夏の自由研究やってみたら人生変わった件〜若手介護士が勝手に研究三昧のひと夏の記録〜

目次
はじめに…子どもたちの自由研究がうらやましくて…つい白衣のポケットにメモ帳突っ込んでた
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今年の夏、私はとうとうやってしまった。
「自由研究」。
そう、あの小学生の特権のように思われていた、あのキラキラ響く言葉に、若手女性介護士として全力で飛びついたのだ。
キッカケは、利用者さんのふとした一言。
「子どもらは今ごろ、自由研究でもやっとるんかねぇ」
その瞬間、胸のどこかに火がついた。
え?
なんで子どもだけ?
大人だって自由に研究したっていいじゃない。
むしろ、「いちばん自由を失ってるの、大人じゃね?」なんて心の中で天の声が叫んだような気がした。
それからというもの、私はポケットに小さなメモ帳をしのばせ、誰にも気づかれぬように観察と記録に励む日々を送ることになる。
もちろん、上司にも同僚にもナイショ。
発表なんてしない。
自己満足上等。
忖度ゼロの自由研究。
これは、私だけの、私による、私のための——そう、ひと夏の介護自由研究大作戦のはじまりだった🩷。
気がつけば、利用者の“笑顔の理由”を真顔で解析したり、ナースコールの押される“時間帯別パターン”をグラフにしていたり。
「どうせ誰も読まんし」と開き直ってつけた記録は、なぜか日を追うごとに濃く深くなり、気づけば立派な“研究ノート”に育っていた。
この記事は、その私の記録の中から、特に「これは面白い」と勝手に感じた研究たちを、こっそり共有するためのものである。
それはまるで、誰にも見せなかった夏の日記を、ふとした拍子に公開してしまうような気恥ずかしさとともに——。
でもね、もしこの記事を読んで「私も何か研究してみたい」と思ってくれた介護士さんがひとりでもいたなら、それだけで、このひと夏は報われる気がするのです。
さあ、夏の自由研究、開幕です!
第1章…研究スタートのきっかけは“水やり当番”だった件
それは、とある夏の朝のことだった。
当番表に「中庭の鉢植え、水やり担当:〇〇(私の名前)」の一文を見つけた私は、特に深い意味もなくジョウロを手に取った。
ただの日課。
そう思っていたのに…なぜかその日の私は、妙に観察モードだった。
というのも、私の担当したその鉢植え。
やけに元気なのである。
葉っぱはシャキーンと立ち、花びらはやたらにピンとしていて、隣の鉢に比べて“やる気が違う”。
いや、何そのやる気。
水ってそんなにドラッグ的な存在だったっけ?
「これ…もしかして、人間にも効く?」
そんな思考がよぎった時には、すでにメモ帳が開かれていた。
気温、湿度、日当たり、風通し、そして水の量——。
朝の短い時間を使って、鉢植えと向き合いながら、なぜか私は“人と植物の元気の共通点”を本気で調べ始めていた。
そのうち、利用者さんの元気具合にも注目するようになった。
朝のあいさつの声のトーン、歩くときの姿勢、昼食の量、笑う回数。
そして気づいたのだ。
どうやら、植物が元気な日は人も元気。
いや、正確には中庭の植物が元気だと、窓辺に座る利用者さんの笑顔が増えるという、謎の現象。
もしかして、植物と人って、けっこう深くつながってるんじゃない?
「花が綺麗に咲いた日は、誰かが笑ってる」なんて、ちょっと詩的なことまでノートに書き始める自分。
いつの間にか、ただの“水やり当番”は、“笑顔と植物の相関関係研究”へと進化していた。
その時はまだ知らなかった。
この小さな気づきが、のちに私の自由研究熱を加速させ、
「ちょっとやってみただけ」だったはずの観察が、**ひと夏で40ページを超える“気づきノート”**になるとは——🩷。
人生、どこにネタが転がっているかわからない。
そしてたぶん、誰もが「ジョウロを手にした瞬間」みたいな始まりを持っている。
そう気づいた朝の光が、なぜかいつもよりまぶしく見えたのだった。
第2章…ナースコールの謎を解明せよ!午前と午後と押される理由が違う!?
