土用の丑の日はうなぎだけじゃない~夏を労わる日本の知恵と食卓の楽しみ~

[ 季節と行事 ]

はじめに…土用の丑の日が来る~どうして人はうなぎの話をしたくなるのか?~

土用の丑の日が近づくと、まだ本格的な真夏の入口なのに、食卓だけはひと足先にお祭り気分になります。うなぎの香りを思い浮かべただけで、「今日はちょっと良い日にしても良いのでは?」と心が動くのですから、人の気持ちはなかなか正直です。けれど、この日はただご馳走を食べる日ではありません。季節の変わり目に、少し疲れやすくなった体を労わり、日々の暮らしを心機一転させるための知恵が、静かに息づいています。

昔の人は、暑さを気合いだけで乗り切ろうとはしませんでした。ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、無理をし過ぎない。そんな当たり前のようで難しいことを、行事の形にして暮らしの中へ置いていたのです。土用の丑の日は、その代表選手みたいな顔をしています。うなぎばかりが脚光を浴びがちですが、古今東西、「夏を前に腹ごしらえしておこう」という気持ちはとても人間らしいものです。行事は特別な日の飾りではなく、くたびれそうな自分をそっと助ける暮らしの知恵でもあります。食養生(食べて体を整える考え方)として眺めると、この日はグッと親しみやすく見えてきます。

しかも面白いのは、真面目な知恵なのに、どこか食いしん坊な明るさがあることです。夏を乗り切る話なのに、最初に頭へ浮かぶのが「さて、何を食べよう」なのですから、何とも愛嬌があります。立派です。人はお腹がすくと哲学より献立を見る、生きものです。そんな小さな本音まで包み込んでくれるところに、土用の丑の日の優しさがあります。食卓から季節を感じる入口として、この日を覗いてみると、夏は少しだけ手懐けやすくなります。

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第1章…土用の丑の日ってどんな日?~季節の変わり目に宿る昔の知恵~

土用の丑の日と聞くと、つい「うなぎを食べる日」と覚えたくなりますが、土台にあるのはもっと大きな暦の感覚です。土用とは、立春・立夏・立秋・立冬の前に巡ってくる約18日間を指し、春夏秋冬それぞれにあります。その中で特に広く親しまれてきたのが、夏の土用の丑の日でした。土用の丑の日は、ご馳走の予定表というより、季節の曲がり角で体を労わる合図です。「今日は何を食べよう?」と台所へ向かう前に、「そろそろ疲れが出やすい頃かもしれないな」と気づかせてくれるのが、この日の優しい役目です。

この暦の背景には、五行思想(自然界を五つの要素で捉える考え方)があります。火・水・木・金・土という見方で季節の移り変わりを受け止める発想は、どこか壮大で、少しだけロマンがあります。とはいえ、読む側としては「森羅万象は分かったけれど、今欲しいのは冷たい麦茶です」と言いたくなる瞬間もあります。そこがまた面白いところで、昔の知恵は難しそうに見えて、最後はちゃんと暮らしへ戻ってきます。土を休ませる、牛を休ませる、無理を重ねない。そんな心機一転の区切りが、土用にはそっと埋め込まれていました。

しかも、昔の人は季節の不調を根性論だけで片付けませんでした。暑さで食欲が揺らぎ、体が一進一退になりやすい時期だからこそ、食べることを行事にしてしまったのです。行事になると、人は少しだけ真面目になります。「今日はちゃんと食べよう」と思えるだけでも、もう半分えらい。薬箱を開く前に、まず湯気や香りで気持ちを立て直す。その発想は、今の暮らしにも十分に馴染みます。季節の節目を上手に受け止める日は、気合いを入れる日というより、暮らしの速度をほんの少し整える日なのかもしれません。


第2章…どうして主役がうなぎになったの?~江戸の町に広がった夏のご馳走の物語~

土用の丑の日といえば、今ではすっかり、うなぎが主役の顔をしています。けれど、その道のりは最初から一直線だったわけではなく、由来は諸説紛々です。古い歌の世界にも、うなぎを食べる話は見られるようですが、それが町の人たちの楽しみとして広く目立ってくるのは、もう少し後の時代でした。土用の丑の日とうなぎの組み合わせは、昔の人の体への気遣いと、町の商いの知恵がピタリと重なって広がっていったのでしょう。行事と食べものが結びつく時は、大抵は理屈だけでなく、「それ、なんだか良さそう」が背中を押します。人は昔から、納得と食欲が仲良しです。

中でもよく知られているのが、平賀源内にまつわる話です。商いに困っていたうなぎ屋が相談すると、店先に「本日丑の日」と貼り出すよう勧め、それが評判を呼んだという流れです。この話が広く親しまれているのは、ただの宣伝話に見えて、どこか人情味があるからかもしれません。「暑い時期は売れにくいなら、日の力を借りよう」と考えたなら、なかなかの機転です。今なら会議で何枚も資料が出そうな場面を、江戸の町は紙一枚で切り抜けたのですから、ちょっと拍手したくなります。さらに当時の記録には、安永・天明の頃には、うなぎを食べる風習が見られたことも書かれています。

そこへ別の逸話も加わります。文政年間の書物には、蒲焼を数日分作って大切にしまっておいたところ、丑の日に作ったものだけが無事だった、という話も残っています。さらに、うなぎが薬のように語られる狂歌の話まであり、町の空気の中で「丑の日とうなぎは縁起が良いらしい」とじわじわ育っていった様子が見えてきます。ただし、どの話もきっちり1つに決め切るというより、いくつもの小話が重なって今の定番になった、と見る方が自然です。歴史は単独主演より、意外と共同制作が得意です。そう思うと、うなぎが主役になったのも、夏の疲れを気遣う気持ちと、江戸らしい才気煥発な遊び心が手を組んだ結果なのかもしれません。

