贈るなキケン?介護現場の“お中元あるある”〜笑って学ぶ現代の贈答マナー講座〜

[ 夏の記事 ]

はじめに…「贈り物NGでも寄付はOK?」〜介護現場に忍び寄る“感謝の名を借りた現金主義”〜

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「お中元は禁止されてますので」

ここまではOK。

誰もがうなずく法令順守。

ところが次の瞬間、渡されたのは封筒一通。

いやいやいや、これは…寄付!?

そんな、政治の世界でよく見るような流れを、まさか介護現場で体験するとは思いませんでした。

かつて、贈答文化は「気持ち」だった。

季節のタオル、お菓子の詰め合わせ、冬場のカイロの箱。

受け取る側も恐縮しながら、そっと職員休憩室の片隅に置く、そんな可愛らしい攻防戦が繰り広げられていました。

でも、最近は違うんです。

「物は禁止だから…寄付という形で」

え?寄付?

ええ、たしかに“贈り物”とは書いてない。

けれど、それって形を変えただけで、やってることは一緒じゃないの!?

しかも“領収書さえ発行すればヨシ”という、魔法の言葉付きで。

こうなるともう、現場職員はますます蚊帳の外。

そのお金が本当に帳簿で処理されているのか?

使い道は?

個人の利益になってない?

…そう思っても、誰にも確かめられない世界がある。

業界はいつの間にか、“受け取らない”から“正しく受け取る”という摩訶不思議なフェーズに移行していたのです🩷。

あれ、どこで舵を切ったんですか?

それ、誰が決めたんですか?

この記事では、そんな“ありがとう”が“寄付金”に変化する不思議な現象を、現場目線でユーモラスに解剖していきます。

見えないルール、見えすぎる圧力、その間で揺れる介護の現場を、笑いながら、でもちゃんと考えてみませんか?

さあ、次は——

「その寄付、本当に“正義”ですか?」

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第1章…それプレゼントじゃなくて圧!?〜“断れない贈り物”のジワジワ系ホラー〜


「はい、これ。気持ちだから」

…って、両手でそっと差し出される紙袋。

中には高級フルーツ。しかも立派な熨斗(のし)付き。

言葉だけなら「お気持ち」かもしれない。

でもね、その目、その表情、その沈黙の圧……これ、どう見ても“断るなよオーラ”出てますよね。

介護の現場って、ある意味、日常の人間関係が凝縮された“濃縮社会”なんです。

毎日顔を合わせる。

プライベートな部分まで知ってる。

困った時は助ける。

そんな相手からの“プレゼント”って、ただの贈り物じゃない。

むしろそれ、関係性を武器にした優しい強要…というか、笑顔で押し付けるジワジワ系ホラー!

もちろん、渡す側は悪気なんてゼロです。

むしろ「こんなにしてもらって、何も返さないわけにいかない」とか「せめて少しでも恩返しを…」っていう、純粋な気持ち。

だからこそ、断りづらい。

でもね、その“純粋な気持ち”が一線を越えたとたんに、トラブルの火種になるんです。

たとえば他の利用者さんがそれを見ていたら?

「どうしてウチは何もないのに、あの人は普通に贈ってるの?」って、疑念のタネが芽を出します。

職員同士でも、「誰々さん、もらってたらしいよ」なんてウワサ話が蔓延することも。

その瞬間、あなたは“特別扱いを受けた人”として、地雷原の真ん中に立つことになるのです。

昔はね、みんなもう少しゆるかったんです。

「これ、みんなで食べて~」と置かれたゼリーやお菓子を、「わぁ~ありがたいですぅ~」なんて言いながら半分おやつにしてました。

でも時代は変わりました。

“もらう”という行為には、どこまでも責任がついて回る。

ましてや今の時代は、“もらったかどうか”すら、どこかにデータとして残る社会。

写真も動画も録音も、いとも簡単に飛び交う時代です。

だから、たとえ利用者さんが「あなた個人にあげるんだからね」と言っても、それは“個人”ではなく、“介護職員○○さん”という看板を背負ったままの自分。

お返しをしたくなる気持ちもわかるし、もらった方が楽な時もあるけど…

それ、長い目で見れば、あなたを守る盾にはならない。

むしろ“攻撃カード”になりかねない。

「贈り物を断るのが冷たいだなんて、誰が決めた?」

“もらわないこと”が、最大の思いやりになることもあるんです🩷。

第2章…“ありがとう”の正体は…現金!?〜寄付という名の合法っぽい贈与にご用心〜


「お中元はダメって言われたから…これは“寄付”です」

そんな魔法の言葉と共に、封筒がヌルっと差し出される。

え? え?