自由研究というからには、やはり“謎”に挑まねばなるまい。
そんなテンションで私が目をつけたのが、介護士の永遠のテーマ——ナースコールである。
正直、鳴るたびに「はいはーい!」と駆け出していた私だが、ふとある日気づいたのだ。
午前と午後で、呼ばれる理由が違う気がする…!
それからというもの、私は完全に探偵モードに突入した。
記録ノートの隅には「9:15・A様:トイレ」「10:20・B様:落としたハンカチ」「14:40・C様:眠れない」など、
一見ただのメモだが、私にとっては超貴重な研究データ。
もはや日誌ではなく“観察記録簿”である。
さらに、私はコールの「間隔」に注目した。
朝イチは連続で鳴るのに、昼過ぎは妙に静か。
そして15時を過ぎると、なぜか“ぽつぽつタイム”が始まる。
しかもその理由、「寂しい」「話したい」「ちょっと来て」が急増。
え、これって…もはやナースコールじゃなくて“おしゃべりボタン”じゃん…!
その中でも私が一番感動したのは、ある利用者さんの「押す理由」の変化。
最初は物を落とした、電気をつけてなど“実用系”ばかりだったのが、ある日から「ありがとうを言いそびれたの…」という理由が登場し始めた。
私はメモを取りながら、こっそり涙腺がふるえていた。
ナースコールって、こんなに深かったのか…。
この研究を通して私は確信した。
ナースコールは「呼び出し」じゃない。「関わりのサイン」だ。
午前は“生活支援”、午後は“心の交流”。
それが、ひと夏の研究で見えてきた、ナースコールの二面性だった。
ちなみに、あまりにも研究に熱中しすぎて、コールが鳴った時に「また貴重なデータ来たー!」って心の中で叫んでたのはここだけの話🩷。
そりゃ同僚から「最近やたらコール鳴るたびに嬉しそうだね」って言われるわけだ。
ナースコールは、いつでも誰かの“想いの発信”だった。
そんな風に思えるようになったのは、この自由研究のおかげかもしれない。
あの“ピンポーン”の音が、ちょっとだけ、愛おしく聴こえるようになった夏の日の午後——。
第3章…おやつ時間に笑顔が増える理由を勝手に分析してみた
午後のひととき、食堂にふんわりと漂う甘い香り。
この時間帯になると、利用者さんたちの目の奥が少しずつキラキラしてくる。
私は、その変化にずっと気づいていた。
けれど、ある日ふと思ったのだ。
なんで、おやつってこんなに魔法みたいに人を笑顔にするんだろう?
自由研究熱に浮かされた私は、ここでも例によって観察ノートを開く。
「今日のおやつ:カスタードプリン/笑顔率:8割強」「次の日:どら焼き➡満面率9割(とくにA様)」
そのうち、私は“おやつと笑顔の相関グラフ”を勝手に作成し始め、ほぼ“おやつ調査官”と化していた。
なかでも印象的だったのは、とある利用者さんがあんみつを口にした瞬間の表情。
まるで遠い記憶の中にワープしたような、ふわっとした笑み。
その目にはほんのり涙がにじんでいた。
「若いころね、夏の午後に母と一緒に食べたの。懐かしいわぁ…」
それを聞いた私は、思わず「あんみつ尊い…」とメモに書きながら、鼻の奥がツーンとした。
笑顔の数が増える理由、それはきっと“味”だけじゃない。
おやつは“記憶”に触れる。
誰かと過ごした時間、若いころの風景、なにげない会話。
そんな「その人だけの物語」が、ひと口の中に詰まっている。
そしてそれは、栄養でもリハビリでも代えられない、かけがえのない心のケアなんだと、私は知った。
それ以来、私はおやつ時間になると、つい利用者さんの表情をじっと見てしまう。
笑顔の中に、何の物語が宿っているのかを想像しながら🩷。
そして、できることならその笑顔を誰より先に発見して、心の中でガッツポーズをしている。
たかがおやつ、されどおやつ。
その一皿に込められた奇跡のような力は、私の研究心をさらにかき立てていくことになる。
それはもはやスイーツではなく、“人生エピソードの解凍装置”だったのだ。
第4章…利用者の「今日の一言」ログをとってみたら予想外のドラマが詰まっていた
人間って、一日一言くらいは“名言”をつぶやいている気がする。
そう思った私は、ある日から“今日の一言ログ”なるものを勝手に始めた。
