世界亀の日に考えるカメと人のちょうど良い距離
はじめに…5月23日にカメの歩幅で暮らしを眺めてみよう
5月23日は「世界亀の日」。世界のあちこちで暮らすカメたちに目を向け、その存在や環境について考えるキッカケになる日です。
池の石の上で甲羅干しをしていたり、水面からヒョコっと顔を出したり。こちらが朝から予定に追われていても、カメはどこ吹く風です。「ちょっと急いでくれません?」と頼んでも、おそらく聞く耳ならぬ甲羅を向けられるだけでしょう。その悠々自適な姿を眺めていると、人間の方が少し急ぎ過ぎているのかもしれないと思えてきます。
けれど、人とカメの関係は「可愛い」「のんびりしている」だけではありません。日本ではスッポンを食文化として味わい、家庭では長く付き合うペットになり、公園や川辺では野生の姿をそっと眺めることも出来ます。同じカメでも、出会う場所によって私たちとの距離は随分と変わります。
食べる命として向き合うこと。家族のように飼うこと。野生の暮らしには手を出さず見守ること。それぞれに違う責任があり、それぞれに一期一会の面白さがあります。
5月の気持ちよい陽気の中、たまには人間の時計を少しだけ緩めて、カメの歩幅から身近な自然を眺めてみませんか?急がない生き物だからこそ、こちらが足を止めた時に見えてくるものがありそうです。
[広告]第1章…食べるカメに敬うカメ~世界の食文化から見える命との付き合い方~
「カメを食べる」と聞くと、池で甲羅干しをしている姿が頭に浮かんで、「えっ、あのカメを?」と少し戸惑う人もいるでしょう。けれど世界を見渡せば、カメの仲間を食材として大切に扱ってきた地域があります。日本でよく知られているのがスッポンです。鍋やスープ、最後の雑炊まで楽しむ料理として知られ、養殖されたスッポンも食用として流通しています。
中国ではスッポンの仲間を「甲魚」と呼び、薬膳スープや炒め物などに使う食文化があります。ベトナムやタイでも似た食べ方があり、アジアの中だけでも付き合い方は千差万別。さらにアメリカ南部のルイジアナでは、スナッパータートルを使った濃厚なスープが伝統料理として知られています。南太平洋の島々でも、ウミガメが儀礼の食に用いられていた時代がありました。
日本人の感覚では「スッポン鍋は聞いたことがある。でもカメのスープまで来ると急に世界旅行だな」となりそうです。食卓というものは面白く、こちらの常識が国境を1つ越えただけで、向こうでは昔から続く普通のご馳走だったりします。食文化に正解を1つだけ置こうとすると、お箸を持ったまま腕組みすることになりそうです。
但し、「カメなら何でも食べられる」という話ではありません。野生のカメには寄生虫や病原菌の危険があり、食用として適切に管理されたもの以外を安易に口にするべきではありません。また、多くのカメが絶滅危惧種(絶滅するおそれが高い生き物)として扱われ、ウミガメの捕獲や食用を禁止している地域もあります。珍しいから一度食べてみよう、という好奇心だけで自然の命に手を伸ばす話ではないのです。
食べる文化を知ることと、何でも食べて良いと考えることは別物です。昔から受け継がれてきた食の背景を知り、現在の自然環境にも目を向ける。その両方が揃ってこそ、命をいただく意味が見えてきます。
ご馳走とは、珍しいものを口にすることより、その命と文化に敬意を持って向き合うところから始まります。
スッポン鍋の湯気の向こうにも、世界各地のカメ料理の向こうにも、人が長い年月をかけて育ててきた食文化があります。カメを「可愛い生き物」として見る目と、「いただく命」として見る目。その2つは必ずしも矛盾するものではありません。感謝して食べること、守るべき命には手を出さないこと。その境目を知ることも、自然と付き合う大切な作法なのでしょう。
第2章…可愛いだけでは始めない~ゆっくり長く続くカメとの暮らし~
子どもの頃、小さな容器の中でミドリガメを飼った記憶がある人もいるでしょう。水から顔を出し、浮き島によじ登って甲羅干し。じっとしていると思ったら、エサの気配には妙に素早い。「さっきまでのんびりしてなかった?」と、こちらが思わずツッコミたくなる瞬間です。
ミドリガメとして親しまれてきたカメは、正式にはアカミミガメと呼ばれます。小さい頃は鮮やかな緑色で愛らしいのですが、成長すると30センチを超えることもあり、長く生きる動物でもあります。「小さなカメだから小さな水槽で大丈夫」と思って迎えたはずが、気づけば住まいの方をカメに合わせることになる。そんな話も珍しくありません。
