壁際が落ち着くのはなぜ?~防衛本能から考える介護の距離感~

[ 介護現場の流儀 ]

はじめに…端っこの席が何故か落ち着く人間の不思議

電車に乗ると端の席が少し魅力的に見える。飲食店でも、広々とした真ん中より壁際の席へ吸い寄せられる。病院の待合室でも、空いているなら何となく隅を選ぶ。別に壁が大好きなわけでもないのに、不思議なものです。

けれど、その位置に座ってみると少し分かります。背後から誰かが近づく心配が減り、前を向けば人の動きが見える。声や物音の出どころも確かめやすい。知らない場所ほど、目や耳はいつもより忙しく働きます。人間は休んでいるつもりでも、周囲に対しては意外なほど疑心暗鬼になりやすい生き物なのかもしれません。

考えてみれば、私たちは相手の中身を外見だけでは知ることが出来ません。穏やかな顔の人が何を考えているのか、どんな経験をしてきたのか、どんな力を持っているのかも分からない。それでも毎日、知らない人と擦れ違い、同じ電車に乗り、同じ建物の中で暮らしています。なかなか難易度の高いゲームです。説明書もありません。しかも途中セーブも出来ません。そこまで警戒するなら家から出るな、と自分でツッコミたくなりますが、それでも人は外へ出ます。

高齢者施設では、この「知らない」が一気に増えることがあります。知らない建物、知らない部屋、知らない人。そして笑顔で近づいてくる職員。職員には親切でも、その人には安心とは限りません。人生の中で人に裏切られたり、理不尽な思いをしたり、我慢を重ねてきた人なら、尚更でしょう。

壁際に座ることも、人を避けることも、心が自分を守ろうとしている小さな防衛かもしれません。

そこへ善意を旗印にして突撃してしまえば、安心を届けるつもりが恐怖を増やしてしまうこともあります。近づくことだけが寄り添いではありません。少し離れて眺めること、相手の表情を待つこと、何を怖がっているのか知ろうとすることも立派な関わり方です。

人の心には、目には見えない「ちょうど良い距離」があります。端っこの席から始まる小さな不思議は、介護の距離感を考える入口にもなりそうです。

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第1章…目も耳も鼻も働きっぱなし~人は五感で「大丈夫?」を確かめている~

静かな喫茶店へ入ったのに、何故か落ち着かない。コーヒーの香りは良いし、椅子も柔らかい。店員さんも感じが良い。それなのに背後を人が通るたび、少し気になる。隣の席で椅子が動けば耳が拾い、入口が開けば視線がそちらへ向く。

人間の五感は、こちらが「休憩中です」と宣言したところで完全には休んでくれません。目は人の動きを追い、耳は音を拾い、鼻はいつもと違うにおいに反応する。触れられれば皮膚が知らせ、口に入れたものがおかしければ味覚も働きます。本人はぼんやりしているつもりでも、体の方はなかなか働き者です。

こうした複数の情報をまとめて周囲の状況を捉える働きには、感覚統合(目・耳・触覚などから入る情報を脳でまとめて意味づける働き)という考え方があります。目だけ、耳だけで世界を見ているのではなく、いくつもの感覚を重ねながら「これは平気そう」「ちょっと気になる」と判断しています。

外へ出れば情報は四方八方からやってきます。車の音、人の声、におい、気温、足元の感触、誰かの視線まで、こちらの許可を取ってから入ってくるわけではありません。「ただいま情報受付を終了しております」と札を出せれば楽なのですが、人間の体にそんな便利な窓口はないようです。

そこで私たちは、自分でも気づかないうちに情報量を減らせる場所を探します。壁際なら後ろを気にする必要が少なくなる。部屋の隅なら人の一挙一動を追う方向も減る。出口が見えれば、何かあった時にどう動けば良いかも分かります。

安心とは、何も起こらない状態だけではなく、自分で周囲を確かめられる状態でもあるのでしょう。

これは臆病だからという話ではありません。人間は食べ物を探し、人と出会い、楽しいことを見つけるためにも五感を使います。その一方で、自分を守るためにも同じ五感を使っている。美味しそうな焼き芋の香りを追いかける鼻と、「ん? 何か焦げてない?」と台所へ向かわせる鼻は同じものです。なかなか忙しい鼻であります。

