親と過ごす季節をもっと楽しく~二十四節気と行事ご飯・飾り・小さなレクリエーション集~

目次
はじめに…季節はまだ大丈夫だよと伝える合図になる
お正月、節分、ひな祭り、花見、土用の丑の日、お月見、冬至……。1つ1つの行事は昔から当たり前のようにやってきたものですが、年を重ねてくると意味が少し変わってきます。
誰もが、若い頃は参加するイベントでした。「今年はどこ行く?」「何を食べようか?」と楽しむ日でしたよね。でも、ご両親や身近な人が年齢を重ねてくると、同じ行事が少し切なく見えることがあります。「もう外に出て花を見に行けないかもしれない」「来年は一緒に出来るのかな」。そう思って、胸がギュッとすることはありませんか。
そんな気持ちはとても自然なものです。あなたが冷たいわけでも、弱いわけでもありません。むしろそれは、ちゃんと相手のことを大切に見ているから出てくる感情です。
ただ、ここで1つ知っておいてほしいことがあります。
今回の記事で季節を味わうことは、「昔みたいに元気に戻そう」と頑張るためだけのものではありません。もっと静かな役割があります。
それは「今、ここを一緒に生きているね」と伝えるための合図になるということです。
例えば、テーブルの上に小さな桃色の花を置く。
お味噌汁に菜の花の色をひとかけら入れる。
カレンダーに「立春」「夏至」「中秋の名月」と小さく書き込んで、今日がどんな日か声に出してみる。
それだけで部屋の空気が変わります。大げさなイベントをしなくても、「春が来たね」「暑さが本番だね」「今年の月も綺麗だね」と会話が生まれます。これは、体が弱くなっても、外に出にくくなっても、まだ世界と繋がっているという安心をそっと渡す時間になります。
どうしても高齢になると、日と季節の区切りが曖昧になりやすい方もいます。「今日は何月?」「もう冬だっけ?」という言葉が出ることもあります。そんな時、部屋の中に季節の印があると、「今は春」「今はお月見の頃」と、やさしく確かめ合えます。それはそのまま、心の落ち着きにも繋がります。知らない場所に置き去りにされた感じを減らしてくれるからです。
そして、これは支える側のあなたにも大切なことです。
介護や見守りは、どうしても「できなくなったこと」に目が行きがちです。「歩けなくなってきた」「食べる量が減ってきた」「お風呂に入るのを嫌がるようになった」。そういう変化を気にし続けていると、毎日が辛い点検の繰り返しみたいになってしまいます。
けれど、季節をそっと置くというのは、「今一緒に楽しめること」を見つける行為です。何かが失われていくことではなく、まだ残っている楽しみを確認する行為です。これは心を支える方向に働きます。あなたが自分を責め過ぎないようにする力にもなります。
この案内では、「季節や行事をムリに盛り上げる方法」ではなく、「日常のまま、負担少なく楽しみに変える工夫」をまとめていきます。
飾り、色、言葉、ちょっとした味、手を動かす時間。どれもお金や大きな準備がいらないものを中心にしていきます。
第1章では、部屋の飾り方や「この家は今何の季節ですよ」とやさしく伝える設えのコツをお話します。特別なセンスは必要ありません。例えば折り紙1つでも十分です。
第2章では、旬の味や行事ご飯についてふれます。ご馳走を何品も並べる必要はありません。ほんの一口で「春が来たね」「今日は十五夜だね」と言える工夫をご紹介します。
第3章では、一緒に楽しめる小さなレクリエーションをまとめます。作品の完成度ではなく、「指を動かした」「声を出して笑った」「今年もこの話をした」という事実そのものに価値がある、という考え方でお話します。
第4章では、季節の行事が「希望」になることもあれば、逆に「プレッシャー」になることもある、という心の部分について触れます。「来年も」ではなく「今年もここまで来たね」という伝え方が、どれだけやさしいかを一緒に言葉にしていきます。
最後のまとめでは、「季節を楽しむことは、昔を取り戻すことではなく、今を祝うことなんだ」という視点を、もう一度丁寧に整理します。あなたと大切な人が、今年の1日を安心して受け取れるように。
もちろん慌てなくて大丈夫です。全部やらなくて大丈夫です。
まずは、今の季節を1つだけ、テーブルの上に置いてみるところから始めましょう。
第1章…飾りと設えで今は何の季節かをお部屋にそっと伝える
年を重ねると、外に出る機会が少しずつ減ります。買い物に行く回数が減る。散歩の距離が短くなる。デイサービスや病院には行けても、公園やお祭りにはもう行かなくなった、という方も多いです。そうなると、「季節を肌で感じるチャンス」も小さくなります。
すると、1年の流れが掴みにくくなってくることがあります。「今は春? もう夏?」と、フッと分からなくなる。これは、物忘れのある無しにかかわらず、誰にでも起きることです。毎日が同じ部屋、同じ景色、同じ色だと、時間の変化を掴む手がかりが少ないからです。
