秋を駆ける地車・だんじり~その魅力やルーツと安全な楽しみ方は?~
目次
はじめに…町が走る日は心も全力で走る日
秋になると、静かだった町が急にそわそわし始めます。道路の角にロープが張られ、青年団が半被を羽織り、家々の前には提灯がつき、子どもたちが小さな太鼓を叩く――その中心にあるのが「だんじり祭り」です。大阪の岸和田で知られていますが、実は近畿から瀬戸内にかけての街には、形を少しずつ変えながら伝わっている秋の行事です。どの地域でも共通しているのは、「この町はこの季節になると全力で走り出すのだ」という、あの独特の高揚感でしょう。
だんじりは、ただ大きな山車を引き回すだけの行事ではありません。氏神様へ実りを届けるという古い役割、村や町が1つになるための仕掛け、若者が力を見せる場、子どもが地域に名前を覚えてもらうための舞台、さらに言えば「今年もこの町は元気だ」と外に示すためのデモンストレーションでもあります。だから少し無茶に見えるほど勇ましいのですし、だからこそ長く続いてきたのだとも言えます。
一方で、勢いのある行事には危険も寄り添います。だんじりは重く、速く、曲がる時にはとても大きな力がかかります。見物する側がほんの少し場所を間違えただけで、引く側が合図を聞きそびれただけで、楽しい一日が台無しになってしまいます。そこで本稿では、だんじりそのものの姿や歴史を辿りながら、「どうすれば安全に、この迫力を味わえるのか」という視点も合わせてまとめていきます。
だんじりをよく知ることは、その土地で生きてきた人の思いを知ることでもあります。昔ながらの町内で生まれ育った方はもちろん、引っ越してきたばかりで「正直ちょっと怖いな」と感じている方、高齢の利用者さんと一緒に見に行く介護職の方、子どもを連れていきたい親御さんにも読めるよう、できるだけ優しい言葉で整理していきます。次の章からは、まず「だんじりとは何か」というところから、丁寧に見ていきましょう。
[広告]第1章…だんじりとは何か?~地車の形と役目をおさらい~
だんじりは漢字で書くと「地車」となります。これを本来の読み方で辿ると「じぐるま」に近い響きになりますが、地域によって「壇尻」「楽車」「台尻」「花車」「屋台」など別の表記が使われることもあります。つまり、1つの土地だけで生まれたものではなく、各地の祭礼で使われてきた山車が、だんじりという名前のグループにまとまっていった、という見方ができます。名前がいくつもあるのは、元々の役目が「見せること」だけでなく「運ぶこと」「捧げること」「勢いを示すこと」と多層的だったからです。
だんじり本体をよく見ますと、前後に分かれた破風屋根があり、側面には細かい彫刻がぎっしり入っています。これは単なる飾りではなく「この町は財力も技もある」「この年も人が集まった」ということを、神様にも周囲の町にも示すための表現でした。幕・提灯・幟・旗でさらに華やかにするのも同じ理由です。大きい物になりますと重さは凡そ3t前後とも言われ、これを人の力で引き回すので、祭りの時にあの独特の緊張感が生まれます。地域によっては「船だんじり」と呼ばれる担ぎ上げ型のものもあり、水に関係する社や港町ではこちらが主役になることもあります。
だんじりは市や町に1台というより、昔の「村」や「組」に1台ずつという考え方で用意されてきました。つまり「この地区はこの地車」「あちらの通りはあちらの地車」となるわけです。作る時も、保管する時も、細かな修繕をする時も、元を辿れば地区の人たちのお金と手間で賄われています。車輪部分の交換、屋根周りの布類の新調、彫刻の補修などは毎年のように必要で、しかも保管するための蔵も要るので、少人数の家庭行事とはまったく違うスケールの「共同での祭礼財産」と言えます。だからこそ、祭りの日になると町中が自然に手伝いに回り、若い人が綱を握り、年長者が掛け声を掛けるのです。
