5月29日のエスニックの日に考える病院と施設の食の未来

目次
はじめに…
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エスニック料理と聞くと、異国の香り漂う特別なものだと思われがちだ。
でも、実は私たちの身近には、カレー🍛やラーメン、ナポリタンなど、すでに多くのエスニックの要素が溶け込んでいる。
5月29日のエスニックの日を機に、病院や施設の食事にも、もっと多様な味を取り入れることを考えてみたい。
食事は生きる楽しみのひとつ。
個人の好みや思い出の味に寄り添うことで、「食べたい」という気持ちが生まれ、健康にもつながる。
和食だけが正解ではない。世界の知恵を活かし、もっと豊かな食の未来を描いていこう。
日本は集団生活の名の下に個性を潰す現状がある
日本では「みんな同じ」が良しとされることが多い。
学校では同じ制服を着て、同じ給食を食べ、会社では同じスーツを着て、ランチも大体似たような定食。
集団生活の中で「個性」より「足並みを揃えること」が優先されることに、何の違和感も持たずに育つ人が多い。
それは病院や施設の食事にも色濃く反映されている。
栄養バランスが整った食事が提供され、見た目もシンプルで万人受けするものばかり。
でも、ふと考えてみると、不思議なことに気づく。
高齢者施設で出される料理は、どこも似たようなものばかりだ。
焼き魚🐟、煮物、お浸し、味噌汁、ご飯。
時々、変化をつけようとハンバーグやクリームシチューが登場するものの、「よくある家庭料理」の域を出ない。
そして、病院ではさらに食事の自由度は狭まり、消化に良いもの、胃に優しいもの、刺激が少ないものが優先される。
その結果、選択肢はどんどん減っていく。
でも、ちょっと待ってほしい。
和食が食べたい人もいれば、そうでない人もいるはず。
例えば、若い頃に海外で暮らした経験がある人はどうだろう?
あるいは、エスニック料理が好きで、普段からスパイスを効かせた食事を楽しんでいた人は?
それなのに、施設や病院に入った途端、いきなり「あなたはこれを食べなさい」と画一的な食事を提供されるのは、ちょっと乱暴な話じゃないだろうか。
高齢になればなるほど、「個人の食の好み」が無視されやすくなる。
それは、介護現場や医療現場の「効率の良さ」を優先しているからだ。
大量調理をする現場では、一人ひとりの希望を聞いている余裕はない。
誰にでも食べられる無難な味付け、定番のメニューが当たり前になり、「みんな同じものを食べるのが普通」という価値観が出来上がっている。
でも、それって本当に「普通」なのだろうか?
食事は、生きる喜びのひとつだ。
美味しいものを食べると、気持ちが上がる。
好きな味を楽しめば、それだけで元気が出る。
でも、病院や施設での食事は、どうしても「栄養バランスが取れていればいい」「食べやすければいい」という視点に偏りがちだ。
本来なら、食事はもっと自由であっていいはず。
それに、時代は変わっている。
これから施設や病院で生活することになる世代は、すでに「和食しか知らない世代」ではない。
海外旅行を楽しんできた人もいれば、仕事で海外に住んだことがある人もいる。
若い頃からカレーやパスタ、タイ料理や中華を当たり前に食べていた人も多い。
そんな人たちが、突然「和食ばかりの食生活」になることを、本当に受け入れられるだろうか。
かつて「和食=日本人に最適な食事」という考え方があったのは、和食以外の選択肢が少なかった時代の話だ。
でも、今は違う。
和食もいいけれど、それだけではない。
せっかく世界中の美味しい料理を楽しめる時代に生きているのだから、もっと「食の自由」があってもいいんじゃないだろうか。
「みんな同じものを食べるのが当たり前」なんて、そろそろ終わりにしよう。
これからの病院や施設の食事は、「みんなに合うもの」ではなく、「あなたに合うもの」を目指すべきなんだ。
世界に広げて様々なエスニックに学び、取り入れるべき理由
世界には、驚くほど多種多様な食文化がある。
日本にいると、どうしても和食中心の食生活が「当たり前」になってしまうけれど、一歩外に出れば、それが決して唯一の選択肢ではないことに気づく。
例えば、朝食ひとつとっても、フランスではクロワッサンとカフェオレ、アメリカではベーコンと卵、タイではお粥、メキシコではトルティーヤを使った料理が並ぶ。
どの国にも、その土地の歴史や風土に根付いた食べ方があり、それぞれに違った魅力があるのだ。
なのに、日本ではなぜか「エスニック料理は特別なもの」という扱いを受けてしまう。
フォーやグリーンカレー、タコスやケバブは「外食で楽しむもの」という感覚が根強く、家庭や病院・施設の食事にはなかなか登場しない。
でも、ちょっと待ってほしい。
エスニック料理が日本の食卓に馴染まない理由なんて、本当にあるのだろうか?
