ケアプランにワクワクは入っていますか?~守るだけでは縮みやすい暮らしを広げるために~
目次
はじめに…安全第一のその先に「まだやってみたい」を置けていますか?
ケアマネの仕事は、とても大切です。困り事を整理して、必要なサービスを繋ぎ、暮らしが大きく崩れないように支える。その役目があるからこそ、多くの人が日々の生活を保てています。ここは、まず素直に拍手を送りたいところです。けれど同時に、少しだけ胸に引っかかることもあります。安全に暮らせるようになった、その先はどうでしょう。転ばない。困らない。無理をしない。そこまで整った後に、「この人は何を楽しみに、明日へ向かうのだろう?」と考える時間が、どれくらいあるでしょうか。
高齢者の暮らしは、事故がないだけでは、どこか静かに縮んでいきます。歩ける距離が少し減る。会話の量が少し減る。出かける理由が少し減る。そうした変化は、毎日見ていると気づき難いものです。けれど、後から振り返ると、ジワジワと輪が細くなっていた、ということがあります。現状維持は必要です。ただ、それだけを合言葉にすると、暮らしは守られながらも、少しずつ元気を失っていくことがあります。ここが、今回、一番書きたいところです。
人は、年を重ねても「まだやってみたい」を持っています。新しい色の服を着てみたい。動画で話題のものを見てみたい。少し外へ出たい。知らなかった味を試したい。若い人の文化に、ちょっとだけ触れてみたい。そういう気持ちは、決して贅沢ではありません。むしろ、生きる力に近いものです。ところが、その芽はとても小さいので、「危ないから」「年齢的に」「無難にいきましょう」と言われ続けると、スッと引っ込みます。出掛けようとしていた心が、座布団の窪みに戻っていく。あれは、なかなか切ない光景です。
もちろん、安全は大事です。そこを軽く扱うつもりはありません。けれど、守ることと、広げることは、本当は両立できます。そこに知恵がいるのだと思います。ケアマネジメント(暮らしを整える支援の組み立て)は、困り事を並べて終わる仕事ではなく、その人がもう一度前を向くための設計図であって欲しいのです。小さな冒険心を、どう無理なく日常へ入れていくか?ここに創意工夫が入ると、支援はグッと生き生きとしてきます。
本記事では、ケアプランに「ワクワク」は入っているか、という少し胸の辺りがムズムズする問いから始めます。何かや誰かを責めるためではありません。これからに期待しているからこそです。高齢者の暮らしを、ただ縮ませないために。守る支援の先に、少し前を向ける支援を置くために。そこまで目を向けられたら、ケアマネの仕事はもっと面白く、もっと人の心に届くものになるはずだと思うのです。
[広告]第1章…現状維持だけを目標にすると暮らしは静かに細っていく
ケアプランに「転ばない」「無理をしない」「安全に過ごす」が並ぶのは、もちろん大切なことです。そこを軽く見るつもりはありません。けれど、目標がそれだけになると、人の暮らしは少しずつ細くなります。事故は減るかもしれませんが、楽しみまで薄くなることがある。ここは、支援の世界でとても気をつけたいところです。
人は、言葉の空気を吸って生きています。毎回のように「そこは危険です」「今の状態では難しいです」「無理は避けましょう」と聞いていると、頭で納得していても、心の方が先に小さくなります。アセスメント(状態の見立て)が、いつの間にか宣告のように響いてしまうことがあるのです。本人からすると、「状況を教えてもらっている」より、「あなたはこの範囲の人です」と線を引かれているように感じる日もあります。これでは、前を向くどころか、まず肩がすぼみます。
ここで起きやすいのが、本末転倒です。転倒を防ぐために外出が減る。疲れを防ぐために動く量が減る。失敗を避けるために挑戦が減る。すると筋力も、気力も、会話の種まで減っていきます。安全は守られているのに、暮らしの張りが抜けていく。何とも切ない話です。まるで、こぼさないようにと急須を大事に持ち過ぎて、肝心のお茶を飲む時間が減ってしまうようなものです。丁寧なのに、どこかが惜しいのです。
現状維持という言葉も、使い方次第で随分と印象が変わります。本人にとっての現状維持が、「今の暮らしを保つ」ではなく、「今より狭くならないようにする」なら、そこにはまだ希望があります。けれど、聞こえ方が「もう広げなくて良い」「ここで止まりましょう」になると、話は別です。支援の言葉は、内容だけでなく向きが大事なのだと思います。前を向く言い方か、足元だけを見る言い方か。その差は、思っているより大きいものがあります。