元々秋のお祭りは、田畑からとれた五穀を神社へ納める「お礼参り」の性格が強い行事でした。だんじりも、その原型は「お供えを運ぶための台車」であったと考えると、とても筋が通ります。山の方からお米や野菜を積んで町へ下り、最後は氏神様の境内へ到着する。今のようにスピードをつけて角を曲がったり、観客に見せるように回転したりするのは、後の時代になって付け加えられた「見せ場」の部分です。つまり、第一の目的は神様への奉納、第二に地域のまとまりを見せること、そして今の私たちが目を奪われる勇ましい引き回しは、その上に被さった「祭りらしさ」なのです。
だんじりが豪華である理由
「奉納する物を振り回して大丈夫なの?」と感じる方もいるかもしれません。確かに、静かに厳かに運ぶ神事も日本にはたくさんあります。それでもだんじりが派手で、音も動きも大きく、勢いが前面に出るのは「豊作を賑やかに伝えるほうが神様も喜ぶ」という、関西~瀬戸内らしい陽気な発想があったからです。さらに言えば、賑やかであればあるほど人が集まりますし、人が集まれば「この町は力がある」と周囲に知らしめることもできます。神様に向けた祭礼でありながら、実は人に向けたメッセージも同時に発している――それがだんじりの特色です。
現代に残る「町ぐるみ」の形
現在のだんじりは、警備計画や運行ルートがきっちり決められ、車両通行止めや観覧スペースも事前に告知されるようになりました。これは安全のための工夫ですが、同時に「この日は町が主役になりますよ、皆で迎えましょう」という宣言でもあります。学校や事業所が日にちを合わせて休みにしたり、子どもたちに半被を配ったりするのは、その流れを受け継いでいるからです。だんじりは特定の人が楽しむ催しではなく、「町が動く日」を皆で共有するための仕組みなのだと考えておくと、次の章でお話しする歴史や背景もすっと入ってくると思います。
第2章…何故続くのか?~江戸期に始まる祈りとガス抜きの物語~
だんじりが文献にはっきり姿を見せるのは、江戸時代になってからとされています。江戸は概ね平和で、戦さで手柄を立てる場が少なくなり、人々の力や技は日常の仕事や娯楽、そして祭りへと向かいました。町ごとに氏神様を中心とした行事が整えられ、秋には「今年も恵みがあった」「この土地はまだ大丈夫だ」ということを、神様にも人にも示す必要がありました。そんな時に目を引く大きな山車を作り、引き回す文化がグッと広がった、というわけです。
当時の村や町は、今よりずっと狭い世界で暮らしていました。米や雑穀を年貢として納めることはあっても、手元に残るものは決して多くありません。天候が悪い年にはすぐにひずみが出て、我慢ばかりが積み重なります。そうした中で、年に何度かだけ「大きな音を出してもよい」「威勢のいい声をあげてもよい」「いつもは地味な若者が前に立ってもよい」という日が用意されていたことには、とても深い意味がありました。だんじりは、神様の行列であると同時に、民衆の心を軽くするための仕掛けでもあったのです。
江戸のまちが抱えていた「鬱憤」
江戸の頃の人々は、今の私たち以上に上下関係に気を遣っていました。庄屋や郷士、町年寄といった顔ぶれの前で、無礼な態度はとれません。ところが祭りの日だけは様子が変わります。だんじりを引くには人数が要りますし、合図を出すには大きな声が要ります。つまり、日頃は控えめな人でも「今日は頼むぞ」と声をかけられ、正面から力を発揮できるのです。これは統治する側にとっても楽な仕組みでした。日常を厳しくしておき、時々大きな出口を用意する。そうすれば大ごとになりにくい。だんじりの豪快さの裏には、こうした「上と下、両方にとって都合のよい行事だった」という一面があります。
また、だんじりは「この村はこれだけの財を出せる」「こんなに腕の立つ大工がいる」「若い衆がこれだけいる」ということを示す舞台でもありました。彫り物を丁寧に入れたり、高価な幕を掛けたりするのは、その土地の力を見せるためです。これを見た周辺の村も「ではうちも来年は負けないものを」と思うので、結果として年月とともに豪華になっていきました。時に行きすぎるほど勢いがつくのは、その競い合いが少し熱を帯びた結果とも言えます。
「危ないのに続く」のはなぜか
