「何でもいいよ」は本当に何でもいい?~選べる暮らしを育てる小さな気遣い~
はじめに…「何でもいいよ」の奥には小さな本音が隠れている
夕食前、「今日は何が食べたい?」と聞いたら「何でもいいよ」。休日に「どこか行きたいところある?」と尋ねても「どこでもいい」。こちらは相手の希望を聞いたつもりなのに、返ってきた瞬間から献立も行き先も自分で決めることになります。「いや、何でもいいが一番、難しいのよ」と、心の中で小さくツッコミを入れた経験がある人も多いでしょう。
けれど、この「何でもいい」には、本当に拘りがない時もあれば、疲れて考える余裕がない時、相手に合わせたい時、選択肢が多過ぎて決められない時もあります。同じひと言でも中身は十人十色。気持ちまで「何でもいい」になったわけではありません。
暮らしには、食事、服、買い物、外出、テレビ、入浴時間まで、小さな選択が驚くほど転がっています。自由に選べることは嬉しいものですが、何もないところから答えを1つ出すのは意外に大仕事です。人に必要なのは、選択肢を山ほど渡されることではなく、自分の気持ちを出しやすい形で選べることなのかもしれません。
「何食べたい?」で止まってしまうなら、「麺とご飯ならどっち?」と聞いてみる。「何着る?」で困っているなら、気候に合う服を2つ並べてみる。答えを奪わず、かといって丸ごと背負わせもしない。その少しの臨機応変が、家族にも子どもにも高齢者にも、「自分で決められた」という心地良さを残してくれます。
選ぶことは、大きな人生の岐路だけにあるものではありません。今日のお昼を何にするか、どの服で出掛けるか、休むのか遊ぶのか。そんな小さな決定の積み重ねに、その人らしい暮らしは静かに宿っています。
[広告]第1章…選択肢が多いほど自由?~迷って動けなくなる心の仕組み~
選べるものが増えれば増えるほど、人は自由になれそうです。ところが現実は少し意地悪で、選択肢が増え過ぎると、却って決めにくくなることがあります。3種類のランチなら「今日は魚かな」と決められるのに、写真付きメニューが何十種類も並ぶと、急に注文が壮大な人生会議になってしまう。「さっきまでハンバーグだったのに、どうして私は今うどんのページで悩んでいるんだ」と、自分でも分からなくなるわけです。
こうした状態は、選択過多(選べるものが多過ぎて判断に負担がかかること)として考えることが出来ます。選択そのものが悪いのではありません。候補を比べるたびに、「こっちを選んだら、あっちの方が良かったかも」という可能性まで頭の中へ入ってくるため、決める仕事が少しずつ重たくなっていきます。
服を買う時にも似たことが起こります。色が2色ならすぐ決められたのに、10色展開になった途端、「黒は無難、ベージュは合わせやすい、青も捨てがたい、でも来月になったら別の色が欲しくなるかも」と優柔不断の扉が静かに開きます。自由をもらったはずなのに、気づけば売り場を3周。店員さんから見れば「たいへん熱心なお客様」ですが、本人はただ決められずに歩いているだけだったりします。
日常の「何でもいい」も、これと無関係ではありません。「夕飯、何がいい?」と聞かれた時、頭の中には和食、中華、麺、肉、魚、外食、冷蔵庫の残り物まで一斉に登場します。疲れている日なら、その候補を並べるだけで小さな仕事です。そこで「何でもいい」と答えれば、少なくとも決定作業からは一度降りられます。
「何でもいい」は無関心ではなく、選ぶためのエネルギーが少し足りない時に出る言葉でもあります。
しかも、人が迷う理由は千差万別です。失敗したくない人もいれば、相手を優先したい人もいます。「自分が決めて文句を言われたくない」という慎重派もいるでしょう。子どもなら候補そのものを思いつけないことがありますし、高齢になれば、体調や外出のしやすさまで考えて答えを出す必要があるかもしれません。
そんな時、「好きに選んでいいよ」は親切であると同時に、少々、難しい宿題にもなります。自由を守りながら負担を軽くするには、選択肢を取り上げるのではなく、ほど良いところまで小さくして渡すことが役立ちます。