この章では、家の中やお部屋の中に「今、どの季節を生きているのか」をやさしく知らせる印を置く方法をお話します。大袈裟な飾り付けパーティーではありません。負担もお金もかけずに、「今ね、こういう時期なんだよ」を伝えるための、小さな設えです。
この設えには、三つの大事な意味があります。
1、本人に「今どんな季節か」を思い出してもらえる。
2、家族の会話の切っ掛けになる。
3、まだ一緒に一年を捲っているとお互いが実感できる。
この「一緒に季節を捲れている」は、心の安心にすごく効きます。ご本人のプライドに合わせて「まだ大丈夫なんだな」と本人も思ってもらえるし、「ちゃんと一緒にいられてる」と支える側も感じられるからです。
では、どんなものを置くとよいでしょうか。
壁やテーブルの小さな季節カード~派手なお飾りじゃなくていい
季節を伝えるのに、立派なタペストリーや花を大量に買ってくる必要はありません。むしろ、あまりに立派過ぎると「特別な日だからちゃんと元気でいなきゃ」というプレッシャーになることがあります。
まずは「季節カード」を1枚置く、くらいで十分です。
例えば、画用紙や色紙に「春分」「立夏」「お月見」「冬至」などの言葉と、その季節を感じる1色だけを組み合わせるイメージです。ピンクや菜の花の黄色、夏なら水色と白、秋なら赤から金色、冬なら温かい生成りやこげ茶など。色は、難しく考えなくて大丈夫。家にある折り紙や包装紙をちぎって貼るだけでもいいんです。
このカードをテーブルの端や目につく棚に立てかけて置くだけで、「今日はこういう時期なんだな」と意識できます。声に出して読み上げれば、そのまま会話のタネになります。
「今日はね、『小暑(しょうしょ)』っていって、夏が本格的になる入り口なんだって」
「今は『白露(はくろ)』っていって、朝に草の上に白い雫が付く頃なんだよ」
こんな何気ない一言が、「今この時期を一緒に過ごしている」という共有感になるのです。
ここで大事なのは、カードを見せながら説明するのではなく、おしゃべりすること。「今日はこういう日なんだってさ」と、フワッと投げるだけで十分です。クイズのように問い掛けたり、「覚えてる?」「わかる?」と試すような言い方は、相手を疲れさせてしまうことがあります。そうではなく、同じ景色を今横並びで眺める感じで伝えてあげてください。
テーブルの花と小物~立派さよりも今の色~
お花や小物も、やさしく季節を伝える力があります。といっても、立派な生花でないといけないわけではありません。たとえば春なら淡いピンクの造花を1本グラスに入れるだけでも、「春らしさ」はちゃんと伝わります。夏なら、ガラスの小さな器と白い貝がら。秋なら、赤と金色を含んだ葉っぱモチーフのオーナメント。冬なら、少し毛糸っぽい温もりのある飾り。
この「色と素材の入れ替え」には二つの意味があります。
1つは、本人にとって「今はどんな空気か」を分かりやすくすること。
もう1つは、家族にとって「毎月いきなり全部は無理でも、ここだけ変えればいい」という目印になることです。
季節を丸ごと用意しようとすると、どんどん義務になります。ですが「テーブルの小物の色だけ変える」というやり方だと、頑張り過ぎなくて済みます。無理なく続けやすい季節の印は、安心の印にもなります。
また、飾りを置く時には、是非一言添えてあげてください。
「この色、あなた好きだよねと思って持ってきたよ」
「今日はこれ置いていくね。また後で片付けるからね」
ここで大事になるのは、押しつけないことと、置きっぱなしにしない安心を伝えてあげることです。年を重ねると、物が増えること自体がストレスになる方もいます。「散らかった」「管理できない」と感じてしまうからです。だから「ちょっと置いていくね」「片付けも後でやるからね」と伝えると、受け入れやすくなります。
カレンダーの今日は〇〇の日というメモは会話の火種になる
壁のカレンダーやホワイトボードがあるなら、そこに小さく「今日は節分」「今日は冬至」「今日は敬老の日」などと書いておくのも、とても良い設えになります。
これは、ただ予定を書くのとは少し違います。「今何のタイミングの中に私たちはいるのか」を、目で分かる形にすることだからです。
このメモは、普段は話しづらいことをやさしく話す入口にもなります。
例えば「敬老の日」と書いておけば、面と向かって「長生きしてね」と言うのが照れくさい時でも、「今日はこういう日なんだよ。あなたのこと、大事に思ってる日なんだよ」とそっと伝えられます。大事な人のプライドを守りつつ、感謝やねぎらいを渡せるきっかけになります。
