12月13日は煤払いの日~歳神様を迎えるための年末支度の物語
目次
はじめに…歳神様をお迎えする前に~12月の早め掃除がけじめになる~
12月になると、どうしても「年末らしさ」が家の中に忍び込んできますよね。慌ただしいお仕事、冬休みの予定、年賀状の準備……そうした用事の合間に、ふと天井や欄間を見上げると、薄く埃が積もっている。普段なら「また後で」で済ませられるのに、年の終わりだけはそうはいきません。日本では昔から「歳神様は綺麗な所をお好みになる」と言われてきました。新しい年の力を運んでくださるお客さまをお迎えするのですから、まずは住まいを清めておくのが礼儀、という考え方です。
そのための目安になっていたのが、12月13日の「煤払い(すすはらい)」の日です。元々は12月8日の「事納め」から13日の間にお正月準備の算段をして、13日になったら一気に動き出す、という流れでした。現代の私たちは、囲炉裏や竈を使うことがほとんど無くなったので、天井に真っ黒な煤がこびりつくようなことはまずありません。それでも、冷たい冬の空気が家に籠るこの時期は、目に見えない湿気や埃が隅っこに溜まりがちです。だからこそ「今日は一年の掃除を始める日だよ」と日を決めておくと、後回しにならずに済みます。
この日、全国の神社やお寺でも、普段は手が届かない梁や天井を長い竹帚で落としていく行事が行われます。テレビで見たことがある方も多いでしょう。あれは単なるお掃除ではなく、「ここから年を新しくします」というけじめの印なのですね。私たちの家でも同じです。窓や床を拭きながら「今年もみんな無事に過ごせました」と心の中で呟くと、ただの家事が1年を締めくくる小さな儀式に変わります。
そしてもう1つ面白いのは、頑張って綺麗にした後の楽しみまで昔の人はちゃんと考えていた、ということです。体を動かす仕事の後には温まる料理を用意しておく。働いた人が「やってよかった」と思えるようにしておく。そういう温かな知恵が、煤払いの周りにはクルッと巻きついているのです。
これから本文では、どうして12月13日が選ばれたのか、神社仏閣ではどんな道具を使っているのか、そして「えっ、そんな料理があったの?」とびっくりする昔のご飯まで、順番にお話ししていきます。今年はただの大掃除で終わらせずに、少しだけ昔のやり方を借りて、家族で「年神様をお迎えする日」にしてみませんか。
[広告]第1章…12月13日はどうして特別なのか~大掃除よりも古い煤払いという呼び名~
現代の私たちは、年末にまとめて家の中を綺麗にすることをつい「大掃除」と一言で呼んでしまいますが、この呼び方が一般的になったのはそれほど古いことではありません。元々の日本では、12月13日を中心に行うこの作業を「煤払い(すすはらい)」とか「正月事始め(しょうがつことはじめ)」と呼んでいました。どちらも「新しい年の神様をお迎えするための準備をここから始めます」という意味が込められています。ですから、単なる年末の家事ではなく、年を跨ぐための行事として位置付けられていたのですね。
大掃除より先にあった煤払い
昔の家には囲炉裏や竈があり、冬になると毎日のように火を焚いていました。火を使えばどうしても煙が出て、その煙に混ざって細かな煤が梁や天井、障子の桟に積もっていきます。特に高い所ほど溜まりやすく、放っておくと黒ずんでしまいます。そこで年の瀬が深まる前、まだ外仕事もしやすい12月の内に、長い竹で高い所の埃と煤を落としておく。これが「煤払い」です。今のように電気やガスが中心になる前の日本では、これが暮らしの常識でした。
面白いのは、13日という日は「さあやるぞ」と皆が動き出せる絶妙な日付に置かれていることです。あまり遅いとお正月の飾り付けまで手が回らなくなりますし、あまり早いとまた汚れてしまいます。そこで12月13日を目途に、家中の煤を落として、床の間や神棚、仏壇を清め、そこからお正月の準備に入るという段取りが定着していきました。
どうして年末ギリギリではないのか