実際、私たちの身の回りには、すでに多くのエスニック料理が溶け込んでいる。
カレーライスはインドから、日本のラーメン🍜のルーツは中国から、ナポリタンはイタリアをイメージしながらも日本独自の進化を遂げたものだ。
つまり、日本人は昔から、異国の料理を取り入れ、自分たちの味にアレンジしながら楽しんできたという歴史がある。
では、なぜ病院や施設の食事には、それが取り入れられないのか。
理由のひとつは、「食べ慣れていない人がいるから」というものだろう。
でも、本当にそれだけだろうか?
和食しか食べたことがない高齢者がいるのは事実かもしれないが、それは同時に、若い頃から海外の料理を楽しんできた高齢者も増えているということを意味している。
すべての人が和食一辺倒なわけではなく、むしろ多くの人が、カレーやパスタ、チャーハンやビビンバの味を知っている。
また、「高齢者には和食の方が優しい」という考え方もあるかもしれない。
でも、それは単なる思い込みだ。
スパイスを効かせすぎなければ、エスニック料理は決して食べにくいものではないし、むしろ和食にはない新しい風味を楽しめるチャンスでもある。
トムヤムクンの酸味が食欲を刺激することもあれば、フォーのあっさりとしたスープが胃に優しく染み渡ることもある。
つまり、エスニック料理は決して「特別なもの」ではなく、日本の食事に自然と取り入れていけるものなのだ。
さらに、世界の食文化には、病院や施設の食事にも応用できるヒントがたくさんある。
例えば、フランスの高齢者施設では、見た目にも美しく食欲をそそるように、ピューレ状の料理をデザインして提供する取り組みが行われている。
アジア圏では、香草やスパイスの香りを活かして、塩分を控えめにしながらも美味しく仕上げる調理法が根付いている。
これらの知恵を日本の病院や施設でも活用すれば、「食事が単なる栄養補給ではなく、楽しみのひとつになる」という方向にシフトしていくことができるはずだ。
病院や施設の食事は、「安全で食べやすいもの」であることが求められるのは当然のこと。
でも、それだけでいいのだろうか?
「食事は人生の楽しみ」という視点を持つならば、もっと選択肢があってもいいはず。
和食しか食べられないという前提ではなく、カレーが好きな人にはスパイスを控えたインド風カレーを、パスタが好きな人には柔らかく仕上げたイタリアンを、フォーが好きな人には和風アレンジを加えて提供する。
そんなふうに、世界の食文化を取り入れながら、その人に合った食事を提供することができたら、病院や施設の食事は、もっと豊かで楽しいものになっていくのではないだろうか。
エスニック料理は、ただの「異国の味」ではない。
長い年月をかけて、その土地で愛され、受け継がれてきた「食の知恵」そのものなのだ。
それを取り入れない手はないし、食事のバリエーションを広げることで、病院や施設の食事に対する価値観も、きっと変わっていくはずだ。
病院や施設でキーとなるのは栄養士とSTの連携の手腕が最良を導く
美味しくて楽しい食事を提供するためには、誰が一番大きな役割を担うのだろうか?
