耳がストライキしても世界と繋がれる話~特養の現場が教えてくれたコツ~
目次
はじめに…世界がザワつくほど、耳もザワつく件
世界って、なんだか落ち着かない空気が続いていますよね。ニュースも動画も、開けば開くほど「心がザワザワ」しがちで、せっかく世界の芸術や価値観に触れたいのに、気持ちが追いつかないなんて感じる日もあります。
そんな時、さらに困るのが「耳」です。映像は面白そうなのに、ひとこと喋った瞬間に――何故かモチベがス~っと下がる。ロシア語の演説は怒鳴られているみたいに聞こえる。韓国語は「早口過ぎない?」と脳が置いていかれる。中国語は、速いというより、どこが区切りか分からなくて戸惑う。……あるあるです。少なくとも私は、耳がこう言い出す瞬間を何度も感じてきました。「本日の営業は終了しました」と。
でも、ここで大事なのは「その国が嫌い」とか「その人が嫌い」ではないことです。むしろ逆で、知りたいし、理解したい。だからこそ、耳のストライキが悔しい。これ、性格の問題というより、脳が勝手にやってしまう“節電モード”みたいなものだと思うんです。分からない音が続くと、脳が必死に処理して疲れてしまい、「うるさく感じる」「速く感じる」「強く感じる」に寄ってしまう。つまり、耳が悪いのではなく、脳が頑張り過ぎているだけ。
そして、ここからが希望の話です。耳の拒否感って、工夫でちゃんと軽くできます。例えば動画なら、再生速度や字幕や音量の調整だけで「入ってくる世界」が変わります。さらに面白いのは、特養の現場みたいに“日頃、助けてくれる人の声”だと、同じたどたどしい日本語でも、不思議と耳が受け入れやすくなることがある点です。安心や信頼があると、耳のトゲが丸くなる。これ、ちょっとした奇跡です。
この先は、「何故そう感じやすいのか」を優しくほどきながら、「具体ワザ」で耳の負担を減らしていきます。完璧な発音を目指す話ではありません。世界と繋がるために、耳に“手すり”を付ける話です。耳が転ばなければ、心はけっこう遠くまで歩けますからね。
[広告]第1章…外国語が「早い」「怒ってる」に聞こえるのは脳の節電モード
まず最初に言っておきたいのは、外国語が耳に刺さる日があっても、それは「性格が狭い」とか「心が冷たい」とか、そういう話ではないということです。むしろ逆で、「分かりたい」「受け取りたい」と思っている人ほど、耳が先に疲れてしまうことがあります。
例えるなら、スマホの省エネモードです。電池が減ると画面が暗くなったり、処理が軽くなったりしますよね。あれと同じで、脳も「情報が多過ぎる」「よく分からない」「でも頑張って理解しよう」となると、勝手に節電に入ります。すると、音が“強く”感じたり、“速く”感じたりして、「今日は無理!」と耳がシャッターを下ろす。脳の中の受付が、閉店ガラガラ~を始めるわけです。
1)「早口に聞こえる」のは速さより“区切れなさ”が原因
外国語が早口に聞こえる時、実際に相手が超高速で話している場合ももちろんあります。でも、多くの場面では、こちら側が「どこで言葉が切れたのか」を掴めないことが大きいです。
日本語って、聞き慣れているから不思議なもので、多少早口でも、脳が勝手に「ここで区切り」「ここは助詞」「ここが大事」と分けてくれます。ところが慣れていない言語だと、その自動仕分けが働き難い。すると音の塊が全部繋がって聞こえて、「速い」という感覚になります。
しかも、YouTubeとかでの音って、マイクが近かったり、声がくっきりし過ぎたり、圧縮で子音が強く出たりします。これがまた区切りの手がかりを減らすので、脳が「まとめられない!」と叫び、結果として「早口だ!」と感じやすくなる。つまり、速さの正体はスピードだけではなく、脳の仕分け作業の難しさなんですね。
2)「怒鳴られてる感じ」は言語より“声の型”と“場面”の影響が強い
次に「高圧的に聞こえる」「怒鳴られてる気がする」問題です。これは特に演説や討論、主張が強い場面で起きやすいです。言葉の意味が取れないと、私たちの脳は内容ではなく、声の特徴から相手の感情を推測します。