もう1つの理由は、人の動きに合わせたからだとも言われています。江戸時代には、地方から奉公に出ている若者が多くいました。彼らは年末になると故郷に帰るので、あまり遅い時期に掃除をすると人手が足りなくなります。そこで少し早めの12月13日に「年の掃除」を済ませて、後はお正月を迎える準備やおせちの段取りに回せるようにした、というわけです。徒歩での移動が当たり前だった時代を考えると、これはとても現実的な日取りだったのでしょう。
さらに、この日は「今年1年の穢れをここで断つ」という意味合いも持っていました。煤が溜まるということは、家が1年分働いた証拠でもあります。その汚れを落とすことで、ここからは新しい年の空気を入れますよ、と家そのものに宣言させるのです。だからこそ、神社やお寺も同じ日に行い、世の中全体で「ここから歳神様をお迎えする準備に入りますよ」と足並みを揃えたのでしょう。
現代の家でも意味は変わらない
もちろん、今の住宅は昔ほど煤が出ません。天井に真っ黒な汚れがこびりつくこともまずありません。それでも、冬はどうしても暖房の風で埃が舞いますし、カーテンの上・照明の傘・高い棚の上など、普段は手を伸ばさない場所に薄く汚れが積もっていきます。そこで12月13日を「ちょっと本気でやる日」と決めてしまえば、年末になってから慌てることもなくなります。昔の人が決めてくれた日付を、今の暮らしにそのまま借りるだけで、年末の家事がグンとスムーズになるのがありがたいところです。
このように、12月13日は「ただの掃除の日」ではなく、「ここから先は新年を迎える時間にします」という宣言の日でした。次の章では、この日がどうして古い暦の中でも特別視されたのか、神社やお寺でどのように行われているのかを、もう少し詳しく見ていきます。
第2章…平安から江戸へ伝わった仕来り~鬼宿の日と神社とお寺の煤払い~
昔の人は、年の締め括りに何をしたら良いかを、空の動きと一緒に考えていました。12月13日が煤払いの日として定まったのも、その背景に「二十八宿(にじゅうはっしゅく)」という古い星の暦があったからだと言われています。中でもこの日に重なる「鬼宿(きしゅく)」という日は、とても縁起がよく「万事に進むべし」とされた特別な日でした。つまり「この日から新年のことを始めるのは、とても良いことですよ」と、暦のほうが背中を押してくれていたわけです。
「鬼宿の日」は年を動かす合図だった
鬼宿という名前だけ聞くと少し怖そうに感じるかもしれませんが、意味としてはむしろ逆で、「鬼が家にいない=災いがいないから何をしても妨げられない」という、大変おめでたい日です。だからこそ、家や寺社を綺麗にする・新年を迎える道具を揃える・神様のための飾りを用意する、といった行いをこの日に始めるのが良い、とされました。平安の頃には既にその考え方があり、後の江戸の町ではこれが町ぐるみの年末行事になっていきます。
当時の人にとって、家の梁や天井の煤を落とすことは、今の私たちがカーテンを洗ったり換気扇を外して磨いたりするよりもずっと大掛かりな仕事でした。だからこそ「今日はやる日」と決まっていると、皆が同じ方向を向いて動き出せます。暦で日を固定したのには、そうした生活上の狙いもあったのでしょう。
神社・お寺の煤払いは立派な神事
この12月13日には、全国の神社やお寺でも、普段は見られないような道具が並びます。葉の付いたままの長い竹を「煤竹(すすだけ)」として使ったり、竹の先に藁の束を括りつけて「梵天(ぼんてん)」のようにして高い所を払ったりします。どれも、ただの掃除道具ではなく「これでお社を清めます」という意味を持たせたものです。掛け声に合わせて一斉に梁をはらい、落ちてきた埃を手早く片付ける光景は、まさに年末の舞のようですね。
この時に使った竹や道具は、1月15日の小正月の時に正月飾りと一緒に焼いてしまう地域もあります。清めるために使った物は、また清らかに還す。そうすることで「この一年も同じように回っていきますように」という祈りを重ねているのです。家の掃除と違って、こちらは作法が決まっていて、人数も揃え、衣装も整えます。今、私たちがテレビで見る荘厳な煤払いは、この流れの延長にあるものです。
庶民の家では決まり過ぎないのが普通
