秋の夜を奏でる小さな楽団~虫の声が心をほぐす時~
目次
はじめに…秋の静けさが“音”で満ちる瞬間を楽しむ
夕方になると空気がひやっとして、窓を少し開けたままにしておくと、どこからともなくチリチリ、リーン…と細い音が入ってきますよね。あの瞬間に「もう夏じゃないな」「今夜はゆっくりしようかな」と思わせてくれるのが、秋に鳴く虫たちの凄いところです。楽器を持っているわけでもないのに、まるで夜の庭で小さな音楽会を開いているように聞こえるから不思議です。
童話でも、秋の虫はよく“音を奏でる役”で登場します。『アリとキリギリス』なら、働き者のアリと対照的に、キリギリスはどこか芸術家気質で、バイオリンでも弾いているかのように描かれますし、『虫の音楽会』のようなお話では、たくさんの虫が舞台にあがって一晩中、鳴き続けます。私たち日本人にとって、虫の声はただの環境音ではなく、「秋が来た」と教えてくれる季節のサインであり、ちょっと情緒的な気分にしてくれる音でもあるんですね。
じつは、この音の感じ方が人によってけっこう違うところです。一人で静かに聞くと、少しだけもの悲しくなる夜もありますし、たくさん鳴いている時は「田んぼが賑やかだなぁ」とニコッとしてしまう夜もあります。虫の種類や鳴き方、住んでいる地域、今の気分――そういった小さな条件で、同じ音でも心への届き方が変わってくるのが秋の虫の声です。
今回の記事では、秋に鳴く代表的な虫をざっとおさらいしてから、「なぜ高くて細い音が心地よく感じられるのか」「どうして日本人は虫の声を言葉のように聴くのか」というところまで少し踏み込んでみます。最後の方では、介護の現場やご家庭でも使えそうな“秋の音の楽しみ方”も添えておきますね。
文字だけですが、耳で聞くつもりで読んでみてください。リーン…というあの音を思い浮かべながら読むと、きっと文章もやわらかく感じられるはずです。
第1章…秋に鳴く主役たちをおさらいする~コオロギ・キリギリス・バッタの世界~
秋の夜に耳を済ませると、まず聞こえてくるのはやはりコオロギの声です。リーンリーンと澄んだ音で鳴くスズムシ、チンチロリンとややリズミカルに鳴くマツムシ、少し低めでどっしりした声のエンマコオロギ。名前までは知らなくても、「あ、この音は聞いたことある」と思えるものが多いはずです。街中でも公園の植え込みの辺りや、古いお家の庭先など、思いがけないところで鳴いているので、日本に暮らしていると自然と耳に入ってきますね。
コオロギの仲間は、声が細くて高く、どこか線香花火の最後の煌きのような儚さがあります。スズムシはリーンリーンと一定の高さで鳴くので、まるで一音で秋の夜を飾っているように聞こえますし、マツムシはチンチロリンと音階のように鳴くので、童話の「虫の音楽会」にも登場させたくなる、そんな小さな楽器担当です。エンマコオロギは少し張りのある声なので、静かな夜でも存在感があり、「あ、近くにいるな」と場所を想像しやすいですね。
一方でキリギリスの仲間は、同じ秋の虫でも少し華やかさがあります。キリギリス、カンタン、ツユムシ、クツワムシ、ウマオイなど、名前だけでも面白くて、昔の人が1つ1つの鳴き方をちゃんと聞き分けていたことが分かります。カンタンは「ルルル…」と笛のように鳴くことで知られていますし、クツワムシはガチャガチャッと賑やかで、田んぼの近くでは虫たちのリーダーのように聞こえます。ツユムシは草むらの奥に潜んでいて、姿はたいてい見えないのに声だけが綺麗に届くので、夜露の中から歌っているみたいだと昔から言われてきました。
さらにバッタの仲間であるナキイナゴなども、地域によっては秋の音の一員です。こちらはコオロギやスズムシに比べると少し地味ですが、田んぼが残っている地域では、コオロギの高い音の下のほうでサワサワと鳴いているので、全体が一つの合奏になっていることがわかります。高い音、少し低い音、細くて長い音、短くて途切れる音――それらが重なると「秋の夜の音場」になって、同じ場所でも夏とはまったく違った雰囲気になります。
ここで押さえておきたいのは、実はものすごく種類が多いということです。学術的に言えばもっとたくさんの鳴く虫がいて、県が変わると聞こえる虫の顔ぶれも変わります。ただ、普段の暮らしで耳に入りやすいのは、今挙げたようなコオロギの仲間、キリギリスの仲間、そしてバッタの仲間のだいたい3系統と思っておけば、秋の音の正体は掴みやすくなります。名前を1つでも知っておくと、「今鳴いているのはたぶんスズムシ」「こっちはカンタンっぽい」と、夜風を楽しむ時間がグッと豊かになります。
