「あなたのために」が重たい日~介護と医療の計画書が息苦しくなる理由~
目次
はじめに…守られているはずなのに何故か心がすり減る紙がある
介護や医療の計画書は、暮らしを守るために必要です。そこはもう、確かな話です。けれど、手渡された紙を開いた瞬間、胸の辺りがスゥっと細くなることがあります。病名があり、注意点があり、支援内容があり、「こうします」「こう支えます」が整然と並ぶ。間違ったことが書いてあるわけではないのに、何故か読む本人だけが紙の外へ押し出されたような…逃げ出したくなるような気持ちになる。あの感じと気持ちは、なかなか侮れません。
しかも、書いてある内容はたいてい懇切丁寧です。転倒を防ぎます、体調を見守ります、無理のない生活を支えます。親切のフルコースです。ここまで並ぶと、ありがたいはずなのに、心のどこかで「私はどこぞの大事な荷物かな」と自分ツッコミを入れたくなることもあります。守られる話なのに、息が詰まる。何とも不思議です。
この息苦しさは、病名そのものだけで生まれるわけではありません。支える言葉が多くなるほど、本人の言葉が小さくなっていく。その順番が、じわじわ効いてきます。ケアプラン(介護の支援計画)でも、アセスメント(状態や暮らしの見立て)でも、読む人が欲しいのは「あなたにはこうしてあげます」の支援の山盛りより、「あなたはどう暮らしたいですか」のひと言だったりします。ほんの少しの違いなのに、空気は千差万別です。
人は、病名だけで出来ているわけではありません。朝の味噌汁の好みもあれば、外に出たい日もあるし、今日は静かにしていたい気分の日もある。そこを抜きにして親切だけが先に走ると、善意は時々、押しつけに見えてきます。雨を避けるための傘なのに、気づけば顔まで隠してしまうようなものです。優しさはなかなかに奥ゆかしいものですよね。
紙の上に必要なことを書きながら、紙の外にいるその人もちゃんと残す。そんな一工夫があるだけで、計画書の手触りは随分と変わります。読む人が「管理される人」ではなく、「暮らしを一緒に決める人」に戻ってこられるからです。支援が重荷ではなく、追い風に変わる入口は、案外その辺りにあります。
[広告]第1章…病名より先に刺さるもの~計画書に滲む「してあげる」の空気~
紙を受け取って、最初に目に入るのが病名とは限りません。むしろ胸に引っかかるのは、その後に続く言葉だったりします。転倒を防ぐために見守ります。体調悪化を避けるために支援します。安全に生活できるよう介助します。どれも懇切丁寧で、親切そのものです。なのに、読んでいるうちに肩が少しずつ下がってしょんぼり心が委縮していく。あれは不思議な現象です。親切を読んでいるはずなのに、気分だけが正座させられる。紙なのに圧があるとは、なかなか器用な話です。
ケアプラン(介護の支援計画)や入院計画書には、支える側の言葉が多く並びます。支援します、観察します、対応します、配慮します。きちんとした文章ですし、実務としても大切です。けれど、読む側からすると「私の暮らし」より先に「周りが私に何をするか」が前面に出てくることがある。すると、守られる人というより、私の取り扱い方法が書かれた箱みたいな気分になってしまうことがあります。いやいや、私は宅配便ではありませんよ、と心の中で小さく手を振りたくなる朝もあります。
この重たさは、意地悪な言葉が並んでいるから生まれるわけではありません。優しい言葉ばかりでも、一方向に積み上がると苦しくなるのです。人は十人十色です。静かに休みたい人もいれば、自分で出来るところは残したい人もいる。転ばないことも大事、息苦しくならないことも大事、けれどその前に「今日は自分で湯呑みを持ちたい」と思う日だってあります。そういう小さな願いが入る隙間がないまま、支援の説明だけが山盛りになって渡されると、紙の上で本人がだんだん薄く見えてきます。
しかも、支える側には悪気がありません。そこがまた切ないところです。現場では安全配慮が欠かせませんし、情報共有も必要です。スタッフ同士で齟齬なく動くには、ある程度、揃った表現が要ります。だから書類の文は他人の物と似てきます。似てくると、読む側は「私のための計画」なのに、どこかで見たような空気を感じやすくなる。料理でいえば、出汁は効いているのに全部同じ味付けに思えてしまう感じでしょうか。美味しいはずなのに、舌が少し寂しい。そんなこともあります。
本当に欲しいのは、立派な支援の山ではなく、自分がその山のどこに立っているのかが分かる言葉です。何をしてもらうかだけでなく、何を自分で続けたいのか。何を減らしたいのか。何を守りたいのか。そこが一行でも入ると、計画書の空気はグッと変わります。支えられるだけの人ではなく、暮らしの主役としてそこに戻ってこられるからです。