それ、寄付って名乗ればアリなんですか?

どこの誰が許可したんですか!?

そう、時代は“物”から“金”へと静かにシフトチェンジ中。

政治の世界に倣ってか、介護業界もいつの間にか「物品贈答は禁止。でも寄付なら…」みたいな、謎の風潮が広がりつつあるのです。

そしてそれが、まるで“上品で合法なやり取り”として受け入れられてしまっている——いやいや、それ、ほんとに大丈夫?

現場で働く私たちは知っています。

封筒が届いたその日から、空気が変わるんです。

「誰が受け取ったの?」

「領収書って、どこにあるの?」

「あれ、総務課、今なかったことにしなかった!?」

そんな小さな疑念が、ジワジワと現場を包み込み、やがて誰も口を開けなくなる“無言の沈黙フェーズ”に突入。

そうして“寄付”という名の現金は、どこへ行ったのか分からないまま、帳簿の隅へと消えていくのです。

もちろん、名目は立派です。

「施設の運営支援として」とか、「皆さんの役に立ててください」とか。

でも、それって誰が使い道を決めてるの?

ちゃんと会計処理されてるの?

何より…それ、ほんとに“寄付”だったの?

もしかして、「断りきれなくて受け取っちゃった」だけじゃない?

現場で働く私たちに、そのお金の流れを追う術はありません。

封筒が手渡された時点で、それは“上”の話になってしまうのです。

でも、だからこそ怖い。

“見えないお金”ほど、トラブルのにおいが濃厚なんです。

制度上、寄付は合法。

でも現実は、半ば強制された“感謝の現金化”。

贈答品はNGでも、寄付ならOK。

そんな“歪んだ常識”に、今こそツッコミを入れたい!

ありがとう」にお金を添える文化が広がれば広がるほど、それを“受け取る側”の介護職は、知らず知らずにグレーゾーンの深みに引き込まれていきます。

その結果が、万が一ニュース沙汰になった時、守ってくれるのは…たぶん誰もいません。

きっと、〇〇さんを通じて事務所に…と、あなたの名前がひとりでに話に付いて回ることになる。

だから今こそ、“寄付だから大丈夫”という幻想を疑うタイミングなのです。

それ、本当に善意?

それとも——包装紙で包まれた、ただの爆弾?🩷

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第3章…“あの人だけOK”が施設を壊す!?〜誰かが受け取った瞬間に全てがバラバラになる〜