介護の場でも、この働きを忘れたくありません。知らない建物へ入り、知らない声が聞こえ、知らない人が近づいてくれば、それだけで受け取る情報は急に増えます。こちらには日常の廊下でも、その人には初めて見る景色かもしれません。

そんな時、壁際を選んだり、人の少ない場所へ移ったりする姿があっても不思議ではありません。そこには「1人にして欲しい」だけではなく、「少しずつ確かめたい」という気持ちが隠れていることもあります。

まず見る。聞く。感じる。そして、自分なりに安全を確かめる。人間は思っている以上に、五感を働かせながら今日の居場所を決めているようです。


第2章…人の力は見た目では分からない~だから背中を守れる場所を探す~

駅で擦れ違った人が、会社で何十人も動かす立場なのか、今日から働き始めた新人さんなのか、見ただけでは分かりません。腕力なら体格から少しは想像できても、お金、人脈、肩書き、知識、発言力まで顔に表示されている人はいないものです。名札の横に「社会的戦闘力8700」などと書いてあれば話は早いのですが、そんな便利な表示機能はありません。

人間の力には、いくつもの種類があります。体を使う力には届く距離がありますが、社会的資源(お金・地位・人脈・知識など、物事を動かすために使えるもの)は本人がその場にいなくても働くことがあります。電話1本、書類1枚、組織の決定1つで、遠くにいる人の暮らしまで動くことがある。人間は身体だけで生きる生き物から、仕組みを通して力を届ける生き物へと広がってきたとも考えられます。

その力自体が悪いわけではありません。お金があれば人を助けることもでき、役職があれば困っている現場を変えることも出来ます。知識や資格も誰かを守るために役立ちます。ただし、一度力が動き始めれば、そこへ参加していない人まで影響を受けることがあります。

会社の上層部で大きな騒動が起きれば、何も知らなかった受付の人にも問い合わせが来るかもしれません。組織同士が争えば、現場で黙々と働いていた人まで落ち着かなくなる。どちらが正しいかとは別に、力のぶつかり合いが始まれば周囲まで揺れる。正に一触即発の場面では、中心人物より周りの人の方が「お願いだから普通の1日に戻してくれ」と思っていることだってありそうです。

さらに難しいのは、誰がどれほどの力を持っているのか、最初から分からないことです。優しそうな人が大きな決定権を持っていることもあれば、怖そうに見える人が道を尋ねたいだけのこともある。人間関係は外見だけでも判断できず、千差万別です。

だから人は、相手をすぐ信用するより、少し観察します。声の調子を聞き、表情を見て、周囲との関係を確かめる。初めての場所なら出口を気にし、座る場所も選ぶ。壁際が落ち着く人にとって、その壁は豪華な設備でも特別な防具でもありません。ただ「こちらからは誰も来ない」と分かる方向を1つだけ作ってくれます。

人が求めているのは、相手に勝てる場所ではなく、相手の力がどこから届くのか自分で確かめられる場所なのかもしれません。

この感覚を知っていると、誰かが隅の席を選んだ時の見方も少し変わります。「もっと真ん中へ来れば良いのに…」と動かす前に、その場所だから安心している可能性を考えてみる。壁1枚にも、その人なりの意味があるのです。

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第3章…知らない場所で笑顔が近づいてくる怖さ~施設入所を本人の目線で考える~

昨日まで、自分で朝起きる時間を決めていた。何を食べるか、いつトイレへ行くか、お風呂は今日にするか明日にするか。テレビを見るのも昼寝をするのも、少なくとも自分の暮らしの中では「私が決める」が当たり前だった。

ところが施設へ入った途端、景色が一変することがあります。知らない部屋で目を覚まし、知らない人から名前を呼ばれ、「朝ご飯ですよ」「お薬ですよ」「お風呂に行きましょう」と次々に声を掛けられる。職員からすれば日常業務でも、本人にとっては前代未聞の1日が始まっているかもしれません。

しかも少し不思議なのは、自分は相手を全く知らないのに、相手は自分の名前を知っていることです。食事のことも、薬のことも、歩き方も、家族のことまで知っている。「初対面ですよね?」と心の中で確認したくなる場面でしょう。いや、名乗りと挨拶は受けましたけど…。職員の笑顔は安心を届ける大切なものですが、笑顔なら無条件で安心できるとは限りません。人生経験を重ねた人ほど、「感じの良い人だから全部任せよう」と簡単にはならないこともあります。

