笑顔は6つ?~可愛い・幸せ・分かり合える笑顔が心と暮らしを守る理由~

[ 家族の四季と作法 ]

はじめに…笑いすぎなくていい日もある~やさしい笑顔だけを集めてみませんか~

「笑顔が大事ですよ」「笑っていたら何とかなる」
そう声を掛けられても、心も体もクタクタの日は、そんな元気は出ないことがあります。大声で笑う余裕なんてどこにもなくて、取り敢えず今日を無事に終えるだけで精一杯。そんな日だって、誰にだってありますよね。

ここでは、笑顔をざっくり6種類に分けて考えてみます。お腹を抱えての大笑いもあれば、誤魔化すような笑い、人を傷つけてしまうような笑いもあります。その中で、一番、日常の中でそっと寄り添ってくれるのが、「可愛い」「幸せ」「分かってもらえた」が混ざり合った、優しい微笑みの笑顔です。

赤ちゃんや孫、ペットを見て思わず口元が緩む時。
家族で同じご飯を囲んで、「今日もお疲れ様」と視線を交わす時。
仕事や介護でしんどい気持ちを、誰かに少しだけ分かってもらえた時。
そんな瞬間に生まれる笑顔は、派手ではないけれど、心の奥にじんわりと灯りを灯してくれる小さなランプのような存在です。

この優しい笑顔は、大笑いのように体力をたくさん使いません。涙が出るほど笑うのも素敵ですが、毎日の暮らしを支えてくれるのは、むしろ「フフッ」「ニコッ」とこぼれる小さな笑顔ではないでしょうか。特に、子育てや介護、仕事に追われている人にとっては、その一瞬の微笑みが、その日を持ち堪えるための心の栄養になります。

この記事では、まず笑顔を6つのタイプとしてそっと整理してみた上で、「可愛い」「幸せ」「分かり合える」から生まれる優しい笑顔にじっくり光を当てていきます。季節を問わず、家でも職場でも介護の現場でも、今日からすぐに見つけられる笑顔の場面を、具体的な情景と共にたっぷり紹介していきます。

大笑い出来ない日でも大丈夫。
声を出して笑えない夜でも大丈夫。

読む人それぞれが、「あ、これなら自分の毎日にありそうだな」と思える、小さな笑顔のタネを1つでも持ち帰ってもらえるような物語を目指して、これからページを開いていきます。

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第1章…毎日の暮らしにはどんな笑顔がある?~6つのタイプをそっと整理してみる~

「笑顔」と聞くと、まず思い浮かぶのはお腹を抱えて笑うシーンかもしれません。でも、日々をよく思い出してみると、そこまで大袈裟ではない、もっと静かな笑顔の方がたくさん登場しているはずです。朝の挨拶で交わすニコッとした表情、子どもやペットを見つめる目元の緩み、気まずさを誤魔化すような笑い、相手をバカにしてしまうような冷たい笑い……同じ「笑う」なのに、心の中で起きていることは随分と違います。

ここではまず、毎日の暮らしの中にある笑顔を、あくまで1つの考え方として6つに分けてみます。難しい学問の分類ではなく、「ああ、こういう笑いあるなぁ」と、自分の生活を振り返るための緩やかな地図のようなものだと思って読んでみてください。

1つ目は、皆で声を上げて楽しむような大笑いです。テレビのお笑い番組を見ている時、友だちと昔話で盛り上がった時、レクリエーションで思わぬハプニングが起きた時など、「苦しい〜」と言いながらも笑いが止まらないような場面がこれに当たります。安心できる人たちに囲まれている時ほど、こうした笑いは生まれやすくなります。

2つ目は、声に出すほどではないけれど、口元や目元がフワッとやわらぐ笑顔です。赤ちゃんの寝顔を眺めた時、猫が変なポーズで伸びをしているのを見た時、湯気の立つご飯を前に「美味しそうだね」と目を合わせた時、そして「自分のことを分かってもらえた」と感じた時に自然とこぼれる、静かで温かな表情です。この2つ目の笑顔こそが、この記事でこれからじっくりと扱っていきたいと思っているところで、日常をそっと支えてくれる大事な存在です。