では町の人々の家ではどうしていたのかというと、こちらはもっと大らかでした。高い所を落とすために長い竹や箒は使いますが、「何回払う」といった細かな規定はありません。大切なのは、年の汚れを今年の内に落としておくこと、神棚や仏壇を清めてからお供えを上げること、そしてお正月の飾りを置けるようにしておくことです。忙しい家では13日に大まかに天井をやっておき、後の細かい場所は日を分けて行うこともありました。つまり「この日に手をつけたら、後はお正月に向かって進むだけ」という合図の日として働いていたのです。
現代の私たちがこの習わしを取り入れるなら、必ずしも昔とまったく同じ道具を揃える必要はありません。高い所をやるなら伸縮タイプのモップでも良いですし、換気扇を外すならゴム手袋を用意すればよい。大切なのは「今日は13日だから上の方からやろう」と、古い決まりを小さな切っ掛けとして使うことです。そうすれば、次の週末には床や窓に集中できますし、年末ギリギリに疲れ切ってしまうこともなくなります。
このように、12月13日の煤払いは、空の暦と人の暮らしがピタリと合ったところから生まれた行事でした。次の章では、この日に働いた人たちを労うために食べられていた、少し意外な冬の料理について見ていきます。
第3章…頑張った日のご褒美ご飯~冬の力を付ける鯨汁というもう1つの風景~
家中の高い所をハタキ、畳を上げ、押し入れを開けて風を通す。12月13日の仕事は、体をたっぷり使います。昔の家は今より広く、土間や竈もありましたから、午前中いっぱい動きっ放しになることも珍しくありませんでした。そんな日には、温かくて、脂があって、体の芯まで届くものを食べたい――その願いを叶えてくれたのが「鯨汁(くじらじる)」です。今の私たちには少し意外な取り合わせですが、江戸の町ではちゃんと「煤払いの日にこれを食べる」と記録に残っているほどの冬のご褒美として親しまれていました。
なぜ鯨だったのか
当時の日本では、海の近くに暮らす人だけでなく、町にいる人たちも鯨を手に入れる機会がありました。浜で獲れた鯨は、捨てるところがほとんどなく、皮・脂・赤身・筋といった部分を使い分けて、煮物や汁物に仕立てられます。特に脂の多い部分は、寒い季節の力になります。今でこそ灯油やガスで部屋を温められますが、当時は自分の体を温めるには、食べ物で熱を作るのが一番手っ取り早かったのです。
一日をかけて煤を落とした後に、グラグラと煮えた大鍋を囲む。湯気の向こうに赤くてツヤのある鯨の身、そこに大根やごぼう、葱といった冬野菜が加わる。動いた分だけ食べることが出来る、というのは、働く人にとって何よりの楽しみでした。「今日は13日だから鯨があるぞ」と分かっていれば、子どもも大人も朝から張り切れますよね。
江戸の町にあった売り声の記録
江戸時代になると、町の中を大きな荷車で回る行商人が「くじら汁~、くじら汁~」と売り歩いた、という話が川柳や見世物の記録に出てきます。今で言う冬の屋台のようなものでしょう。家で一から煮る余裕がない家でも、この日ばかりは買ってきて皆で分ける。特別な日の味だったことが伺えます。
何故わざわざこの日に売りに来たのかといえば、煤払いをした家が多い日を狙えば、温かい物は必ず喜ばれるからです。掃除をした後に冷たいものは食べたくありませんし、少し値が張っても「今日は年の準備の日だから」と財布の紐が緩む。この辺りにも、季節の習わしを上手に商いに合わせた、江戸らしい空気が感じられます。
具だくさんにして食べるのが流儀
鯨汁といっても、鯨だけを煮たわけではありません。むしろ、野菜をたっぷり入れて、鯨の旨味で全体にコクを付ける――このバランスが大事でした。大根・にんじん・ごぼう・こんにゃく・ねぎ。寒さに強い野菜ばかりです。地方によっては味噌仕立てにしたり、酒粕を少しだけ入れて香りを立てたり、逆に醤油でさっぱりと整えたりと、家庭ごとの顔もありました。重い物を運んだり、梯子を使ったりして疲れた筋肉には、こうした温かい汁が良く沁みていきます。
また、鯨は節を茹でておけば日持ちもしましたから、港に近い地域では「この日のために取っておく」という発想もありました。冷蔵庫のなかった時代に、年の区切りをつける日に合わせて食材を準備しておくというのは、それだけこの日が大切にされていた証拠でもあります。
現代の台所で取り入れるなら