100個の中から1個を探すより、「今日はこっちとこっち、どちらが気分?」と聞かれた方が、心は動きやすいものです。選べない人を急かすより、選びやすい形を作る。そこから「自分で決められた」という気持ちの良い一歩が始まります。
第2章…2つ3つなら選びやすい~食事・服・外出の小さな工夫~
夕方の台所で、「今夜は何がいい?」と聞くと、返事はいつもの「何でもいいよ」。そこで少し聞き方を変えて、「魚と鶏肉ならどっち?」と尋ねると、「今日は鶏かな」とすぐ返ってくる。ほんの数秒前まで“何でも良かった人”に、突然ちゃんと好みが現れます。「あるんじゃない、食べたいもの」と心の中でツッコミたくなりますが、これは気まぐれというより、答えの入口が見つかったのでしょう。
人は、何もないところから希望を作るより、目の前にある候補を比べる方が気持ちを出しやすいことがあります。夕食なら「何が食べたい?」より「温かいものと冷たいものなら?」、服なら「何を着たい?」より「今日はこのシャツと、このカーディガンならどちら?」。外出も「どこ行く?」だけでは広過ぎますが、「近くでお茶する? 少し歩いて公園へ行く?」なら、その日の体調や気分まで考えながら答えやすくなります。
この時に大切なのは、こちらが選びたいものだけを並べて、形だけ本人に決めてもらわないことです。「AとB、どっち?」と聞きながら、Bを選ばれた瞬間に「えー、今日はAの方がいいんじゃない?」となれば、もはや選択というより誘導尋問です。そんな時だけ人間の顔には「だったら最初から聞かないでください」が実に分かりやすく浮かびます。
候補を作る時は、その人が実際に選べる範囲で考えると臨機応変になります。暑い日に厚手の服まで全部並べる必要はありませんし、足が痛い日に遠方のお出掛け先をズラリと候補に入れても困ってしまいます。体調、天気、時間、予算などの条件を先にこちらで軽く整え、その中から本人が好きなものを決める。これは選択肢を奪うことではなく、選びやすい舞台を作る工夫です。
かといって、何でも二択にすれば良いわけでもありません。「お茶か水か」「白か黒か」「行くか行かないか」と毎回キッチリ2つにすると、暮らしがクイズ番組のようになってしまいます。人によっては3つあった方が気楽ですし、「今日は決めたくない」という選択もあって良い。選択肢を減らす目的は答えを早く出させることではなく、その人の気持ちが出てきやすくすることです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉は、自由にも少し当てはまります。選択肢は多ければ多いほど親切とは限りません。10着を目の前に並べて「好きなの選んで」と言われるより、その日の予定に合う3着がハンガーに掛かっている方が、「今日はこれ」と気持ちよく手を伸ばせることがあります。
家族同士でも、このやり方は意外に便利です。休日の朝から「今日どうする?」と壮大な会議を始めるより、「家でゆっくりするか、昼から出掛けるか、どっち寄り?」くらいから始めれば良い。そこで方向が見えてから、お店や行き先を考えていけば順風満帆とはいかなくても、少なくとも全員が無言でスマートフォンを眺め続ける作戦会議からは脱出できます。
選択肢を2つ3つに整えることは、相手の自由を小さくするためではありません。「あなたはどうしたい?」という大きな問いを、答えやすい大きさまでそっと近づけることです。そんな小さな聞き方の工夫だけで、いつもの「何でもいい」が、「じゃあ、こっち」に変わる日があります。
[広告]第3章…自己決定は丸投げじゃない~介護で守りたい「選べる」支援~
介護の場面では、「本人の意思を大切にする」という言葉がよく使われます。それ自体は、とても大切な考え方です。ただ、実際の暮らしの中では「本人に聞きました」「本人が決めました」だけで終わらせると、少し困ったことも起こります。
朝、職員が衣類の入った引き出しを開けて「今日は何を着ますか?」と聞く。本人は中を見つめたまま、「何でもええよ」と答える。そこで職員が「本人が何でもいいと言ったので」と適当に一着選んでしまえば、形としては本人の意思を確認したことになります。
けれど、その人は本当に何でも良かったのでしょうか?
