テレビの音が大きい家で何が起きる?~難聴と大声の連鎖をほどく暮らし術~

[ 介護現場の流儀 ]

はじめに…テレビの音量がいつの間にか家族会議を始めていた

夕方の居間でテレビがついています。ドラマの主人公が何やら大事な告白をしているらしいのですが、お父さんには少し聞き取りにくい。「もうちょっと上げよう」とリモコンを押して、音量が1つ、また1つ。そこへ台所から「ご飯できたよー!」と家族の声が飛んできます。すると返事も「はーい!」ではなく、「分かったよー!」と立派な大声。誰も怒っていないのに、家の中だけ妙に威勢が良くなってきました。

聞こえにくくなると、テレビの音を大きくしたくなるのは自然なことです。そして自分の声の大きさも調節しにくくなり、知らないうちに声量が上がることがあります。そこへ周囲の人まで「聞こえるように」と声を張り始めると、以心伝心ならぬ「大声伝心」。気遣いから始まったはずなのに、気づけば居間全体が小さな拡声器大会です。

家庭ならまだテレビを消したり、近くまで行ったりできます。ところが高齢者施設などの集団生活では、テレビの音、食器の音、椅子を引く音、職員の声、隣の人の会話まで一緒に流れてきます。そんな中では、聞きたい声だけを拾うのが難しくなります。四方八方から音が飛んでくる場所で「もっと大きな声なら届くだろう」と声量だけを上げても、却って言葉が音の中へ埋もれてしまうことがあります。

聞こえにくい人に必要なのは、何でも大きくすることではなく、「聞きたい声がちゃんと届く環境」を作ることなのかもしれません。静寂そのものを目指す必要はありません。話す瞬間だけテレビから少し離れる、相手の正面へ行く、顔を見せる、周囲の音が少ない場所を選ぶ。そんな臨機応変な小さな工夫なら、家庭でも施設でも無理なく始められます。

耳が少し遠くなったからといって、会話の楽しさまで遠ざける必要はありません。テレビの音量計を眺めながら「昨日より2つ上がってるぞ」と家族で笑えるくらいがちょうど良い。聞こえ方を責めるのではなく、声の届け方を工夫する。その発想があれば、にぎやかな暮らしの中にも、ちゃんと会話の居場所を作れそうです。

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第1章…聞こえないから上げる?~音量だけでは届かない言葉の不思議~

テレビの台詞が聞き取りにくいと、リモコンへ手が伸びます。音量を2つ上げる。それでも分かりにくければ、もう2つ。とても自然な行動なのですが、耳の聞こえ方には少々ややこしいところがあります。「聞こえにくい」と「音が小さい」は、必ずしも同じではありません。

加齢に伴う難聴では、高音域(高めの音の範囲)から聞き取りにくくなることが多くあります。会話には低い音も高い音も混ざっていて、特に言葉を聞き分ける手掛かりになる音が拾いにくくなると、「何か話しているのは分かるのに、何と言ったのか分からない」ということが起こります。聞こえ方は千差万別ですが、テレビの音量を上げても台詞だけが都合よく大きくなるわけではありません。

困ったことに、リモコンは公平です。「主演俳優の台詞だけお願いします」と頼んでも、そこまで気を利かせてはくれません。台詞を大きくすれば、BGMも効果音もCMも一緒に元気になります。刑事ドラマで小声の重要証言を聞きたいだけなのに、直後の扉が「バタン!」と大迫力。いや、そこまで元気にならなくて良いんですけど……と耳が言いたくなる場面です。

語音明瞭度(言葉をどれだけ正しく聞き分けられるか)が低下している場合も、単純な音量アップだけでは聞き取りやすさが十分に戻らないことがあります。さらにテレビの音へ家族の会話や生活音が重なれば、聞きたい言葉の輪郭は一層、見つけにくくなります。背景の音を少し下げるだけでも会話が聞き取りやすくなるため、「もっと大きく」だけで試行錯誤を続けないことが大切です。