声が低い、強い、語尾が短い、息継ぎが少ない、間が少ない。こういう要素が重なると、意味が分からなくても「押されてる」「責められてる」みたいに感じやすくなります。政治家の演説って、そもそも“強く聞こえる作り”をしていることが多いので、なおさらです。こちらとしてはソファに座っているだけなのに、耳だけが国際会議に出席させられている気分になる。だからとても疲れます。
そしてここが逆に面白いところで、同じ言語でも、歌や朗読だと「平気」になったりします。逆に、日本語でも、怒鳴る人の言葉はしんどいですよね。つまり「その国の言語が悪い」というより、声の出し方と場面のセットが、こちらの耳に刺さっている可能性が高いんです。
ここまでの話をまとめると、外国語がしんどい日の正体は、敵意ではなく“負荷”です。脳が頑張っている証拠とも言えます。だからこそ次の章では、頑張り過ぎる脳に手すりを付ける「具体ワザ」に入ります。完璧に聞き取るより先に、耳が逃げない状態を作る。これだけで世界の見え方が、かなり変わります。
第2章…YouTubeで耳を守る0.75倍と字幕と音量で乗り切る作戦
ここからは、耳がストライキを起こしそうな日に使える「手すり」を付けていきます。英会話の根性論ではありません。まずは耳の負担を下げて、世界の中身に入れる状態を作る作戦です。言うなれば、外国語視聴の防寒具。寒い日に半袖で外へ出ないのと同じで、耳にも上着が必要な日があるんです。
一番効くのは、速度です。YouTubeの再生速度をいきなり通常にしないで、まずは0.75倍に落とします。これだけで「早口に聞こえる」の正体である“区切れなさ”が一気に減ります。速度が落ちると、脳が「はいはい、分かる分かる。ちゃんと間に合ってるよ」と落ち着いてくる。内容が入らないうちは、速さ勝負にしない。ここがコツです。
次に字幕です。字幕って、意味を取るためだけじゃなく「区切り」を見せてくれるのが強いんですよね。自動字幕が少し変でも大丈夫です。むしろ「ここで言葉が切れたっぽい」という目印さえあれば、耳が助かります。音だけで山道を歩くより、足元に白線がある方が安心する。字幕は、その白線です。
1つのおすすめ手順~字幕先行で耳を温める~
私は「字幕先行」を推します。最初の数十秒だけ、音量を小さめにして字幕を追い、話題と雰囲気を先に掴みます。すると次に音を上げた時、脳が迷子になり難い。いきなり音だけで突撃すると、脳が入口で転びやすいんです。入口で転ぶと、もう戻りたくなる。だから先に地図を見ます。
そして音量です。ここは地味だけど、効きます。音が刺さる日は、声の高い成分が強く聞こえていることが多いので、音量を少し下げるだけで「怒鳴られてる感」が減ります。イヤホンで刺さりやすいなら、スピーカーに切り替えるのも手です。距離が出来ると、音の角が丸くなることがあります。耳に直撃させない。これだけで視聴が続きます。
もう1つ、内容選びも立派な技です。政治家の演説や討論番組は、どの言語でも“強く聞こえる型”になりやすいので、耳が疲れている日は避ける。代わりに、朗読、料理、旅、アート紹介みたいな「落ち着いた声の世界」に寄せると、同じ言語でも驚くほど平気になります。言語の問題というより、声の運転モードの問題だったりするんです。
最後に、小さなユーモアを1つ。外国語視聴で一番怖いのは、相手の声ではなく、脳内の係員が突然出してくる札です。「本日の受付は終了しました」。この札が出る前に、速度と字幕と音量で、係員にお茶を出してあげましょう。落ち着いた係員は、案外よく働きます。
この章のゴールは、完璧に聞き取ることではありません。「逃げずに触れていられる状態」を作ることです。耳が逃げなければ、世界はちゃんと入ってきます。次の章では、外国の人が話す日本語が別の音に聞こえるのに、特養の現場では不思議と耳が受け入れてしまう――その“安心と信頼”の力について、混ぜ混ぜしていきます。
