寒いのに春ってマジ?~立春と節分と春分が仕掛ける暦のドッキリ~

[ 2月の記事 ]

はじめに…春ですと言われて厚着のまま外に出て嘘やんとつぶやく2月上旬のあるあるネタ

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「立春が来ました!」なんてニュースで聞こえた朝、モコモコのコートを脱ごうとした自分を全力で止めたくなる…そんな2月の朝、ありませんか?

だって、外はまだ氷点下、空気はキンキン、吐く息はモクモク…どこが春やねん!ってツッコミたくなるのも無理はありません。

実はこの“立春”、暦の世界ではれっきとした春の始まり

つまり「寒いけど春」という、季節界のドッキリイベントなのです。

しかもこの立春、あの豆まきでおなじみの節分とセットで登場するし、よく似た名前の春分ともセットで勘違いされる。

え?立春と春分の違い?

節分はなんで2月だけ?そもそもなぜ寒いのに春扱いなの?

──そんな疑問の数々に、笑って学べるトリビア満載でお答えします。

どうぞ心あたたかく、こたつに入りながら読んでくださいませ。

あ、途中で鰯とヒイラギを探しに玄関に出るのもアリですからね🩷。

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第1章…『立春』という名の春フラグ!その正体は…


立春、それは暦界が突然スイッチを切り替える瞬間。

まだまだ寒風吹きすさぶ2月4日ごろ、「春が来たぞー!」と叫びだすこのイベント、正直、体感的には“冬の真ん中”なのに、暦の上では堂々たる“春の始まり”なのです。

なぜ?どうして?と首をかしげるあなたに教えたい。

これは「二十四節気」という、昔の人が一年を24個の季節で切り分けた超細やかな暦の中で、一番最初にやってくる季節のスタートダッシュ。

それが立春。

つまり、カレンダーの世界では、ここが正真正銘“年の幕開け”なんですね。

…あれ?お正月って1月1日じゃなかったっけ?というツッコミは、また後でじっくりお話しするとして。

さて、そんな立春のあたりには、さらに小さな“春のサイン”が潜んでいます。

それが「七十二候(しちじゅうにこう)」。

これは二十四節気をさらに3つに割った、超ミクロな季節の動き。

立春の頃には、まず「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」なんていう、なんとも詩的な言葉が登場。

寒さでバリバリに凍っていた川の氷が、東から吹く風でちょびっとだけ溶けはじめる…春って、そんな繊細なやつだったのか。

続いて「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」がやってくると、ウグイスがちょっと調子外れな初鳴きをするんですね。

「ホ…ホケキョ…あれ?まだか」みたいな。

最後は「魚上氷(うおこおりをいずる)」。

溶けかけた氷のすき間から、魚がチラッと顔を出す…春、いよいよ本気かも!?

つまり、立春というのは「寒いけど、春の足音はもうすぐそこにあるよ」っていう“自然界からの小さなラブレター”なんです。

そう思えば、ちょっと寒くても空を見上げてみたくなりませんか?

木の芽がふくらんでないか、風の匂いがちょっと変わってないか──そう、昔の人はこれを見逃さなかった。

そして今も、この時期だけに伝わるおまじないのような言葉があります。

「立春大吉」──これを紙に書いて、立春の朝に玄関に貼るだけで、なんと一年間の厄除けになるという、ありがた〜い風習。

しかも縦書きにすると左右対称、つまり“魔が入ってこられない”という、なんともシャレが効いたデザイン性まで持ち合わせています。

見た目は完全に冬。

体感も冬。

だけど暦の目線で見れば、そこはもう春。

そんなズレを逆手に取って、春の訪れを先取りする。

これが“立春”の粋な楽しみ方なのです🩷。

第2章…節分は4人兄弟の長男だった!? 意外な暦の舞台裏


「節分」と聞いて、あなたが思い浮かべるのは──お面をかぶった鬼と、リビングで豆をぶつけられて全力で逃げるお父さんの姿かもしれません。

あるいは無言で恵方巻を丸かじりしている光景かもしれませんね。

ところがどっこい、この節分という行事、実はただの2月イベントではありません。

なんと、1年に4回あったのです。

4回ですよ、奥さん!

