夢は逃げないけど少し遠くで待っている~6月10日は夢の日~
はじめに…大人になっても夢を見ていい~6月10日は心の扉を開く日~
子どもの頃、「将来は何になりたい?」と聞かれたら、割りと自由に答えられたものです。ケーキ屋さん、野球選手、動物のお医者さん。ところが大人になると、仕事や家事、家族の予定、財布の中身まで会議に参加してきます。「夢? まず今月を乗り切ろうか」と、自分で自分にツッコミを入れたくなる日もありますよね。
そんな日常の中で、6月10日は「夢の日」とされています。「む(6)ちゅう(10)」と読めることから、夢中になれるものや、自分が思い描く未来に目を向けるキッカケになる日です。夢と聞くと、人生をひっくり返すような壮大な目標を想像しがちですが、「いつか行ってみたい場所がある」「こんな暮らしをしてみたい」「もう一度あれを始めたい」でも十分。夢の形は十人十色です。
夢は、叶った人だけが持てるものではなく、まだ途中にいる人が持っていて良いものです。今すぐ方法が分からなくても構いません。ぼんやりした願いを口にした瞬間、それまで胸の奥で眠っていた気持ちに、ほんの少し輪郭が生まれます。そこから誰かとの会話が始まったり、思わぬご縁が繋がったりすることもあります。夢は自分の中から生まれても、育つ時には人の温かさを借りることがあるのです。
6月10日くらいは、「現実的かどうか」の採点を少し休んでも良いでしょう。前途洋々と胸を張れなくても、「ちょっとやってみたい」が残っていれば上出来です。今日の自分が未来の自分へ渡せるものは、立派な計画書ではなく、小さな期待1つだけなのかもしれません。
[広告]第1章…夢は立派じゃなくていい~「やってみたい」が最初の一歩~
「夢を持とう」と言われると、何故か急に話が大きくなります。海外で活躍する、会社を作る、何かの世界で頂点を目指す。そこまで聞いたところで、「私の夢、休日にゆっくり朝ご飯を食べることなんだけど……」と、そっと引っ込めたくなる人もいるでしょう。でも、夢には審査員も採点表もありません。大きさを競う必要などないのです。
「いつか自分の店を持ちたい」も夢なら、「料理を1つ覚えたい」も夢です。「旅行へ行きたい」「新しい趣味を始めたい」「昔好きだったことをもう一度やりたい」だって立派な未来の種になります。十人十色という言葉の通り、心が向く方向は人それぞれ。誰かの夢と並べた途端に小さく見えても、自分の暮らしの中では十分に意味があります。
少し厄介なのは、それを口にしようとした瞬間です。「そんな歳から?」「本当に出来るの?」なんて言われる場面を想像すると、まだ何も言われていないのに自分からブレーキを踏みたくなります。それで「まあ、ただ思っただけだけどね」と逃げ道を用意する。いやいや、まだ出発していないのに撤収が早い。心の中から顔を出した「やりたい」が、ちょっと気の毒です。夢を口にする照れや周囲の反応を気にして、自分から小さく扱ってしまうことは珍しくありません。
「やってみたい」と思えた時点で、未来はほんの少し動き始めています。必要なのは、最初から勇往邁進で突っ走ることではありません。気になる場所を調べる、道具を1つ見てみる、詳しい人に聞いてみる、紙に書いてみる。そんな小さな動きでも、頭の中だけにあった願いは少しずつ現実の景色に近づいていきます。
そして不思議なことに、自分の「やりたい」を誰かに話すと、「それならこんな方法もあるよ」「私も興味ある」と会話が広がることがあります。夢そのものが完成していなくても構いません。「まだよく分からないけれど、ちょっと気になる」。そのくらいの温度で十分です。最初の一歩とは、遠くへ進むことではなく、自分の気持ちを置き去りにしないことなのかもしれません。
第2章…ぼんやりした夢ほど育て甲斐がある~未来は試しながら形になる~
「いつか何かやりたいんだけど、何をしたいのかまでは分からない」。そんな気持ちは、夢と呼ぶには頼りなく見えるかもしれません。でも、最初から目的地も道順も持ち物も全部決まっている夢の方が珍しいものです。「旅をしてみたい」「自分で何か作りたい」「もう少し自由に働きたい」。最初はその程度の輪郭でも、動きながら少しずつ中身が見えてきます。