しかも、高齢者の本音は、案外はっきりしています。危険をゼロにしたいわけではなく、「出来るなら、まだ行きたい」「まだ試したい」「まだ自分で選びたい」なのです。喫茶店に行きたい。新しい服の色を着たい。孫と同じおやつを楽しみたい。季節の花を見に行きたい。こうした願いは、けっして贅沢ではありません。生活意欲(暮らしを前へ動かす気持ち)の芯です。そこを拾わずに、注意点ばかりを磨いていくと、プランは整っていても、心が置いていかれます。
ここでケアマネに必要なのは、リスク管理(事故を避ける考え方)を辞めることではなく、リスクの外側にある夢も一緒に扱うことです。「危ないので辞めましょう」で閉じずに、「どうしたら今の体で近づけるか」を考える。距離を短くする、道具を工夫する、同行者を付ける、回数を調整する、時間帯を変える。こうした発想が入ると、支援は急に生き生きします。守るだけの設計図から、前へ進む設計図へ変わるのです。
楽しいプランには、少し夢があります。大きな夢でなくて構いません。来月、あの店のプリンを食べたい。春になったら一駅先まで出かけたい。今どきの動画を一本見て、感想を言いたい。そのくらいで十分です。人は、心がそちらを向くと動きます。逆に言えば、心が向かないプランは、綺麗に並んでいても、どこかよそよそしい。見た目は立派でも、本人の足が前へ出難いのです。書類は整っているのに、気持ちだけが畳の上でゴロリとしている。あれはあれで、人間味がありますが、支援としては少々もったいない気がします。
第2章…ケアマネの役割は困りごとの整理だけで終わらない
ケアマネの仕事は、困り事を綺麗に並べて、必要なサービスに繋ぐだけでは終わりません。そこまでで止まると、暮らしは整っても、心の向く先が見え難くなります。本当に大切なのは、「この人は何に困っているか?」だけでなく、「この人は本当は何をしたいのか?」を拾い上げることです。ここが入ると、ケアマネジメント(暮らしを支える組み立て)は、ただの調整表ではなく、前へ進むための設計図に変わります。
困り事は、本人も家族も言いやすいものです。歩くのが不安。物忘れが増えた。火の元が心配。お風呂が危ない。こうした話は、支援の入口として欠かせません。けれど、そこだけで面談が終わると、本人の中にある小さな願いは置き去りになりやすいものです。本当は、昔好きだった服をまた着たいのかもしれない。話題の映画を見てみたいのかもしれない。孫と同じおやつを食べて「これが今時か!」と言いたいのかもしれない。そういう話は、一見すると支援の本筋から外れて見えます。けれど、そこにこそ生活意欲の火種があります。
この火種を拾えるかどうかで、プランの温度は随分と変わります。サービス担当者会議が、注意点の確認と役割分担だけで終わると、どこか事務的です。もちろん必要な作業ですし、周到綿密であることは大切です。ただ、本人の「やってみたい!」が一行も入らないと、書類は整っていても、心の置き場がありません。反対に、「来月は近くの喫茶店まで行ってみたい」「今時の色のストールを試したい」といった小さな希望が入ると、支援する側の見え方まで変わってきます。歩行練習も、外出準備も、服選びも、急に意味を持ち始めるのです。
ここでケアマネに必要なのは、夢の話をそのまま大きく広げることではありません。夢を、今の体と暮らしに合う形へ翻訳することです。ここが腕の見せどころです。たくさん歩けないなら、短い距離で楽しめる行き先を探す。人混みが疲れるなら、時間帯を変える。動画や映画に興味があるなら、家で楽しめる環境を整える。派手なメイクが気になるなら、色味だけ借りて上品に寄せる。こういう試行錯誤が入ると、ケアプランは急に生きたものになります。支援とは、「出来ない理由」を並べる仕事ではなく、「出来る形」を見つける仕事でもあるのだと思います。
しかも、この役割は、本人の自己評価にも関わります。ずっと「ここが危ない」「そこは難しい」と言われ続けると、人は自分を縮んだ存在として見やすくなります。けれど、「では、どうしたら近づけるか?」ここを一緒に考えてもらえると、気持ちの景色が変わります。自分は止められる側の人ではなく、工夫しながら進める側の人だと感じやすくなるのです。自己効力感(自分にも出来そうだと思える感覚)は、こういう時に育ちます。面談のあと、本人の背筋が少し伸びるかどうか。そこも、実は大事な評価ポイントかもしれません。
時々、ケアマネは忙しさの中で「そんな話まで拾っていたら回らない」と思うことがあるかもしれません。よく分かります。こちらも、夕方の台所で3つ同時に火を見ながら、「もう一人欲しい…」と思う日があります。けれど、不思議なもので、本人の楽しみや夢が入ったプランは、回り道に見えて、後から支援を前向きにします。やる意味が見えると、本人も家族も動きやすいからです。困り事の整理で終わらせず、その先にある「まだやってみたい」を拾うこと。そこまで届いてこそ、ケアマネの仕事はグッと面白く、グッと人間らしくなるのだと思います。