また、秋に鳴く虫たちは、気温が下がり切る前が一番元気です。初秋の、昼はまだ暑くて夜だけ涼しい頃にはよく鳴き、晩秋になって霜が降りるようになると、音がだんだん減っていきます。この「だんだん静かになる」という季節の変化も、秋の音を味わうポイントです。たくさん鳴いている時期は賑やかで、虫が減ってくると「そろそろ冬だな」と感じる。音の量で季節の階段を降りていくようなものですね。
こうして見ていくと、秋の虫はただ騒がしく鳴いているのではなく、夕方から夜へ、夏から秋へ、秋から冬へと移ろう時間に合わせて、丁度良い音を差し出してくれている存在だとわかります。だからこそ、私たちはあの声を聞くとホッとして、「この時期ならではだな」と感じるのだと思います。次の章では、どうしてあの高くて小さな音が心にやさしく響くのか、その辺りをもう少し掘り下げていきますね。
第2章…高く細い音が心を和らげる仕組み~風鈴にも通じる耳の快感~
秋の虫の声が心地よく感じられる時、私たちの耳と脳の中ではけっこう繊細なことが起きています。パッと聞いたところでは「小さい音がしているな」くらいですが、実はあの高くて細い音は、人が安心しやすい音域に近く、しかも途切れ途切れではなく一定のリズムで届くので、体がゆっくりモードに入りやすくなります。夏の夕方に聞く風鈴の音が涼しく感じるのと、根っこは似ていますね。耳に刺さらない程度に高く、音が重くないので、聞いている側が気づかないうちに呼吸をゆったりにしていくのです。
もう少しやさしく言うと、小さな音ほど「どこで鳴ってるんだろう?」と耳が外の世界に向かいます。大きな音だと「うるさい」と内側に閉じやすいのですが、秋の虫の声はその逆で、外気と一緒に音が入ってきて、空気のひんやりとした感じや、草むらの匂いまでセットで思い出させてくれる働きがあります。人は五感を組み合わせて季節を感じるので、耳から入ってきた情報が、気温や光や夕方の色と混ざり合って、「あ、秋だな」という情景を作っていくのです。
さらに、虫の声は人の声や楽器の音と違って、意味を要求してきません。歌なら歌詞を追いたくなりますし、人の話し声なら内容を理解しようとしますが、虫の声は理解しなくてもいい音です。だからこそ、聞き流してもいいし、じっと聞き込んでもいい。そういう“距離を決められる音”は、心の余白を作るのに向いています。忙しい日中にずっと言葉に囲まれていると、夜くらいは意味のない音を聞きたくなるのはこのためです。
初秋にこの音が特に心地よく感じられるのは、体がまだ夏の疲れを引きずっているからでもあります。暑さに頑張っていた体は、夜になるとようやくクーラーを弱めたり、窓を開けたりして休もうとしますよね。その時に、外から一定のリズムでやさしい音が入ってくると、「今日はもう休んでいいよ」と言われているような気持ちになりやすい。音そのものが眠気を呼ぶわけではありませんが、休息に向かう姿勢をサポートする役目は、間違いなく果たしています。
もちろん、人によっては「虫が多すぎて賑やかすぎる」「静かな方が好き」ということもあります。これはその人の暮らしてきた環境や、今の心の状態が関わっています。虫の声が少ない時は、一人語りのように聞こえてしんみりしますし、多い時は田んぼで村祭りが始まったように聞こえます。どちらが良い悪いではなく、同じ音でも受け取る人の心持ちで表情が変わるのが、秋の虫の声の面白いところです。
ここまでをまとめると、秋の虫の音がやさしく響くのは、高くて軽いので耳が疲れにくいこと、外気と一緒に入ってきて季節の情景を思い出させること、意味を求められない音なので心に余白ができること――このあたりが重なっているからだと言えそうです。次の章では、こうした音を日本人がどうして“情緒”として受け取るようになったのか、ちょっと文化寄りの話も混ぜながら見ていきましょう。
第3章…なぜ日本人は虫の声に情緒を感じるのか~言葉として聴く文化的ポイント~
秋の虫の声を巡る話でよく出てくるのが、「日本人は虫の声を“意味のある音”として聴きやすい」という説です。同じ音を聞いても、音楽のリズムとして捉える人もいれば、ただの環境音として流す人もいます。その中で日本人は、虫の鳴き方に名前をつけたり、「リーンリーンは鈴虫」「チンチロリンはあの虫」と結びつけたりして、音をすぐに具体的なイメージへと変換する癖があります。これは自然や季節の移ろいを言葉で味わってきた暮らし方と相性がよく、古くから“音を味わう文化”が育っていたとも言えそうです。