また、「冬至」と書いてあれば、「今日は柚子のお風呂に入る日だったんだよね」「かぼちゃ食べるといいって、昔おばあちゃんが言ってたよね」と、思い出話に自然と繋がります。思い出話は、記憶をテストするための問いではなく、安心するための毛布です。「あの頃、あなたはこうだったよね」と言葉にしてもらうと、自分がちゃんと“その人らしい歴史を持つ人間だ”と感じられるからです。
「行事の飾りつけ=元気の証明」にはしなくていい
ここで1つ、とても大切なことをお伝えします。
季節の飾りや行事の小物は、時々「まだこういうことが出来る=まだ元気」という物差しにされてしまうことがあります。例えば「ツリーぐらい出しなよ」「ひな人形ぐらい飾らなきゃ」、そんな風に言われると、本人はとても苦しくなります。出来ないと「もう私はダメなんだ」と感じてしまうからです。
私たちがやりたいのは、その逆です。
「ほら、今年も春が来たね」
「今日、こういう色を一緒に見られたね」
「この香り、好きだったよね」
それで十分なんです。これは“元気かどうかのテスト”ではありません。“今一緒にここにいるよ”というサインです。
そのサインが部屋のどこかにあるだけで、人は安心します。安心した人は、表情や声のトーンが少し緩みます。緩んだ表情や声は、支える側にも返ってきます。つまり、設えは心の往復線になります。
第1章では、季節をお部屋にそっと持ち込むというお話をしました。ポイントは「派手にやらない」「押しつけない」「今を一緒に確認する」という3つだけです。
次の第2章では、食べ物や行事の味をどうやって安心の形で届けるかをまとめます。「ご馳走を丸ごと再現する」のではなく、「一口だけ季節を感じてもらう」という発想に変えると、グッとラクになります。
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第2章…旬の味と行事ご飯はイベントじゃなく安心のルーティンでいい
季節の食べ物って、「ちゃんと用意しなきゃ」「特別な日だからがんばらなきゃ」という気持ちと、すごく結び付きやすいですよね。お正月ならおせち、節分なら豆まき、桃の節句なら菱餅、夏なら鰻、十五夜ならお団子、冬至ならかぼちゃとゆず湯……。どれも昔から大切にされてきたものです。
でも、年齢を重ねたご家族にとって、その全部を毎回揃えることは、時に負担になります。食べづらい、量が多すぎる、味が濃い、喉に詰まりそう、といった心配が出てきます。そして支える側も、「これだけ準備するのは正直きつい」と感じることがあります。
ここで覚えておいて欲しいことがあります。
行事ご飯は、「昔の元気だった頃の再現大会」をする義務ではありません。
ほんのひと口、「ああ、季節が来たね」と感じられる物を一緒に味わえれば、それで十分なんです。
その一口は、栄養だけではなく「今年もここまで来たね」という合図になります。家族にとっては、季節を“今も共有している”という証拠にもなります。これは心の支えになります。
この章では、季節の味を「頑張る行事」ではなく「やさしいルーティン」に変える考え方を、いくつかの例と一緒にお話します。
行事の味はフルコースじゃなくて「ワンポイント」でいい
行事の日というと、つい全部を揃えようとしてしまいます。例えばおせちなら重箱いっぱい、桃の節句ならちらし寿司やはまぐりのお吸い物など、いろいろ浮かびますよね。でも、今一番必要なのは「形の完璧さ」ではなく「今の体で安心して食べられること」です。
おすすめは、行事の“象徴”だけを小さく取り入れるやり方です。
・節分なら、固い豆をたくさん食べる必要はありません。喉に残りにくいやわらかい甘煮の豆を2~3粒、一緒に味わうだけでも「今年も節分だね」と感じられます。
・ひな祭りなら、立派な菱餅を丸ごと並べなくても、春らしい色(白・桃色・若草色)が入ったやわらかいゼリーやプリンを一口だけでもいいんです。「今日は桃の節句だから、春っぽい色を持ってきたよ」と添えて渡すだけで、行事の意味がその人の前にそっと届きます。
・十五夜なら、お団子を山ほど並べる必要はありません。白くて丸いものを1つ、「真ん丸のお月さまの形だよ」と見せたり、一緒に半分こするだけでも充分です。
ここで大切なのは、「ほら食べなさい」と押しつけないことです。「これはあの行事の味なんだよ、ちょっと一緒に味見しようか」と誘うくらいで十分なんです。食べ切れなかったとしても、それは失敗ではありません。味わおうとした、その時間そのものが目的だからです。
旬の食材は体に良いからというよりも季節が来た合図だよと渡す
「旬の物は体にいいから食べて」と言いたくなることもあります。もちろんそれ自体は間違いではありません。でも、時々それはプレッシャーに聞こえてしまいます。「食べなきゃいけないのに食べられない私はもうダメなんだ」と、ご本人が感じてしまうこともあるからです。
そこで、言い方を少し変えてみます。
「これ、この時期になると毎年美味しくなるんだって。あなた好きな味かなと思って」