まるで“四天王”のような貫禄で、立春・立夏・立秋・立冬という4つの季節の変わり目すべてに節分があったという、暦のゴージャスな裏設定。

ところが今では、2月の節分だけが生き残り、残りの3人兄弟は静かにフェードアウト。

長男だけが脚光を浴びるという、まるで時代劇のような話じゃありませんか。

では、なぜ2月だけが勝ち残ったのか──理由はひとえに「立春がすごすぎる」から。

暦のうえでは立春が“1年のスタート地点”、つまりカレンダー界の初日の出。

この“最初感”が強すぎるからこそ、その前日にある節分も「特別扱い」されるようになったわけです。

季節の節目に邪気が入りやすいという古来の考え方から、その前日に豆をまいて鬼を追い出すという儀式が始まったんですね。

…え、鬼ってリアルに存在するの?と疑問を持ったあなた。

大丈夫、それは“災い”や“悪い流れ”といった抽象的なモノの象徴。

つまり豆まきとは、「やなこと全部出てけー!」っていう精神の大掃除なんです。

ちなみに節分といえば「豆まき」と「恵方巻」がセットで思い浮かびますが、この恵方巻、実はつい最近ブームになった新参者。

節分の歴史が室町時代からあるのに対して、恵方巻は20世紀に入ってから大阪の商人が仕掛けたキャンペーンがきっかけという、いわば暦の“バズグルメ”。

その結果、豆まきと恵方巻という全然違う方向性の2つのイベントが、なぜか同じ日に肩を並べてるんですから不思議ですよね。

これも現代の節分ならではの魅力かもしれません。

それにしても、「季節を分けるから“節分”🩷」。

言葉の意味をそのまんま素直に受け止めればいいのに、どうして2月だけしか残ってないのか…。

それはやっぱり、立春という“春のフラグ”があまりにも強烈だったから。

他の三兄弟が静かに去っていく中、2月の節分だけは「俺が残る!」と主張し続け、見事、カレンダー界の“単独主演”を勝ち取ったわけですね。

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第3章…立春と春分のどっちが春の主役?暦界のダブル主演に迫る


さあ、春のセンター争いに名乗りを上げた2人をご紹介しましょう。

ひとりは2月上旬の寒風吹きすさぶ頃に「春が来たよ!」と早出しアピールをかましてくる“立春”。

そしてもう一人は3月下旬、昼と夜がぴったり半分こになった頃に登場する“春分”。

この2人、どちらも堂々たる“春”の看板を背負いながら、ちょっぴり似ていて、けっこう違う。

それなのに、どちらが春の主役かという問いには、現代人もカレンダーも、やや気まずい沈黙を守る──そんな暦界のダブル主演劇場、開幕です。

まず立春は、2月4日ごろにやってきて、「まだ寒いけどスタート切っちゃいま〜す!」というノリで暦の春を宣言します。

これは、昔の農耕社会において“種をまく季節の始まり”という、いわば農作業スイッチオンのタイミング。

寒いけど、もう準備しておかないと後が大変だからね…という農民の生活リズムに合わせた、いわば“心の春”なんです。

逆に、春分は3月21日ごろ。

昼と夜の長さがほぼ同じになるこの日は、“太陽と地球が絶妙なバランスを保つ奇跡の日”。

科学的にも天文学的にも“春ど真ん中”のシンボルなんですね。

つまり、立春が「春の予告編」なら、春分は「本編ど真ん中の名場面」みたいなもの。

しかも春分の日といえば「お彼岸」。

ご先祖さまとつながる日としてお墓参りをする風習があり、“太陽が真東から昇り真西に沈む”という自然の摂理に重ねて、“あの世とこの世が最も通じ合う日”とまで言われています。

スピリチュアル感も満載で、立春の「ちょっとウグイス鳴き始めました〜」なんていう控えめな春とは、やや温度差を感じる今日このごろ。

さて、この2人、いったいどっちが春の主役なのか?