3つ目は、嬉しさと恥ずかしさが混ざった照れ笑いです。褒められた時に「いやいや…」と言いつつ頬がゆるむ感じや、ちょっとした失敗を優しく指摘されて「見てたんですか〜」と笑いに変える時などがそうです。本当は少し穴があったら入りたい気持ちもありつつ、それを受け止めてくれる相手がいるからこそ、フッと笑いに変えられる。人と人との距離を、少しだけ近付けてくれる笑いとも言えます。

4つ目は、本当は困っていたり、辛かったりするのに、正直には言えなくて出てくる誤魔化しの笑いです。「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫大丈夫」と笑って魅せるけれど、心の中では全然大丈夫じゃない。そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。この笑いは自分を守るための手段でもありますが、長く続くと、周りに本当の気持ちが伝わらない寂しさも生みやすくなります。

5つ目は、困った状況や予想外の出来事に対して出てくる苦笑いです。「なんでこうなるんだろうね」と肩を竦めながら笑う時や、「参ったなぁ」と言いながら状況を受け止める時の表情です。そこには、諦めやツッコミの気持ちも少し混ざっていますが、誰かを傷つけるというより、「仕方ないね」と自分や状況と折り合いをつけるための笑いと言えるかもしれません。

そして6つ目は、人をバカにしたり、下に見たりする時に出てしまう冷たい笑いです。誰かの失敗を面白がって笑いものにしたり、弱っている人を見てヒソヒソ笑ったりするような場面は、周囲で見ているだけでも胸がキュッとしますよね。同じ「笑う」でも、この笑いが増えると、その場の空気はどんどん重たくなり、誰かが傷ついてしまいます。

こうして眺めてみると、笑顔と言っても、心を温めてくれるものもあれば、自分や誰かを守るために無理をして作るもの、さらには相手を傷つけてしまうものまで、本当にいろいろあることが分かります。どの笑顔が良い、どの笑顔が悪いと一言で決めつけることは出来ませんが、「自分や大切な人の心と暮らしを守ってくれる笑顔はどれだろう」と考えた時、やはり2つ目の、可愛さや幸せ、分かり合えた安心感が混ざった、優しい微笑みに行き着く人は多いのではないでしょうか。

次の章からは、この2つ目の笑顔に焦点を当てていきます。季節を問わず、どの年代の人にも訪れる「可愛い」「幸せ」「分かってもらえた」という瞬間を辿りながら、日常の中でそっと増やしていける笑顔のタネを、一緒に探してみましょう。


第2章…可愛いに思わず微笑む~子ども・ペット・高齢者と心がゆるむ時間~

ふと気づくと、一番、力の抜けた笑顔になっているのは、相手のことを「可愛いなぁ」と感じた瞬間かもしれません。ここで言う「可愛い」は、見た目だけの話ではなくて、その人の仕草や、ちょっと不器用なところ、年齢を重ねてきた味わいも全部ひっくるめた、丸ごとの愛しさです。声を上げて笑うほどではないのに、目尻が緩んで口元がフワッと上がる、あの一瞬の表情。それは、日常の中で一番優しい形の笑顔だと言ってもいいでしょう。

例えば、小さな子どもと一緒にいる時間。よく見ると、子どもは一日中「可愛いこと」しかしていないのではないかと思うほど、表情も動きもコロコロ変わります。靴を反対に履いてしまって、得意気に「出来たよ」と胸を張る。スプーンからご飯を溢して、テーブルを白くしてしまう。そのたびに、大人の方は少しだけ「あちゃー」と思いながらも、何故か怒りきれずに、最後は「仕方ないなぁ」と笑ってしまう。そこには、完璧とはほど遠い日常を「まあ、これでいいか」と受け入れる、温かな眼差しがあります。