「してあげる」は、優しい表現のようでいて、時々、相手の席を奪います。席を1つ空けて、「どうしたいですか?」を先に置く。それだけで、同じ支援でも手触りが変わってきます。紙に書かれた計画が、管理の説明書ではなく、暮らしの相談メモに近づいていく。そんな変化は、思っているより人をホッとさせるものです。
第2章…善意なのに苦しい~支える言葉が押しつけに見える瞬間~
人は、冷たい言葉だけで傷つくわけではありません。むしろ、優しい言葉の方が胸にズシンと来る日があります。「あなたのために」「安全のために」「無理のないように」。どれも正しく、懇切丁寧です。けれど、読む側の顔色や気分や希望が、その文の中に見当たらないと、優しさが少しずつ重たくなります。フワフワの毛布のはずなのに、気づけば布団に押されて潰されているような感じです。いや、温かいのですが、重くて身動きが……となるわけです。
この苦しさは、支援そのものが嫌なのではありません。選ぶ間もなく並べられることが、つらいのです。介護でも医療でも、同意や説明は大切です。インフォームド・コンセント(説明と同意)という考え方もあります。けれど、説明が十分でも、選ぶ余白がなければ、受け取る側の心には「もう決まっているのですね」という空気が残ります。署名欄だけが元気一杯に待っている紙を見ると、こちらの気持ちが置いてけぼりになったようで、ちょっと切ないものです。
しかも、支える側は本気で良かれと思っています。転倒しないように。悪化しないように。負担が増えないように。その思いは大切で、現場に欠かせません。ただ、その善意が一方通行になると、本人の暮らしが「守られる対象」として綺麗に包まれ過ぎてしまいます。湯呑みを自分で持ちたい人に、倒れないようにと先回りして全部運んでしまう。親切ではあるけれど、手の中に残るはずだった小さな達成感まで、一緒に片付いてしまうことがあります。
善意が押しつけに見える瞬間には、ある共通点があります。それは、本人の気持ちが文章の主語になっていないことです。「こう支援します」「こう見守ります」「こう対応します」と、支える側の動きは立派に書かれているのに、「どう暮らしたいか」「どこは自分でやりたいか」「何を減らしたいか」が見えない。すると計画書は、暮らしの相談メモではなく、上手に整えられたお世話の予定表に近づきます。整然としているのに、本人だけが少し小さい。そこがもったいないところです。
厄介なのは、善意には反対し難いことです。怒っている言葉なら「それは違います」と返しやすいのに、優しい言葉には首を傾げ難い。「してもらえるのに文句を言うのもなあ」と、こちらが自分を窘めてしまうこともあります。日本人らしい遠慮が発動して、心の中だけで会議が始まるのです。議長も書記も自分、なのに結論はいつも「まあ、仕方ないか」。この会議、静かなのに地味に疲れます。
本当に必要なのは、支援の量を競うことではなく、本人の納得を育てることです。自己決定(自分で選ぶこと)が少しでも入ると、同じ内容でも手触りが変わります。「全部やります」より、「どこを手伝いましょうか?」の方が、心はフッと楽になります。支えは山盛りでなくて良い。ちょうど良い量で、ちゃんと本人の席が空いていること。その匙加減に、本来は他人への配慮が静かに滲むものです。
[広告]第3章…本人の気持ちが後ろに下がると「あなたのため」が山盛りになる
計画書が重たくなる日は、支援の量が多い日だけではありません。本人の気持ちが後ろに下がった日に、紙は急にズッシリしてきます。食事のこと、移動のこと、入浴のこと、服薬のこと。どれも大切で、どれも暮らしに直結しています。けれど、その真ん中にいるはずの人の声が薄くなると、支援は親切の顔をしたまま、少しずつ「してあげる」の山へ変わっていきます。山菜なら嬉しいのですが、善意の山盛りは、食べ切れない日もあります。
何故そんなことが起こるのでしょう。理由の1つは、現場が悪いからというより、仕事の仕組みや流れがそうなりやすいからです。アセスメント(状態や暮らしの見立て)をして、課題を整理して、役割分担を決めて、抜けがないように形にする。多職種連携(いろいろな専門職が力を合わせること)になれば、なおさら整った言葉が求められます。誰が見ても分かるように、事故が起きないように、対応に差が出ないように。その工夫は大切ですし、実際に人を助けてもいます。