[広告]第3章…若者文化も流行も生活意欲を動かす材料として拾える
若者文化や流行というと、介護の話からは少し遠く見えます。けれど実は、ここに大きな材料があります。高齢者の暮らしを前へ動かす時に必要なのは、正しさだけではありません。**生活意欲(暮らしを自分から動かそうとする気持ち)**がフッと起きる切っ掛けです。そこに、流行の色、音、食べ物、映像、言葉遣いが入ってくる余地があります。支援の世界は、つい実用一点張りになりがちですが、人は実用だけではなかなか弾みません。少し心が動くこと、少し気になること、その小さな揺れが大事です。
例えば、若い世代の動画文化です。短い映像を見て笑う、流行の曲を耳にする、人気の俳優さんを知る、話題の食べ物を見つける。こうしたものは、一見すると「若い人の世界」で終わりそうです。けれど、そこを支援の側が拾えると話が変わります。「これ、ちょっと見てみますか」「この色、似合いそうですね」「今時のおやつを、食べやすくして作ってみましょうか」。そんなひと言で、本人の中の好奇心が動きます。好奇心は、年齢と共に消えるものではなく、切っ掛けが減って眠っているだけなのかもしれません。こちらもつい「流行は若い人のもの」と思い込みがちですが、少々早とちりでした。
ここで大切なのは、流行をそのまま持ち込まないことです。もちろん安全であればそのまま試すのも良い場合もあります。出来れば一度は手順として若い人向けの勢いを、高齢者向けの形へ臨機応変に変換することが大事だということ。この視点が入ると、支援はずっと面白くなります。例えばギャルメイクに興味を持ったなら、全部を真似するのではなく、明るく見える色味だけ借りる。話題のスイーツなら、量を控えめにして、口当たりを優しくする。映画なら、長さや音量を調整して、家の中でも楽しめる時間へ変える。流行は追い駆ける対象というより、本人の「やってみたい」を引き出す材料箱のようなものです。全部を使い切る必要はなくても、1つ取り出せば空気は変わります。
しかも若者文化には、昔にはなかった新しい刺激があります。高齢者の若い頃には存在しなかったメイクの流れ、映像の見方、音楽の広がり、食べ物の見せ方。そういう未知のものは、脳にも気持ちにも新鮮です。**感覚刺激(目や耳や味覚への新しい刺激)**が入ると、会話も増えやすくなりますし、「次は何を見ようか」「今度はこれを試そうか」と先の予定まで生まれます。予定がある暮らしは、それだけで少し若い。カレンダーに丸をつける理由があるだけで、人は意外とシャンとします。人間、なかなか現金です。
ここでケアマネに求められるのは、「そんなことまで支援に入れるのか」と引かないことです。そこを切り捨ててしまうと、支援は無難でも、やや平坦になります。反対に、「その人が少しでも前のめりになる題材は何か」と見ていくと、ケアプランの景色が変わります。若者文化や流行は、危険の反対側にあるものではありません。うまく拾えば、外出、会話、食事、身嗜み、表情まで繋がっていく一挙両得の入口です。支援の材料は、手すりやサービスだけではないのだと思います。
要するに、とは言いたくありませんが、ここはかなり大事なところです。高齢者の暮らしを前へ動かすものは、昔から知っている安心感だけではありません。少し新しいもの、少し気になるもの、少し照れくさいもの。それらを「年齢的に無理」で終わらせず、今の本人に届く形へ翻訳できるかどうか。そこに、面談での支援の腕前が出ます。若者文化も流行も、遠くの騒がしい話ではなく、本人の心を起こす材料として拾える。そう見えた時、ケアプランはグッと生きたものになります。
第4章…本人の本音と家族の不安~その間で“広がる支援”を設計する~
ケアマネの腕前がよく出るポイントは、本人の「やってみたい」と、家族の「それは心配です」がぶつかる場面です。ここは、支援の現場でもっとも人間くさいところかもしれません。本人は外へ出たい、何か新しいことをしたい、少し冒険してみたい。家族は転倒や疲労や失敗が気になる。どちらも間違っていません。むしろ、どちらも大切です。問題は、その間に立った時に、話を早々と安全側へ畳んでしまうことです。そうなると、家族は安心するかもしれませんが、本人の気持ちは意気消沈しやすくなります。