これは本人の努力不足でも、家族の話し方が悪いという話でもありません。「聞こえている音」と「意味まで分かる言葉」の間には、思っているより距離があるのです。その違いを知っているだけで、「聞こえないの?じゃあもっと大声で!」という一本勝負から抜け出せます。

テレビの音量表示は、耳の状態を診断する数字ではありません。それでも「最近、前より数字が上がったな」「何度も聞き返すようになったな」という暮らしの変化は、聞こえ方について考える小さなキッカケになります。音量競争を始めるより、まずは何が聞き取りにくいのかに目を向ける。その方が、本人にも家族にもずっと穏やかな道になりそうです。


第2章…本人の声まで大きくなる?~耳と声の知られざるチームワーク~

聞こえにくくなると変わるのは、相手の声の聞こえ方だけではありません。自分が話している声も、耳から入ってくる大切な情報です。私たちは普段、「今の声は少し大きかったかな」「このくらいなら届くだろう」と、ほとんど意識せずに声量を調節しています。声を出す口と、その声を確かめる耳は、意外なほど二人三脚で働いています。

この仕組みには聴覚フィードバック(自分の声を聞いて話し方を調節する働き)が関係しています。聞こえ方が変わると、この調節も上手く働きにくくなることがあり、自分では普通に話しているつもりでも、周囲には「最近ちょっと声が大きくなったね」と感じられる場合があります。ただし、難聴になれば誰もが大声になるわけではありません。聞こえ方も声の変化も十人十色です。

もうひとつ面白いのが、周囲が騒がしい場所では人間そのものが声を大きくしやすいことです。これはロンバード効果(周囲の騒音に負けないよう無意識に声量を上げる反応)と呼ばれます。居酒屋で話しているうちに全員の声がだんだん大きくなり、店を出た瞬間に「私たち、こんな声でしゃべってた?」となる、あの現象です。耳が元気な人にも起こるので、難聴のある人だけの特別な反応ではありません。

ここへテレビの大きな音が加わると、少々ややこしくなります。本人はテレビを聞こうとして音量を上げ、家族はテレビに負けないよう声を張り、本人も家族の声に応じてさらに声量が上がる。気づけば会話が豪華絢爛、いや、音量だけが豪華になっています。「お茶いる?」という一言に、そこまで腹式呼吸を総動員しなくても良いのですが、本人たちは至って真面目です。

大きな声は本人の性格ではなく、聞こえ方と周囲の音に合わせた結果として生まれていることがあります。「声が大きいから静かにして」と注意するだけでは、本人にはなぜ大きくなっているのか分からないこともあります。それより少し近づいて話したり、テレビの音を一時的に下げたりした方が、自然に声量が落ち着くこともあります。

施設では、この視点がさらに大切になります。大きな声の利用者さんを「いつも声が大きい人」と決めつけてしまうと、聞こえにくさや周囲の騒音を見逃してしまいます。反対に、その人がどんな場所なら穏やかな声で話せるのかを見ていけば、耳だけでなく暮らしの環境まで見えてきます。声の大きさを直すより、声が大きくならなくても済む状況を作る。そんな発想なら、本人にも職員にも少し優しい会話になりそうです。

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第3章…施設は今日もにぎやかです~大声が大声を呼ぶ集団生活の音事情~

高齢者施設の食堂は、静かな図書館とは随分と違います。テレビではニュースが流れ、隣のテーブルでは昔話に花が咲き、配膳の食器がカチャリ。少し離れた場所では職員が「〇〇さん、お茶にしましょうか?」と声を掛けています。そこへ椅子を動かす音まで参加して、今日も生活の音はにぎやかです。暮らしの場なのですから、音があること自体は決して悪者ではありません。

ところが難聴のある人にとって、この「みんなの生活音」が会話を難しくすることがあります。聞きたい声と周囲の雑音との差が小さくなるほど、言葉を聞き分けにくくなるからです。SN比(聞きたい音と雑音の大きさの差)が悪くなる、と表現されることもあります。目の前の職員が話している声だけでなく、テレビも隣の会話も食器音も一緒に耳へ入ってくれば、「声は聞こえるけれど、何と言っているのか分からない」ということが起こりやすくなります。

