ママと赤ちゃんとパパが泣いて汗と筆で奮闘した300日の物語

[ 8月の記事 ]

はじめに…筆って一生モノらしいよ?―汗にまみれた決断の話

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かつて桐箱といえば“へその緒”が定番だった。

おばあちゃん世代の宝箱には、小さな綿に包まれたへその緒が、大切に収められていたという。

けれど、時代は進み、最近じゃ「筆」もそこに仲間入りするらしい。

赤ちゃんが生まれて、髪が生えて、伸びて、切って…その一房を筆にする。

たったそれだけのことに、これほどまでにドラマが詰まっているなんて、誰が想像しただろう。

8月20日は「誕生記念筆の日」。

読み方を少し遊んで「ハッピーな筆(8・20)」と覚える人もいれば、筆センターさんが決めたしっかりした記念日なんだよ、と真顔で教えてくれる人もいる。

でもこの日が何より意味を持つのは、赤ちゃんの“最初の髪”をどうするかに、全世界のママとパパが悩むからだ。

筆にするか、バッサリ切るか、それが問題だ。

髪は一度しか伸びない毛先、でも赤ちゃんは汗かきで、真夏には頭がぐっしょり。

何も知らない赤ちゃんが「暑い〜」と泣き、横でママも「切りたい〜」と泣く。

そんな夏が数ヶ月続いて、ようやく決まる一本の筆。

それがどうして、こんなに重たいのか。

どうして、切るだけの話が、家族の物語になるのか。

これは、筆の話であり、汗の話であり、そして、家族の「記念日」の話でもある。

さあ、お読みいただこう――

『ママと赤ちゃんが泣いた汗と筆の300日の物語🩷』の、はじまりはじまり。

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第1章…生えたぞ産毛!天使の毛先に未来を託す日


生まれたての赤ちゃんの頭をなでてみれば、そこにはうっすらと柔らかな産毛。

最初は「ほわほわしてるねぇ〜」と触れて満足していたママも、1ヶ月、2ヶ月と過ぎてくる頃には、「この毛、いつ切るの?どこまで伸びるの?筆になるの?」と、突如として未来を思い悩み始める。

パパに至っては、「筆って…書道家とかになるの?

いや、むしろ武士の魂的な?

え、もしかしてそれって家宝?」と、すでに武家の家系の気配すら感じ始める始末である。

そんな中、赤ちゃんは無邪気にベビーベッドでバタバタと手足を動かし、授乳とおむつと寝ぐずりで、毎日をフルスロットルで駆け抜けていく。

だが、こと髪の成長だけは、妙にじわじわと進行していく。

目を離すと、ある朝突然「おや?この子、こけしのような頭になってる」と気づくほどに、もさっと産毛が濃くなっているのだ。

その頃には、ママの中にふつふつと芽生えてくるある思い。

「切るなら“今”じゃないか?いや、でも…筆にしたいし…」という、育児と芸術のせめぎ合いである。

スマホで“赤ちゃん筆”と画像検索をしようものなら、立派な筆の写真と一緒に「初カットの毛先が、一生の宝に」という煽り文句が画面いっぱいに広がり、もはや筆づくりは親の愛の証、やらぬわけにはいかない雰囲気になる。

