごかけご飯🩷”という魔法の一手。
白いごはんの上に、ポトンと落ちる卵。
そこにしょうゆがひとすじ垂れた時、世界が静かに動き出す。
それは決して大げさじゃない。
どんな日にも寄り添ってくれるこの一杯こそ、「たまごかけ人生」の真骨頂なのだ。
生き方に迷ったときは、卵を見てみよう。
割っても怒らず、熱されても黙って、どんな形にもなってくれる。
不器用でもいい、誰かの栄養になれる生き方――たまごのように、生きていきたいものだ。
ありがとう、卵。
明日もきっと、黄身のことが、大好きです。
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