海か山か心がほどけるのはどっち?~海開きと山開きから始まる夏の冒険~
はじめに…夏の入口で心は海と山へ走り出す
7月1日を迎える頃、海辺では波の音に混じって安全を願う祈りが捧げられ、山では澄んだ空気の中で登山の季節が動き始めます。海開きと山開きは、夏の遊び場が使えるようになる合図であると同時に、人が自然へ「今年もよろしくお願いします」と頭を下げる日でもあります。
青い海を眺めれば、裸足で砂浜を歩きたくなる。緑の山を見上げれば、涼しい頂上でお弁当を広げたくなる。想像の中では足取り軽く進めるのですが、現実の私は駐車場から目的地までの坂道で、早くも冒険を終えそうになります。まだ何も始まっていません。自分ツッコミまで含めて、夏のレジャーでございます。
海には潮風と水平線があり、山には木漏れ日と遠くまで見渡せる景色があります。どちらにも、狭くなっていた心をぐっと伸ばしてくれる開放感があります。仕事や家事に追われていると、私たちの視線は机の上や時計の針に集まりがちです。そんな毎日に海や山の広さが加わると、心機一転、呼吸まで少し大きくなるのです。
もちろん、自然は気持ち良いだけの場所ではありません。波、急な天候の変化、足場、暑さ、虫など、楽しい時間を守るために気をつけたいこともあります。安全第一という言葉は少々、真面目に聞こえますが、無事に帰って冷たい飲み物を味わうところまでが夏の冒険です。
海を選んでも山を選んでも、心が日常の囲いから一歩外へ出た瞬間に、その人の夏は始まります。
さあ、潮騒に呼ばれるか、木々のざわめきに誘われるか。今年の心は、どちらへ向かって走り出すでしょう。
[広告]第1章…海開きと山開きは自然へのご挨拶
夏が近づくと、海辺では砂浜を整え、山では登山道や山小屋の準備が進みます。7月1日頃に聞かれる海開きや山開きは、「今日から自由に遊んでください」というだけの合図ではありません。神事(神様に祈りや感謝を伝える儀式)を行い、海や山の恵みに感謝しながら、その年の無事を願う大切な節目です。
人は昔から、自然の力だけは思い通りにならないと知っていました。穏やかに見えた海が急に荒れたり、青空だった山に雲が集まったりします。便利な道具が増えた現代でも、波や風に「少し控えめでお願いします」と予約を入れることはできません。そこまで出来たら、天気予報より先に私が申し込みます。
海開きでは、海水浴場の安全や事故のない夏が祈られます。山開きでは、登山者の安全と山の恵みへの感謝が捧げられます。どちらにも流れているのは、自然を征服するのではなく、お邪魔させてもらうという気持ちです。海へ入る前に波の様子を見ることも、山へ登る前に空を見上げることも、長く続いてきた慎重さの形なのでしょう。
海は魚や貝、塩、交通の道を与えてきました。山は水や木材、食べ物を育み、町を風雨から守ってきました。私たちの暮らしは、海と山の両方から多くのものを受け取っています。四方を海に囲まれ、国土の多くを山が占める日本では、海開きと山開きは夏の行事であると同時に、自然との付き合い方を思い出す日でもあるのです。
厳かな祈りの後には、浜辺の笑い声や登山道を歩く靴音が続きます。そこには、感謝と楽しさが同居する和気藹々の夏があります。少々背筋を伸ばして始めるからこそ、その後の遊びも気持ちよく味わえるのでしょう。
海開きと山開きは、自然に勝つための日ではなく、自然と仲良く夏を過ごすためのご挨拶です。
浮輪を持つ人も、登山靴の紐を結ぶ人も、最初に心へ置きたいのは準備万端のひと言。今年も無事に帰ってこられる楽しい夏が、静かな祈りから動き始めます。
第2章…海に惹かれる心と山に惹かれる心と…
海と山の写真を並べて「さあ、どちらへ行きたいですか?」と聞かれたら、答えは意外と早く決まるものです。青い水平線を見た瞬間に心が走り出す人もいれば、木々に囲まれた山道を見ただけで、深呼吸したくなる人もいます。