きっかけは、廊下でふと聞こえたA様の一言——「今日も生き残ったなあ」。
一瞬、ゾンビ映画の台詞かと思って二度見したが、本人は至って真顔だった。
それが妙に心に引っかかり、「あ、これ…毎日記録したら何か面白いの見えてくるかも?」と、研究者スイッチがカチッと入った。
以来、私はメモ帳の片隅に、こっそり利用者さんたちの“心のつぶやき”を収集することにした。
「お腹すいたけど、人生には空腹の時間も必要やな」(朝食前)
「若いって、何回目の若さからが本番なんやろなぁ」(日向ぼっこ中)
「今日こそ、あの階段を制覇してやる…って夢で言ってた」(昼寝直後)
どれも一見とるに足らない言葉に見えるが、日を追うごとに、その人の人柄や人生の断片が、言葉ににじみ出てくることに気づいた。
なかでも忘れられないのは、B様の言葉だ。
いつも寡黙で、あまり表情の変化がない方だったのに、ある雨の日、ぽつりとこうつぶやいた。
「今日も誰にも会わんでええ日になるかと思ったけど、あんた来てくれて、ええ日になったわ」
その時、私は「これは…もう“研究”じゃなくて“宝探し”や」と確信した。
“今日の一言”という名の宝物は、こちらから問いかけなくても、ちゃんと拾う気でいれば向こうからやってくる。
その人が心の中でこっそり育てていた想いや、ふとした感情の揺れが、たった一言でパッと咲くのだ。
もちろん、中にはシュールすぎる発言も多々あった。
「歯が一本抜けた…でも心は三本増えた気がする」(謎)
「コップを落としても、心まで割らんことやな」(名言風)
「今日はご飯より、ネコが食べたい気分」(これは怖かった)
それでも私は、どの言葉にも「生きてる音」が宿っているように感じた。
記録するたび、なぜかこっちまで救われていく不思議な感覚🩷。
この“今日の一言”ログ、気づけば20ページを超えていた。
もはや研究じゃない。
これは、言葉と人生の交換日記だと思っている。
そして私は今でも、誰にも言わず、こっそりページを増やし続けている。
第5章…介護記録の“余白”にこそ宝が埋まっていた件
介護士になって最初に教わる大事なことのひとつ、それが「記録を正確に書くこと」。
“何時にどんなケアを行ったか、どう反応したか、何があったか”。
この「介護記録」は、いわば私たちの現場の“航海日誌”みたいなものだ。
けれども、ある夏の日のことだった。
記録用紙を前に、「うーん…なんか今日あったんだけど、どう書いていいかわかんないなあ」と私は手を止めてしまった。
B様の表情がいつもと少し違って見えたのだ。
目がふわっと優しくて、声がどこか懐かしさを帯びていて。
でも、それを「記録」に書くには…あまりにも漠然としすぎていた。
だから私は、思わず“余白”に書いた。
ほんの走り書きで、「今日は声にやさしさがにじんでいました」と。
そのとき、なぜか心がじんわり温かくなって、「あ、これ…大事なことだったんだ」と気づいた。
それからというもの、私は記録の“余白”にちょっとした感情の断片や、心の動きを書き足すようになった。
「A様、今日は歌を口ずさんでいた。久々に聴いた声が嬉しかった」
「C様、昼寝後に『夢の中で誰かと踊ってた気がする』とにこにこ」
そんなふうに、ほんの一言だけど、誰かの“その日だけの輝き”を留めることが癖になった。
不思議なことに、それを続けていくうちに、記録そのものが私にとって「日々の気づきアルバム」になっていった。
あとで読み返すと、文章の行間から、ケアの手応えやその人との関係性がじんわり浮かび上がってくる。
たった一行の余白メモが、利用者の“心の調子”を思い出させてくれる瞬間もある。
もちろん、記録の本分はあくまで事実を書くことだし、感情的になりすぎてもいけないのは分かってる。
でも、誰かの人生の一部に寄り添う介護者として、心が動いた瞬間くらいは正直に残してもいいんじゃないか。
そう思わせてくれたのは、この“自由研究”だった。
今でも私は、ときどき余白にそっと書く。
「今日は、なんだか嬉しかったです」と。
それは私にとって、介護記録ではなく**“感謝の記録🩷”**なのかもしれない。
第6章…ありがとうの種類を分類してみたら32種類あった件
「ありがとう」って、こんなに種類あったんだっけ?