「え? 〇〇さんは受け取ってたよ?」

その一言が出た瞬間、現場の空気は一気に凍りつく。

…出た、伝説の“誰かが受け取ってたらしい”発言。

介護の現場って、実はものすごく“情報が早い”んです。

どんなにこっそり受け取っても、利用者さんの家族やスタッフ間で一瞬にして噂が広がる。

「〇〇職員さん、前回の寄付で商品券もらってたってよ」なんて話が、翌日には施設内の定番トークネタになっている。

しかもそれ、たいがい尾ひれついてる。

“寄付”だったのが“袖の下”に、

“差し入れ”だったのが“買収”になってる。

いや、誰がそんな脚色したのよ!?って思っても、もう遅い。

問題は、それを聞いた他の利用者さんや家族がどう動くか。

「ウチも同じようにしてあげなきゃ不公平よね?」と、こっちも封筒を持参。

あるいは、「あの人だけ特別扱いなんじゃない?」と不満を抱いて離れていく。

そうして、“全員が断る”という前提だった施設の秩序が、静かに崩壊していくのです。

現場のスタッフにも影響が出ます。

「断っても意味ないんだな」って、誰かがルールを曲げた瞬間に、みんなの気持ちがフワっと緩む。

「どうせ受け取るなら、ウチのチームにも何か回ってくるように…」なんて、妙な“分配”思想が生まれることさえある。

もうこうなると、それって組織じゃない。ただの“村”です。

“好き嫌い”や“感情の貸し借り”で支配される、昭和式の人間関係に逆戻り。

そして最終的には、あるあるのあれですよ。

「私は断りました。でも、あの人は受け取ってました」って内部告発パターン。

怖いのは、それが“正義”として発動すること。

「自分だけが損をしたくない」という人間心理が、時に爆発的に破壊力を持つんです。

だからこそ、大事なのは“例外をつくらない”こと。

誰かが受け取れば、他の誰かの正しさが瓦解する。

寄付だろうが贈り物だろうが、“受け取らない”という共通ルールがあるからこそ、現場の秩序は保たれるのです🩷。

たった一人の“ありがたい受け取り”が、現場全体をゆっくりと溶かしていく——

介護施設が“チーム”である以上、その一滴が染み込んだ水は、やがて全体を濁らせてしまうのです。

第4章…“ゼロ”が最強の盾~受け取らないことが信頼を生む現代介護~


「断らなくていいよ。ありがたく受け取っといて」

……と、笑顔で言うのは、だいたい上司。

この瞬間、あなたの中の“コンプライアンス講習で習ったあれこれ”が、バリバリに音を立てて崩れていくのを感じます。

そう、現実はファンタジーじゃない。

研修資料には「寄付も慎重に」と書いてあるけど、現場では上司が“受け取って当然”という文化をリードしてたりする。

「何かあった時のために帳簿にだけ記載しといてね」とか、「領収書だけ出しとけば問題ないから」って……

その言い方、妙に慣れてるし怖いし、ていうか、なんでそんなスムーズなの!?

でも、それが実態。

介護の現場って、ほんと“独自ルール”が生き残る温床なんです。

“慣習”が正義になると、新人のあなたがどんなに正論を叫んでも、「うん、それよりこれ処理しといて」で終わる。

あなたが正義感を振りかざして、反論を重ねるなら、何かしらのもっともらしい別のあらゆる切り口で理由をつけられて辞職に追い込まれて終了です。

気がつけば、“それ、うちのやり方だから”という呪文で、すべてが正当化されていくんです。

でもね、だからこそ「ゼロ原則」が必要なんです。

寄付は“ありがたい”かもしれない。

でもそれがいつどこで、どんなトラブルの火種になるかなんて、誰にもわからない。

しかも上司は「責任は俺が取る」って言うくせに、いざ何か起きたら「あれは現場が勝手に…」と、瞬時に他人モードへ切り替わるスキルを持ってたりする。

そう、**一番信用しちゃいけないのは、“笑顔の指示”**なんです。

寄付を受け取ったら、利用者さんとの関係も、家族との距離も、職場内の空気も、全部変わる。

感謝が“利害”に変わったとき、支援者の立場は一気に揺らぐ。

気づけばあなたは、何も言えず、何も返せず、「寄付に応じてくれた人」になってしまうのです。

本来、支援は対価で完結しているべきもの。

「ありがとう」は笑顔で受け取って、モノや金では受け取らない。

それが“清潔な現場”を保つ、たった一つのルール。

上司がどう言おうと、慣習がどうあろうと、守るべきはあなた自身の信頼と未来。

“ゼロにしておく”という選択は、トラブルの種を未然に消す、最高のリスクマネジメントなんです🩷。

第5章…ルールなき“善意”はただの爆弾!?〜寄付も贈答も境界が消えたら魔物になる〜


ルールのない世界で一番怖いのは、“いいこと”が正義になってしまうことです。

「善意でやったんです」って言われると、なかなか否定しにくい。

でも、その“善意”が制度を溶かしていく瞬間って、だいたい誰も見てないんですよね。

たとえば「寄付をいただきました」って施設の掲示板に書いてある。

えらく立派な額面が、ドーンと印字されていて、なぜか施設長の名前が一緒に並んでる。

え? 