ただ、この流れには小さな落とし穴があります。支える側が動きやすい形に整えるほど、本人の「こうしたい」が紙の端へ寄っていきやすいのです。歩ける距離より、転ばない工夫が先に並ぶ。好きな時間の過ごし方より、見守りの手順が先に決まる。もちろん安全は大切です。けれど、暮らしは安全だけでは出来ていません。好きな湯呑みでお茶を飲みたいとか、朝は自分のペースで着替えたいとか、庭の風を少し感じたいとか、そういう細かな願いが入ってこそ、その人の生活は血が通います。
ここで起きているのは、主客転倒です。守るための仕組みが、いつの間にか本人より前に立ってしまう。転ばないことは大事、息苦しくならないことも大事、無理をしないことも大事。でも、人が生きている実感は「何も起きなかった日」だけで出来ているわけではありません。自分で湯呑みを持てたとか、今日は一人で靴下を履けたとか、そんな小さな達成感にも宿っています。そこまで全部先回りして支援が包み込むと、暮らしは安全でも、心だけが留守番になることがあります。
しかも、本人の気持ちは、最初から大きな声で出てくるとは限りません。「迷惑をかけたくない」「せっかく考えてくれているし」と遠慮する人もいます。日本の暮らしには、こういう気遣いがたくさんあります。本当は「そこは自分でやりたい」と思っていても、「まあ、お任せします」と口にすることもある。すると周りは「納得してくれた」と受け取りやすい。ところが心の中では、拍手ではなく小さな溜め息が鳴っている。静かなのに、よく響くため息です。
本人の気持ちが後ろに下がると、支援はどんどん立派になります。立派になるほど、反対しづらくもなります。これがまた、なかなか手強いところです。立派な言葉に囲まれると、自分の希望の方が我儘に見えてしまうことがあるからです。いやいや、好きな時間にお茶を飲みたいだけなのですが、と言いたくても、空気が綺麗過ぎて声を出し難い。新品の白いソファに座る時の遠慮に少し似ています。座って良いはずなのに、何だか背筋が伸びる。あの感じです。
暮らしを軽くする鍵は、支援を減らすことではなく、本人の席を真ん中に戻すことです。「何が危ないか」だけでなく、「何を残したいか」を聞く。「何をしてあげるか」だけでなく、「どこは自分でやりたいか」を尋ねる。そのひと言が入るだけで、計画は見違えるほど柔らかくなります。支援の形は同じでも、受け取る心の重さが変わってくるからです。
人の暮らしは、手順だけでは出来ていません。気分もあれば、拘りもあるし、昨日とは違う今日もあります。そこを置き去りにしない計画なら、「あなたのために」は押しつけではなく、ちゃんと寄り添う言葉になります。親切が山盛りで迫ってくるのではなく、隣にそっと置かれる感じになる。その距離感があるだけで、紙に書かれた支援は、グッと温かく見えてきます。
第4章…支援は決めて渡すものではなくて一緒に選んでいくものであって欲しい
計画書の空気を柔らかくする方法は、難しい新発明ではありません。支援の中身を全部ひっくり返すより前に、「決めましたので、どうぞ」から「どちらが暮らしやすいですか」へ向きを少し変えることです。この向きの違いは小さく見えて、受け取る心には雲泥之差があります。完成品を差し出されるだけだと、人はどうしてもお客さんになります。けれど、一緒に選ぶ時間が入ると、その人はちゃんと自分の暮らしの持ち主に戻れます。
例えば、移動の場面でもそうです。安全のために付き添う、見守る、介助する。どれも必要な支援です。ただ、その前に「どこまでなら自分で歩きたいですか?」「手を貸すなら、立つ時と曲がる時のどちらが安心ですか?」と聞かれるだけで、空気は随分と変わります。支援が減るわけではないのに、押しつけ感が薄くなる。ここに面白いところがあります。人は、全部一人でやりたいわけではなく、自分の席がちゃんと残っていて欲しいのです。
意思決定支援(本人の思いを形にする手助け)という言葉があります。何だか会議室の空気がしますが、中身はもっと暮らしに近いものです。朝は早めが良いのか、少しゆっくりしたいのか。お茶は熱めが好きか、ぬるめが落ち着くか。入浴は職員の都合で空いた時間より、自分が気持ちよく入れる時間の方が良いのか。こうした細やかな話は、立派な医療用語や介護用語より目立ちません。けれど、暮らしを暮らしらしくするのは、大抵こちらです。大きな支援だけで生活が回るなら、世の中の茶碗は全部同じ形で済むはずですが、そうはいきませんもん。