それは間違いなく、栄養士とST(言語聴覚士)の連携だ。
この二者がうまく手を組み、それぞれの専門性を活かして工夫を凝らせば、病院や施設の食事はもっと豊かになるはずだ。
ところが、現実はどうだろう。
栄養士は栄養価とバランスを考え、STは嚥下しやすい形態を優先する。
それぞれが専門分野に忠実であるあまり、時に「食事の楽しさ」という本来の目的が見失われてしまうことがある。
例えば、ある高齢者が「昔よく食べたトムヤムクンをもう一度食べたい」と言ったとしよう。
栄養士は塩分やカロリーを考え、STはスープが誤嚥しやすいことを懸念する。
すると、「塩分が高すぎるから和風の出汁にしよう」「誤嚥のリスクがあるから、とろみをつけて別の料理にしよう」という話になり、結局トムヤムクンの面影すらない「ただの和風とろみスープ」が出てくることになる。
これでは、せっかくの「食べたい!」という気持ちが台無しになってしまう。
本来、栄養士とSTは対立する存在ではなく、同じゴールを目指すパートナーであるべきだ。
栄養士が「この人の思い出の味を大切にしたい」と考え、STが「その味を安全に食べられる形に工夫する」という姿勢を持てば、食事の選択肢はもっと広がる。
例えば、トムヤムクンなら、スパイスを控えめにし、酸味をほどよく残しつつ、具材を柔らかくして食べやすくする。
スープはとろみをつけてもいいが、香りや風味を消さない工夫をする。
そうすれば、「これは確かにトムヤムクンだ!」と感じられるものになる。
病院や施設の食事は「食べられること」だけが目的になりがちだが、本来は「食べたいと思えること」が大前提であるべきだ。
食べる意欲が湧けば、それが嚥下力の維持にもつながり、全身の健康にも良い影響を与える。
だが、その「食べたい気持ち」を無視して、「とにかく安全だからこれを食べてください」という食事を出してしまうと、食べる楽しみが失われ、結果的に食が細くなり、衰えていく悪循環に陥ることになる。
エスニック料理を取り入れることは、「味の選択肢を増やす」だけでなく、「その人が食べることへの興味を取り戻す」ことにもつながる。
スパイスの香りで食欲が刺激されることもあれば、懐かしい異国の味に心が躍ることもある。
栄養士とSTが手を組み、「どうすれば食べたい気持ちを大切にしながら、安全に楽しめるか?」を考えられれば、病院や施設の食事は格段に魅力的なものになるだろう。
食事は、人の記憶や感情と深く結びついている。
ある料理を食べた瞬間に、その香りや味が過去の思い出💡を呼び起こすことがある。
「これは昔、旅先で食べた味だ」「あの頃、家族と一緒に楽しんだ料理だ」そんな感覚が、食べる意欲をぐっと引き上げることがあるのだ。
だからこそ、病院や施設の食事には、ただ栄養価や安全性を考えるだけでなく、「その人の人生に寄り添った食事」を提供する視点が必要なのだ。
病院や施設の食事が、単なる生存のための食事ではなく、「生きる喜びを感じる食事」に変わる。
そのために、栄養士とSTが「個人の好み」や「思い出の味」を尊重しながら、最良の方法を一緒に考えることが求められているのだ。
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まとめ エスニック料理が食の未来を変える
食事は、ただ生きるために必要なものではなく、人の心を満たし、喜びを与えるものだ。
けれど、病院や施設では、いつの間にか「食べられればいい」「栄養バランスが整っていればそれでいい」という考え方が当たり前になってしまった。
確かに、食事は健康を支える大事な要素だ。
しかし、それだけでは足りない。
食事には、「楽しみ」や「思い出」といった、人が生きる上で欠かせない感情の部分が深く関わっている。
和食が基本というのは、日本では長年続いてきた食文化の流れの一部だ。
しかし、時代は変わり、人々の食の好みも多様になった。
今の高齢者だって、昔から和食しか食べてきたわけではない。
カレーが好きな人もいれば、パスタや中華が好きな人もいる。
旅行で出会った味、海外での暮らしで覚えた味、家族と楽しんだ思い出の料理——それらを「特別なもの」として遠ざけるのではなく、もっと日常の食事の中に溶け込ませていくべきなのだ。
エスニック料理を取り入れることは、単に「新しい味を増やす」ことではない。
それは、「食事に対する固定観念を変える」ことでもあり、「個人の食の好みを尊重する」ことでもある。
そして、何より、「食べる喜びを取り戻す」大きなきっかけになる。
スパイスの香りが食欲を刺激し、懐かしい味が記憶を呼び覚まし、異国の風味が日々の食事にワクワクをもたらす。
食べたい気持ちが湧いてくることで、嚥下力の維持にもつながり、食事そのものが健康を支える力を持つようになる。
だからこそ、病院や施設の食事に、もっとエスニック料理の要素を取り入れるべきだ。
何も、毎日スパイスの効いた料理を出す必要はない。
少しずつでもいい。
フォーのように優しいスープと麺の組み合わせを試す。
カレーのスパイスを少し効かせて、香りを引き立てる。
メキシコのトルティーヤのように、具材を包んで楽しく食べられる形にする。
ほんの少しの工夫で、食事の世界はぐんと広がる。
そのために、栄養士とSTが協力し合い、「どうすれば食べたい気持ちを引き出せるか?」を一緒に考えることが重要になってくる。
栄養バランスも大切、安全性も大切。
でも、それだけでなく、「この人が本当に楽しめる食事は何だろう?」という視点を持つことが、これからの病院や施設には求められている。
5月29日、エスニックの日🩷。
この日は、単なる「異国の料理を楽しむ日」ではなく、「食の多様性と、その可能性を考える日」でもある。
病院や施設の食事が、もっと個人に寄り添い、もっと楽しく、もっとワクワクするものになったらどうだろう。
そんな未来を想像しながら、今日の食事に、ちょっとだけ新しい味を加えてみるのもいいかもしれない。
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