そのことに気づいたのは、ある日ふとした思いつきで「今日、何回“ありがとう”を言われるか数えてみよう」と思い立ったのがきっかけだった。
最初は、単なる数取りゲームのつもりだった。
けれど1日が終わるころ、私は数字よりも、その言い方のバリエーションに驚いていた。
それはまるで音楽のように、やさしくて、くすぐったくて、胸にしみる旋律だった。
「ありがとね〜!」とおやつを配ったときに弾けるような声。
「…ありがとう」と、ちょっと照れた小声。
「ありがと、ありがと…ほんと助かるわぁ」と、ため息まじりの安堵。
「ありがたや〜」と、まるで仏像のような神々しいトーン。
「アリガトォォォ!!!」と、テレビのリモコンを見つけたときの叫び声。
その日から私は、本気で分類し始めた。
名付けて**「ありがとう方言研究」である。
結果、ざっと32種類。
いや、もっとある気がするけど、メモが追いつかない。
しかも面白いのは、「ありがとう」には気分と背景がまるっと含まれている**こと。
たとえば「お風呂あがり」のありがとうは、ほぼ100%が「爽快系」。
一方、「トイレ介助後」は「安心系+ちょっと申し訳なさ系」が混ざる。
「ただ顔を見せただけ」のありがとうには、「存在承認系」とでも言いたくなる温かさが宿っている。
でも、いちばん刺さった“ありがとう”は、C様の一言だった。
夕方、車椅子を押しながら何気なく「今日はどうでした?」と聞いたら、ぽつりと
「今日も、ちゃんと人にありがとうが言えてよかった」
…もうね、反則。こっちが泣くわ。メモどころじゃない🩷。
それ以来、私は誰かに「ありがとう」と言われるたび、それを分類する前に、ちょっとだけ胸にしまってから書きとめるようにしている。
言葉というより、“気持ちのカケラ”をもらったような気がしてならないのだ。
そして思うのだ。
介護の仕事って、たしかに体力も使うし、地味だし、報われない瞬間もある。
だけど——
「ありがとう」にこれほど多彩な感情が詰まっている仕事って、なかなかないと思うのだ。
私のノートは今も更新中。
今日の“ありがとう”は、どんな音色になるだろう。
第7章…同僚にバレずに研究成果を記録するテクニック大全
さて、ここまで真面目に研究を重ねてきた私だが…正直なところ、これ、めちゃくちゃバレたら恥ずかしい。
だって、周囲は普通に仕事してるのに、ひとりだけポケットからメモ帳出して「ナースコール・午前・笑顔率:高」とか書いてる介護士、完全に“謎の生物”である。
というわけで、この章では“バレずに自由研究する方法”を、こっそり大公開したいと思う。
まず最初に取り入れたのは、**「物陰記録法」**である。
詰所の奥とか、エレベーター前とか、ちょっとだけ視界が外れた場所で、シュッとメモる。
何気ない顔して「備品チェックしてます」みたいな雰囲気を漂わせつつ、実際には“ありがとうの発声トーン分類中”という裏作業。
あれ、ちょっとスパイ映画っぽいかも…とテンションが上がるのもこの研究の醍醐味である。
次に編み出したのが、「記憶一括記録方式」。
現場ではメモらず、昼休みに一気に思い出して記録するのだ。
この方法のメリットは、記憶力と想像力が同時に鍛えられる点。
ただし欠点は、「あれ…あの“ありがとう”って何味だったっけ…?」と迷子になること。
記憶と記録は“賞味期限”が短い。
これ、研究者としての教訓である。