「今日のお味噌汁ね、菜の花をちょっと入れてみたよ。春が来ましたって味だよ」
この渡し方は「まだあなたと季節を一緒に楽しみたい」という気持ちを伝えます。食べることを義務にするのではなく、一緒に味わう小さな時間として差し出す形です。
例えば春なら菜の花やいちご、夏ならとうもろこしやトマト、秋ならさつまいもやきのこ、冬ならかぼちゃやゆずの香り。高価なものや珍しいものを探す必要はなく、スーパーで手に入るもので十分です。
大事なのは「この香り、夏っぽいね」「この色、春っぽいね」と、季節のイメージも同時に分け合うことです。香りや色は、味よりも先に心に届きます。噛む力や飲み込む力が落ちてきた方にも、やさしく届く要素です。
量を“祝う”より、安心して口にできるかをいちばんに考える
家族はつい、「たくさん食べてほしい」「昔みたいにモリモリ食べてほしい」と思ってしまいますよね。その気持ちはとてもよく分かります。でも、量を前提にしてしまうと、相手は「こんなに食べられない自分は迷惑かな」と感じてしまうことがあります。
ここで一番、お勧めなのは、あえて最初から“とても少ない量”で出すことです。ちょっと上品すぎるくらいでいいんです。「もうちょっと欲しい?」と聞かれて「うん」と答える方が、気持ちがラクだからです。逆に、山盛りを前にして「ごめんね、ちょっとしか食べられない」と言わせてしまうのは、プライドをふっと傷つけることがあります。
少量で出すもう1つの良い点は、咽込みやすい食材・固い食材・脂が重い料理などを、こちらの側でコントロールしやすいこと。例えばウナギのようなこってりしたものは、丸ごと一尾ではなく、やわらかい部分をほぐして小鉢にして「今日はこの味だよ」と置く。それだけで、土用のうなぎの話題はちゃんと成立します。普段の食事と同じペースで食べられるなら、それはもう立派な“行事ご飯”です。
「ちゃんとした料理」を用意することより、「その人が安心して飲み込める状態であること」を優先していいんです。安心して食べてもらえる形にすること自体が、その人を大切にしている証明です。
「今年もここまで来たね」という声かけは、祝福そのものになる
もう1つ、食べものと同じくらい大切なのが、言葉です。
つい行事の日は、「また来年も頑張ろうね」「来年も一緒に食べようね」と言ってしまいがちです。もちろん、その言葉にやさしさがあることは間違いありません。ただ、体の変化を自分でも感じている人にとっては、「来年も」という約束が心の負担になることもあります。
そこで、お勧めしたい言葉は「今年もここまで来たね」です。
「冬至だね。今年もあったかいお風呂に入れるね」
「お月見だよ。こうやって一緒に丸いの食べられるの、うれしいね」
「お正月の味、ちょっとだけど口に入ったね。今年も一緒にあけられたね」
これは未来の約束ではなく、“今ここ”を祝う言い方です。未来を押し付けない分、受けとる側も素直に頷きやすいのです。そして、支える側のあなたにとっても、この言葉は救いになります。「来年どうするんだろう」と先の不安ばかりを抱えず、「今日ここまで来られた」という喜びをちゃんと感じることができます。
「今を一緒に祝う」という空気は、ご飯そのものをやさしくします。食べることが、「生存のための作業」でも「頑張りのテスト」でもなく、「今を分け合う儀式」になるからです。
第2章では、季節の味や行事ご飯を「豪華なイベント」ではなく「安心できる日常の印」に変える考え方をお話しました。
大事なのは、立派な膳ではありません。
・一口でいいこと
・この時期らしい色や香りを一緒に感じること
・「今年もここまで来たね」と声を添えてあげること
次の第3章では、食べること以外にも「一緒に楽しめる時間」をどう作るかについてまとめます。折り紙や季節カード作りのような、極小さな手仕事や会話の時間が、どれくらい心の支えになるのかをお話しします。
▼詳しく読む
□ 麦とろの日に想い出の味をもう一度!〜四色丼で届ける“あの頃の一膳”〜
□ その一口にドラマがある!味わう自由と介護の現場で失われた“主権”の話
第3章…一緒に楽しめる小さなレクリエーション~指先と会話がゆっくり動きつづける時間~
季節を感じるのは、見て・食べて、だけではありません。一緒に「手を動かす」「声を出す」「思い出を口にする」という時間も、すごく大切です。ここでいうレクリエーションは、賑やかな催し物や大きなゲーム大会ではありません。静かに、安心して、無理のない形で「今この季節を一緒に味わう時間」を作ることです。
どうしても年齢を重ねると、日々が「してもらう側」に寄りがちになります。食事もお薬も入浴も、周りが用意してくれることが増える。すると「自分は手を出す側ではなく、受け取ることしか出来ないのかな」と感じてしまうことがあります。この気持ちはとても重たいものです。誇りや自信にそのまま繋がってしまうからです。