そこで職員は親切心から声を大きくします。「〇〇さーん、お茶ですよー!」。すると少し先の利用者さんにもその声が届き、そちらを担当する職員も負けじと「△△さーん、ご飯ですよー!」。さらにテレビの音量も上がる。誰も音量大会を開催すると宣言していないのに、気づけば全員参加になっています。これでは職員も悪戦苦闘、利用者さんの耳もなかなか休まりません。

しかも集団生活では、聞こえにくい人だけを完全に静かな場所へ移せば良いとも限りません。食堂で皆とご飯を食べる楽しさ、隣の人と笑う時間、テレビを一緒に眺める時間も、その人の暮らしです。音をなくすことばかり考えてしまえば、今度は人との繋がりまで小さくしてしまいます。

施設で目指したいのは「静かな生活」ではなく、「必要な声が必要な人へ届きやすい生活」です。

食堂全体を静まり返らせなくても、声を掛ける時だけ近くまで行けば景色は変わります。正面から名前を呼び、こちらへ意識が向いてから話すだけでも、たくさんの音の中から「これは自分への言葉だ」と捉えやすくなります。テレビの真正面ではなく少し離れた場所で話したり、何人もの職員が同時に声を掛けないようにしたりするのも、小さな工夫です。

そして、集団の中で急に無口になる人にも少し目を向けたいところです。居室で1対1ならよく話すのに、食堂へ来ると相づちばかりになる。「最近あまり話さなくなったな」と感じても、本人の気持ちが離れたとは限りません。周囲の話を聞き分けられず、会話へ入るタイミングを掴めなくなっている可能性もあります。話さない人を見る時に、性格や認知機能だけでなく「この場所では聞こえているだろうか?」という視点が1つ加われば、支援の景色も変わってきます。

聞こえないからさらに大声、さらに聞きにくくなってまた大声。そんな一進一退を続けるくらいなら、少し近づいて、顔を合わせて、声を届ける方が早いことがあります。「急がば回れ」とはよく言ったもので、リモコンの音量ボタンや職員の肺活量だけに働いてもらわなくても良さそうです。

にぎやかな施設だから難聴の人には暮らしにくい、と決める必要はありません。にぎやかさの中に、その人と話すための小さな空間を作ることは出来ます。笑い声も食器の音も残したまま、必要な時だけ会話がスッと届く。そんな臨機応変な音との付き合い方なら、集団生活の楽しさも守れそうです。


第4章…静かにするより「届きやすく」~会話の居場所を少し変える工夫~

難聴のある人と話すとなると、「静かな部屋へ移動しないと無理なのかな」と身構えてしまいそうです。でも、家庭も施設も生活の場です。テレビはつくし、人は話すし、食器も鳴ります。四六時中シーンとした環境を作ろうとしたら、今度は暮らしの楽しさまで小さくなってしまいます。

大切なのは、音を全部消すことではなく、話したい相手へ声が届きやすい瞬間を作ることです。テレビの前から少し場所をずらすだけでも良いですし、離れた場所から大声を飛ばす代わりに、近くまで歩いて顔を見せてから話す方法もあります。「〇〇さん」と名前を呼び、こちらへ視線が向いてから本題へ入れば、周囲にたくさんの音があっても、どの声を聞けば良いのか分かりやすくなります。

これなら施設でも臨機応変に使えます。食堂全体を静かにする必要はありません。お茶を選んでもらう数十秒だけ相手の正面へ行く。大切な予定を伝えるなら、テレビから少し離れた場所で話す。何度も聞き返している時には、声量をさらに上げる前に、周囲で何が鳴っているのか見てみる。設備を大改造しなくても、人の立ち位置1つで変わることがあります。