海に惹かれる人が求めているのは、視界を遮るものがほとんどない開放感かもしれません。寄せては返す波を眺め、潮騒を聞いていると、頭の中で混み合っていた予定や心配事が、少しずつ沖へ運ばれていくように感じられます。泳がなくても、砂浜を歩くだけで気分爽快。もっとも、砂が靴の中へ入った途端、爽快な物語は小さな格闘編へ変わります。海は最後まで油断できません。
山に惹かれる人は、景色が少しずつ変わっていく楽しさを好むのかもしれません。木陰の涼しさ、土や草の香り、鳥の声。汗をかきながら歩いた先で視界が開けると、「来て良かったぁ」と体全体で思えます。山頂で食べるおにぎりが妙に美味しいのも山あるあるです。中身は家で食べるものと同じなのに、標高が味付けを担当しているのでしょうか。
海は横へ広がり、山は上へ伸びていきます。海では遠くまで見渡す自由を味わい、山では一歩ずつ進む達成感を味わえる。その違いが、それぞれの心に合った休み方を作ってくれます。
にぎやかな浜辺で大勢と楽しみたい日もあれば、静かな山道で自分の呼吸を確かめたい日もあります。どちらを選ぶかは、性格だけでなく、その日の疲れ方や気分にも左右されます。昨日は海派だった人が、今日は山の静けさを求めることもあるでしょう。心は案内板より自由です。
海や山で得られる開放感は、遠くまで見えることだけから生まれるものではありません。いつもと違う音を聞き、違う風を受け、自分で見る方向を選べることが心を伸び伸びさせます。日常では時計や予定に視線を縛られがちですが、自然の中では東西南北、好きな方角へ顔を向けられます。
海派か山派かを決めるより、今の自分がどんな景色を必要としているかに気づくことが、心を休ませる近道です。
海の幸を楽しみに出かけてもヨシ、山の涼しさを求めてもヨシ。臨機応変に行き先を選べば、夏の楽しみは二者択一ではなくなります。両方好きなら、それも立派な答えです。欲張りではありません。夏を味わう準備が出来ているだけです。
[広告]第3章…少し怖いからこそ備えが楽しさを守る
海も山も、写真の中では実に穏やかです。海は青く光り、山は緑に包まれ、「どうぞお越しください」と歓迎しているように見えます。ところが自然は、受付で注意事項を読み上げてくれません。穏やかな顔のまま、波や風や天候を急に変えることがあります。
海で気をつけたいのは、足元から沖までの様子が見えにくいことです。岸の近くでも急に深くなる場所があり、離岸流(岸から沖へ向かう速い流れ)が発生することもあります。浮輪があるから大丈夫と思っていても、風に押されれば思った以上に移動します。荷物は浜辺に残っているのに、本人だけ沖へ出張してはいけません。
遊泳区域や監視員のいる場所を選び、波が高い日は入らない。お酒を飲んだ後の遊泳や、体調がすぐれない日の無理も避けたいところです。子どもと一緒なら、大人が「見ているつもり」ではなく、手が届く距離で見守ることが安心に繋がります。
山では、出発時の晴天が帰りまで続くとは限りません。標高が上がるほど気温は下がり、風が吹けば体感温度も変わります。低体温症(体温が危険なほど下がった状態)は冬だけの話ではなく、汗や雨で服が濡れた夏山でも起こり得ます。
雨具、飲み物、行動食、地図、携帯電話の予備電源などを用意し、予定している道と帰宅時刻を家族へ伝えておく。登る勇気だけでなく、途中で引き返す決断も立派な登山技術です。「折角来たのだから…」と空模様に粘り勝ちを狙っても、雲は情状酌量してくれません。
海でも山でも、暑さへの注意は欠かせません。喉が渇く前に少しずつ水分を摂り、帽子や休憩を味方につけます。体力に合わせて予定を小さくすることは、楽しみを減らすのではなく、楽しいまま帰るための用意周到な作戦です。
ことわざの「備えあれば憂いなし」は、道具を詰め込めば終わりという意味ではありません。天候を確かめ、体調を見て、無理だと思ったら予定を変える。その柔軟さまで含めて、備えと呼べるのでしょう。
自然を怖がり過ぎず、甘く見過ぎず、ちょうど良い距離で付き合うことが夏の楽しさを守ります。