夢は完成品として心に届くのではなく、試行錯誤しながら育つものです。旅行に憧れて調べていたら、海外ではなく国内の小さな町を巡りたくなった。料理を始めたら、作ることより誰かに食べてもらう時間が好きだと気づいた。そんな方向転換も失敗ではありません。むしろ、自分が本当に欲しかったものへ近づいている途中です。最初の夢はざっくりしていても、時間や人との会話を重ねる中で現実味を帯びていくものです。
ところが私たちは、夢だけは最初から完成度を求めがちです。「仕事にするなら?」「費用はいくら?」「何年後に達成するの?」と、自分の頭の中でいきなり企画会議が始まります。まだ思いついたばかりなのに、担当者は自分、上司も自分、却下する役まで自分。会議室に1人しかいないのに全会一致で否決されるとは、なかなか手厳しい会社です。
そんな時は、小さく試してみるくらいがちょうど良いでしょう。興味のある本を読む、休日に一度だけ体験してみる、詳しい人と話してみる。やってみて違ったなら方向を変えれば良いし、「これ好きかも」と感じたなら、もう少し続ければ良い。臨機応変に動ける余白があるからこそ、夢は窮屈にならずに育っていきます。
夢は途中で形が変わっても良いし、変わったからこそ自分らしくなることがあります。最初に思い描いた姿へ無理に戻す必要はありません。小さな興味を拾い、試して、笑ったり困ったりしながら進んでいく。その積み重ねの先で、「ああ、私はこれがしたかったんだ」と気づく日が来ることもあります。
夢がまだぼんやりしているなら、それは何も決まっていない状態ではなく、これからいろいろな形になれる状態です。真っ白な紙を前にして困るより、「さて、何を描こうかな」と少し楽しみにするくらいで良いのでしょう。
[広告]第3章…夢は1人で見るけれど1人では叶わない~ご縁が未来を動かす時~
夢を思いつく瞬間は、とても個人的なものです。夜中にふと思ったり、通勤途中の景色から浮かんだり、誰にも話さず胸の奥で育てたりする。そこまでは自分1人でも出来ます。ところが、その夢を少し現実へ近づけようとすると、不思議なくらい人が登場してきます。
「それなら詳しい人を知ってるよ」と紹介してくれる人がいたり、「一度やってみれば?」と背中を押してくれる友人がいたりします。本人は何気なく言っただけなのに、その一言で止まっていた気持ちが動くこともあります。夢が形になる舞台の裏側では、誰かが道を譲ったり、声をかけたり、見えないところで支えてくれていることがあるのです。
しかも、その相手が最初から立派な応援団とは限りません。たまたま話した知人、旅先で会った人、仕事で少し関わった人。何気ない会話から情報をもらい、「えっ、そこから話が進むの?」という展開になることもあります。人生のご縁には、時々、脚本家がいるのではないかと思うほど妙な配役があります。こちらは主役のつもりなのに、重要人物がスーパーのレジ待ちで登場したりするのですから油断できません。
そんな出会いは一期一会です。全ての人と深く付き合う必要はありませんが、誰かの一言を受け取れる余白を持っていると、夢の進み方は少し変わります。そして自分自身も、知らないうちに誰かの背中を押しているかもしれません。「それ面白そうだね」と言っただけで、相手が半年後に本当に始めていた……となれば、こちらとしては「そんな重要なセリフだったの?」と驚くしかありません。
夢は自分の心から生まれても、育つ途中では人の優しさやご縁を借りて良いのです。何もかも自力で成し遂げなければ価値がない、ということではありません。相互扶助のように、ある時は助けてもらい、別の場面では自分が誰かを助ける。その往復の中で、思い描いた未来が少しずつ現実へ寄ってきます。
「情けは人の為ならず」ということわざがあります。誰かに渡した親切は、その人だけのところで終わらず、巡り巡って自分にも返ってくるという意味です。夢も少し似ています。自分の願いを大切にしながら、誰かの願いにも「いいね」と言える人でいる。その小さな応援が、人と人の間に次の道を作ってくれるのでしょう。
夢が叶った日に思い出すのは、達成した瞬間だけではないはずです。「あの時、声をかけてもらったな」「あの人が紹介してくれたな」という顔が浮かぶ。そんな時に言える「ありがとう」は、夢そのものとは別の、もう1つの嬉しい贈り物なのかもしれません。