今日は少し肌寒い。午後には家族が面会に来る。お気に入りの青いシャツは奥にしまわれている。そんな事情を知っている職員なら、「今日は娘さんが来る日ですね。青いシャツと、この薄手のカーディガンならどちらにします?」と聞くことも出来ます。「じゃあ青いやつ」と返事が出れば、そこにはちゃんと本人の選択があります。
介護で使われる自己決定(自分の暮らしについて本人が意思を示し、選ぶこと)は、「全部あなたが決めてください」と任せ切ることではありません。認知症がある人、言葉が出にくい人、体調が悪い人なら、広い質問に答えること自体が負担になる場合もあります。そんな時こそ以心伝心を期待するのではなく、表情や生活歴、これまでの好みを手掛かりにしながら、本人が答えやすい形を作っていくことが大切です。
食事でも同じです。「何を食べたいですか?」と聞かれて困っている人に、「好きなものを言ってください」と何度も迫れば、自由どころか宿題になってしまいます。「今日は魚と卵料理がありますよ。どちらが食べやすそうですか?」と尋ねれば、その日の体調まで含めて選びやすくなります。
入浴も、「入りますか、入りませんか」だけでは少し乱暴です。「今はまだ入りたくない」「夕方なら入りたい」「今日はシャワーだけがいい」という気持ちもあり得ます。「入らない」を即座に拒否と決めず、時間や方法を少し変えてみる。その柔軟自在な支え方が、本人の暮らしを守ります。
反対に、支える側が先回りし過ぎてもいけません。「この人は昔からこれが好きだから」と毎回同じ服、同じ飲み物、同じ席を用意してしまえば、いつの間にか“好み”が“固定された予定”へ変わります。昨日好きだったものを、今日も好きとは限りません。人の気分は、年齢に関係なく揺れます。
介護の自己決定とは、本人に全部を背負わせることではなく、「私はこれがいい」と言えるところまで一緒に道を作ることです。
少し時間がかかっても、本人が袖を指さしたり、飲み物を見比べたり、「今日はこっち」と答えたりする。その小さな瞬間には、介護される人ではなく、暮らしを選んでいる1人の人がいます。
支援する側が決め過ぎず、放り出し過ぎず、その真ん中で選びやすさを整える。そんな一歩が積み重なると、「してもらう暮らし」は少しずつ「自分で選べる暮らし」に変わっていきます。
第4章…答えを決めずに道を作る~家族も職場もラクになる聞き方~
「今度の日曜日、何したい?」
そう聞かれて、すぐに「水族館!」と答えられる日もあれば、「うーん……別に」と止まる日もあります。そこで「じゃあ家にいる?」と早々に決着させてしまうと、本人の中にあった「少し出掛けたいけれど、遠出はしんどい」という気持ちは出番を失います。
人の希望は、最初から完成した文章になって頭の中に置かれているわけではありません。話しながら気づいたり、候補を聞いて初めて「それなら行きたい」と思ったりします。聞く側に出来るのは、正解を当てることより、相手の気持ちが出てきやすい問いを置くことです。
家族なら、「どこ行きたい?」から始めなくても構いません。「外に出たい気分? 家でのんびりしたい気分?」と大きな方向を聞き、外出寄りなら「買い物、お茶、少し散歩なら?」と近づけていく。これなら、答える側も頭の中で全国観光地選手権を開かずに済みます。
夫婦でも同じです。「晩ご飯どうする?」「何でもいい」「じゃあカレー」「カレーはちょっと……」となると、「何でもよくないやないかい」と家庭内ツッコミが発生します。しかし、「重たいものと軽いものなら?」「今日は軽めかな」と聞けば、そこから麺や魚料理へ進めます。最初の返事が曖昧でも、会話が失敗したわけではありません。
職場では、さらに聞き方が大切になります。「どうしたい?」と突然聞かれても、新人や立場の違う人は答えにくいものです。「このやり方で困っているところはある?」「時間を変えるのと担当を分けるのなら、どちらがやりやすそう?」と聞けば、意見の入口ができます。何でも自由に話せるように見える場より、安心して話せる範囲が見える場の方が、本音が出やすいこともあります。