日本語はもともと擬音語・擬態語がとても多い言語です。パラパラ、シトシト、サラサラ、ポトン――雨1つとっても、音に合わせて表現を変えられるようになっています。虫の声も同じで、ただ「鳴いている」と書くのではなく、「リーンリーン」「ギーッチョン」「ギー」という風に、耳で聞いた通りを文字にして残そうとしてきました。文字に出来るということは、その音が生活の中で意味あるものとして扱われていたということです。秋の夕暮れに聞こえる鳴き声も、そうして何世代にも渡って“書き取られた音”として残ってきたので、私たちは無意識に「これは秋の音」「これは鈴虫の声」と認識できるようになったのでしょう。
また、日本の暮らしは四季の行事と結び付いている場面が多いので、季節を告げる自然の音がとても重要でした。梅雨なら雨の音、夏なら風鈴や蝉、秋なら虫の声、冬なら風の音や囲炉裏のパチパチ。こうした音があると、人は日付を見なくても季節の段階を把握できました。特に秋の虫は、暑さが落ち着いた頃の夜にだけよく聞こえるので、「ああ、夜はもう秋なんだな」と心を季節に合わせる合図になったのだと思います。合図として機能していた音は、やがて情緒としても受け取られるようになり、「秋の夜長」「侘び寂び」「もののあはれ」といった言い回しと自然に繋がっていきました。
ここで少し脳の話もしておきましょう。右脳はイメージや音楽の処理が得意、左脳は言葉や論理が得意、という説明は一度は聞いたことがあると思います。秋の虫の声を耳にした時、日本人は音そのものを味わうだけでなく、「どの虫だろう」「どこの草むらで鳴いているかな」「これは秋の声だな」といった具合に、音を素早く言葉の世界に持っていく傾向があります。つまり、音を聞く右側の働きと、意味を掴む左側の働きを同時に動かしているわけです。音がそのまま詩の一行になってしまうような感覚ですね。
一方で、音を音楽として楽しむ文化が中心にあると、虫の声はどうしても「リズムのない音」「一定しない音」として聞こえやすくなります。ところが日本人はリズムの整っていない自然の音にも価値を見い出します。風が木を揺らす音、川の流れの音、雨が屋根に当たる音、そして虫が草むらで鳴く音。こうした“揺らぎのある音”を心地良いと感じられるのは、自然とともに暮らす感覚を言葉に結びつけてきた歴史があるからだと思われます。
つまり、秋の虫の声を聞いて情緒を感じるのは、「虫が鳴いている」以上の意味付けを私たちが自分でしているからです。どの虫が、どんな季節に、何のために鳴くのかを、ぼんやりでも知っているので、声を聞くだけでその背景まで想像してしまうのです。鳴き声の向こうに草むらの景色を思い浮かべたり、短い命で懸命に鳴く姿を重ねたりすると、音が急に温かく感じられる。この“想像してしまう力”が、日本人が虫の声を特別に感じる土台になっています。
次の章では、こうした音の受け取り方を、介護の場や家庭の夜時間にそっと持ち込むコツをお話ししていきます。秋の声をただ聞き流すだけでなく、人を落ち着かせたり、回想をうながしたりする小さな切っ掛けとして使えるようになると、音の価値がぐんと上がりますよ。
第4章…介護の現場や家庭で活かす音の情緒~秋の夜をリラクゼーションに変えるコツ~
ここまでで、秋の虫の声がなぜ柔らかく心に入ってくるのか、その背景を見てきました。ここからは少し実用寄りにして、「この感じの良さをどうやって日常に持ち込むか」を考えてみましょう。といっても難しいことはなくて、要は“音を主役にする時間を作る”だけで随分と雰囲気は変わります。特に高齢の方がいる家庭や、落ち着いた夜を過ごして欲しい場面では効果が分かりやすいと思います。
一番手軽なのは、夜の室内の音量を少しだけ下げることです。テレビをずっとつけたままにしているとどうしても人の声が前面に出るので、虫の声のような細い音が掻き消されてしまいます。窓を少し開けて外の音を入れるか、秋の環境音を静かに流すかして、「今日は声ではなく音を楽しむ日です」という空気を作ってあげると、座っている人の姿勢も緩みます。音には「今は頑張らなくていいですよ」という合図の役目がありますから、夜勤前のひと休みや、入浴後のクールダウンにはとても向いています。