だからこそ「一緒にやる」「自分も参加している」という時間は、心の支えになります。「私もまだここにいる」「私もまだ役割を持っている」という感覚を、そっと守ってくれます。ここでは、季節をテーマにした、負担の少ない楽しみ方をいくつかご紹介します。
折り紙・貼り絵・季節カード作り~上手い下手より一緒にが一番大事
春なら桜や菜の花、夏なら朝顔や金魚、秋なら紅葉、冬なら雪だるまやゆず。折り紙や色紙をちぎって貼ったり、予め用意した形のパーツを台紙にペタッと貼ったりするだけでも、立派な「季節の印」になります。
この時、作品の完成度はあまり気にしなくて大丈夫です。大切なのは、その場で「この色綺麗だね」「これどこに貼ろうか」と相談する、その会話そのものです。どこに貼るか選ぶ、台紙を持つ、指先で紙を押さえる。こういう小さな動きには意味があります。指を使うことは、力が落ちてくる手や腕の維持にも繋がりますし、頭の中で「どこに置こうかな」と考えること自体が、緩やかな刺激になります。
また、「この色あなたが好きそうだと思ったから持ってきたよ」と伝えることは、ただの手芸時間を「あなたのことをちゃんと覚えているよ」というメッセージに変えてくれます。季節を一緒に作るというよりも「あなたと一緒に今日はこの色を選びたいんだよ」という気持ちのやりとりなんです。
作品は後で壁やテーブルに飾っても良いですし、カレンダーの傍に貼って「これは〇月の思い出」と見えるようにしても良いです。「この桜、あなたと一緒に作ったやつなんだよ」と後から声をかけると、ご本人の中で「私はまだ何かを作れている」という自信が残ります。これは年齢よりずっと大きな力になります。
行事の歌や季節の歌を口に出す~声に出すことは呼吸を整える時間でもある
歌はとても扱いやすい季節の合図です。特に昔から口ずさんでいた歌は、体の奥のほうから自然に出てくることがあります。春なら桜や花に纏わる歌、夏ならお祭りや花火の歌、秋なら月や虫の声を歌う歌、冬ならお正月や雪の歌など。どれも難しい歌詞を思い出さなくても、サビの一部分だけで十分です。
歌を一緒に口にする時間は、「呼吸を落ち着かせる時間」にもなります。ゆっくり息を吸って、ゆっくり声を出す。これは体のリズムを整える上でも役に立ちます。強い運動ではないけれど、体をほぐす効果がちゃんとあります。
そしてもう1つ大きいのは、歌には上下関係がないということです。食事やトイレの見守りは、どうしても介助する人とされる人、という形が出てしまいます。でも歌は、そうではありません。横に並んで同じ方向を見て、同じ音を出すだけ。だからこそ「まだ自分は対等にここにいる」という気持ちにやさしく触れることができます。
歌う時に「覚えてる?」と試すように言う必要はありません。「この歌、あなたが好きだったやつだよね」「夏になるとこれ口ずさんでたよね」と、ただ思い出を並べるだけで十分です。その一言で、相手の人生そのものが肯定されます。
思い出話は『問い詰め』ではなく『温め直し』にする
レクリエーションというと、よく「これは何年の出来事でしょう?」とか「この写真の人は誰でしょう?」というクイズの形が使われることがあります。もちろん楽しめる方もいますが、人によってはこれは辛い時間になってしまうこともあります。何故なら「覚えていない=出来ていない」と感じさせてしまうからです。
そこで、少し方向を変えてみましょう。問い詰めるのではなく、こちらから“贈る”形の思い出話です。
「あなた、〇月はいつもこういう色の服を着てたよね。明るい色が似合ってたよ」
「夏になると、よくかき氷食べに連れてってくれたじゃない。あれ嬉しかったんだよ」
「冬のこの匂い、ストーブの横でみかん食べてた時の感じに似てない?」
こうしてこちらから「覚えてるよ」を渡すと、相手は安心します。安心すると、ぽつりぽつりと自分の言葉が出てくることがあります。それがもし昔話でも、少し事実と違っていても、そこで訂正する必要はありません。大切なのは正確さではなく、その人が「私はちゃんと生きてきた」という感覚を手に取り直せることです。
思い出話をしている間は、時間の流れが“今この瞬間の体調”から少し離れます。痛みや不安でいっぱいの今から半歩離れて、「あの頃の自分はちゃんといた」という場所に移動できるんです。これは、とてもやさしい避難所になります。
その場にいるだけでも参加して見る役にも役割がある
手を動かしたり、声を出したりすることさえ、その日はしんどい場合もあります。体調がすぐれない日、眠気が強い日、気持ちが沈んでいる日。そういう日は、「今日は見てるだけでもいい?」という申し出があるかもしれません。
この「見てるだけでいい?」には、ちゃんと応えてあげてください。「もちろん。見てて、ここに居てくれるのが一番嬉しいよ」と伝えて大丈夫です。