だんじりは重く、速く、集団で動きます。ですから、現在でも転倒や接触の事故を完全にゼロにすることは難しい行事です。それでも中止にならず続いてきたのは、単に「伝統だから」という一言では説明できません。1つには「これを辞めると、地域のまとまりが弱くなる」という実感があるからです。だんじりを中心にして、秋の夜に笛や太鼓を練習すること。綱を持つ役を決めること。衣装を配ること。寄付をお願いに回ること。これらは全て、町内で顔を合わせるための行動です。行事を取り上げてしまえば、それらが一気に薄れます。高齢者の参加が減り、子どもが地域の大人を知らないまま育つかもしれません。そうなれば、日常で助け合う力も落ちてしまいます。
もう1つは、「祭りで1つになる経験」を、子ども世代に渡したいという思いです。大人たちはだんじりの迫力だけでなく、夜に鳴る笛の音、法被の匂い、曳行の後に食べたおにぎり、休憩所でもらったジュース、そういった細かな記憶とセットで秋を覚えています。これを失わせたくないから、多少の手間や危険があっても守ろうとするのです。外から見ると「何故やめないのだろう」と不思議に思えても、中にいる人にとっては「これがあるからこの町で暮らせる」という順番になっている、ということですね。
「脇役が主役になった」祭り
元々の神事では、神様に捧げる舞いや、馬に神の依り代をのせて巡る行列が主役でした。ところが時代が下ると、人を強く引きつけるのは大きくて派手な物だと分かってきます。そこで脇に置かれていたはずの山車が、だんだん前に出てきた――これがだんじりの現在の姿に近い考え方です。つまり、だんじりは「主役になった脇役」です。神事としての芯は残しながらも、人が集まるように、若者が燃えるように、音やスピードや見せ場を増やしていった。その結果、今のような迫力ある行事になったのです。
このような成り立ちを知っておくと、第3章でお話しする「安全に楽しむにはどうするか」という話もしやすくなります。元々、人の感情を大きく動かすように設計された行事なのだ、と思っておくと、どこで気をつければいいか、どこで一歩引けばいいかが見えてきます。次はその辺りを、見る側・参加する側の両方から整理していきましょう。
第3章…事故なく楽しむための備え~見る側・引く側が気をつけたいこと~
だんじりは、人の力で大きな山車を走らせるという点で、どうしても危険と隣り合わせになります。しかも秋のお祭りは家族連れが多く、道の傍で子どもがはしゃぎ、高齢の方がゆっくり歩き、飲食をしながら見物する人もいます。場の空気が温かくなるほど気が緩みやすく、そこに重たい車体が勢いよく曲がってくる――この組み合わせが事故を引き起こします。ですから「せっかく来たから一番近くで見たい」という気持ちを、ほんの少しだけ抑えておくことが大事になります。
まず、見物する側が一番に意識したいのは「運行経路を先に知っておくこと」です。市や町の広報、自治会の回覧、役所や観光課の案内には、だんじりが通る時間帯とおおまかな順路が出ています。これを見ずに当日ふらっと行くと、曲がり角でいきなり目の前を横切られたり、後ろから押される形になったりしがちです。とくに「やりまわし」と呼ばれる鋭い曲がりは、外側に大きく膨らみますので、道路の角・電柱のそば・建物の端には長く立たない方が安心です。写真を撮るなら、少し前に出てくる場所より、曲がり終わって速度が落ちる場所を選ぶと安全性がぐっと上がります。
服装も意外と大事です。だんじりが近くを通る日は、動きの重いサンダルやヒールは避けて、すぐに身を引ける運動靴にしておくと安心です。「押されたから一歩避けよう」と思っても、靴が脱げたり、踵を踏んだりしたせいで転倒することが多いからです。小さなお子さんには、首からさげるポシェットではなく両手が空くリュックやウエストポーチを持たせ、手は必ず繋いでおきましょう。だんじりの音が大きい場所では、保護者の声が届きにくくなるため、迷子は本当に一瞬です。
見物場所によっては、周囲に「お酒とたばこ」が混ざります。地域の方が楽しんでいる分には口をはさめませんが、火のついた煙草は、人混みの高さだと子どもの顔にちょうど当たる位置にきます。お酒が入った大人も、だんじりの勢いに合わせて気持ちが大きくなっていますので、出来ればそうしたグループから半歩以上は離れた位置を選びましょう。特に地方の場合、道路の幅が狭く、だんじりとの距離が縮まりやすいので「安全めに見る」が正解です。