認知症がある場合には、記憶や見当識(今いる場所や時間、人との関係などを把握する力)の変化が加わり、周囲の状況を掴みにくくなることがあります。それでも、目の前の人を警戒する行動まで全部「認知症だから」で片づけてしまうと、その人が何を感じているのかが見えなくなります。

知らない場所へ来れば、認知症の有無に関わらず落ち着かない人はいるでしょう。知らない人が何人も近づけば身構えることもある。まして長い人生の中で、人に裏切られたこと、理不尽な扱いを受けたこと、自分の意見を押し切られたことが積み重なっていれば、用心深くなるのは自然の成り行きとも考えられます。

そんな人が壁際に座り、職員から距離を取り、「帰る」と繰り返した時、現場では困った行動として見えてしまう。予定通りに食事をしてほしい、お風呂にも入ってほしい、転ばない場所へ移ってほしい。職員にも守らなければならない安全と時間がありますから、何でも本人任せにすれば良いという話ではありません。

ただ、そこで職員が3人集まり、「大丈夫ですよ」「行きましょう」「すぐ終わりますから」と笑顔で包囲したらどうでしょう。こちらは説得チームのつもりでも、本人から見れば「知らない人が増えた」だけかもしれません。安心のお届け便を3人分持ってきたのに、受け取る側には圧迫感まで送料無料で付いてきた……では困ります。

拒否している人を動かす前に、その人が何から自分を守ろうとしているのかを考えたいものです。

部屋へ戻りたいのは、我儘ではなく落ち着ける場所へ戻りたいのかもしれません。壁際にいたいのは、人付き合いが嫌いなのではなく周囲を見渡せるからかもしれない。特定の職員を避けるなら、その声の大きさや近づく速さ、過去の何気ない出来事が関係している可能性もあります。

介護する側には見慣れた廊下でも、入居したばかりの人には知らない世界です。その世界へ馴染む速さまで職員側の時計に合わせなくても良いでしょう。少し離れたところからこちらを眺め、「あの人は急に触らない」「嫌だと言ったら少し待ってくれる」と知ってもらう。その小さな経験が積み重なる方が、何度も説得するより近道になることがあります。

施設へ来た人が最初に必要としているのは、何でも素直に受け入れることではありません。自分の場所、自分の速さ、自分で決められる小さな範囲を確かめながら、「ここなら暮らせるかもしれない」と思えることです。壁際の椅子も、そのための大切な足場になるのかもしれません。


第4章…寄り添うなら突撃しない~近づく・待つ・遠くから見る介護の距離感~

介護では「寄り添う」という言葉をよく使います。響きはとても優しいのですが、寄り添うことを「近くへ行くこと」だと思ってしまうと、少し危ない場面があります。

椅子に座って静かに周囲を眺めている人へ、職員が明るく声を掛ける。「こんにちは、どうかされました?」。反応が薄ければもう一歩近づき、「何か困っていますか?」。それでも返事がなければ隣へ座る。善意しかありません。それなのに本人の心の中では、「近い、近い、近い」と警報が鳴りまくっているかもしれません。

人にはパーソナルスペース(他人に近づかれると不快になりやすい心理的な距離)があります。その広さは性格や体調、相手との関係、その日の気分でも変わります。まして知らない環境で警戒している時なら、普段より広くなっていても不思議ではありません。

そんな時に大切なのは、相手の反応をこちらの予定へ合わせるのではなく、こちらの動きを相手へ合わせることです。目が合ったら軽く会釈するくらいで終える日があっても良い。少し離れた場所で別の仕事をしながら存在だけ知ってもらう時間もあります。声を掛けた後に返事を急かさず、相手がこちらを見るまで待つ。それだけでも空気は変わります。

寄り添うとは距離を縮めることではなく、相手が安心できる距離を一緒に探すことです。

介護職側には「何とかしてあげたい」という気持ちがあります。それ自体は素敵なものです。ただ、その気持ちが勢い余ってしまうと、「お風呂へ行きましょう」「折角だから参加しましょう」「こっちの方が安全ですよ」と、知らないうちに本人の選択肢を少しずつ狭めてしまうことがあります。

