5月23日は難病の日~出来ないことを数えずに暮らしの選択肢を育てる日~

[ 季節と行事 ]

はじめに…元気そうに見える日の向こう側

朝、いつものように起きて、服を着て、家を出る。笑顔で挨拶をして、買い物をして、仕事をする。外から見れば、ごく普通の1日に見えるかもしれません。

けれど、その人の体の中で何が起きているかまでは、なかなか見えません。痛みや疲れ、痺れ、息苦しさなどを抱えながら、何でもない顔で1日を過ごしている人もいます。人の体調は千差万別。「元気そう」というひと言だけでは分からない世界があります。

5月23日は「難病の日」です。難病という言葉には重たい響きがありますが、この日は病気だけを見つめる日ではありません。その人が何を楽しみ、誰と暮らし、どんな毎日を送りたいのか。そんな生活そのものに目を向けるキッカケにも出来ます。

見た目が元気そうだと、「今日は大丈夫そうだね」と言いたくなることがあります。悪気はなくても、体調計が額にデジタル表示されているわけではありません。あったら便利ですけどね。「本日62%、午後から省エネ運転」と出れば、周囲も随分と分かりやすそうです。

現実には、本人の言葉を聞き、その日の調子を確かめながら付き合っていくしかありません。それは特別扱いではなく、人と人とのごく自然な相互理解でもあります。

病気によって人生の選択肢まで先回りして減らすのではなく、その人が望む暮らしをどう続けられるかを一緒に考えることが大切です。

治療を受けることも、休むことも、働くことも、遊ぶことも、大切な誰かと笑うことも、その人の暮らしの一部です。5月23日を、難しい病名を覚える日だけで終わらせず、「知らない誰かの事情を少し想像してみる日」に出来たなら、いつもの社会もほんの少し優しい景色に変わっていくのではないでしょうか。

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第1章…5月23日「難病の日」から始まる知るという支援

5月23日と聞いて、すぐに「難病の日」と思い浮かぶ人は、まだそれほど多くないでしょう。カレンダーを眺めていても、祝日のように色が変わっているわけではありません。それでも、この1日は、私たちが普段なかなか気づけない暮らしへ目を向ける大切なきっかけになります。

「難病」と聞くと、治らない病気、原因が分からない病気という印象を持つかもしれません。日本には「指定難病」と呼ばれる病気があり、その中には現在の医学でも十分に解明されていなかったり、治療法が確立していなかったりするものがあります。

けれども、病名だけを覚えても、その人の暮らしまで分かったことにはなりません。同じ病気であっても、体調や困りごと、出来ること、必要な支えは人それぞれ。病気の名前を見た瞬間に「きっと何も出来ないだろう」と考えてしまえば、折角の相互理解も入口で止まってしまいます。

外から見れば元気そうに歩いている人が、実は痛みや激しい疲れを抱えていることもあります。反対に、難病があっても仕事を続けたり、趣味を楽しんだり、家族との時間を大切にしている人もいます。

ここが少し難しいところです。「元気そうだから大丈夫」も、「病気だから無理」も、どちらも本人に聞く前の決めつけになりかねません。人間には便利な体調ランプが付いていませんから、顔色だけ見て「本日オールグリーン!」とはいかないのです。そんな機能があれば朝の挨拶も楽ですが、残念ながら人類には未実装です。

そこで役に立つのが、ほんの少しの想像力です。「何が出来ないのだろう」より、「どんな時につらいのだろう」「どんな工夫があれば過ごしやすいのだろう」と考えてみる。知らないことを知ろうとする姿勢は、特別な資格がなくても今日から持つことが出来ます。

難病を知るということは、病名を覚えることではなく、その向こうに1人の暮らしがあると気づくことです。

「可哀相だから助ける」という一方通行ではなく、必要な時には支え、本人が出来ることは本人の力を尊重する。その距離感なら、支援する側とされる側という線も少し薄くなります。難病の日は、何か特別な行動をしなければならない日ではありません。まず1人の人として相手を見る。その小さな入口から、暮らしを支える社会は始まっていくのでしょう。


第2章…見えないつらさと暮らす人に社会はどう寄り添える?