引く側・参加する側にも、気をつけるべき点はあります。地元の方は「毎年やっているから分かっている」と思いがちですが、毎年同じ人が同じ体調で参加できるとは限りません。年齢を重ねたことを自覚して、今年は後ろから綱を持つ役に回る、列の端に付く、若い人に最前列を任せる――こうした判断があるだけで、全体の安全度は上がります。合図を出す人は、観客がせり出してきていないかを必ず見るようにし、少しでも危ないと思ったら勢いを落とす勇気を持つことです。だんじりは速さや迫力が話題になりますが、だからといって全ての場面で全力を出す必要はありません。見せ場と、安全に通過する場所を分けておくと、事故の芽をかなり摘むことができます。
高齢のご家族を連れて行く場合は、さらに一工夫です。まず、見物の場所を「広くて平らな所」「建物に逃げられる所」「椅子が借りられる所」から選びます。だんじりが通り過ぎるまでに立っていられない方は、少し離れた日か別のポイントで見る方が安心です。介護施設のレクリエーションで見に行く場合も、同じ考え方が使えます。引率者が慌てなくて良い距離を取り、帰り道のトイレや休憩所を先に決めておく。これだけで、だんじりを「危ない行事」ではなく「ちょっと誇らしい地域のお祭り」としてご紹介できます。
最後にもう1つ大事なことを。だんじりのように人の心を大きく揺らす行事は、場にいるだけでつい前へ前へと出てしまいます。けれど、ほんの1歩下がるだけで守れる命があります。見たい人が一番前を見る、案内する人は少し後ろで全体を見渡す、子どもは大人の体の内側に入れる――このくらいの役割分担を、家族や仲間の中で決めておくと、当日の動きがとてもスムーズになります。次の章では、こうした行事をどうやって次の世代に手渡していくのか、地域の側の考え方も含めて見ていきましょう。
第4章…地域で守るだんじり文化~子ども・移住者・高齢者をどう巻き込むか~
だんじりは、ただ「昔からあるから」続いているわけではありません。祭りの日に山車が出てくるまでには、夏の夜の笛太鼓の練習、衣装の準備、寄付回り、巡行ルートの調整、警備の相談と、目には見えない準備が何段階も積み重なっています。これを支えているのは、地元で長く暮らしてきた世代です。しかし多くの町で人口は動いており、若い家族が新しく家を建てて入ってくる一方、高齢になって現場には出られなくなった人も増えています。だからこそ、だんじりを「見る人」から「関わる人」へ、どう広げていくかが今の課題になります。
新しく住んだ人に入口を用意する
近年の住宅地では、元々、別の市町から引っ越してきたご家族が多く、「だんじりってちょっと怖そう」「どこに参加の連絡をすればいいのかわからない」と感じている場合があります。こうした人にいきなり綱を持たせるのは難しいので、最初は安全な役目から誘ってあげると入りやすくなります。例えば、子ども会の見学引率、途中休憩所でのお茶配り、衣装の回収といった仕事です。これなら力も要りませんし、だんじりの動きが一目で分かるので「この町ではこうやって動いているのか」と理解できます。1回関われば、翌年にはもう少し中に入ってもらえるので、年々参加層が厚くなります。
子どもに「自分の祭りだ」と思ってもらう
だんじりは本来、大人の力比べの色が強い行事です。しかし、長く続けることを考えれば、早い段階で子どもに「自分ごと」として持ってもらう工夫が欠かせません。小学生向けに小型のだんじりを用意したり、太鼓や笛だけの隊列にして一部の区間を前で歩かせたりすると、子どもは一気に祭りを好きになります。さらに「この刺繍は〇年生のときに縫ったもの」「この提灯はうちの町内会で新しくしたもの」と、手をかけた部分を見える形で残すと、成長してからも愛着が続きます。将来その子が別の町に住むようになっても、「秋になったらあの音が聞きたい」という気持ちは残りますので、ファンが外へ広がっていく効果も期待できます。
高齢者の知恵を“前線に戻す”
