高齢者さんがその人らしく生涯現役でいるためにゆる自立作戦〜介護に入る前の10年が勝負〜
目次
はじめに…これは正解じゃない~でも現場の本音は置いていく~
「高齢者の方が最もその人らしい生活を過ごす為には?」――この問い、まるで“人生の最終ステージの攻略本”みたいな顔をして出てきますよね。けれど先に正直に言っておきます。この記事は、唯一の答えを提示するものではありません。むしろ「答えは人の数だけある」を大前提にしながら、それでも現場で見てきた“よくある分かれ道”を、私なりの言葉でまとめた私見です。
ただし私見には、割りと強い願いが混ざっています。介護サービスを使うこと自体が悪いわけではありません。でも、もし「もう少し体が動けば」「もう少し自分で選べれば」と思う未来があるなら、出来るだけ早い段階で“自立復帰の芽”を育てて欲しい。逆に、元気に定年を迎えた方には「やっと自由だー!」と胸を張って、とことん楽しく、生涯現役みたいなテンションで毎日を味わって欲しい。つまりこの記事は、筋肉に説教する記事というより、生活にエールを送る記事です。
そしてもう1つ。世の中はつい「鍛えなさい!健康第一!」と大声で言いがちです。もちろん大事です。だけど人はロボットじゃありません。気力が落ちている日もあれば、膝がご機嫌ななめの日もあります。気合いでどうにかなるなら、誰も苦労しません。だから本記事は、“根性論”をやんわり脇に置きつつ、「その人らしさ」を守るために現実的に何が出来るかを、出来るだけ笑いも混ぜながら考えていきます。
読み終わる頃に、「よし、明日から人生が変わる!」とまでいかなくて良いんです。「じゃあ、まずはここからなら出来そう」と思える小さなヒントが1つでもお伝え出来れば大成功。肩の力を抜いて、お茶でも飲みながらどうぞ。
[広告]第1章…世の中は「鍛えろ!」と言うけれど本人は「まず休ませて」問題
高齢者の暮らしを巡る空気って、だいたい二択になりがちです。「元気ならもっと鍛えよう!」か、「弱ったなら支えよう!」。どちらも間違いじゃないんですが、現場にいると、もう少し複雑で、そしてちょっと切ない現実が見えてきます。
例えば市の広報誌や健康特集を見ると、だいたい明るい笑顔で腕を振る人が載っています。あれを見ると、つい「よし、明日から私は健康の化身!」となりそうですが、日常はそう甘くないんですよね。実際に介護サービスを利用する人の多くは、既に“自分1人では難しいことが増えた”状態にいます。つまり、スタート地点が「鍛えろ!」より「困ってる!」に近い方が多いのです。
ここでよく起きるのが、通所サービスの世界で見える“二極化”です。1つは生活の支援や見守り、食事や入浴など、暮らし全体を支える従来型。もう1つは、運動機器やトレーニング中心で、いわば高齢者向けのジムのような形です。もちろん運動型が悪いわけではありません。体を動かすことは大事ですし、上手くハマる人にはとても良い。けれど、「トイレはあるけど、食事や入浴は基本なし」という環境も少なくないので、体力の低下が進んだ方や、日常生活の動作そのものに支えが必要な方には、合わないことがあります。
そして、ここがちょっと意地悪なポイントなんですが、世の中のメッセージはだいたい「元気でいてね」「なるべくサービスを使わないでね」という方向に寄ります。制度の目的としても、出来るだけ自立を保ち、必要な支援が増え過ぎないようにする考え方はあります。理屈としては分かります。ですが利用する側からすると、「いや、こっちはもう『頑張れ』だけじゃ足りないんですけど……」となる瞬間があるわけです。
そもそも介護の認定って、本人にとっては、なかなか複雑な気持ちを呼びます。認定されるということは、「他人の手を借りないと難しいことがある」と、公に“判定”されるようなものです。必要だから受けるのに、どこかでプライドが揺れる。家族に迷惑を掛けたくない気持ちもある。本人だって、出来れば自分のことは自分でやりたい。ここに「もっと鍛えなさい」が重なると、時々、心の中で小さな反発が生まれます。言葉にはしなくても、「そんなに言うなら、仕事の休みたくさんで若い頃に教えて欲しかったわい!」と。いや、ほんとに。
つまり第1章で言いたいのはこうです。高齢者が求められている“建前”は、いつだって元気で、いつだって前向きで、いつだって鍛えている人。けれど“実際”は、疲れも痛みも不安も抱えながら、それでも生活を続けている人が多い。だから必要なのは、ただの根性論ではなく、「今の状態でも、その人のペースで立て直せる道筋」を作ることです。