第4章…夢から逃げたくなる日もある~止まることと諦めることは別の話~
夢を持ったからといって、毎朝やる気満々で目覚めるわけではありません。「よし、今日も未来へ一直線!」なんて日が毎日続いたら、それはそれで少し疲れそうです。仕事が忙しい日もあれば、家のことで手いっぱいの日もある。思ったような結果が出ず、「もう良いかな…」と気持ちが萎む夜だってあります。
そんな時、夢から少し離れた自分を責める必要はありません。歩みが止まることと、夢を捨てることは別です。一進一退を繰り返しながら進む時期もあれば、何か月も棚の上に置いておく時期だってあるでしょう。夢には賞味期限が印刷されているわけではありません。「今月中に再開しないと無効です」なんて通知も届きません。そこは少し安心して大丈夫です。
思い描いた未来へ向かう途中には、気力が切れたり、「こんなことをしている場合かな…」と自分を疑ったりする時があります。それでも心のどこかに残った願いは、思わぬ時にもう一度芽を出すことがあります。転んだ後に拾い直せるところも、夢の面白さなのでしょう。
休んでいる時間も、夢から脱落した時間ではありません。気持ちが疲れているなら、今日は何もしない。それでも構いません。少し元気が戻った日に、昔書いたメモを眺めたり、関連する場所へ出かけたりして、「まだ好きかな」と確かめてみる。その程度なら、再出発というほど肩に力を入れなくても出来ます。
そこで「やっぱりやりたい」と思えたら、七転八起でまた歩けば良い。「今の私はもう違うな」と感じたなら、その夢を卒業するのも立派な選択です。大切なのは、続けることそのものではなく、自分の気持ちを自分で確かめて決めること。昔の自分と交わした約束だからと、苦しくなってまで守り続ける必要はありません。
夢は逃げ足の速い生き物ではなく、こちらが少し立ち止まっても、意外と近くに残っているものです。疲れた日は椅子に座り、お茶でも飲んで休めば良い。そしてまた歩きたくなった日に、「まだいる?」と声をかけてみる。たぶん夢の方も、「いるけど?ずっと待ってたけど?」と、少しだけ得意そうな顔をしているでしょう。
[広告]まとめ…夢は今日すぐ叶わなくて良い~明日の自分へ小さな続きを渡そう~
夢という言葉には、少し眩しい響きがあります。だからこそ、「そんな立派なものは持っていない」と遠慮したくなることもあります。でも実際には、「いつかやってみたい」「こんな暮らしも良いな」「もう一度挑戦してみたい」と思えた時点で、未来への小さな入口はもう開いています。
夢は最初から完成していなくて構いません。途中で形が変わっても良いし、誰かの言葉に背中を押されても良い。疲れた時には休んでも良いのです。夢を持つことは、一気呵成にゴールまで走り切る競技ではありません。立ち止まったり、寄り道したりしながら、「まだこれが好きかな」と自分の気持ちを確かめていく時間も、その中に含まれています。夢はしばらく眠っていても、思わぬ時に芽を出すことがあります。
そして、夢が少し動いた時には、そこに人の姿があることも忘れたくありません。励ましてくれた人、話を聞いてくれた人、偶然キッカケをくれた人。自分1人で思い描いた未来が、誰かとの繋がりによって現実へ近づく。そんな一期一会があるから、夢には叶うこととは別の嬉しさも生まれます。
夢は「いつ叶うか?」を急ぐより、「明日も少し続けてみよう」と思えることの方が大切です。今日できることが何も思いつかなければ、好きなことを1つ思い出すだけでも良いでしょう。紙に書いておく、誰かに話す、関連するものを眺める。その小さな続きを、明日の自分へ渡せたら十分です。
6月10日の夢の日は、人生を決める大勝負の日ではありません。夢を語って、誰かの夢にも耳を傾けて、少し笑ってみる。そんな一日から、未来の歯車が動き始めることもあります。
まだ夢が見つからなくても大丈夫です。まだ叶っていなくても大丈夫です。今日の自分が「ちょっと楽しみだな」と思える方向へ半歩だけ向いていれば、前途洋々とまではいかなくても、明日の景色は少し変わります。夢は遠くへ逃げていません。こちらがまた歩き出す日に、「お、来たね」と待っていてくれるくらいが、ちょうど良いのかもしれません。
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