ペットと暮らしている人なら、似たような瞬間を何度も経験しているはずです。まだ眠いのに無理やり起きてきて、半分だけ目を開けた犬や猫。グニャリとした別の軟体動物みたいな格好でソファから落ちかけている姿。帰宅した時、玄関まで小走りで迎えに来て、勢い余って滑ってしまう後ろ姿。どれも、部屋の中で一人きりで眺めていると、思わず「フフッ」と笑ってしまう情景ばかりです。ペットは言葉を話しませんが、その存在そのものが「ここに戻ってきていいよ」と言ってくれる、安心の象徴になっています。

高齢者の笑顔にも、独特の「可愛らしさ」があります。年齢を重ねた手の皺、ゆっくりとした動作、少し聞き返しの多くなった会話。その1つ1つが、長い年月を生きてきた証拠です。例えば、施設のホールで折り紙をしている時。角がぴったり合わなくて、少し曲がったツルや箱が出来上がる。本人は「下手くそやねぇ」と照れたように笑いますが、周りから見れば、それも含めてとても愛おしい作品になります。「この折り方、昔孫に教えたことがあるんよ」と、思い出話がポロリとこぼれる瞬間、その人の人生の一部にそっと触れたような感覚になり、自然と口元が和らぎます。

「可愛い」の背景には、いつも「守ってあげたい」「傍にいてほしい」という気持ちが隠れています。子どもはまだ未完成で、ペットは言葉を持たず、高齢者は体力が落ちてきているかもしれない。だけど、その不完全さや弱さがあるからこそ、こちらの心がほどけていきます。「ちゃんとしなきゃ」と固くなっていた肩の力が抜けて、「まあ、これくらいでいいか」と思える。可愛さに微笑む瞬間は、自分自身を癒してくれる時間にもなっているのです。

日常の中で、「可愛い」による笑顔は、意外とたくさん散りばめられています。通勤途中に見かけた、ランドセルがやたら大きく見える小学生。バス停で眠そうに欠伸をする高校生カップル。スーパーで、真剣な顔で野菜を選ぶおじいちゃん。直接声をかけることはなくても、「なんだかいいなぁ」と感じるたびに、私たちは心の中で小さく笑っています。その笑顔は、お互いに気づかれないかもしれないけれど、街の空気を少しだけ柔らかくしてくれる力を持っています。

家族介護や子育ての現場では、どうしても「やること」「こなすべきこと」に目が向きがちになります。ご飯、薬、着替え、送迎、通院……列挙していけば、どれも大事で、どれもサボり難いことばかりです。その中に、ただ「かわいい」と思うためだけの時間を、どれくらい挟めるでしょうか。介助の手を動かしながら、「今日の服、似合ってますね」と一言添える。おやつの時間に、「その食べ方、何だか子どもの頃みたいですね」と笑い合う。たったそれだけでも、雰囲気は不思議なほど変わります。

可愛さに微笑む笑顔は、特別なイベントがなくても生まれます。大きなレクリエーションや豪華な食事が無くても、そこにいる人の「らしさ」に気づき、「ああ、この人いいな」と感じた瞬間に、もう十分な笑顔が1つ生まれています。その笑顔は、相手だけでなく、自分自身の心もじんわり温めてくれます。

もし最近、「笑えていないな」と感じているなら、声を出して笑おうと頑張る必要はありません。まずは、身の回りの「可愛い」に少しだけ注目してみてください。子どもの寝癖、ペットのくしゃみ、高齢者のちょっとした言い間違い。どれか1つでも心に残ったら、その瞬間に、2つ目の優しい笑顔がそっと生まれています。次の章では、「幸せ」を噛み締める時に生まれる笑顔について、また別の角度から見つめていきます。


第3章…幸せを噛み締める笑顔~ご飯と日常の小さなご褒美たち~

お腹の底から大笑いしているわけではないのに、「ああ、幸せだな」と胸の内側がじんわり温かくなる瞬間があります。誰かとご飯を囲んでいる時、湯気の向こうに家族の顔が見えた時、一日の終わりに布団に潜り込んだ時。そんな時に浮かぶ笑顔は、派手さはなくても、心を静かに満たしてくれる大切な表情です。