ここで必要なのは一問一答の速さではなく、相手が考える時間を待つ余裕です。質問した直後の数秒が気まずくて、聞いた本人が「じゃあこれで良いね?」と答えまで回収してしまうことがあります。質問者、回答者、司会者まで一人三役。会話というよりセルフ会議になっています。
相手が黙った時は、迷っているのかもしれません。言葉を探しているのかもしれませんし、「本当に自分の希望を言っていいのかな」と様子を見ている場合もあります。少し待つ、候補を変える、「今決めなくても良いよ」と逃げ道を残す。そんな融通無碍なやり取りの方が、立派な質問を並べるより心地よく続きます。
もう1つ忘れたくないのが、選ばれなかった方を悪者にしないことです。「こっちにする」と言った人に、「でもあっちの方がお得だよ」「普通はそっちじゃない?」と返せば、次からは自分で選ぶより相手の顔色を読むようになります。自分の希望を出した時に、その答えがそのまま受け止められる経験は、小さくても大切です。
上手な聞き方とは、相手から答えを取り出す技術ではなく、その人が自分の気持ちに気づける余白を一緒に作ることです。
「どっちがいい?」と尋ね、「今日はこっち」と返ってくる。そこには派手な出来事はありません。それでも家族なら暮らしやすさになり、職場なら話しやすさになり、介護ならその人らしさに繋がっていきます。
相手の代わりに決めない。でも、答えが出るまで突き放さない。そのほど良い距離に立てた時、「何でもいいよ」は会話の終点ではなく、気持ちを探す入口になります。
[広告]まとめ…選ぶ力は暮らしの主導権~今日の「どっちにする?」から始めよう~
「何でもいいよ」と言われると、つい「じゃあ私が決めるね」と話を終わらせたくなります。それで丸く収まる日も、もちろんあります。毎日の夕食を全て家族会議にかけていたら、ご飯が炊けるより先に夜が更けそうです。暮らしには、誰かに任せた方が気楽な場面もあります。
ただ、そのひと言の奥に「少し疲れている」「候補が思いつかない」「相手に合わせたい」「本当は希望があるけれど言いにくい」という気持ちが隠れているなら、聞き方を少し変えるだけで景色が動きます。「何がいい?」を「こっちとこっちなら?」にしてみる。「行く?」だけではなく「午前と午後ならどちらが楽?」と聞いてみる。ほんの小さな工夫で、答える側の負担は軽くなります。
選択には取捨選択がつきものです。何かを選べば、何かを選ばないことになります。それでも、自分で「今日はこれ」と決められた時には、小さな納得が残ります。食事でも服でも休日の過ごし方でも、その積み重ねが「自分の暮らしを自分で動かしている」という感覚につながっていきます。
介護でも家族でも職場でも、相手の代わりに全部を決めてしまえば早く進みます。反対に、何も助けず「好きにしてください」と任せるだけでは、自由が重荷になることもあります。大切なのは、その中間にあるほど良い支え方です。候補を出し、待ち、選ばれた答えを受け止める。それだけでも、人と人との関係は随分と柔らかくなります。
人の好みは百人百様で、昨日と今日でも少し変わります。「この人はこれが好き」と決めつけず、「今日はどう?」と聞ける余白を残しておきたいところです。昨日はカレー、今日はうどん、明日は「何でもいい」。人間ですから、それくらい揺れていて普通です。毎日きっちり同じなら、こちらが少し心配になります。
選べる暮らしとは、たくさんの選択肢を持つことではなく、「私はこれがいい」と安心して言える暮らしです。その言葉がすぐ出ない時には、誰かが答えを奪うのではなく、見つけやすいところまで一緒に歩けば良いのでしょう。
今日の夕食からでも始められます。「何食べたい?」で沈黙が訪れたら、ちょっと笑って「ご飯ものと麺なら、どっち?」と聞いてみる。そこから出てくる「じゃあ麺」が、その人の暮らしを動かす小さな一票です。そんな一票を気軽に出せる毎日は、きっと昨日より少しだけ心地良くなります。
[ 広告 ]今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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