第3章…来日した人の日本語が別の音に聞こえる~でも現場だと不思議と平気になる話~
外国の方が日本語を話してくれる時、こちらの耳には「同じ日本語なのに、なんだか別の音」に聞こえることがあります。例えば、言葉の区切りが少し違ったり、語尾の上げ下げがいつもと違ったり、伸ばすところが短かったり。意味は分かるのに、耳だけが「あれ、いつもの道じゃないぞ」と立ち止まる。脳内の案内係が、地図を逆さに持っている感じです。
ここで大事なのは、これが「相手の日本語が下手だから」ではないことです。むしろ、母国語のリズムや音のクセが自然に混ざっているだけ。私たちだって、海外で一生懸命その国の言葉を話したら、きっと同じことが起きます。つまりこれは、誰かの努力不足ではなく、言葉が引っ越ししてきたときに起こる「揺れ」みたいなものなんですね。
ただ、ここからが面白いところで、同じ“揺れた日本語”でも、特養の現場だと不思議と耳が受け入れてしまうことがあるんです。最初は「ん?今、何て言った?」と聞き返していたのに、数日、数週間と一緒に過ごすうちに、こちらの耳が勝手に調整されていく。ある日ふと気づくんです。「あれ、普通に分かるようになってる」と。
何故か。私はこれを「耳の安心補正」と呼んでいます。人の声って、音の情報だけじゃなく、その人の存在ごと届いてくるんですよね。日頃、介護をしてくれる人の声は、ありがたさや安心とセットで記憶されます。すると脳が、「この声は味方の声だ」と判断して、少々のアクセントや言い回しの違いを“うまく補って”くれる。耳が、やさしい通訳を始めるわけです。
逆に言うと、初対面の動画やニュースで外国語に当たる時は、この「安心補正」が働きにくい。だから刺さりやすいし、早く感じやすい。つまり、耳の反応って言語だけで決まっていなくて、関係性や状況がガッツリ混ざっています。耳は理屈より先に空気を読む。いや、読みすぎる。困った子だけど、守りたい子でもあるんです。
現場で出来る小さな工夫としては、難しいことをしなくても大丈夫です。相手の日本語がたどたどしい時ほど、こちらの返しを短くして、語尾をゆっくり置く。確認の言葉を一度挟む。大袈裟に笑う必要はないけれど、安心して話して良い空気を作る。すると相手も落ち着くし、こちらの耳も落ち着く。耳って、落ち着いた人に対して落ち着くんですよ。鏡みたいなものです。
そして私は思うんです。世界が不穏な空気の時ほど、この「耳の安心補正」を社会全体で増やした方が良い、と。通訳がいても、制度が整っていても、最後に人と人の間を繋ぐのは「この人の声を、もう少し聞いてみよう」という気持ちだったりしますからね。
次の章では、その気持ちをもっと具体的に育てる方法として、「母国語を教えてもらう」「同じ発音なのに意味が違うで笑う」「母国料理や文化の話をしてもらう」といった、現場でも日常でも使える“混ぜ混ぜの潤滑油”を紹介していきます。耳のトゲを丸くするのに、笑いと食べ物は、だいたい強いんです。
第4章…母国語を教えてもらうと世界が近づく~言い間違いと料理が最強の潤滑油~
ここまでで、「耳が刺さるのは性格じゃなく負荷」「負荷は工夫で下げられる」「安心があると耳は勝手に馴染む」まで来ました。じゃあ、その“安心”を意図的に増やすにはどうしたら良いのか。ここが第4章です。
結論から言うと、歩み寄りの最短ルートは、難しい議論でも立派なスピーチでもなく、だいたい「言葉」と「食べ物」と「笑い」です。ここだけは国際関係より強い。世界が不穏でも、胃袋と笑いはけっこう平和主義なんですよね。
特養でも、外国人労働者が入る施設が増えています。彼らは日本語を一生懸命たどたどしく頑張っている。こちらも助けてもらっている。そんな時、こちらから「母国語を少し教えて」と言ってみるのは、とても強い一手になります。挨拶でも、ありがとうでも、ほんのひとこと。すると空気が変わります。教える側は誇らしいし、教わる側は素直に楽しめる。利用者さんがいる場なら、さらに面白いことが起きます。「今日は先生が増えたねぇ」と、会話の主役が自然に増えるんです。