今では鯨をいつでもどこでも買える、というわけにはいきません。そこで現代の暮らしに合わせるなら、鯨が手に入った時は、是非12月の掃除の日に合わせて、味噌仕立ての具だくさん汁にしてみると良いでしょう。もし鯨が難しい場合でも、当時の考え方――「たくさん動いたら、脂とたんぱく質と根菜で回復させる」――を真似すれば、近い雰囲気は出せます。豚の塊や、ぶり・さばなど脂ののった冬の魚を代わりに使っても、温かい行事食として十分成立します。
大事なのは、ただお腹を満たすためだけに食べるのではなく、「今日は年を迎える支度を1つ進めたから、このご飯を食べる」という気持ちを添えることです。そうすれば、食卓が一気に行事らしくなりますし、家族にも「この時期はこういうものを食べるんだよ」という記憶が残ります。次の世代に伝えるという意味でも、この一品はとても役に立ちますね。
このように、煤払いの日の鯨汁は、ただのご馳走ではなく「よく働いたね」「これで年を越せるね」と声を掛け合うためのご飯でした。次の章では、この古い習わしを現代の家にどう置き替えていくかを考えてみます。
第4章…今の暮らしに置き替えるなら~設備の整った家でも出来る年末の清め方と楽しみ方~
昔の煤払いは、囲炉裏のある家だからこそ必要だった仕事でした。では、エアコンとIHとロボット掃除機がある令和の家では意味がなくなったのかというと、そんなことはありません。むしろ、汚れが目に見えにくくなった分「今日は年を締めるためにやる日です」と宣言しないと、忙しさに流されてしまいます。12月13日という古い日付をそっと台所のカレンダーに書き込んでおけば、気持ちを切り替えるスイッチとしてとても優秀です。
やる順番だけは昔のままに
現代の掃除であっても、基本の考え方は昔と同じで「上から下」「外から内」です。天井・照明・カーテンレール・高い棚の上。普段見ない場所をこの日にまとめてやってしまいます。ここを先に終わらせておくと、年末ギリギリに窓ふきや床のワックスがけをしても、また埃が落ちてきてやり直し……ということになりません。昔の人が13日に始めたのも、この「後を楽にする」考え方があったからです。
今は脚立に登るのが不安な方も多いので、伸縮出来るモップや静電気タイプのハンディワイパーで構いません。大事なのは「この高さまでは年の内に綺麗にした」と目に見える形で区切っておくことです。ここまで終われば、お正月飾りも安心して掛けられますし、神棚や仏壇も清らかな状態で迎えられます。
水まわりは冷える前が合言葉
12月も半ばを過ぎると、水仕事がグッと辛くなります。だから、台所やお風呂、洗面所のぬめり・水垢を落とすのも13日前後に一度大きくやっておくと、年末に焦らずに済みます。換気扇やコンロ回りも、油が固まり切る前なら洗剤の効きが良いので、思ったより短時間で終わります。昔は煤が落ちてきた台所を直すだけで大変でしたから、それを考えれば、今の掃除は道具の助けが大きいですね。
この時、昔ながらの「邪気を払う」という気分を少し取り入れると、単なる家事が行事らしくなります。窓を全開にして冷たい風を一回通す。玄関のたたきを水拭きしてから注連飾りを用意する。これだけでも「ああ、年が変わるな」という空気が家に立ち上がります。神社で行う煤払いと同じで、「汚れを出す➡風を通す➡飾る」という順番を意識すると、暮らしに一本芯が通ります。
働いた人にご褒美を忘れない
昔の家が偉かったのは「大変な日には温まるものを食べる」とセットで考えていたことでした。現代でも、この部分は是非とも残したいところです。13日は煮込みを大きな鍋に作っておく、炊飯器は予約しておく、汁物には根菜をたっぷり入れる。こうしておけば、掃除に参加した家族が「終わった~」と座った瞬間に湯気の立つご飯が出てきます。これだけで、来年もまた同じ日を続けやすくなりますから、実はとても大事なポイントです。
もし本来の行事にならって鯨が手に入るなら、3章で触れたような具だくさんの汁にして食卓の真ん中にドンと置きます。難しい場合は、脂の載った冬魚のあら汁、豚汁、鶏と根菜の味噌仕立てなどでもかまいません。大切なのは「今日は年の仕事を1つ進めた日だから特別」という理由を料理に添えることです。料理が説明をしてくれるので、後で子どもに「どうして13日に掃除するの?」と聞かれても、「昔からこうしてたんだよ」と自然に話ができます。