一緒に選ぶと言うと、全てを本人に任せるように聞こえるかもしれません。そこまで背負わせる必要はありません。専門職には、危険を見つける目がありますし、再発や悪化を防ぐ知識もあります。その力はとても大切です。ただ、知っている人が全部決めていきなり紙で渡してしまうのではなく、知っている人が選びやすく並べる工程が必須。その方が、支援はずっと親切です。「このやり方だと安全です」「こちらだと自分で出来る部分が残せます」と、道をいくつか見せてもらえると、受け取る側の顔付きは穏やかになります。転ばないことと、自分らしさをなくさないこと。その両方を見ながら選べるからです。
実際の場面では、ほんのひと言が効きます。「これで進めますね」より、「気になるところはありますか?」の方が、紙に風が通ります。「何かあれば言ってください」より、「この中で減らしたい支援はありますか?」と聞かれる方が、口は開きやすい。人は、自由にどうぞと言われると急に遠慮するのに、入口が少し見えると話しやすくなるものです。和気藹々とした相談の場は、立派な名文より、こういう地味な問い掛けで育っていきます。
もう1つ大切なのは、出来ないことだけで計画を組まないことです。出来ること、続けたいこと、少し助けがあれば出来そうなこと。この3つが入ると、計画書は「不足を埋める紙」から「暮らしを整える紙」に変わっていきます。自分で顔を洗いたい、湯のみは右手で持ちたい、外の空気を毎日少し吸いたい。こうした希望は、壮大ではありません。けれど、塵も積もれば山となると言うように、小さな希望が積み重なると、その人らしさはちゃんと形になります。反対に、そこが抜けると、どんなに親切な支援でも、どこかよそよそしく見えてきます。
書類の欄は限られていますし、時間にも追われます。現場はいつも悠々自適とはいきません。それでも、「本人は何を大切にしているか」を一行入れる、「この支援は本人と相談して決めた」とひと言添える、その積み重ねは大きいです。文章の長さは変わらなくても、伝わる温もりが違ってきます。計画が支援者の作品ではなく、本人と一緒に作った暮らしの地図に近づくからです。
支援は、盛れば盛るほど親切になるわけではありません。ちょうど良い量で、選ぶ余地があり、本人の言葉が残っていること。その3つが揃うと、「あなたのために」は重たい決まり文句ではなく、本当に寄り添う言葉になります。手渡された紙を見た人が、溜め息ではなく「これならやっていけそう」と思える。その変化は静かですが、暮らしを明るくする力をきちんと持っています。
[広告]まとめ…してもらう計画よりも一緒に育てる計画の方が温かい
介護や医療の計画書が苦しく見えるのは、支援があるからではありません。本人の席が見え難くなる時、紙の上の親切が少し重たくなるのです。病名も注意事項も、暮らしを守るためには大切です。けれど、人は病名だけで出来ていません。好きな飲み物の温度もあれば、自分でやってみたい動作もあるし、今日は静かにしていたい気分の日もある。十人十色とは、まさにこういうことなのだと思います。
「あなたのために」という言葉は、本来は優しいものです。それが息苦しく見えるのは、相手の気持ちより先に完成してしまう時です。反対に、「どうしたいですか?」が先に置かれると、同じ支援でも手触りが変わります。してもらうだけの計画ではなく、一緒に選んだ計画になるからです。紙の中に本人のひと言が入るだけで、空気は随分と和らぎます。
立派な文章を増やすより、「朝はゆっくりが落ち着く」「湯のみは自分で持ちたい」「外の風を少し感じたい」といった小さな願いを残す方が、暮らしにはよく効きます。大仕事に見えなくても、その一行は意外と侮れません。支援する側の安心と、支援を受ける側の納得が、そこでようやく同じテーブルに座れるからです。豪華なお弁当に見えても、箸が付け難ければ困るものですし、やはり食べやすさは大事ですね。
計画書は、誰かを上手に管理するためだけの紙ではなく、その人がその人らしく過ごすための地図であって欲しいものです。道順を書くだけでなく、どこに寄り道したいかまで少し分かる地図なら、見る人の気持ちも違ってきます。和顔愛語のように、言葉が柔らかいだけでなく、向き合い方まで柔らかい支援なら、紙の印象はちゃんと変わっていきます。
署名欄の横に、本人の言葉が1つある。たったそれだけで、計画はグッと人に近づきます。守ることと、尊重すること。その2つが並んで歩けるなら、介護も医療も、もっと温かくなるはずです。手渡された紙を見た時に、溜め息より先に「これなら暮らしていけそう」と希望を胸に前に進める人が増えていく。その景色は、きっと静かに、でも確かに広がっていきます。
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