本人が首を横へ振った時、すぐ別の説得材料を取り出さなくても良いでしょう。時間を変える、職員を変える、言葉を変える、今日は見送る。そんな臨機応変が使える方が、長い目で見れば関係は育ちやすくなります。

もちろん安全上すぐ動かなければならない場面はあります。転倒しそうな時や、命に関わる危険が迫っている時まで遠くから眺めていては、流石に「見守り」の守る部分が行方不明です。そこは素早く支える必要があります。

けれど、急がなくても良い場面まで毎回急ぐ必要はありません。予定表が少しズレることと、その人が「また勝手に決められた」と感じることを比べれば、待つ価値のある場面もあります。

遠くから見ることも介護です。今日は声を掛けずに表情だけ確認する。どの職員には自然に話すのかを見る。何時頃になると落ち着くのか、どんな音に顔を上げるのか、どの席なら長く過ごせるのかを知る。こうした観察は、相手を放っておくこととは違います。

むしろ「こちらへ合わせてもらう」前に「こちらが相手を知る」。その姿勢があるからこそ、少しずつ相互理解が生まれます。

介護現場では、動いている職員ほど働いているように見えるものです。歩く、声を掛ける、誘導する、介助する。反対に、少し離れて見ている職員は何もしていないように見えることがあります。

ところが、人の防衛本能と向き合う時には、その「動かない時間」が仕事になることもあります。近づかない。急かさない。触らない。そして必要な時だけ手を差し出す。

善意を持っているからこそ、アクセルだけでなくブレーキも持っておきたいものです。介護の優しさは、いつも正面玄関から入らなくても良い。少し離れた場所から「今日もいますよ」と伝えるだけで、心の扉が内側から開く日もあります。

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まとめ…壁を壊さなくていい~「この人なら大丈夫」が育つ場所から始めよう~

壁際の席が落ち着く。背後に人がいると少し気になる。知らない場所では入口や出口へ目が向く。そんな何気ない行動を辿っていくと、人間が想像以上に周囲を確かめながら暮らしている姿が見えてきます。

目で見て、耳で聞き、においや空気の変化まで感じ取る。しかも人間は、相手がどんな経験をしてきたのか、どれほどの力を持っているのかを外見だけでは判断できません。だから少し距離を取り、自分なりに安全を確かめる。防衛本能は決して格好の悪いものではなく、今日まで自分を守ってきた大切な働きでもあります。

介護の場では、その防衛が「拒否」「落ち着かない」「帰りたがる」といった姿になって現れることがあります。けれど、昨日まで自分で決めていた暮らしが大きく変わり、知らない人から次々に声を掛けられる立場になれば、警戒する気持ちが生まれても不思議ではありません。

そこで必要なのは、心の壁を急いで取り払うことではないのでしょう。

人によって安心できる距離は十人十色です。すぐ会話が弾む人もいれば、何日もこちらを観察してから少しだけ表情を緩める人もいる。職員から声を掛けるより、いつもの椅子で静かに過ごしてもらった方が落ち着く日だってあります。

相手が守ろうとしている場所へ突撃せず、「この人は私の嫌だを勝手に踏み越えない」と知ってもらうことから信頼は育ちます。

言葉を交わさなくても何となく分かり合える以心伝心は素敵ですが、介護では「分かったつもり」にも注意が必要です。少し離れて表情を見る。いつ近づけば嫌がらないのかを知る。何なら自分から選んでくれるのかを待つ。相手を知ろうとする時間そのものが、立派な支援になります。

予定を進めたい時ほど、「急がば回れ」です。今日のお風呂を一度見送ったことで、明日は本人から「今日は入ろうかな」と言ってくれるかもしれません。そんな日が来たら、職員側も心の中で小さくガッツポーズです。もちろん顔には出し過ぎず、いつもの笑顔くらいがちょうど良いでしょう。

介護は、人の心へ上手に入り込む技術ではありません。その人が自分の速さでこちらを知り、安心できる距離を見つけられるように支える仕事でもあります。

壁が必要なら、しばらく壁があっても良い。遠くから見たいなら、見てもらえば良い。そしていつの日か、壁を背にしなくても平気になったなら、それは壁を壊したからではなく、その人の周りに「背中を向けても大丈夫」と思える人が増えたからなのかもしれません。

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