それはもう、見る人の価値観次第。

“先取り命!”なあなたには立春がおすすめ。

「お正月なんて待ってられない、福袋は元旦前に買う派です!」という方は、立春のフライング感がたまらないはず。

一方、“整ってから来てほしい派”なあなたには春分がピッタリ。

「まだ寒いのに“春”って言われても無理っす…」というリアリストさんには、春分こそがまさに“春の本番”です。

ちなみに、気象庁が発表する「春一番」という言葉も、実はこのふたりの間に登場します。

立春と春分のあいだに吹く、気温がグンと上がる南風のことを指しているんです。

つまり、この2人の間には“春らしさ”がだんだんと高まっていく美しい流れがあるということ🩷。

まるで冬の卒業式と春の入学式のあいだの春休み、そんな時間を過ごすような気持ちで、どちらも愛してあげるのが、大人の余裕かもしれませんね。

第4章…春一番の裏にあった漁師の涙と気象庁のルールブック


2月から3月へと季節が揺れ動くころ、ある日突然、強い南風がビューンと吹きつけてきて、つい「うわ、春一番じゃん!」とつぶやいたこと、ありませんか?

でもちょっと待ってください。

その風、本当に“春一番”でしょうか?

──実は春一番って、ただの強風じゃ名乗れない。

ちゃんとした資格試験……いえ、気象庁の“ルールブック”に合格しなければならない、選ばれし風なのです。

その条件とは、立春から春分までの間に、広い地域にわたって「南寄りの風」で、「前日より気温が上がり」、「最大風速が8メートル以上」という3拍子がそろったとき、ようやく“春一番”と認定されるのです。

なんだか履歴書の資格欄みたいですね。

でもこの厳格なルールには、ただの自然観察ではない、深い背景があるんです。

物語の舞台は1859年、長崎・五島列島の沖合。

まだ“春一番”なんて言葉が存在しなかった時代。

春のはじめ、突然の強風に見舞われ、漁に出た多くの漁師たちが海の中へ消えていきました。

風の変化を読むことに命を懸けていた彼らでさえ、太刀打ちできなかった暴風。

──それをきっかけに、村人たちは「この風が吹いたら春が来る。

けれど、命も危ない」と語り継ぐようになりました。

それが後に“春一番”という言葉へとつながっていったのです。

この悲しみの記憶を風の名前に残すことで、「同じ過ちを繰り返さない」ための知恵として活用されてきた。

そう考えると、“春一番”という響きに、ただ「春っぽくていいね!」と無邪気にウキウキしてる場合じゃない気がしてきますよね。

華やかな季節の前触れであると同時に、自然をなめるなというメッセージが込められているのです。

とはいえ現代では、“春一番=春服のバーゲンスタート!”みたいな使われ方も増えて、なんだかおしゃれなイベントみたいに思われがち。

でもその裏には、涙でにじんだ過去と、それをきちんと記録して受け継ぐための気象庁の真面目な努力がある。

南風の向こうに、命を懸けて海に出た人たちの願いや、自然との共存の知恵がある──そう思うと、風が吹くだけで、なんだか少し、心がピンと張りますよね。

春一番、それはただの風ではなく、「春はやって来る。でも気をつけて」とそっと耳元でささやく、優しくも厳しい季節からのメッセージなのかもしれません🩷。

第5章…“立春大吉”は最強の開運アイテム?お寺の先輩に聞いてみた


突然ですが、あなたのおうちの玄関には、紙が貼られていたりしませんか?

しかも、筆でキリッと「立春大吉」と書かれた、あれ。

なんか縁起良さそうだけど、実際これって何の儀式?

貼ったら本当にご利益あるの?