難病と共に暮らす人への支え方は、世界中で同じ形をしているわけではありません。新しい治療に繋がる研究を進めることに力を注ぐところもあれば、体調に合わせて働き続けられる環境作りを大切にするところもあります。十分な医療を受けにくい地域では、遠隔診療(離れた場所から通信を使って診察や相談を行う仕組み)などを使い、専門的な医療へ繋がる道を広げようとする取り組みもあります。

こうして眺めてみると、必要なのは「全員に同じ支援を用意すること」ではないと気づきます。治療を待っている人もいれば、働き方を少し変えれば仕事を続けられる人もいる。通院そのものが大きな負担になる人もいますから、支援には臨機応変な発想が欠かせません。

特に見落としたくないのが、外からは分かりにくいつらさです。朝は動けても午後になると急に疲れが出る、昨日できたことが今日は難しい、長時間の移動や決まった勤務時間が負担になる。体調というものは会社の予定表ほど律義ではありません。「午後3時までは絶好調でお願いします」と予約を入れても、残念ながら受け付けてくれないのです。

そんな人に「毎日同じように働けないなら無理」と線を引くのではなく、「午前中ならどうだろう?」「自宅なら続けられるだろうか?」「休憩を増やせば出来るだろうか?」と考える余地を残す。海外にも、難病のある人が無理なく社会参加できるよう、柔軟な働き方を取り入れようとする考え方があります。

出来ないことを先に決めるより、その人が出来る条件を一緒に探す方が、暮らしの可能性はずっと広がります。

これは難病のある人だけに必要な考え方でもありません。子育て中の人、介護を担う人、怪我から回復途中の人、年齢と共に体力が変わってきた人など、誰にでも「今日はいつも通りにいかない日」はあります。難病への支援を考えて生まれた工夫が、結果として多くの人の暮らしやすさに繋がるなら、それは社会にとっても嬉しい試行錯誤でしょう。

難病のある人を特別な場所へ分けるのではなく、同じ町、同じ職場、同じ暮らしの中で過ごせる方法を増やしていく。必要な時には助けを借り、出来る時には自分の力を発揮する。そんな当たり前の行き来ができる社会なら、「支援」という言葉も少し肩の力が抜けて、もっと暮らしの近くに置けるものになりそうです。

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第3章…治療だけでは届かない「その人らしく暮らす」という願い

病気になれば、「治したい」と願うのはごく自然なことです。新しい薬や治療法が見つかることは、大きな希望になります。ただ、治療が長く続く病気や、現在の医療では完治が難しい病気と暮らす人にとって、人生の全てを「治る日までの待ち時間」にしてしまうわけにはいきません。

朝のコーヒーが美味しかった。好きな音楽を聴いたら少し気分が晴れた。友人からどうでも良い話の電話がかかってきて、気づけば笑っていた。家族と晩ご飯を食べて、「今日の味噌汁、ちょっと濃くない?」なんて言い合った。そんな何でもない時間も、その人の人生を作っています。

医療や福祉ではQOL(生活の質)という言葉が使われます。命を守ることだけではなく、本人がどのような毎日を送り、何に喜びを感じ、どんな人との繋がりを大切にしているのかまで考える視点です。難病と共に暮らす人にとっても、病気の管理と同じくらい、この生活の部分は大切にされる必要があります。資料にも、治療だけではなく、生きる実感や幸福、人との繋がりが重要だという考え方が示されています。

体調が悪ければ、予定していた外出を取りやめる日もあるでしょう。仕事を休まなければならないこともあります。それが何度か続くと、「自分は何も出来ていない」と感じてしまうかもしれません。でも、人生を会社の出勤簿みたいに丸と欠勤だけで採点したら、誰だって少々しんどくなります。夕飯を作れなかった日はあっても、家族と笑った時間まで欠席扱いにする必要はありません。

大切なのは、その人が何を望んでいるのかを置き去りにしないことです。「危ないからやめておこう」「疲れるから無理だろう」と周囲が先回りすれば、善意だったとしても本人の世界は少しずつ狭くなってしまいます。体調の良い日に出掛ける、短時間だけ仕事をする、自宅から誰かと繋がる。出来る形を探すことは、十人十色の暮らしを守る工夫でもあります。

治療する人である前に、その人は食べたいものも、会いたい人も、やってみたいこともある1人の生活者です。

この視点を持つと、支援の問いも変わります。「病気だから何を禁止するか」ではなく、「どうすれば本人の希望を安全に残せるか?」と考えられるようになります。毎日まったく同じ体調ではないからこそ、良い日も悪い日も含めて一喜一憂し過ぎず、暮らし全体を長い目で見ていくことが大切なのでしょう。

難病が人生から消えないとしても、笑顔や楽しみ、人との繋がりまで消える必要はありません。病気と向き合いながらも「今日は良い日だった」と眠れる夜を少しずつ増やす。その積み重ねもまた、医療だけでは届けきれない大切な支えなのだと思います。


第4章…出来ないを決めつけない社会へ~選択肢を一緒に育てる~

「旅行に行きたい」「もう少し仕事を続けたい」「友人と食事に行きたい」。そんな希望を聞いた時、難病があるという理由だけで「無理でしょう」と答えてしまうのは簡単です。心配する側には悪気がなく、むしろ本人を守りたい気持ちから出る言葉かもしれません。