しかも語学の面白さは、「似てるのに違う」が無限に出てくるところです。同じ発音っぽく聞こえるのに意味が全然違う。あるいは、言葉は違うのに表情が同じ。こういうズレは、誤解にもなるけれど、笑いにもなります。笑いになると、耳のトゲが丸くなる。ここ、本当に不思議です。脳内の受付係が、急に優しくなるんですよ。「本日の受付、延長します」って。
さらに最強なのが、母国料理の話です。料理は文化の入口で、しかも説明が短くても成立します。「どんな時に食べるの?」「辛いの?甘いの?」「家で作るの?」と聞くだけで、会話が自然に回る。写真があればなお良し。でも写真がなくても大丈夫です。何故なら、私たちの頭の中には“勝手に美味しそうに変換する機能”が標準搭載されているからです。想像の料理は、だいたいどれも美味しい。ここ、平和。
そして、この「言葉を教えて」「料理を教えて」の流れには、もう1つ大事な効能があります。耳が嫌がっていた“慣れていない音”が、ただの異物ではなく、「あの人の声」「助けてくれる人の声」「一緒に笑った声」として記憶されていくことです。すると、最初は刺さっていた音が、だんだん刺さらなくなる。耳が「この音は危険」じゃなく「この音は人だ」と理解し始める。これが、ささやかなのに強い変化です。
世界が不穏だと、国同士の言葉は刃物みたいに見えることがあります。でも、現場の言葉は、手当てみたいな顔もできる。だからこそ、政治の大きな話に飲み込まれる前に、私たちの足元で出来ることを増やしたい。たったひとこと「教えて」で、耳と心の距離が縮むなら、こんなお得なレクはなかなかありません。
次はいよいよ「まとめ」です。完璧な言葉より、歩み寄り。耳がほどけると心もほどける。そんな着地を、綺麗にしちゃいましょう。
[広告]まとめ…完璧な言葉よりも歩み寄り~耳がほどけると心もほどける~
外国語がしんどい日って、あります。速く聞こえる。怒られてるように聞こえる。どこで区切れているのか分からなくて、耳が迷子になる。そんな時、つい「自分はダメだなぁ」と思ってしまいがちですが、今日の結論は逆です。脳が頑張り過ぎているだけ。耳が弱いのではなく、耳が働き者過ぎるんです。
だから、戦い方は根性ではなく工夫になります。動画なら0.75倍。字幕は意味より区切りの白線。音量は少し下げて角を落とす。入口では字幕先行で地図を見てから入る。たったこれだけでも、耳のストライキはかなり減ります。耳が逃げなければ、世界はちゃんと入ってきます。世界は、意外と面白いです。
そして特養の現場が教えてくれたのは、耳は“安心”で変わるということでした。外国人スタッフのたどたどしい日本語が、最初は別の音に聞こえても、日頃助けてもらっているうちに、こちらの耳が勝手に馴染んでいく。耳が、やさしい通訳になっていく。これは小さな奇跡ですが、実は奇跡じゃなくて、人と人が一緒に暮らす時の自然な仕組みなのかもしれません。
だから歩み寄りの最短ルートは、難しい議論ではなく「教えて」の一言でした。母国語を少し教えてもらう。似た音で笑う。母国料理の話をしてもらう。文化の小話を聞く。笑いと食べ物は、国境を越えるだけじゃなく、耳のトゲも丸くしてくれます。脳内の受付係が、延長営業を始めてくれるんです。
世界が不穏だと、言葉は武器に見えることがあります。でも私たちの足元では、言葉は手当てにもなります。完璧な発音じゃなくて良い。片言でも良い。通じるための工夫と、相手を知ろうとする気持ちがあれば、信頼関係は作れます。耳がほどけると、心もほどける。そう信じて、今日も耳に手すりをつけて、世界の扉を少しだけ開けてみましょう。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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