ここで必要なのは、白か黒かで決めない支援です。行くか行かないか、やるかやらないか、ではなく、どうすれば少し広げられるかを考えることです。外出が不安なら、距離を短くする。時間を昼間にする。同行をつける。休憩場所を決めておく。話題の店に行くのが難しいなら、近い雰囲気を家で作る。流行の文化に触れたいなら、全部に飛び込むのではなく、本人が心を向けた入口から試してみる。こういう折り合いをつける組み立ての視点が入ると、「危ないからだめ」でも「気合いで行きましょう」でもない、ちょうど良い道が見えてきます。
家族の不安にも、きちんと役割があります。不安は、本人の足を止めるためだけにあるのではなく、準備を丁寧にするための合図でもあります。そこを上手く使えると、家族は反対役ではなく、伴走役になります。「心配だから無理」ではなく、「心配だから、この形でやってみよう」に変わるのです。この言い替えだけでも、場の空気は随分と変わります。言葉は、支援の道幅を狭くも広くもします。ここは、なかなか侮れません。
しかも本人の本音は、面談の最初から堂々と出てくるとは限りません。遠慮もありますし、家族の前では言い難いこともあります。「こんなこと言って迷惑かな」「年齢的に笑われるかな」と、胸の奥へしまい込んでいることも多いものです。そこでケアマネには、表に出ている困り事だけでなく、言葉の端にある願いを拾う力が欲しいところです。アセスメント(状態や希望の見立て)は、困り事の棚卸しだけでなく、本人の心がどちらを向いているかを見る時間でもあるはずです。
支援が広がる時は、たいてい大きな奇跡ではなく、順風満帆でもありません。少し試す、少し整える、少し見直す、その繰り返しです。行ってみたけれど上手くいかなかった。思ったより疲れた。あまり気分が乗らなかった。そういうことも当然あります。けれど、それは失敗ではなく、次の設計の素材・材料です。ここで「やっぱり無理でしたね」と締めるのか、「では次は何を変えてみましょうか?」と続けるのか。その違いはかなり大きいと思うのです。人は、完全成功より、やり直しが許される方が前を向きやすいものです。
この章で大事にしたい結論は、家族の不安を消すことではなく、本人の希望を潰さないことです。両方を抱えたまま、少しでも前へ進める形を考える。そこにケアマネの知恵があります。話し合いの場が、注意事項の読み合わせで終わるのではなく、「それならやってみたいですね」と誰かが笑う場所になる。その瞬間、プランはただの紙ではなくなります。書類の文字が、ようやく生活の色を帯びるのです。会議の後、本人の目が少し明るい。家族の顔も少し和らいでいる。そういう着地こそ、支援としてはかなり上出来ではないでしょうか。
[広告]まとめ…守る支援から前を向ける支援へ~ケアプランに必要なのは利用者と共に歩く小さな冒険心~
ケアプランに必要なのは、注意点の整理だけではありません。もちろん、安全への目配りは欠かせません。けれど、それだけで終わると、暮らしは守られながら少しずつ細っていきます。人が前を向く時に必要なのは、「危ないから辞めましょう」だけではなく、「どうしたら今のあなたが楽しめるでしょう?」という問い掛けです。ここが入ると、支援はグッと活気が充満してきます。
高齢者の暮らしには、まだまだ夢の入り込む余地がたくさんあります。新しい服の色を試したい。話題の映像を見たい。ちょっとした外出を楽しみたい。今時の甘いものを味わいたい。そうした願いは、子どもっぽい我儘ではなく、生活意欲を動かす大事な燃料です。ケアマネの役目は、その火を消さないこと。むしろ、無理のない形へ整えながら、少しずつ育てていくことです。
その時に大切なのは、本人の本音と家族の不安を、どちらか片方だけで片付けないことです。不安があるなら準備を工夫する。希望があるなら届く形へ翻訳する。ここで効いてくるのが、急がば回れという感覚かもしれません。無難に止める方が早そうに見えて、じつは心が萎みやすい。少し遠回りでも、楽しみながら続けられる道を作った方が、結果として暮らしはしなやかになります。
支援に夢が入ると、人の表情は変わります。会議の場が、注意事項の確認だけで終わるのではなく、「それ、やってみたいですね」と笑顔がこぼれる場になる。そこまでいくと、ケアプランはただの紙ではなく、日々を動かす小さな追い風になります。書類は整っているのに高齢者さんの心だけが正座で固まっている、という事態は、出来れば避けたいところです。
守る支援は大切です。けれど、前を向ける支援は、もっと大切です。ケアプランにワクワクが入ると、暮らしは少し広がります。少し広がると、人は少し元気になります。その少しの積み重ねが、年齢を重ねた日々を思ったより明るくしてくれるのだと思います。ケアマネの仕事は、生活を整えることに加えて、人生の続きに小さな冒険心を置くことでもあるのかもしれません。
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