オンラインの予定とも無理なく両立
今は12月でも家に人が集まらず、オンラインで年末の挨拶をするご家庭も増えました。こうした生活でも、13日を「背景を綺麗にする日」と決めておけば、画面に映る棚や窓回りをこの日に整えられます。昔の煤払いが「神様に見てもらうため」だったように、現代は「画面の向こうの人に見てもらうため」と考えれば、考え方は同じです。見えるところを清めると、見えないところの気持ちもシャンとします。
このように、12月13日の煤払いは、道具も家も変わった今でも、十分に暮らしに生かすことが出来ます。次の章では、ここまで日本の中で語ってきた「鯨」の話を少しだけ広げて、世界の他の国ではどのように海の恵みを味わっているのかを見ていきます。日本ならではの汁物文化と比べると、ちょっと面白い違いが見えてきます。
第5章…海の向こうにもある鯨料理~日本の汁物文化と海外のごちそう化の比較~
ここまで読んでくださった方は、「鯨を行事の汁物にするなんて、日本だけの少し変わった風習なのかな?」と感じたかもしれません。ところが、海に囲まれた地域や、寒さの厳しい地域では、昔から鯨を大切な栄養源として頂いてきた国や島がいくつもあります。つまり、鯨を食べるという行為そのものは、日本だけの特別なものではないのです。ただ、日本には「年のけじめの日に温かい汁で」という、暮らしと結びついた独特の出し方があった。ここがとても日本らしいところだと言えます。
北の海の国ぐにと島々のクジラ料理
例えば北欧の一部の地域や北大西洋の島で、冬に鯨のお肉を食べる風習が残っている所があります。寒さが厳しい土地では、脂をしっかり取れる食材はとても貴重で、燻したり、塩をして保存したりして、長い冬を乗り切る知恵として使われてきました。氷の張る季節に、軟らかく煮た鯨の肉を黒パンに添えたり、野菜と一緒にトロトロに煮込んだりする料理は、向こうの人にとっては「よく働いた日のご馳走」に近い感覚です。日本の鯨汁と似ているのは、どちらも「寒い季節・体を使った後・皆で温まる」という条件が揃っているところです。
また、北米の北側やグリーンランド方面の先住の方々の中にも、古くから鯨を余すところなく使ってきた文化があります。肉や皮だけでなく、脂を料理や灯りに使うことで、厳しい自然に負けない暮らしを続けてきました。日本の港町と同じく、「獲れたら家族や集落で分けあう」という精神が根っこにあるのも共通点です。
日本は汁と盛り付けで魅せる国
それに対して日本の食べ方は、どちらかと言えば「季節や行事に寄り沿わせる」方向に進みました。お出汁でやさしく炊く、冬野菜と一緒に煮る、味噌や酒粕で香りを纏める――こうしたやり方は、元々の日本人が持っていた「お椀の料理で体を温める」という習慣に、たまたま鯨がはまったのだと考えられます。味わいを過度に強くせず、野菜と合わせて食べることで、家族の中でおじいちゃんから子どもまで同じ鍋を囲めるようにしてある。これはとても日本的な“設え”です。
さらに日本では、冬の鯨だけでなく、さっと湯を通してから刺身風に食べたり、竜田揚げにしたり、ベーコン状にして酒の肴にしたりと、場面に応じて形を変えてきました。港町の食堂では「今日は上がったから」と日替わりで出すこともあり、行事食としての側面と、日常のご馳走としての側面とが自然に同居していったのが特徴です。1つの食材を、普段着でも晴れ着でも楽しめるようにしておく――これが江戸から続く日本の台所の強みです。
味付けの方向性が違うとこうなる
海外の鯨料理は、塩やスパイス、ワインやビールでしっかり風味をつけて長く楽しむことが多いです。保存が第一になる土地では、味はやや力強くなります。一方、日本の鯨汁は「その日の汗を流す」「家族で鍋を囲む」ことが目的なので、味はそこまで濃くせず、出汁と味噌と野菜の甘みで纏める。どちらが上ということではなく、土地の気候と暮らし方がそのまま器に映った結果です。
この違いを紹介しておくと、「日本だけがこうしているのではなく、海のある地域ならどこでも海の恵みをその土地らしく食べてきたのだ」という話がしやすくなります。年末に子どもや利用者さんとお話しする時も、「遠い国にもこういう食べ方があるんだよ」と1つ加えるだけで、行事がちょっと国際色を帯びて、語りやすくなりますよね。