例えば、夕方の台所を想像してみてください。鍋からは湯気が立ちのぼり、味噌汁や煮物の匂いが部屋に広がっていきます。テーブルには、決して豪華ではないけれど、それぞれの好みを少しだけ意識したおかずが並んでいる。家族が順番に「ただいま」と帰ってきて、椅子に腰を下ろし、「今日どうだった?」という会話がポツポツと始まる。その時、誰かがふと笑って、「まあ、いろいろあったけど、美味しいからいいか」と言う。そんなごく普通の光景の中に、「幸せ」を噛み締める笑顔は静かに宿っています。

同じような場面は、介護の現場にもたくさんあります。施設の食堂で、皆が同じメニューを前にしたおやつの時間。「今日はプリンですよ」と職員が声をかけると、「わあ、久しぶり」と目を輝かせる人もいれば、「甘い物は別腹やね」と笑う人もいる。スプーンで口に運びながら、「昔、孫と一緒に食べに行った喫茶店を思い出したわ」と話が広がっていく。その輪の中で生まれる笑顔は、大事件が起きたわけでも、特別な企画があるわけでもなく、ただ「ここで一緒に食べている」という事実だけで十分に輝いています。

幸せを噛み締める笑顔には、「今、この時間を味わおう」という意志がこもっています。スマホをいじりながら食事を終わらせるのではなく、目の前の料理をひと口ひと口を確かめるように味わう。会話も、早口で一気にしゃべるのではなく、「そういえばね」と前置きをしながら、思い出を少しずつ取り出していく。時間の流れがゆっくりになったように感じる時、人の表情は自然と和らぎ、「生きていて良かったな」という小さな実感が顔に滲み出てきます。

こうした笑顔は、ご馳走のある日だけに生まれるわけではありません。朝、好みのパンにジャムを塗って齧った時の、「うん、今日の焼き加減は当たりだな」という満足感。仕事の合間に、コンビニで買ったお気に入りの飲み物を一口飲んで、「もうひと頑張りしよう」と深呼吸する瞬間。介護中に、利用者さんと一緒にお茶を飲みながら、「このカップ、綺麗ですね」と会話が弾んだ時。それぞれはほんの短い時間ですが、その積み重ねが、暮らし全体に「幸せの層」を作っていきます。

忙しい毎日の中では、「特別な日」ばかりを追いかけてしまいがちです。誕生日や記念日、旅行、イベント…。もちろん、それらも心に残る大事な時間ですが、年に何度もあるわけではありません。一方で、日常の中の小さなご褒美――お気に入りのマグカップ、少しだけ奮発した入浴剤、寝る前の読書の時間――は、意識すればほぼ毎日用意することが出来ます。「大したことない」と見過ごしてしまうか、「これは自分へのご褒美だ」と意識して味わうかで、心の満たされ方は大きく変わってきます。

在宅介護をしている家族にとっても、この「小さなご褒美」はとても大切です。一日を振り返ると、やり残したことや反省点ばかりが目につき、「今日も怒ってしまった」「もっと優しく出来たのに」と自分を責めてしまうことも多いでしょう?そんな時こそ、「それでも、こういう瞬間は良かったな」と思える場面を、1つだけでも拾い上げてみてください。例えば、「今日は薬をちゃんと飲んでくれた」「一緒にテレビを見ながら同じところで笑えた」「『ありがとう』と言われた」。それを思い出すだけで、少しだけ顔が緩み、「明日もやってみようか」という気持ちが湧いてきます。

幸せを噛み締める笑顔には、体力はいりません。大声を出す必要も、場を盛り上げる必要もなく、むしろ静かな場所の方が似合うことさえあります。ベッドの中で、「今日も何とか終わったな」と天井を見上げながら、自分にお疲れ様を言うとき。その一瞬の緩みもまた、立派な幸せの笑顔です。誰かに見せるためではなく、自分の心を回復させるための内側の笑顔と言っても良いかもしれません。

大笑いは打ち上げ花火のように華やかですが、幸せを噛み締める笑顔は、枕元に置いた小さな明かりのように、静かに長く私たちを照らしてくれます。忙しくて余裕がない時ほど、「今日はどんな小さなご褒美があったかな」と思い返してみること。それだけで、心のどこかにホッとする空間が生まれます。