リクガメにも独特の魅力があります。草をむしゃむしゃ食べ、がっしりした手足でゆっくり歩く姿は、見ているだけで時間の流れまで緩く感じられます。人間が「遅刻する!」と部屋を行ったり来たりしている横を、カメは悠々自適に一歩、また一歩。どうやら時計を気にしているのは人間だけらしい、と少し可笑しくなります。
無表情に見えるカメにも、それぞれ違った様子があります。近づくと首を伸ばしてこちらを見る子もいれば、甲羅に引っ込んだまま慎重に様子を見る子もいる。エサになると急に積極的になる子までいて、正に十人十色ならぬ「十亀十色」です。長く一緒に暮らせば、飼い主の方にも「今日はご機嫌かな」と観察する習慣が生まれていきます。
けれど、カメとの暮らしで大切なのは「可愛い」の先を考えることです。寿命はどれくらいなのか、成長した時に十分な飼育スペースを確保できるのか、どんなエサが必要なのか、冬の過ごし方はどうするのか。小さな甲羅の中には、これから続く長い暮らしが入っています。
カメを迎えるということは、小さな生き物を買うことではなく、その先の長い時間まで一緒に引き受けることです。
その準備が出来てから始まるカメとの生活は、忙しない毎日に少し違うリズムを運んでくれます。急かしても急がない。人間の都合にも合わせ過ぎない。それでも毎日そこにいて、ゆっくり食べ、ゆっくり歩く。その姿に合わせているうちに、こちらまで肩の力が抜けてくるから不思議です。
可愛さだけで始めず、最後まで暮らす覚悟を持つ。その上で付き合えば、カメの悠々自適な時間は、人の暮らしにも静かな余白を作ってくれるのでしょう。
[広告]第3章…触れなくても楽しい~池のほとりで始まる小さなカメ観察~
春から初夏へ向かう頃、公園の池や川辺を覗いてみると、石や倒木の上にカメが乗っていることがあります。じっと動かず、太陽に甲羅を向けている姿は、遠目には置き物のよう。それなのに人が近づいた途端、ポチャンと水の中へ消えてしまいます。「あ、見つかったのは私の方だったか」と思わされる瞬間です。
5月頃になると、水辺のカメたちは活動しやすい季節を迎え、日の当たる場所へ出て甲羅干しをする姿も見られます。石の上、丸太の上、池の縁。特別な道具を持って遠くへ出かけなくても、身近な水辺に小さな自然観察の舞台が出来ています。
面白いのは、ただ止まっているように見えるカメにも小さな出来事があることです。1匹が気持ち良さそうに日光浴しているところへ、もう一匹が後ろからよじ登る。場所を譲るのかと思えば押し合いになり、2匹が揃って水へドボン。本人たちは真剣なのでしょうが、見ている側にはちょっとした水辺のコントです。
そんな場面に出会っても、捕まえたり、近くで触ったりする必要はありません。少し離れた場所から眺めるだけでも十分楽しめます。カメがこちらとの距離を保ちながら水面から顔を出す姿には、野生の生き物らしい慎重さがあります。こちらも一歩踏み込み過ぎず、「今日は会えたね」くらいの気持ちで立ち去る。その一期一会が、却って心に残ります。
自然を楽しむことは、必ずしも触れることではなく、そっと見守るだけでも立派な付き合い方です。
忙しい日は、公園を歩いていても池はただの池、木はただの木になってしまいがちです。ところが1匹のカメを探すつもりで眺めると、水面の揺れや鳥の声、風で動く草まで目に入ってきます。カメを見つける遊びだったはずが、気づけば周りの季節まで見ている。そんな一石二鳥ならぬ「一亀二鳥」が起きるのも、散歩の面白いところでしょう。
何もしゃべらず、こちらを楽しませようともせず、カメはいつものように暮らしています。それでも人が少し足を止めれば、そこにはちゃんと小さな発見があります。急いで通り過ぎれば数秒の景色が、立ち止まれば思い出になる。カメを見守る時間には、そんな静かな豊かさがあります。
第4章…介護の場にも「のんびり」を~カメが運んでくる自然な笑顔~
介護施設のレクリエーションというと、体操、歌、ゲーム、工作など、「何かをする時間」を思い浮かべやすいものです。けれど、小さな庭や池のそばでカメが甲羅干しをしていたら、それだけで午後の過ごし方が少し変わります。「今日は3匹いるね」「あっちの子、動いたよ」。そんな何気ない会話が生まれれば、職員が「さあ始めますよ」と号令をかけなくても、いつの間にか和気藹々とした時間が始まっています。