介護の場だと、夕食が終わって、消灯にはまだ早いけれどもやることが落ち着いた時間がありますよね。そこをただの待ち時間にしてしまうと、利用者さんも職員さんもなんとなくソワソワしてしまいますが、「外はもう秋の音がしてますよ」と一声かけて、照明を少し落として、虫の声に似た音を流すと、それだけで季節の話題が生まれます。若い頃に聞いたスズムシの話、田んぼの傍の家に住んでいた頃の話、縁側に座って風に当たっていた話――こうした回想は、音があると出てきやすくなるんです。匂いや写真が切っ掛けになるのと同じで、音も立派な切っ掛けの1つになります。
家庭でも同じで、子どもが寝た後や、ご夫婦で過ごす夜に、明るすぎる照明と賑やかな音を一端止めてみると、虫の声が「今日はここまで」と一日を締めてくれる感じになります。特に秋は、外の気温が“丁度良い”日が多いので、窓を開けておくと音と風がセットで入ってきます。季節の音に合わせると、人は余計なおしゃべりをしなくても同じ時間を共有できるので、介護をしているご家族にとっても負担の少ないコミュニケーションになります。「今日はよく鳴いてるね」「昔はもっといたよね」――たったそれだけでも、普段の介助とは違う柔らかい会話になります。
注意しておきたいのは、音が全ての人にとって心地いいとは限らないということです。耳が敏感な方、複数の音が重なると疲れてしまう方、体調がすぐれず静寂を好む方もいらっしゃいます。そういう時は、音をずっと流すのではなく、短い時間だけにしたり、音量をほんの少しにしたりして、その方の「これくらいなら大丈夫」というところを探してあげてください。虫の声はあくまで季節を感じるための小物であって、主役はそこにいる人です。人に合わせて音を調整する、という意識さえあれば失敗は少なくなります。
そして、秋の音は日が短くなるにつれて自然と少なくなっていきます。つまり、今しか使えない季節の演出でもあるのです。だからこそ、9月・10月の夜に意識して取り入れておくと、翌年も「この季節になったらまたやろう」と思い出しやすくなります。介護の現場で季節感を出すというと、飾りつけや行事を思い浮かべがちですが、実は“音を季節に合わせる”というだけでも十分に空気が変わります。飾りをつける手間がない日でもできるので、忙しい時の小さな助けになるはずです。
このようにして、秋の虫の声をただの自然音として流すのではなく、「今夜は音で秋を感じましょう」「昔の秋を思い出しましょう」という意図を添えてあげると、そこにいる人の表情が変わります。次のまとめでは、秋の虫の声が教えてくれる“命の短さ”と“季節の優しさ”の話を、もう一度だけなぞっておきますね。
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秋の夜に聞こえるリーンリーンというあの音は、本当に不思議な存在ですね。姿はほとんど見えないのに、鳴き声だけで季節を運んできてくれる。しかも、その音を聞いた人の心が少し柔らかくなる。今回辿ってきたように、まずはコオロギやスズムシ、カンタンといった“秋の主役たち”がいて、彼らが晩ご飯の後の静けさを上手に彩ってくれているからこそ、私たちは「ああ、今は秋を生きているんだな」と実感できます。
そして、あの高くて細い音は、人が休みたい時にちょうど良い強さで届きます。言葉のように意味を追わなくていいから、忙しかった一日の終わりにも受け入れやすい。外の空気と一緒に入ってくるので、耳だけでなく肌でも秋を感じられる。日本人がそれをさらに“情緒”として受け取るのは、音を文字にして残してきた歴史があるからで、誰かが昔「チンチロリン」「リーンリーン」と書き残してくれたおかげで、今の私たちもすぐにその音と季節を結びつけることが出来るわけです。
介護の場でも家庭でも、この性質はとても使いやすいと思います。大袈裟な準備をしなくても、音を中心にした時間をほんの少し作るだけで、場の空気が落ち着き、昔の話が出やすくなります。季節の音は、写真や飾りつけと同じように回想のきっかけになりますから、「この時期はこれを聞こう」と決めておくと、毎年の楽しみになりますね。
秋の虫たちの命は長くありません。寒さが進めば声も小さくなり、やがて聞こえなくなります。そのはかなさを知っているからこそ、私たちはいま鳴いている声を大事に聞こうとしますし、そこにやさしさやいのちの尊さを重ねて感じるのだと思います。窓の外から聞こえてきたら、ほんの数十秒でも耳を止めてみてください。文章だけで綴ったこの記事が、その時間を思い出すきっかけになればうれしいです。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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