何故なら、“見る役”は本当に役目です。そこに居てくれるから、こちらも折り紙を折ろうという気持ちになる。「あなたと一緒にやってる」という空気が生まれる。本人も「私はまだこの場の一員だ」と感じられる。それは立派な参加です。
つい、「せっかく来たから何かやろうよ」「ほら、ちょっとでも手を動かそう?」と言いたくなることがあります。でも、それがかえって負担になる日もあるんです。大事なのは、毎回100点の参加を目指さないこと。「今日はここにいてくれたからうれしい」で本当に十分です。
うまく出来たかどうかよりも今年も一緒にこの季節を迎えたことを大事にする
レクリエーションというと、どうしても「作品を完成させること」が目標に見えやすいですよね。でも、私たちが本当に守りたいのはそこではありません。
守りたいのは、「今年もあなたとこの季節を迎えたよ」という事実です。
桜色の紙を千切って貼った。朝顔の形を一緒に並べた。秋の葉っぱ色を選んだ。冬の温かい毛糸に触れた。こうした小さな体験こそが、その人の1年の証拠になります。「また今年も、ここまで来たんだね」という、丁寧な確認になります。
その瞬間、支える側のあなたも少し救われるはずです。
「ちゃんとしてあげられていない」と責め続けるよりも、「今年の秋も一緒に紅葉の色を並べられた」と思える方が、心は静かに持ちこたえやすいからです。
第3章では、季節のレクリエーションを「賑やかに盛り上げる場」ではなく、「一緒に季節を触る静かな時間」として考えました。手を動かすこと、声を出すこと、思い出を温め直すこと。それぞれが、本人の自尊心と、あなたの心の余裕を守ります。
次の第4章では、季節や行事が心に与えるもう少し深い部分──「希望になること」と「プレッシャーになること」──についてお話しします。「来年も」という言葉が辛い日には、どう言い替えればいいのか。そのやさしい伝え方をまとめていきます。
▼詳しく読む
□ 鳴らぬなら笑わせてみよう風鈴を!〜音よりオチが鳴り響く真夏の芸術祭〜
□ リモコンひとつで食堂がロックフェス?~50代の青春ソングが施設を揺らす日~
第4章…季節の行事は希望にもなって時にプレッシャーにもなる
季節や行事は、本来温かいものです。例えば桜の時期に「綺麗だね」と言い合うこと。お月見の日に「真ん丸だね」と一緒に空を見上げること。冬至に温かい湯気の話をすること。どれも本当はやさしい時間です。
でも、ある段階から、それが少し辛く感じられることがあります。
「また来年もお花見したいね」という言葉が、嬉しいはずなのに胸を刺す。
「来年のお正月も一緒だよ」と笑顔で言われて、俯いてしまう。
「ほら、お雛様を出そうよ」と言われて、何故か申し訳ない気持ちになる。
これは弱いからではありません。むしろとても自然な反応です。
この章では、その「嬉しいのに、ちょっと痛い」という気持ちをゆっくりと言葉にしながら、どうすれば負担ではなく安心として季節を渡せるのかを考えていきます。
「来年も」の約束が相手を追いつめることがある
つい言ってしまう言葉があります。「また来年も一緒にやろうね」。これは本当にやさしい言葉です。まだ一緒にいたい、あなたにいて欲しいという、真っ直ぐな気持ちです。
ただ、この言葉は、時に重く聞こえてしまうことがあります。
年齢を重ねて体力が落ちてきた方は、自分の変化にとても敏感です。階段が少し怖い。長い時間イスに座っていると腰が痛い。食べられる量が半分になった。夜に何度も目が覚める。そういった小さな変化は、本人が一番よく分かっています。
だから「来年も」と言われると、「来年まで元気でいなきゃ」「迷惑をかけずに過ごさなきゃ」という重たい宿題のように聞こえてしまうことがあるのです。「期待に応えられなかったら、がっかりさせるかもしれない」。そんな風に受け止めてしまうことがあります。
これは、「弱気で悲観的になっている」からではありません。大切な人をがっかりさせたくない、という思いやりから生まれる反応でもあります。
では、どう言い換えればいいのでしょうか。
おすすめは、「今年もここまで来たね」という声かけです。
「今年もお月見まで一緒に来られたね」
「今年も年越しを迎えられたね」
「この色、今年もあなたに似合うね」
この言い方は、“今”だけを祝っています。未来の約束を押し付けないので、受け取る側も素直に頷きやすいのです。そして、支える側のあなたにとっても、この言葉はほっと息がつける言葉になります。先のことばかり考えて不安に飲み込まれそうになった心が、「今一緒にいる」という事実に戻ってこられるからです。
イベントをやらない選択も立派なお祝いになる
行事というと、「ちゃんとやらなきゃいけない」「一式揃えなきゃいけない」と思ってしまうことがあります。年末年始はそれが特に強いですよね。飾りや料理や挨拶など、あれもこれもと頭の中に並んでしまう。