けれど、安全を守ろうとして人生の扉まで閉めてしまったら、少し寂しいものがあります。長時間の外出が難しいなら短時間にする。毎日の通勤が負担なら働く場所や時間を変える。1人では難しいことなら、誰かの手を借りる。病気による制限があっても、「方法まで1つしかない」とは限りません。難病と共に暮らす人が、やりたいことを実現できるような支えを増やしていくという考え方は、暮らしの可能性を広げる大切な視点です。

ここで頼りになるのが臨機応変という考え方です。昨日、上手くいった方法が今日は合わないこともあれば、数か月前には難しかったことが、体調や環境の変化で出来るようになることもあります。「出来る」「出来ない」の二択ではなく、「今日はどこまでなら出来そう?」と考えるくらいの柔らかさが、本人にも周囲にも心地良い余白を作ります。

社会の側にも工夫できることがあります。段差を減らす、休める場所を増やす、時間の使い方を柔軟にする、オンラインで参加できる場所を用意する。小さな仕組みが1つ増えるだけで、それまで参加できなかった人が輪の中に入れることがあります。誰かだけを特別扱いするというより、いろいろな人が使える入口を増やす感覚に近いでしょう。

「そんなにいろいろ変えられるの?」と思うかもしれません。会社も町も家庭も、ゲームの設定画面のようにワンタッチで全て変更……とはいきません。そこまで便利なら社会運営も随分と楽です。それでも、本人、家族、医療、福祉、職場などが知恵を持ち寄れば、1人では見えなかった方法が見つかることがあります。正に「三人寄れば文殊の知恵」です。

支援とは、その人の代わりに人生を決めることではなく、その人が選べる道を一緒に増やしていくことです。

これは「何でも希望通りにする」という話でもありません。体調や安全を考えれば、どうしても難しいことはあります。それでも「無理」で会話を終わらせず、「別の方法ならどうだろう?」と考える。その積み重ねが、本人の自己決定(自分の暮らしについて自分の意思で選ぶこと)を守りながら、周囲も安心できる共存共栄の形に繋がっていきます。

難病のある人が社会に合わせ続けるのではなく、社会の側もほんの少し形を変えてみる。そんな柔らかな関係が広がれば、「病気があるから諦める」が当たり前ではなくなります。誰かのために増やした選択肢が、いつか別の誰かを助けることもあるでしょう。支え合える社会を育てることは、今を生きる人だけでなく、未来の自分たちの暮らしを守ることにも繋がっています。

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まとめ…支える人と支えられる人ではなく共に生きる仲間へ

5月23日の「難病の日」は、病気について詳しくなることだけが目的ではありません。見た目からは分からないつらさがあること、体調には波があること、そして病気を抱えていても、その人には好きなことや会いたい人、続けたい暮らしがあること。そんな当たり前だけれど見落としやすいことへ、少し目を向ける日でもあります。

治療法や薬の進歩は、これからも大切です。同時に、治療だけでは届かない部分を社会がどう支えるかも欠かせません。仕事を続けられる環境、安心して外出できる工夫、人と繋がれる場所、疲れた時にきちんと休める空気。どれも派手ではありませんが、その積み重ねが「暮らしていける」という安心を育てます。

難病があるからといって、いつも誰かに助けてもらう人になるわけではありません。体調の良い日には誰かを笑わせるかもしれないし、仕事で力を発揮するかもしれない。家族を支えたり、経験を誰かに伝えたりすることもあります。人は「支える側」と「支えられる側」に綺麗に二分できるほど単純ではなく、日によって立場を行ったり来たりしながら暮らしています。それこそが自然な相互扶助なのでしょう。

病気について何でも知っていなければ寄り添えない、ということでもありません。医学用語を全部覚えようとしたら、こちらの頭が先に診察券を出したくなります。「今日はどう?」「何か手伝えることある?」と尋ね、必要な時には少し手を貸し、本人が出来ることには手を出し過ぎない。そのくらいの距離から始めても十分です。

優しい社会とは、誰かを特別扱いする社会ではなく、誰もが自分の選択肢を失わずに暮らせる社会です。

病気があっても、年齢を重ねても、怪我をしても、子育てや介護で時間に余裕がなくても、その時の自分に合った方法を選べる。そんな共存共栄の暮らし方が広がれば、難病のある人だけでなく、私たち自身も生きやすくなります。難病を抱える人の暮らしを支える工夫は、遠い誰かのためだけにあるものではなく、いつか環境が変わるかもしれない自分や家族の未来にも繋がっています。

5月23日を迎えたら、難しいことを考え過ぎなくても大丈夫です。「出来ないだろう」と決める前に、「どうしたら出来るだろう?」と一度だけ考えてみる。それだけでも、人と人との間にある壁は少し低くなります。病気の名前より先に、その人の笑顔や希望が見える社会なら、きっと毎日の景色も今より少し明るくなるはずです。

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