海水浴の後に食べる冷たい物も、山を下りてから飲む一杯も、無事に戻ったからこそ格別です。安全第一は遊びを小さくする言葉ではなく、笑顔で「また行こう」と言うための合言葉なのです。
第4章…遠くへ行かなくても自然は味わえる
海や山へ出かけるとなると、交通手段を決め、持ち物を揃え、早起きまで必要になることがあります。前日の夜には遠足のように心が弾むのに、目覚まし時計が鳴った瞬間、「自然は逃げないし、今日は家でも良いのでは?」と心の会議が始まる。人間の冒険心は、布団のぬくもりに弱いようです。
けれども、自然を楽しむために、必ずしも有名な海岸や高い山を目指す必要はありません。近所の川沿い、公園の木陰、小さな丘、田畑の間を通る道にも、季節の動きはたっぷりあります。少し視線を上げるだけで、雲の形や風に揺れる葉、鳥の飛び方まで見えてきます。
海辺まで行けなくても、水の流れる音や広い空を眺めれば、海に通じる開放感を味わえます。山へ登れなくても、木々の中を歩き、土の香りを感じれば、山の静けさに近づけます。大切なのは場所の知名度ではなく、いつもの景色に気持ちを向けることなのでしょう。
自然は朝昼晩で表情を変えます。朝露が光る時間、昼の日差しが葉を透かす時間、夕方の空がゆっくり色づく時間。同じ場所でも、その姿は千変万化です。昨日と同じ道を歩いているつもりが、咲いた花を見つけただけで、少し得をした気分になります。
虫、鳥、草木、風、光、音。1つずつ意識してみると、身近な景色にも見どころが増えていきます。ベンチで飲み物を口にしながら風を感じるだけでも、立派な自然時間です。ただし、軽い紙袋は先に押さえておきましょう。爽やかな風が、昼食だけ連れて旅立つことがあります。
体力や時間に余裕がない日には、窓を開けて空を見るだけでも構いません。雨の日なら、葉や屋根に落ちる雨音へ耳を傾ける。暑い日は無理に外へ出ず、涼しい室内から雲の流れを眺める。自由自在に楽しみ方を変えられるところも、自然の懐の深さです。
自然は遠くにある特別な目的地ではなく、気づいた瞬間から始まる身近な楽しみです。
遠出が出来た日は大きな景色を味わい、難しい日は小さな季節を拾う。その両方を楽しめれば、夏は休日だけのものではなくなります。玄関の外にも、窓の向こうにも、その人だけの海開きや山開きが待っています。
[広告]まとめ…海でも山でも心が動けば夏は始まる
海開きと山開きは、夏の遊び場が動き出す合図であると同時に、自然へ感謝し、安全を願う節目です。海には水平線へ気持ちを放つ開放感があり、山には一歩ずつ進んだ先で味わう達成感があります。どちらを選んでも、日常とは違う風や音が、縮こまっていた心をそっと広げてくれます。
もちろん、自然は人の予定表に合わせてくれる相手ではありません。波が高ければ海へ入らず、空模様が怪しければ山を引き返す。折角準備したのに……と残念に思う日もありますが、予定変更は敗北ではなく、次の楽しみを守る英断です。お弁当を持って帰宅し、冷房の効いた部屋で食べることになっても、それはそれで快適。景色だけ少々、壁紙寄りになります。
遠くへ出かけられない日にも、夏の自然は身近にあります。朝の風、木陰の涼しさ、雲の大きさ、夕方に変わる空の色。歩く距離が短くても、1つの音や香りに気づけば、その時間は一期一会の小さな旅になります。
海派か山派かを、無理に決める必要もありません。波の音が恋しい日には海へ向かい、木々の静けさが欲しい日には山を思う。その日の体調や気分に合わせて行き先を変えれば、自然との付き合い方はもっと伸びやかになります。
夏を楽しむ場所は海や山だけではなく、心が「ちょっと外を見てみよう」と動いたところから広がっていきます。
安全に帰るところまで含めて、夏の冒険は大団円です。大きな景色に会えた日も、窓辺で風を感じただけの日も、心に少し余白が生まれたなら十分でしょう。今年の夏も無理なく、悠々自適に、自分の歩幅で海と山と身近な自然を味わってみてください。
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