でも、体がきつい時期や、気持ちが沈んでいる時期には、「今年は大きいことはしない」という判断そのものが、家族にとっての優しさになることがあります。
例えば、お雛様を全部飾る代わりに、桃色の小さな花だけテーブルに置いて「今日は桃の節句だよ、可愛い色でしょ」と声をかける。そのくらいで良い年もあります。十五夜にお団子を山にしないで、丸い白いものを1つだけ見せて「お月様、今日真ん丸だね」と言うだけでも、ちゃんと行事はそこに来ています。
これは「手を抜く」ではありません。「今の体と心に合った形に整えている」だけです。
大事なのは、行事そのものよりも、「あなたのことを大切に思って今日この話をしに来たよ」という気持ちを渡すことです。大変な準備をしないと、愛していないことになるわけではありません。むしろ、負担を軽くする形で届けようとすることこそ、やわらかい愛の渡し方です。
『まだこんなこともできるよね?』は、励ましではなくテストに聞こえることがある
つい励まそうとして、こんなふうに言ってしまうことがあります。
「せっかくだから飾りつけもしようよ」
「歩いて外の花をちょっと見にいこうよ、まだ行けるでしょ?」
「これくらいなら食べられるよね?」
言っている側は「元気づけたい」「気持ちを明るくしたい」という思いで声をかけています。けれど、受け取る側には「私はまだ大丈夫だと証明しないといけないのかな」と聞こえることがあります。
特に体力が落ちてきた時期や、気持ちが揺れている時期には、「出来ない」と言うこと自体が辛いんです。「無理」と言った瞬間に、自分の弱さを突きつけられたように感じるからです。
そこで、言い方をほんの少し変えてあげてください。
「このお花ね、持ってきたからここに一緒に置いていい?」
「この後、一緒に窓から外みない? 桜の色がちょっと映ってるんだよ」
「これ、ひと口だけ味見してみない? 春の味らしいよ」
これなら、テストではありません。お願いでもありません。「私はあなたとこの季節を今分け合いたい」という、同じ方向を向いた誘いになります。相手は「出来なかったらごめん」と身構えずに、その場にいてくれやすくなります。
ご家族のなかに生まれる罪悪感も、ゆっくりほどいていい
季節や行事のタイミングは、支える側の心にも揺れを起こします。「本当はもっと連れて行ってあげたほうがいいのかな」「ちゃんとお祝いしてあげられていないのかな」という自責の気持ちが湧いてくることがあります。
でも、ここで一度立ち止まって欲しいことがあります。
あなたは、もう十分やっています。時間を作って会いに行って、声を掛けて、季節を持って行って、話を聞いて、様子を見てくれている。その一連の行動は、小さなことに見えるかもしれませんが、実はとんでもなく大きいです。だって、誰かを「一人にしない」という行動そのものだからです。
行事を完璧にすることより、「今日はここまで一緒にいられた」という事実を、自分でちゃんと認めてあげてください。それは弱さではなく、続いていくための呼吸です。
もし「今年はここまででお終いにしよう」と決めたとしても、それは手抜きではありません。「今の私たちに合った形で季節を迎えられた」という、とても成熟した判断です。むしろ、長く寄り添っていくためには、この“引きどころ”を丁寧に決める力が欠かせません。
「今年もここまで来たね」は、実は家族自身の心も守ってくれる
季節の区切りは、「どこまで辿りつけたか」を確認するタイミングでもあります。「今年もここまで来たね」という言葉は、相手だけではなく、あなた自身にも向けていい言葉です。
親や大切な人の変化に付きそうのは、想像以上にエネルギーを使います。気を張る日もあれば、涙が出る日もある。うまく笑えない日もある。それでも季節は進んで、気付けば春が来て、夏が来て、秋が深まって、冬の湯気に手を当てるところまで来る。
それは、あなたが途中で投げ出さずに、ちゃんと一緒に歩いてきた証拠です。
この時間は“お世話の時間”ではなくて、普通に同じ季節を味わっている時間なんです。
だからこそ、季節は「あなたも、ここまでよく来たね」という合図でもあるのです。これは自惚れではありません。むしろ、これを言わないと心が擦り減ってしまう。支える側が折れてしまったら、誰も安心できません。だから、自分にも同じ言葉を返してあげてください。
――
第4章では、季節の行事が「希望」として光になることもあれば、「プレッシャー」として重く感じられることもある、という心の揺れを見てきました。
・「来年も」より「今年もここまで来たね」
・完璧なイベントじゃなくて「今日はこの色を一緒に見るだけ」
・やらない選択も、ちゃんとお祝いの形
・それを決めるあなたも、ちゃんと頑張っている人