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第3章…うなぎだけでは終わらない~「う」のつく食べものと土用の食養生

土用の丑の日の面白さは、うなぎが主役でありながら、脇役たちもなかなか豪華なところです。昔からこの日には、「う」のつくものを食べると夏負けしにくいと考えられてきました。胡瓜、苦瓜、冬瓜、西瓜、梅干し、うどん、さらには牛肉や馬肉まで顔を出します。随分と多士済々で、「う」さえ付いていれば出場できるのかと少し笑ってしまいますが、その緩さがまた日本の行事らしい愛嬌です。土用の丑の日は、うなぎを食べられる人だけの日ではなく、その日の自分に合う食べものを選んで夏へ備える日でもあります。食養生(食べて体を整える知恵)と考えると、グッと身近になります。

しかも、この発想は意外と理にかなっています。暑い時期は、冷たい物に手が伸びたり、食欲がふらついたりして、胃腸まで右往左往しがちです。そんな時に、消化のことを考えながら口にしやすいものを選ぶのは、用意周到というより生活上手です。うどんならスルリと入りますし、瓜の仲間は瑞々しく、梅干しは食卓をキュっと引き締めてくれます。うなぎが少し豪華に感じる年でも、「今日はうどんにしよう」「冬瓜の煮物にしよう」と道が残されているのは、何とも心強い話です。行事が財布にまで気を配ってくれるわけではありませんが、知恵の方は案外と優しいのです。

さらに目を向けると、土用餅、土用しじみ、土用卵のように、この時期ならではの食べ方も受け継がれてきました。1つの正解に並ばず、土地ごと家ごとに少しずつ違う。それでも「夏に負けないように食べよう」という気持ちはちゃんと同じです。その自由自在さこそ、土用の丑の日の大きな魅力なのかもしれません。うなぎを食べる日として楽しむのも良し、今日は梅干しとうどんで軽やかにいくのも良し。食卓に並ぶものは違っても、季節と仲良くする知恵はちゃんと同じ方向を向いています。


第4章…美味しく食べて気持ちよく夏へ~今の暮らしに合う土用の丑の日の楽しみ方

土用の丑の日を楽しむコツは、立派に構え過ぎないことです。うなぎをドーンと用意できる日もあれば、「今日は少し控えめでいこうかな」という年もあります。それで十分、臨機応変です。うな重でも、うな丼でも、白焼きでも、鰻巻きでも良いですし、しじみのお吸い物を添えるだけでも季節の顔付きが出ます。行事を楽しむ力は値段ではなく、「今日は自分をちゃんと労わろう」と思える気持ちから始まります。夏の入口で気分一新したい日に、食卓へ小さな節目を置く。そのくらいの軽やかさが、今の暮らしにはちょうど良く似合います。

しかも、現代は食べ物の選択肢が豊かです。うなぎは栄養価の高い食材として親しまれてきましたが、季節の感じ方も、体調も、家計の都合も、人それぞれです。そんな時こそ、うどんや瓜の仲間、梅干し、土用餅、土用しじみ、土用卵のように、無理なく寄り添ってくれる食べ物たちが頼もしく見えてきます。腹が減っては戦はできぬ、と昔から言いますが、これは夏の台所にもピッタリです。頑張るための食事というより、ヘトヘトになる前に自分をなだめる食事。その視点に立つと、土用の丑の日は急に優しくなります。

そして、この日の一番の魅力は、正解が1つではないことです。家族で食べる人もいれば、一人で静かに味わう人もいます。蒲焼の香りで景気良くいくのもヨシ、サラリとした献立で涼やかに過ごすのもよし。「今年の夏も、どうにか仲良くやっていきましょうか」と季節に声をかけるような気持ちで食卓を整えれば、それだけで十分に行事らしくなります。うなぎを前に背筋を伸ばす日も、うどんでホッとする日も、どちらもちゃんと夏を迎える支度です。

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まとめ…行事は気合いより心地良さ~土用の丑の日が教えてくれる夏との付き合い方

土用の丑の日は、うなぎの香りに心が動く日であると同時に、季節の変わり目に自分の暮らしを労わる日でもあります。暦の知恵があり、江戸の町の工夫があり、そこへ食いしん坊の楽しみまで加わって、今の形へ育ってきました。うなぎだけでなく、土用餅や土用しじみ、土用卵、「う」のつく食べ物まで並ぶ景色を見ると、この行事の懐の深さがよく分かります。

暑い時期は、つい「頑張らなきゃ」と肩に力が入ります。けれど土用の丑の日は、勇猛果敢に走り抜ける日というより、ちょっと立ち止まって、食べて、休んで、体の声を聞く日に向いています。豪華な一膳でも、サラリとした一品でも、その日に自分が心地よく食べられるものを選べば十分です。季節の行事は、立派にこなすものではなく、暮らしの中で自分を少し機嫌よくするためにあります。そう思うと、夏の入口もほんの少し柔らかく見えてきます。

今年の土用の丑の日は、うなぎを味わう人も、うどんや瓜の仲間で涼やかにいく人も、それぞれの食卓で季節と握手してみたくなります。電光石火で夏を制するのは難しくても、ひと皿で気持ちが整うことはちゃんとあります。食べることは、今日を生きる支度そのもの。そんな当たり前の頼もしさを、土用の丑の日は毎年そっと思い出させてくれます。

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