次の章では、「分かってもらえた」と感じた時に生まれる笑顔について考えていきます。誰かと気持ちが繋がった瞬間に、どんな表情が生まれるのか。そして、その笑顔が、人間関係や介護の現場でどのような力を持つのかを、ゆっくり辿っていきましょう。


第4章…分かってもらえたと感じる笑顔~家族・介護・職場で心がほどける瞬間~

誰かと向き合っている時、「あ、この人は本当に自分の話を聞いてくれている」と感じる瞬間があります。その時に生まれる笑顔は、声を上げて笑うわけでも、場を盛り上げるわけでもないのに、胸の奥までじんわりと沁み込んできます。「分かってもらえた」と感じた時の笑顔は、安心と安堵と、ちょっとした嬉しさが混ざりあった、とても深い表情です。

家族の場面を思い浮かべてみましょう。例えば、在宅介護をしている家で、介護を担う人が「正直、しんどい」と思いながらもなかなか口に出来ずにいることがあります。ある日、いつものように食卓を囲んでいる時、「最近、疲れてない?」と家族の誰かが静かに問いかけてくれる。「実はね」と勇気を出して本音を溢した時、「そこまで頑張ってくれてたんだね」と返ってくるひと言。その瞬間、張りつめていた糸が少し緩み、ホッと笑顔がこぼれます。状況がすぐに変わるわけではなくても、「自分だけが抱えているわけじゃない」と思えることで、心に小さな休み場所が生まれます。

介護の現場でも、「分かってもらえた」笑顔はあちこちに現れます。例えば、食事をなかなか進められない利用者さんに、ただ「早く食べましょう」と声を掛け続けるのではなく、「今日はあまり食欲が出ませんか」と様子を尋ね、「それなら、好きなメニューを少しだけにしましょうか」と寄り添う。すると、それまで固かった表情がフッと和らぎ、「そうしてもらえると嬉しいわ」と口元に笑みが浮かぶことがあります。その笑顔は、単に食事の量が変わったことへの喜びではなく、「自分の状態を理解してもらえた」という安心感から生まれるものです。

職場でも同じです。忙しさのあまり、感情のやりとりが置き去りになってしまうことは少なくありません。「このくらい、やって当たり前」と思っていると、相手の苦労に気づき難くなってしまいます。そんな中で、同僚がふと「今日のあの対応、大変だったでしょう」と声をかけてくれたり、「あの書類、手伝おうか」とさりげなく申し出てくれたりすると、それだけで心が解けていきます。「分かってくれている人がここにいる」と感じた時、人は自分でも気づかないうちに顔を綻ばせています。

「分かってもらえた」と感じる笑顔は、特別な言葉や、難しい励ましがなくても生まれます。大切なのは、相手の気持ちを勝手に決めつけず、「そう感じているんですね」と一端、受け止める姿勢です。「そんなしょーもないことで悩むなんて」と否定されると、笑顔はすぐに萎んでしまいますが、「それはしんどかったですね」と寄り添われると、人は安心して自分の心を開くことが出来ます。そして、心の奥にしまい込んでいたものを少しだけ外に出せた時、その解放感が静かな笑顔として表情に表れるのです。

また、「分かってもらえた」笑顔は、一度きりではなく、積み重ねるほどに深まっていきます。家族の間でも、介護職と利用者さんの間でも、「この人に話せばちゃんと受け止めてくれる」という経験が何度か重なると、それ自体が信頼の土台になります。その土台の上では、たとえ意見が食い違う場面があっても、「きっと最終的には分かり合える」という感覚が働き、会話のトーンも穏やかになります。そうして積み上がった信頼が、日々の小さな笑顔を支えてくれるのです。

自分が誰かを理解しようとする時だけでなく、「自分も誰かに理解してもらいたい」と願うのは、ごく自然なことです。弱音を吐きたくなる日もあれば、「自分だけが置いていかれている」と感じる日もあります。そんな時、「それ、分かりますよ」と言ってくれる人の存在は、何より心強い味方になります。そのひと言に救われてこぼれる笑顔は、まさに心が解けていく瞬間の証拠です。