そうしてママはそっと赤ちゃんの髪に手を当て、「君のこの産毛が、いずれ筆になるのかもしれないんだよ…」と語りかける。

赤ちゃんは、きょとんとした顔で指をしゃぶりながら、まるでこう言っているようだ。

「筆より冷えピタ、頼むわ」

そんなこんなで、赤ちゃんの産毛は立派に伸びていく。

もはや、頭のてっぺんだけちょんまげのように結べるまでに成長し、ママのテンションも日々上下する。

切りたい、でも切りたくない。

カットと記念とまみれの育児が、ゆっくりと1本の筆へと歩み始める、その第一歩――それがこの「生えたぞ産毛!」の記念日なのである🩷。

第2章…汗で濡れる!ぺったんこ前髪とカットの誘惑


その夏は、記録的猛暑だった。

朝から蝉が泣き叫び、エアコンはつけっぱなし、ベビーカーの座席は保冷ジェルで武装され、赤ちゃんの背中には常にタオル2枚体制。

にもかかわらず、赤ちゃんの前髪は毎日びっしょり。

抱っこ紐の中から覗くその頭は、まるで湯上がり。

乾いた頃にはクセがついて、頭頂部から一本の毛だけがピョーンと跳ねている。

髪型はもはや天然モヒカン。

これはこれで可愛いけれど、正直ちょっと暑苦しい。

ママは毎朝、赤ちゃんの前髪を整える。

でも1時間もすれば、額にはびっしょりと汗がたまり、髪がペタリと張り付く。

「あぁぁもう切りたい……」と、思わず前髪に向かって独り言。

そっと美容ハサミに手が伸びかける。

だが、そのたびに脳裏に浮かぶのは、あの“赤ちゃん筆”の広告画像と、「世界にたった一つの記念筆を」という、妙に優しいフォントのキャッチコピー。

気持ちが揺れる。

切りたい、でも残したい。

ここにあるのは、髪ではなく愛の葛藤である。

そんな中、パパがのんきに言う。

「そんなに暑そうなら、もうバリカンでいったら?」と。ママはその言葉に、3秒沈黙してから静かに冷蔵庫を開け、氷をコップに入れる音を響かせた。

バリカン……だと?この子の初めての髪を、バリカン……だと??

その日、夕飯の味噌汁の味がいつもより少しだけ塩辛かったのは、たぶん気のせいではない。

赤ちゃんは何も知らず、ぐずったあとに寝落ちし、また起きて泣き、汗をかき、また頭を濡らす。

そのたびにママの理性も、少しずつ濡れていく。

筆にしたいと思う気持ちと、今すぐ快適にしてあげたい気持ち。

その間で揺れる心。

ぺったんこの前髪は、まるでその想いの象徴のように、毎日顔に張りついている。

だけど、まだ切らない。

今日も耐えた。明日も耐える予定。

なぜならこの髪が、いずれ筆になる日が来ると信じているから――

そう、これは赤ちゃんの髪の話であると同時に、ママの忍耐の物語でもあるのだ🩷。

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第3章…筆派ママvsバリカン推しパパ~家庭内サミット開幕~


リビングの空気が妙にピリついていた。

エアコンは効いているのに、会話の温度だけが上昇していた。

原因は、たったひと言だった。

「バリカンでもよくない?」と、パパが言ったのである。

その瞬間、ママの目の奥で“何か”がピキッと音を立てたのを、パパは見逃した。

いや、見ていたけど気づかなかった。

それがこの家庭における“赤ちゃん筆戦争”の火蓋だった。

パパにとって、赤ちゃんの髪というのは「暑そうかどうか」であり、「扱いやすいかどうか」であり、「見た目すっきりしてるかどうか」でしかなかった。

正直な話、筆?記念?へその緒的なポジション?