もう1つ大事なのは、ご高齢で現場に出にくくなった人の役目をちゃんと作っておくことです。だんじりは危険を伴うので、どうしても若い人が表に出がちですが、実は細かいタイミングの見極めや、角を曲がるときの声の掛け方、太鼓の鳴らし始めの合図などは、経験のある世代に一日の長があります。そこで、会所や自治会館に「指導席」のような場所を設け、若手が出発前に必ずそこで注意点を聞くようにしておくと、知恵が切れません。だんじりの彫刻や幕の手入れも、手が器用な人にお願いすれば自宅で進められます。歩けなくなったから終わりではなく、「次の担い手を育てる人」として役割を継承するわけです。
町を巻き込むと安全にも強くなる
参加する人が多いほど、当日の安全管理もしやすくなります。何故なら「この道は危ないから前に出ないでね」「ここは膨らむから寄ってね」と声をかける人が増えるからです。学校・福祉施設・商店会がそれぞれ1人ずつでも見守り役を出してくれれば、通りのあちこちに“よく知っている顔”が立つことになります。見物に来た子どもも、知らない人より顔馴染みの大人の言うことの方を聞きやすいものです。だんじりは、こうした「地域全体で見守る」構図を作るとうまく回ります。祭りの迫力を落とすことなく、危ないところだけをフワッと包むクッションを用意できるからです。
このように、だんじりを次の世代へ渡していくには、「技を伝える」「役を用意する」「顔が見えるようにする」という3つの流れを同時に進めるのが一番です。どれか一つだけだと、立派な山車はあっても引く人がいなくなったり、若い人はいるのに段取りを知る人がいなくなったりします。町が走るあの日の空気を守るためには、普段の地道な繋がり作りが要る――それが、この章でお伝えしたかったことです。次の終章では、改めてだんじりという行事が人にもたらすものを、やさしくまとめておきますね。
[広告]まとめ…走る山車より熱いものは人の気持ち
だんじり祭りは、一見すると「勢いよく走る山車のお祭り」です。ところが中身をほどいていくと、もっと深い層が見えてきます。秋の実りを氏神様に届けるという信仰の層。江戸の頃、人々の心を重たくしていた暮らしの圧力を、年に数日だけ外へ吐き出させるための層。さらに、町で暮らす人どうしが顔を合わせ「今年もこの町でやっていこう」と確かめ合うための層――これらが折り重なって、あの迫力になっています。派手に見えて、実はとても生活に近い行事なのです。
第1章で見たように、だんじりは「持っているものを全部見せてみよう」という気概が形になったものです。重さも、彫刻も、幕も、あえて大きく・細かく・豪華にして、神様と周囲の町へ示す。第2章で触れたように、その背景には「人の気持ちは時々出口を用意しておかないと爆発する」という、昔の為政者や町の年長者の知恵がありました。第3章では、勢いがあるからこそ安全への配慮が欠かせないことをお話ししました。ほんの半歩さがる、運動靴にする、子どもと手を繋ぐ――それだけで楽しい一日が守れます。第4章では、この行事を次に渡すには、子ども・新しく住んだ人・高齢者の3つの層をうまく結びつけることが大切だと確認しました。
つまり、だんじりを長く続けるカギは「人を中に入れること」です。見物客のままで終わらせず、どこかの場面で役をお願いする。年を取ったら、今度は教える側へ回ってもらう。新しい家の人には、安全な係から順番に入ってもらう。こうして輪を少しずつ広げていけば、山車の修繕費も、練習の場所も、当日の見守りも、皆で分け合えるようになります。そうなれば、「危ないからやめよう」ではなく「どうすれば続けられるか」を話し合う空気にできます。
秋が来て、夕方の空が少し赤くなり、遠くで太鼓の音が鳴ると、人はどうしても心がそちらへ向きます。あの音には「土地で生きる」という大きなテーマが重なっているからです。だから、もしご自分の町でだんじりを見る機会があれば、ほんの少し早めに家を出て、どこから来てどこへ帰るのか、誰がどんな顔で綱を引いているのか、ゆっくり眺めてみてください。そこには、山車そのものよりも熱い、人の気持ちが映っているはずです。
⭐ 今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m 💖
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