そして、その道筋の鍵になるのが「その人らしさ」の扱い方です。次の章では、施設や住まいの現実も含めて、「その人らしくあり続ける」って具体的には何なのか、どうすれば近づけるのかを、もう少し丁寧に掘っていきます。ここからが本番です。腕立て伏せはまだ早いので、まずは深呼吸からいきましょう。
第2章…「その人らしさ」は部屋の自由と“言える空気”でだいたい決まる
「その人らしく生きる」って、言葉にすると立派なんですが、現場ではわりとシンプルに分解できます。例えば、起きる時間を自分で決められるか。食べたいものを“選べる”か。今日は外に出たい、今日は寝ていたい、そういう気分を言っても大丈夫か。……要するに、生活の主導権がどれくらい本人に残っているか、なんですよね。
「自宅が最強」になりやすい理由は自由が空気みたいにあるから
やっぱり「その人らしさ」を保ちやすいのは、自宅です。炊事ができる、買い物に行ける、冷蔵庫の中身を自分で決められる。これって当たり前のようで、当たり前じゃない。自分の家には、自分の流儀が染みついています。お茶はこの湯呑み、テレビはこの音量、寝る前にこの一曲、みたいな“生き方の癖”が、その人の正体だったりします。
ただ、介護の度合いが重くなるほど、この自由が少しずつ難しくなっていきます。転倒が心配で外出を止められる、台所が危ないと言われる、火の元が怖いと調理が制限される。安全のために必要な配慮なのに、本人からすると「私の生活、どこ行った?」となりやすい。ここがつらいところです。
住まいが変わると生活は“上書き保存”されやすい
施設や高齢者向け住宅に移ると、生活のパーツが一気に“共通ルール化”されやすくなります。食事の時間、入浴の順番、消灯の雰囲気、共有スペースでの過ごし方。もちろん運営上必要ですし、スタッフも一生懸命に工夫しています。それでも、個別の暮らしを丸ごと再現するのは難しいんですよね。
例えば「朝はゆっくりコーヒーを飲みたい人」が、「皆で体操しましょう」の号令に毎日参加することになったらどうでしょう。嫌いじゃないけど、心のどこかで「私、体操部だったっけ?」となります。逆に「朝イチで動くと調子が良い人」が、流れの都合で待たされる日が続けば、これまたモヤモヤします。本人の“調子の出し方”が、環境の都合で簡単に崩されやすいんです。
「意見が通る環境」があると人はちゃんと落ち着く
じゃあ「その人らしく」を守るために、何が出来るのか。私の結論は、かなり現実的です。まずは、意見や希望が“言える”こと。そして、言った内容が、可能な範囲でちゃんと反映されること。これだけで、人は驚くほど落ち着きます。
ここで大事なのは、ワガママを通すという話ではありません。むしろ逆で、「どうしたいか」を言えると、人は折り合いをつけやすくなるんです。「本当は風呂は夕方が良いけど、難しいなら足湯だけでも」「食事は完食は無理だけど、味噌汁は飲みたい」みたいに、本人の中にも“着地点”が生まれます。言えない環境だと、着地点が作れず、心だけが置いてけぼりになりやすい。
頼ることは弱さじゃない~でも“頼りっぱなし”は心が曇ることもある~
もう1つ、見落とされがちなポイントがあります。他人の手を借りること自体は悪ではありません。むしろ必要な支えです。ただ、人によっては「頼る状態が続く」ことが、じわじわと心の元気を削ることがあります。これは性格というより、人生の積み重ねの影響が大きい。ずっと家族を支えてきた人、仕事で責任を担ってきた人ほど、「迷惑をかけている」と感じやすいこともあります。
だからこそ、環境側が出来る工夫は、“出来る部分は本人が握れる”形を残すことです。小さな選択で良いんです。服の順番、飲み物の種類、散歩の時間、座る席。自分で決める場面が増えるほど、「私はまだ私だ」という感覚が戻ってきます。
次の章では、ここで出てきた「自分で決める感覚」を守るために、結局、一番頼りになるのは何なのか――そう、あの地味なやつです。筋肉ムキムキではなく、静かに人生を支える“持久力”の話をしていきます。派手さはないのに、裏切らない。まるで炊飯器みたいな存在です。
第3章…尊厳を守る最強スキルは“持久力”だった件(瞬発力は裏切る)
「尊厳を保つには、やっぱり健康が一番」――この言い方、綺麗にまとまっていて嫌いじゃないんですが、現場目線で言うと、もう少し生々しい話になります。尊厳って、立派な言葉の割りに、日常の小さな場面で簡単に崩されたり守られなかったりするんですよね。自分でトイレに行ける。自分で服を選べる。自分で外の空気を吸いに行ける。そういう「自分の手で出来る」が増えるほど、気持ちは安定します。