話し方にも少しコツがあります。大声で一音ずつ区切って「きょ・う・は・お・ふ・ろ・で・す!」と叫ぶと、本人には却って言葉の自然なリズムが分かりにくくなることがあります。しかも周囲から見れば、何やら重大発表のようです。お風呂です。国家行事ではありません。

普通より少しはっきり、自然な速さを意識しながら、相手の表情を見て伝える方が会話になりやすくなります。聞き返された時も、まったく同じ言葉をさらに大声で繰り返すだけでなく、「昼ご飯の後、お風呂ですよ」のように表現を変えることで届く場合があります。一問一答のように追い込まず、相手が理解する時間を少し待つ余裕も欲しいところです。

補聴器を使っている人でも、「装着しているから何でも聞こえる」とは限りません。補聴器は音を助ける大切な道具ですが、周囲の騒音や距離、話す人の位置などによって聞き取りやすさは変わります。字幕やテレビ用の手元スピーカーなど、耳だけに頑張らせない方法を組み合わせるのも一石二鳥です。

声を大きくする前に、距離・向き・周囲の音を少し変えるだけで、会話はグッと届きやすくなります。

そして、これは難聴のある人だけのための工夫でもありません。近くまで行って顔を見る。相手がこちらを向いてから話す。騒がしい時には場所を少し変える。どれも、人と人が丁寧に話す時には自然なことです。聞こえを支える工夫を続けているうちに、施設全体の声掛けまで少し穏やかになったら、それはなかなか素敵な副産物でしょう。

大声に頼らなくても、会話は届けられます。必要なのは静寂ではなく、その人の耳と暮らしに合わせた「話しやすい場所」を見つけること。にぎやかな毎日の中にも、そんな小さな会話席ならいくつでも作れそうです。

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まとめ…小さな声が戻ると暮らしも少しやさしくなる

テレビの音が少しずつ大きくなった。家族もいつの間にか声を張るようになった。施設では職員同士まで大きな声で話している。そんな変化は、「年を取ったから仕方ない」で片づけられがちです。

けれど、聞こえにくさは音量だけの問題ではありません。声は聞こえていても言葉を聞き分けにくいことがあり、周囲がにぎやかになるほど会話へ入りづらくなる人もいます。本人の声まで大きくなることがあれば、周囲もそれに合わせ、知らないうちに生活全体の音量が上がっていきます。

そこで必要なのは、家庭を無音にしたり、施設を図書館のようにしたりすることではありません。暮らしには笑い声もテレビも食器の音もあります。それらを全部なくしたら、静かにはなっても少々寂しい。談話室で全員が忍者のように抜き足差し足で過ごしていたら、それはそれで心配になります。

聞こえを支えるとは、音を全部大きくすることではなく、その人に必要な声が届く道を作ることです。

少し近づく。顔を合わせる。相手がこちらを見てから話す。テレビの音と競争しない。聞き返されたら声量勝負に持ち込まず、伝え方や場所を変えてみる。そんな臨機応変な気遣いなら、特別な設備がなくても日常の中へ入れられます。

そして、小さな声で会話できる瞬間が増えることには、もう1つ嬉しい意味があります。「この人は大声の人」「あの人は話さない人」と決めつけず、その人が本来持っている話し方や表情に出会いやすくなることです。聞こえ方は十人十色。会話へ入りにくそうなら、耳だけでなく、その人の周りにどんな音があるのかまで眺めてみたいところです。

テレビの音量が上がったことは、家族にとって小さな気づきの合図になるかもしれません。施設で大声が飛び交っていることも、「もっと静かに!」と怒鳴る話ではなく、「どうしたら普通の声で届くだろう」と考えるキッカケになります。……静かにするために大声で注意したら、最初から話が迷子です。

耳が遠くなっても、人との距離まで遠くする必要はありません。笑い声のある家も、にぎやかな施設も、そのままで良い。その中に、顔を見て、小さな声でもちゃんと届く時間が少し増える。そんな暮らしなら、聞こえにくさと付き合う毎日も、きっともう少し明るく出来ます。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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