次のまとめでは、この全部を繋げて「じゃあ私たちは今日、何をすればいいの?」というところを一緒に整理します。大げさなことはいりません。たった1つの小さな季節の印から、安心はちゃんと始められます。
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ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
この案内のテーマは、とてもシンプルです。季節を楽しむことは、大掛かりなイベントでも、立派なご馳走でも、全部やり切る完ぺきな準備でもなくて、「今、あなたと私はここに一緒にいるよ」という気持ちを小さく形にすることなんだ、というお話でした。
第1章では、お部屋の設えについてふれました。
テーブルの色を季節に合わせて変える、小さな花を一輪グラスにさす、二十四節気のひと言メモをそっと立てかける。これだけで、「今は春なんだね」「今日はお月見なんだね」という空気を、お部屋の中に持ってくることができます。
それは「まだ一緒に季節を迎えられているね」という安心の合図になります。大きな飾りつけをしなくても、たった一枚のカードでも十分、ということでした。
第2章では、行事の味や旬の食べ物をどう渡すかを考えました。
節分のお豆全部じゃなくてもいい。お正月の重箱を丸ごと用意しなくてもいい。ひな祭りなら春らしい色のやわらかいデザートをひと口一緒に味わうだけでも、「今日は特別な日だよ」と伝わります。
大切なのは「いっぱい食べてね」ではなく、「この季節の味をあなたと分けたいんだ」という気持ちの方でした。そして言葉は「来年も」より「今年もここまで来たね」。未来を約束させない優しさは、相手の心も、支えるあなたの心もラクにします。
第3章では、一緒に楽しむ時間の作り方をお話ししました。
折り紙を千切って貼る。季節の色を選ぶ。昔から口ずさんできた歌を少しだけ一緒に声に出す。作品の出来映えや声の大きさより、「あなたと今同じ季節に触っている」「私はまだこの場に参加している」と感じられることの方が大切でしたよね。
ここで特に大事なのは、“見るだけ”でも参加になるという考え方でした。「今日はここにいてくれるだけでうれしいよ」は本当に魔法の言葉です。参加の形を、無理に1つに決めなくていいんです。
第4章では、行事や季節のイベントそのものが、時に心の負担になることもある、という話をしました。
「また来年も一緒にやろうね」という言葉が、時に宿題みたいに重く響くことがある。だからこそ「今年もここまで一緒に来られたね」と“今”を祝う言い方が、とても優しいこと。
それから、行事を「今年は大きくやらない」と決めることも、立派な愛情表現だということ。負担を軽くする形を選ぶことは、サボリではなく、相手を大切に思っているからこその調整なんです。
そして、忘れてほしくない大切な点がもう1つあります。
季節を分け合うという行為は、あなた自身の心を守るためのものでもある、ということです。
家族を支える立場の人は、どうしても「もっとやってあげられたはずだ」と自分を責めがちです。行事と聞くと、「私、ちゃんと出来てないかも」という不安が顔を出します。
でも、季節はテストではありません。
あなたが「今日はこの色の花を一緒に見た」「今日は一口だけ春の味をわけ合えた」「今日は歌を半分いっしょに口ずさめた」と思えるなら、それはもう十分に“今を祝った”ことになります。
大切なのは、今日できたことを小さく決めてあげることです。
そして「今日はここまででいい」と自分に言ってあげることです。
・テーブルの上に、いまの季節の色をそっと置いてあげる日。
・行事の味をひと口だけ一緒に味わう日。
・昔から好きだった歌を一緒に口ずさむ日。
・「今年もここまで来たね」と静かに伝える日。
そのどれか1つだけで、もう十分です。
全部やろうとしなくていいんです。むしろ、全部やろうとすると、あなたの心が擦り減ってしまいます。あなたが擦り減ってしまうと、相手も不安になります。だから、「今日はこれだけ」の優しい区切りは、二人の安心そのものです。
そして、忘れないでください。
あなたは“義務感だけで動いている人”ではありません。
ちゃんと「一緒に季節を味わわせたい」「この人と今年もここまで来られたって伝えたい」と思って、その場に立っている人です。
その気持ちは、もう充分に温かい力です。
どうか、自分にも言ってあげてください。
「今年も、ここまで来たね。よくやってるよ」
その言葉は、あなた自身の灯りになります。
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あなたと大切な人の1年が、慌てず、比べず、静かに「今一緒だね」と確かめ合える時間でありますように。
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