じゃあ、その「自分の手で出来る」を支えている土台は何か。筋力?もちろん大事。バランス?これも大事。けれど私が一番強く推したいのは、地味だけど裏切り難い“持久力”です。持久力って、派手な筋トレみたいに「やった感」が出難いんですけど、生活を丸ごと支える力なんです。例えるなら、見た目は普通だけど、毎日ちゃんと動いてくれる冷蔵庫。目立たないけど、止まると一気に困る、あの感じです。
定年退職のあとに起きる「活動量の落差」がじわじわ効いてくる
ここで一度、想像してみてください。長年お仕事をしてきた方が、定年退職を迎えたとします。ようやく自由時間が増えます。最初は最高です。「明日も早起きしなくて良い!」と拍手喝采。ところが、生活の中で体を動かす量が、知らないうちにガクッと減りやすいんです。
仕事って、立ったり歩いたり、移動したり、時間に合わせて動いたり、休憩まで含めて“体が拘束される”仕組みでした。これがなくなると、良くも悪くも全部が自由になります。自由は素晴らしい反面、体にとっては「規則正しい運転」が消えることでもあります。結果として、体調の波が大きくなったり、疲れやすくなったり、気分が沈みやすくなったりすることがある。本人は「歳のせいかな」と思うけれど、実は生活の運転が変わった影響も大きいんです。
ここで怖いのが、“瞬発力だけ”で日々を乗り切ってしまうことです。家庭菜園や畑仕事は素晴らしい一方で、急に力む場面が多いですよね。重い土、固い地面、勢いのある草むしり。体が慣れていない状態で「えいっ」とやると、負担が一気に来ます。いきなり大技を出すと、ゲームでも体力ゲージが急に減りますが、体も同じです。
「持久力」は人生の“自立時間”を延ばしてくれる
持久力の良いところは、じわじわ効いて、生活の“余裕”を増やしてくれる点です。余裕があると、転び難くなり、疲れ難くなり、外に出る気力も保ちやすくなります。つまり、暮らしを自分で回せる時間が伸びやすい。これは、本人の気持ちにも大きく影響します。
逆に、持久力が落ちるとどうなるか。歩くのがしんどくなる。外出が減る。人と会う機会も減る。刺激が減る。気持ちも沈みやすい。すると、さらに動かなくなる。……この流れは、雪だるま式に進みやすいんです。本人の努力不足ではなく、体の仕組みとしてそうなりやすい。だから「気合いで動け」ではなく、最初から“続く形”を作ることが大事になります。
ここで私がよく思うのは、尊厳って「気持ち」だけの問題じゃないということです。気持ちを支えるために、体の余裕が必要なんです。体がしんどいと、意見を言うのも面倒になります。選ぶのも疲れます。笑うのも、ちょっと億劫になります。だからこそ、持久力を育てることは、尊厳の貯金みたいなものだと思っています。派手に増えないけど、困った時に効いてくる貯金です。
次の章では、この持久力を「根性」ではなく「仕組み」で育てる方法、そして定年後にこそ作っておきたい“油断し難い生活の型”について、もう少し具体的に語っていきます。筋トレ器具を買う前に、まずは生活の設計図から。ここが意外と、一番コスパが良いところなんです。
第4章…定年後の油断ゼロ生活~緩く続く仕組みで勝ちにいく~
第3章で「持久力が尊厳の貯金だ」と言いましたが、ここで問題になるのが「貯金箱をどこに置くか」です。理想は分かる、気持ちもある、でも続かない。人間って、続かない生き物なんですよね。続かない自分を責めると、さらに続かないので、ここは発想を変えます。根性で続けるのではなく、根性がなくても続く形にする。これが“ゆる自立作戦”の本体です。
頑張らないと続かない仕組みはたぶん途中で裏切る
運動でも生活でも、「やる気がある日にまとめて頑張る」方式は、だいたい後半で息切れします。特に定年後は、自由時間が増える分、逆にリズムが消えやすい。そこでおすすめなのは、毎日を“軽く固定”してしまうことです。重く縛ると反発が出るので、軽く固定です。輪ゴムみたいに、ちょっと伸びるくらいの縛りがちょうど良い。
例えば朝。起きたらまずカーテンを開けて光を浴びる。これだけでも体内の時計は「営業開始!」になります。次に、飲み物を用意するついでに、台所でゆっくり背伸びをする。まだ筋トレの顔をしていない動きが良いんです。筋トレだと思った瞬間、人は逃げますからね。その後に「外に出る」が入るとさらに強い。散歩は大袈裟に構えなくて大丈夫です。今日は5分で良い。5分が無理なら家の周りを1周でも良い。大事なのは距離より“外に出る回数”です。回数が増えると、気持ちが安定しやすくなります。
1日の“型”を作ると体調がブレ難くなる
現役時代に体調が整いやすかった理由の1つは、生活が半自動だったからです。出勤、休憩、帰宅。良くも悪くも決まっていました。定年後はこれが消えるので、体調の波が出やすい。だから、生活に「だいたいの型」を戻します。ここでのポイントは、時間を秒単位で決めないこと。決めるのは“順番”です。