──そんなあなたの疑問を抱えたまま、とある禅寺の門前で深呼吸。

いや~立春の空気はちょっぴり澄んでいて、背筋が伸びる気がします。

ということで今回は、お寺の“暦マスター”と呼ばれる住職さんに、その謎を聞いてきました。

「“立春大吉”はね、実はお寺の世界ではとても古くからあるおまじないなんですよ」と住職さんは穏やかな笑みを浮かべながら語ってくれました。

「立春の日の朝に、この四文字を毛筆で書いて、玄関の内側に貼る。これが、厄除けになるんです。」へぇ~と感心しながらメモを取る私に、住職はさらに続けます。

「縦書きにするとね、“立春大吉”って左右対称になるんですよ。これが大事でね、門を入って来た災いが、このお札を見て“あれ?出てきたときと同じ景色やん”と錯覚して、くるっと引き返してしまうってわけです。」

まさかの錯覚トリック!

お札というより、災いにとっての迷路の出口か!?

というツッコミを胸にしまいつつ、その知恵の奥深さに脱帽しました。

たった四文字の紙が、こんなにも強力な“開運アイテム”だったなんて…。

しかも書いて貼るだけでいいなんて、お守り界のミニマリストですよ。

さらに住職によると、この「立春大吉」、禅宗だけでなく、民間にも広まり、お年寄りの中には毎年この日が来ると、半紙と筆を取り出して、丁寧に書く方もいるのだとか。

「字に自信がなくても、気持ちがこもっていれば十分ですよ」と、ありがたいお言葉。

よし、それなら私も今年は挑戦してみようかしら。

筆がなければマジックペンでも、半紙がなければコピー用紙でも──きっと春の神様はその努力を見てくれるはず。

寒さが続いて気持ちが沈みがちなこの時期に、「一年の災いを門前でシャットアウト!」というこのおまじない。

科学的な根拠はないけれど、心を整えるリセットボタンとしては、最強クラスの習慣かもしれません🩷。

“立春”という春の入り口に、ちょっぴり希望とユーモアをのせて。

さぁ、あなたも今年は「立春大吉」、玄関に貼ってみませんか?

思いのほか、鬼の足音がスッと遠のくかもしれませんよ。


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まとめ…寒くても“春の気配”はあなたのそばにいる


2月の朝、窓を開ければまだ吐く息は白くて、手袋なしじゃ郵便ポストもつらい。

そんな中で「今日は立春です」なんて言われても、どこの世界の話やねん…とつぶやきたくなる気持ち、よくわかります。

でもその一言が、実は暦という名の物語の“プロローグ”だったと知ったら──少しだけ春を信じたくなりませんか?

豆まきで鬼を追い出す節分、まだ凍る川面の下から魚が顔を出す七十二候、そして“立春大吉”の四文字に込められた願い。

さらには、漁師たちの祈りが風に姿を変えた“春一番”という名のメッセージ。

こうして紐解いてみれば、「立春」とは、ただの日付でも、気温の話でもなく、「季節の感性」を呼び起こす心のスイッチだったのかもしれません。

春分のような明確な昼夜の分かれ目ではなく、立春はどこかぼんやりと、でも確かにそこにある“気配”。

それは、玄関に貼った一枚の紙だったり、遠くで鳴いたウグイスの声だったり、いつもより少し柔らかくなった夕暮れの光だったり。

そんな小さなサインを見つけるたび、なんだか自分もちょっと成長した気がしてくるから不思議です。

暦とは、古い言葉を使って、今を丁寧に生きるための道しるべ。

たとえまだ寒くても、春の気配は、ちゃんとあなたのそばにいる。

そう信じて、ほんの少し背筋を伸ばして歩いてみれば、足元の土の匂いや空の明るさが、ふと変わって感じられるかもしれません🩷。

さぁ、今年も“暦の春”と共に、新しい一歩を始めましょう。

きっとそこに、あなたなりの春が待っています。

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