うーん、まぁ…なんか古風だな〜、くらいの感想しかなかった。

だがママにとっては違う。

それは、出産から今までの全てが詰まった“毛先”だった。

夜泣き、授乳、初めてのお風呂、寝返りの瞬間。

すべてを見てきたこの毛先を、筆という形で残したい。それが母としてのロマンであり、覚悟だった。

「筆って言ってもさ、使うの?」とパパは軽く言った。

「使わないけど、見るの」とママは淡々と答えた。

「見るだけなら写真でいいんじゃない?」とパパは調子に乗った。

「……じゃあ、あなたの結婚式の写真も、切って捨てていい?」とママは微笑んだ。

「ごめんなさい」とパパは即座に謝った。

このやりとりを見ていた赤ちゃんは、ふにゃっと笑ってヨダレを垂らした。

どちらの味方をしているかは明らかではないが、ママの抱っこを選んだあたりで、なんとなく立場が見えてくる。

その夜、家庭内サミットが開催された。議題は「カットの時期と筆の製作について」。

パパは“通気性”と“ビジュアル”の観点から、バリカンによる全体スッキリ案を主張。

ママは“情緒”と“一期一会”の精神で、筆制作に向けた保存案を提出。

協議は難航した。

だが、最後にママが差し出したのは、生後0ヶ月の赤ちゃん写真と、そこに添えられた育児日記だった。

「この髪、毎日なでてたの。切るって、ちょっと寂しいのよ」と、ぽつり。

パパは黙ってうなずき、そして言った。「じゃあ…せめて前髪だけ……」

「それがいちばんダメ!!」

またしても却下である。

議案は否決、ママの圧勝であった。

こうして、赤ちゃん筆に向けた育毛計画は、引き続きママ主導で進行することになった。

パパのバリカンは封印され、浴室の棚の奥で眠ることとなる。

なお、パパがこの一件で学んだことは、「育児において“毛先”は思い出のアンテナである🩷」という深遠な知恵だったらしい。

第4章…桐箱の向こうに見えたママの涙と勝利の一房


その日は、なんでもない火曜日だった。

晴れ。湿度75パーセント。午前9時。

赤ちゃんは、いつもより少し機嫌がよく、ミルクを飲んだあとに小さなくしゃみをして、ぷにっと笑った。

その髪は、じゅうぶんだった。

長さ、柔らかさ、そしてなにより――重みがあった。

あの日から数えて、ちょうど300日。

ママの我慢と決意と育児の汗が、ようやく1本の「赤ちゃん筆」へと変わるときが来た。

女の子らしく髪がふわりと伸びたわが子を抱いて、ママは赤ちゃん筆センターへと足を運んだ。

予約した赤ちゃん専用の理容室には、泣き声も笑い声も混ざった、なんとも言えない“人生のにおい”が漂っていた。

「はじめてのカット、がんばろうね」

ママがそう言うと、赤ちゃんはよく分かっていない顔でキョロキョロしていたが、いざケープを巻かれると、ちょこんとおすまし顔に。

カットが始まると、目を丸くして固まりながら、最後まで泣かずにがんばった。

まるで、「ママ、筆ってこんな感じでよかったの?」と確認してくるような、静かな誇らしさすらあった。

切り落とされた毛束は、丁寧にまとめられ、まるで宝石のように扱われた。

ママはその毛先をじっと見つめて、ふいに口元をゆるめた。

「あぁ、切っちゃった…でも、残せたね…」と、ぽつりとこぼした瞬間、目の奥がじんわり熱くなる。

きっとこれは、髪を切った涙じゃない。

あの日々を思い出してしまった、ママの“育てた記憶”がこぼれ落ちたのだ。

その横でパパは、スマホで動画を回しながら静かにシャッターを切っていた。

声は出さずにニヤニヤしていたが、後でカメラロールを見返すと、なぜか途中だけ手ブレしているカットが多かった。

おそらく、撮りながら目をこすったのだろう。

そう、パパなりに、何か感じたのだ。

数週間後、筆は桐箱に入って自宅に届いた。

箱の中には、名前と生年月日、生まれたときの体重がきれいに記されていて、その横に、小さな、小さな筆が一本、すっと横たわっていた。

そっと手に取って、ママは赤ちゃんの頭を見た。

まだ短い髪。

でも、切ったことで“次の髪”が育ち始めていた。

その日から、桐箱は寝室の引き出しの中に置かれた。

使わない。

でも、見るだけで当時の湿度や、泣き笑いした声が蘇ってくる。

きっとこの先、七五三や入園式、卒園、成人式、結婚式…そんな節目に、そっと開ける日が来るのかもしれない🩷。

あるいは、なにも言わずに渡す日が来るのかもしれない。

いずれにせよ、あの汗まみれのぺったんこ前髪は、1本の筆になって、時を超えた。

赤ちゃんの髪の成長は、ママの成長だった。

そして、ひと房の筆は、家族の物語になったのである。


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まとめ…筆にしたのは髪じゃなくて想いでした


育児というものは、いつだって正解が見えないまま、足元だけを確かめながら歩いていくようなものだ。

今日泣いた理由すら分からないまま、ミルクを飲ませ、おむつを替え、髪をなでる。

その日々の中で、筆のことを考えた。

たかが毛先、されど毛先。

赤ちゃんの髪が伸びるということは、それだけ時間が流れたということであり、何百回もの抱っこと寝かしつけと、汗と笑いの積み重ねがそこにあった。

最初は、ちょっとした記念のつもりだった。ただ「残しておこうかな」くらいの、軽い気持ち。

けれど、ぺったんこになった前髪を見て何度も「切っちゃおうかな」と揺れながら、ついには筆という形にまでたどり着いた。

気づけば、それはただの髪ではなくなっていた。

筆になったその毛先には、ママの我慢、赤ちゃんの汗、パパのボヤき、そして家族の季節がぎゅっと詰まっていた。

いま、あの桐箱はタンスの引き出しの奥で、静かに眠っている。使われることはない。

でも、何度でも思い出されるだろう。

「あの頃、こんなにちいさかったんだね」とか、「あの前髪、ほんと毎日濡れてたよね」とか。

きっと将来、娘が大人になって、この筆の話をしたらこう言うのかもしれない。

「えー?筆?なにそれ、重くない?ていうか、私そんなに汗かいてたの?」と。

それでもいい。それでいい。

筆に込めたのは、髪じゃなくて、親バカ全開の愛情と、ちょっと不器用な祈りだったのだから。

こうして、筆は語らないけれど、ずっとそこにある。

いつかまた開かれるその日まで、赤ちゃん時代の記憶を、やさしく包み込んで🩷。

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