午前中は、体を起こす時間帯。外の空気、軽い歩行、買い物、郵便受け、庭いじりでも良い。午後は、頭と手先の時間帯。読書、料理、片付け、趣味、誰かと話す。夕方は、整える時間帯。入浴やストレッチで力を抜き、夜は寝る準備を丁寧にする。この「午前は動く、午後は整える、夜は休む」があるだけで、体は思った以上に安心します。体が安心すると、心も落ち着く。心が落ち着くと、また動ける。良い循環が回りやすくなります。
畑も家事も最高~ただし“急に力む”だけは要注意~
ここで1つ、声を大にして言いたいことがあります。家庭菜園や掃除や雪かきみたいな生活の作業は、健康にとても良いです。体幹も使うし、手先も動くし、外の光も浴びる。最高です。ただし落とし穴があって、生活作業は「急に力む場面」が混ざりやすいんです。重い鉢を持ち上げる、固い土を掘る、家具を動かす。こういう瞬間の“えいっ”が、体にとっては大技になりやすい。大技は、準備運動なしで出すと失敗しやすい。ゲームなら「無敵時間ゼロでボスに突っ込む」みたいなものです。
だから対策はシンプルで、力が必要な作業ほど、先にゆっくり歩いて体を温める。作業中も、呼吸を止めない。持ち上げる前に一呼吸して、可能なら分けて運ぶ。これだけでリスクは大きく下がります。頑張る方向を「重さ」ではなく「丁寧さ」に変えると、体は喜びます。
そして最後に。ここまで“油断ゼロ”なんて言っておいてアレですが、毎日完璧じゃなくて良いんです。大事なのは、崩れた翌日に戻れること。「昨日サボったから終わり」じゃなく、「昨日休んだ、今日は戻る」で。続ける才能は、強さじゃなくて“戻り方”です。次の「まとめ」では、畑の良さも抱きしめつつ、歩くことの強さをもう一段だけ分かりやすくして、一番、現実的な着地点に降ろしていきます。
[広告]まとめ…畑は最高でも力み過ぎ注意~歩いて笑って自立を育てよう~
ここまで読んでくださった方に、まず言いたいのはこれです。「その人らしく生きる」は、特別な才能じゃありません。高級な道具も、凄い筋トレも、派手な決意表明も必須じゃない。むしろ大切なのは、生活の主導権を出来るだけ手放さずにいられる時間を、1日でも長く保つこと。これが結果として、気持ちの安定にも繋がり、暮らしの選択肢も広がっていきます。
定年後の生活は、自由が増える分、体のリズムが崩れやすい時期でもあります。仕事をしていた頃は、半ば強制的に体が動かされ、時間も決まっていました。ところが引退すると、体を動かす理由が「やる気」に頼りやすくなる。やる気は波があるので、波に全部を任せると、いつの間にか動く量が減ってしまうことがあるんですよね。ここで大事になるのが、派手さはないけれど裏切りにくい“持久力”です。
畑仕事や家庭菜園は、本当に良いことが多いです。日光を浴びる、体幹を使う、手先を動かす、季節を感じる。心にも体にも効きます。ただ、畑には「えいっ」と力む瞬間が混ざりやすい。土を掘る、重いものを運ぶ、固い根を抜く。ここで体が準備不足だと、負担が急に来てしまうことがあります。畑が悪いのではなく、畑が“瞬発力イベント”を時々ぶっ込んでくるのがポイントです。畑は優しい顔をして、たまにテストをしてくるタイプなんです。
だからこそ、一番、現実的で、体にやさしく、続けやすい味方が「歩くこと」になります。歩くことは全身運動で、血の巡りを促し、呼吸も整え、気分まで軽くしてくれます。しかも急に力む場面が少ない。つまり、生活の土台を静かに支えてくれる“基本動作”なんです。外に出る回数が増えるほど、人は不思議と元気になります。距離より回数、長さより習慣。大きな一発より、小さな継続が強いんです。
そして最後に、一番、伝えたいことを置いておきます。自立って、「誰の助けも借りないで完璧に生きる」ことではありません。必要な場面で上手に頼りつつ、出来る部分は自分で選び、決めて、動けること。これが“その人らしさ”の芯です。昨日サボっても良いんです。今日は戻れば良い。続ける才能は、根性より「戻るのが早いこと」。これだけ覚えておけば、人生は案外うまく回り始めます。
さあ、まずは今日、玄関まで行って深呼吸でも。出来ればそのまま、家の周りをひと回り。もし途中で猫に会えたら、それだけで勝ちです。自立は、だいたいそういう小さな幸運から育ちます。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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