大笑いが打ち上げ花火のような華やかさだとしたら、「分かってもらえた」と感じる笑顔は、焚き火のそばに座って、ゆっくり火を眺めている時の温もりに似ています。派手ではないけれど、じっくりと体の芯まで温めてくれる火。それが、人と人との間に灯る相互理解の笑顔です。

次の章では、ここまで見てきた「可愛い」「幸せ」「分かってもらえた」という笑顔を、普段の暮らしの中でどうやって少しずつ増やしていけるのかを振り返りながら、無理に大笑いしなくてもいい生き方についてまとめていきます。

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まとめ…大笑いじゃなくていい~小さな笑顔を1つだけ増やしてみる生き方~

ここまで、「笑顔にはいろいろな種類がある」という前提から始めて、可愛さに微笑む笑顔、幸せを噛み締める笑顔、「分かってもらえた」と感じる笑顔をゆっくり見てきました。同じ笑顔でも、誰かをからかったり、自分の本音を誤魔化したりするものもあれば、自分や相手の心をそっと守ってくれるものもあります。その中で、日常の土台になってくれるのは、やはり穏やかで優しい微笑みなのだと、改めて気づかれた方も多いかもしれません。

声を上げての大笑いは、打ち上げ花火のように華やかで、心に残る時間を作ってくれます。ただ、心も体も疲れている時には、その花火を上げる力すら残っていないこともあります。そんな日でも、「可愛いなぁ」「幸せだな」「分かってもらえたな」と感じる一瞬だけなら、意外と見つけられるものです。その瞬間に浮かぶ、小さくて穏やかな笑顔こそが、毎日のクオリティーを支えてくれる灯りなのだと思います。

子どもやペット、高齢者の「らしさ」にフッと微笑む時。何でもないご飯を囲みながら、「今日も一日終わったね」と目を合わせる時。「それ、分かりますよ」と言ってもらえた時、あるいは自分がそう声をかけた時。どれも、大きな出来事ではありませんが、そのたびに心の中に小さな「安心」が積み重なっていきます。その安心の層が厚くなるほど、多少のトラブルや落ち込みがあっても、なんとか立て直せる余力が生まれます。

暮らしの中で、優しい笑顔を増やすために、難しいことをする必要はありません。例えば、その日一日の中で「可愛い」と感じたものを1つだけ思い出してみる。家族や利用者さんの「良かったところ」を心の中でそっと褒めてみる。「今日はここがしんどかった」と、誰か一人にだけでも打ち明けてみる。そんな小さな積み重ねが、2つ目の笑顔をジワジワと増やしていきます。

家族介護や子育て、仕事に追われていると、「もっと頑張らなきゃ」「笑顔でいなきゃ」と自分を追い込みがちです。でも、本当は、毎日ニコニコしている必要なんてありません。笑えない日があってもいいし、涙が出る夜があってもいい。ただ、その中に1つだけ、「今日はここで笑えたな」と思える場面があれば、それで十分ではないでしょうか。その1つが、明日に向かうための小さな燃料になってくれます。

もし今、心に余裕がないと感じているなら、「大笑いを取り戻そう」と頑張るのではなく、「小さな笑顔を1つだけ増やしてみよう」と考えてみてください。出かける用事がなくても、スマホの中の写真を見返して、過去の「可愛い」を思い出すのも立派な笑顔のタネですし、好きな飲み物をゆっくり味わいながら、「今日も良くやった」と自分に言ってあげるだけでも、顔はきっと少し緩みます。

笑顔は6種類ある、とこの記事では考えてみました。その中でも、「可愛い」「幸せ」「分かってもらえた」が混ざった穏やかな笑顔は、季節も場所も選ばず、どんな人の傍にも寄り添ってくれる表情です。無理に明るく振舞わなくてもいいから、まずは今日、小さな笑顔を1つだけ増やしてみること。その積み重ねが、気づいた時には自分と大切な人たちの暮らしを思っている以上にやわらかく包んでくれているはずです。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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