それ、個人に行ったの?

法人会計に?

何に使った?

誰が決めたの?

聞きたくても聞けないのが、この業界の“空気”というやつ。

ルールはあるようでなく、誰かの慣例がいつの間にか制度にすり替わっていく、魔法のような日常。

しかもその寄付が、地域との信頼や“良好な関係づくり”というキレイな言葉に包まれてしまえば、もう誰も止められない。

いや、それちょっと待って!と声を上げようものなら、「空気読めない人」ってレッテルを貼られる不思議。

たとえばお菓子の差し入れを断っただけで、「冷たい人ね」と噂されたあの日。

それが“寄付を疑問視したらクビになりかけた事件”として再来するわけです。

介護の現場は、感情と制度が入り乱れる超・交差点。

だからこそ“明文化されたルール”が必要なのに、なぜかそこだけはフワッとしてる。

理由は簡単。

ルールができると、“今までの慣習”がすべてアウトになるから。

今のままのグレーゾーンが、一番都合がいい人たちがいるってことなんです。

でも、その曖昧さが積もり積もって、やがて「寄付という名の不正」が顔を出す。

領収書さえ出せばOK。

使途は不明。

問い合わせはNG。

そんな状態で、どうして“健全な支援”ができるんでしょう?

「気持ちを受け取る」って言葉が、まるで免罪符のように使われているけど、実際には“気持ち”の名を借りた現金や物品が、現場を静かに侵食している🩷。

贈答は文化かもしれない。

でも制度の上では、ただのリスク。

寄付は支援かもしれない。

でも使い道がブラックボックスなら、それはもう“無言の買収”です。

ルールなき寄付に、“感謝”という包装紙がかぶせられるたびに、

本当に守るべき信頼や誠実さが、ひとつずつ削れていく。

「ありがとう」は、笑顔で返せばいい。

モノや金はいらない。

それが、介護を“職業”として誇りを持って続けるための、唯一の防衛線なのです。


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まとめ…感謝を受け取るとは“お金”でも“物”でもなく“信頼”という形で受け取ること


「寄付は断るなって言ってるだろうが!」

…と、施設長に直で怒鳴られたあの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

たぶん私の返答が気に食わなかったんでしょうね。

「気持ちだけいただきますって、言っておきました」と。

だって本当に、それが正しいと思ったから。

でも、正しさって、組織の中では時に邪魔者扱いされることがあるんです。

介護施設って、すごく不思議な場所です。

法律もある、制度もある、でも現場は“空気”で動いている。

上司の一声でルールが捻じ曲がり、慣例が正義に化ける世界。

しかもその空気は、利用者さんの“感謝”という最強ワードで包まれているから、なおさら厄介なんです。

でも、ここで一つだけ、はっきりさせておきたいことがあります。

介護という仕事は、“支援の対価”をいただいて完結するプロの営みです。

感謝の品や寄付金をもらうことで、気持ちよくなるのは一瞬。

けれどその一瞬のぬくもりが、後に大きなトラブルや誤解を呼ぶこともある。

家族の誰かが「うちは〇〇万円渡したのに」と口にした瞬間、信頼関係は一気に崩壊します。

そしてその責任は、最終的に誰にも引き取ってもらえません。

施設長も黙る。

法人も距離を置く。

記録はない。

証拠もない。

でも噂だけが残る。

それが、介護現場で起こる“静かな炎上”の実態です。

だからこそ私は、これからも“もらわない主義”を貫きます。

たとえ怒られようと、煙たがられようと、信頼という名の透明なギフトを、大事にしていたいから。

贈り物も、寄付も、いりません。

私たちは“ありがとう”という言葉だけで、十分に満たされる。

そしてそれは、お金や物なんかより、ずっと価値があるって信じてるんです。

もし、この記事を読んでくれたあなたが、次に封筒を差し出された時——

ちょっとだけこの文章を思い出してくれたら、私はもうそれだけで救われます🩷。

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