カメの良いところは、人を急かさないことです。石の上でじっとしているカメを眺めながら、利用者さんもじっとする。少し歩けば「動いた」、水へ入れば「行っちゃった」。出来事としてはそれだけなのに、不思議と話題になります。職員が必死になって盛り上げようとしている横で、カメが首をヒョイと伸ばした瞬間に全員の視線をさらっていくなら、「今日の司会、私じゃなくて君だったのね」と苦笑いするしかありません。
レクリエーションは、人を楽しませるために予定を詰め込むことだけではなく、自然に心が動くキッカケを置いておくことでもあります。カメを眺める時間には、正解も勝ち負けもありません。「参加できた」「出来なかった」と考える必要もなく、それぞれが好きな距離から眺めれば十分です。悠々自適なカメの姿そのものが、忙しさから少し離れる合図になってくれます。
さらに、食事にも季節行事や特別感を重ねられます。カメを眺めた日にスッポン料理を楽しむという発想は少々大胆ですが、養殖されたスッポンを使った鍋やスープなら、「見るカメ」と「食文化としてのカメ」という2つの顔から話題を広げられます。最初は「さっきカメを見たばかりなのに?」と驚く人がいるかもしれませんが、その戸惑いまで含めて会話の種になります。元になった場面でも、カメを眺めた後のスッポン料理が、いつもとは違う昼下がりを作っています。
大切なのは、毎回派手な催しを用意することではないのでしょう。庭に出て季節の風を感じる、水面を眺める、カメを見つけて誰かに教える。そんな小さな出来事でも、人と人の間に会話が生まれれば、立派な暮らしの楽しみになります。「急がば回れ」ということわざがありますが、介護の時間にも少し似ています。楽しませようと急ぐより、のんびり眺める余白を残した方が、笑顔へ近づける日もあります。
カメは芸を披露してくれるわけでも、予定表通りに石へ上がってくれるわけでもありません。それでも「今日はいるかな?」と庭を見る楽しみが生まれれば、何でもない日常に小さな続きができます。昨日見たカメを今日も探し、今日会えなければ明日を待つ。そんなささやかな期待が、施設の一日を少しだけ明るくしてくれるのです。
[広告]まとめ…急がないから見えるもの~カメが教えてくれる心地良い距離感~
カメは不思議な生き物です。ある場所では大切な食文化の一部になり、ある家庭では長い年月を共にするペットになり、公園の池では人に触れられることもなく、今日も静かに甲羅を干しています。同じカメでも、人との距離は実に様々です。
食べるなら、命と文化に敬意を持つ。飼うなら、その先の長い年月まで引き受ける。野生で出会ったなら、追いかけずにそっと眺める。どれも形は違いますが、そこには「人間の都合だけで近づき過ぎない」という共通した優しさがあります。自然との付き合いは自由奔放でよいように見えて、実は相手の暮らしを尊重してこそ心地良く続いていくのでしょう。
そしてカメを眺めていると、こちらの時間まで少し緩みます。昨日より数センチ進んだかどうかも分からないような歩みなのに、本人は入たって平然。「そんな速度で今日中に着くの?」と心配するのは人間ばかりで、カメとしては余計なお世話なのかもしれません。急ぐことに慣れた暮らしの中で、悠々自適という言葉をそのまま背負って歩いているような存在です。
毎日を元気にするものは、何か特別な出来事だけではなく、立ち止まった時に見つかる小さな面白さなのかもしれません。
5月23日の世界亀の日には、水辺を少し眺めてみたり、カメと暮らした記憶を思い出したり、世界の食文化へ想像を広げたりしてみるのも楽しそうです。何もカメの速度で一日中歩く必要はありません。それをやったら夕飯までに家へ帰れるか少々心配です。ただ、忙しい日の中に数分だけカメのような泰然自若の時間を持つくらいなら、悪くありません。
池の石の上に1匹のカメがいる。それだけの風景でも、気づいた人にはちょっと楽しい出来事になります。カメは今日も急ぎません。私たちも時には、その背中を見習って、自分の歩幅で周りを眺めてみましょう。昨日まで素通りしていた景色の中に、明日を少し楽しみにできる何かが待っているかもしれません。
[ 広告 ]今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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