今年の食卓にどう生かすか
もし12月13日に合わせて鯨が手に入ったら、まず1品は日本風の汁物に。もう1品は、オリーブ油とにんにくで軽くソテーして洋風に、という風に2方向に分けてみると「鯨は世界でも食べられている」という事実が舌で分かります。お椀で食べると「日本の冬」、焼いて食べると「寒い国のご馳走」。同じ素材でも、器と味付けでこんなに表情が変わるんだ、ということが良く伝わるはずです。
この章で伝えたかったのは、「日本が特別だから食べている」のではなく、「海に守られている国だから、昔からの食べ方を残している」ということです。周りの文化やニュースにだけ目を向けていると、つい日本のやり方が少数派に見えることがあります。でも、年の締め括りに温かい鍋を家族で囲むという行為そのものは、世界中どこに行っても人が大事にしている営みです。ならば日本も、自分たちのやり方で胸を張って続けていい。次の「まとめ」では、そこをもう一度やさしく整理しておきましょう。
[広告]まとめ…煤を払えば心も軽くなる~今年の終わりに小さな伝統を一品だけ残そう~
12月13日の「煤払い」はただ家の中を綺麗にするための昔話ではありませんでした。元々は、星の暦でお目出度いとされた日に、家や社を清めて「ここから先は新しい年のための場所にします」と宣言する、日本らしい年末のけじめでした。昔の家には囲炉裏も竈もありましたから、梁や天井には本当に黒い煤が溜まっていました。それを長い竹で払い落として、風を通し、神棚や仏壇を清める。そこまでやって初めて「歳神様をどうぞ」と言えたのです。今の家にはそこまでの煤はありませんが、気持ちの中にだけは同じように1年分の埃が積もっていきます。だからこそ、日を決めて払う意味は、今もそれほど変わっていません。
今回見てきたように、12月13日が選ばれた理由には、暦の上でのお目出度さだけでなく、奉公人が帰省する前に掃除を済ませるという、とても生活的な事情もありました。つまり、早めに始めるからこそ年末が楽になる、という先人の工夫です。現代でもこれはそのまま生かせます。13日に高い所と水周りを一度やっておけば、年の瀬は窓や玄関に集中できますし、お正月の飾りも安心して置けます。道具は変わっても「上から下へ」「汚れを出してから飾る」という順番を守れば、家中に「今年もちゃんとやった」という静かな満足が広がります。
もう1つ忘れてはいけないのが、頑張った人を温める食卓でした。江戸の町で親しまれた鯨汁は、冬に体を動かした後の回復食であり、同時に「よく働いたね」と声を交わすための器でもありました。海に囲まれた日本だからこそできた贅沢で、しかも港のない地域でも名前だけは伝わっていたほどです。さらに目を広げれば、寒さの厳しい国々でも鯨を大事にいただく文化があり、日本だけが特別というわけではありませんでした。ただ、日本はそれを年の行事と結び付け、汁物という柔らかな形に整えた。ここが日本の食卓の美点だと思います。
今年の12月13日は、昔とまったく同じようにやらなくてもかまいません。伸びるモップでも、スチームでもいいので、いつも届かない所をこの日にやる。終わったら、根菜と脂のある具材で温かい鍋を囲む。もし手に入るなら鯨を一品だけでも添えて、難しければ冬魚や豚肉で代わりを作る。それでも十分に「新しい年を迎える準備をした日」になります。伝統は、全てを一度に抱え込もうとすると重くなりますが、1つだけでも続けると、翌年に「あ、今年もあの日が来るな」と思い出せるようになります。
煤を払って風を通し、温かいものを食べる。たったそれだけで、師走の空気はぴりっと澄みます。忘れられがちな12月13日を、今年は少しだけ晴れの日に格上げして、家族や利用者さんに「日本にはこういう日があるんだよ」と伝えてみてください。小さな行事でも、年の終わりにそっと1本芯が通るはずです。
⭐ 今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m 💖
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