そして究極の奥義、それは**「ケアのふりして観察する技」**である。
「お水のおかわり、いかがですか〜?」と笑顔で声をかけながら、
実は“表情変化の記録”や“言葉の間の長さ”までチェックしている。
もはや職人芸。
介護と研究のハイブリッドスキルと言っても過言ではない。
ただし、注意点がひとつ。
研究熱が高まりすぎると、目が真剣になりすぎて怪しまれる。
ある日、私がじっとC様の笑顔を見つめていたら、近くの同僚が「…どうしたの?恋?」と真顔で聞いてきた。
違う。研究です。
でもその場では「え、ちょっと…秘密…」とか照れて返した自分がいた。ややこしい。
この夏、私のポケットにはいつも小さなメモ帳が入っていた。
記録するたび、気づくことが増えていき、気づくたびに、介護の仕事が前よりもっと面白くなっていった。
誰にも言えない、でも自分の中で確かに育っていく“研究成果🩷”。
たぶんそれは、発表されなくても意味があるし、褒められなくても価値がある。
そっと記した“ひとこと”が、いつか誰かの役に立つ日がくるかもしれない。
そんな淡い期待とともに、今日も私はそっとメモ帳をポケットにしのばせる。
誰にもバレずに、自由研究、続行中。
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まとめ…研究って思っていたよりロマンチックだった
夏の終わり、私はふと立ち止まって、自分がつけてきた“気づきノート”をめくっていた。
記録は全部で48ページ。文字は踊り、落書きと付箋がひしめき合うそのページたちには、
「介護職としての知識」でも「業務スキル」でもなく、たったひとりの若手女性介護士が、ひと夏のあいだに**見つけて、感じて、心を動かされた“記録のかけら”**が並んでいた。
誰にも言わずに始めた、誰にも見せない自由研究。
だけど、振り返ればそこには確かに、自分が“介護士”として過ごした日々の宝物が詰まっていた。
利用者の笑顔の理由。
ナースコールのリズムに隠された気配り。
おやつの甘さが運んできた記憶。
たった一言に宿る人生の物語。
記録の余白からにじみ出る感情。
そして、「ありがとう」に込められた32通りの想い。
全部が、何にも代えがたい“生きた学び”だった。
大学でも研修でも教えてくれなかった、介護現場という教室でしか学べないことだった。
そして私は気づいたのだ。
研究って、論文を書いて発表して評価されることじゃない。
研究って、「何でだろう」と思って、「知りたい」と願って、「観察して、心が動くこと」そのものなんだと。
それって、けっこうロマンチックじゃない?
人と向き合って、日常を深掘りして、自分の中の何かが“ちょっと変わる”。
その一連の過程は、もはや研究というより、“自分へのラブレター”だったような気すらしてくる。
今、また来年もやりたいと思っている自分がいる。
今度はちょっとだけ勇気を出して、同僚を巻き込んでみようか。
いや、やっぱりまたコソコソと“隠密自由研究”を続けるのも悪くないかもしれない。
この記事をここまで読んでくれたあなたにも、ぜひ、あなたなりの“自由研究”を始めてほしいと思う。
それがコーヒーの淹れ方でも、利用者さんのくしゃみのパターンでも、なんだっていい。
気づくって、人生がちょっと面白くなる魔法だから。
では、また来年の夏に会いましょう。
自由研究は終わるけど、気づきの旅はまだまだ続いていく。
今日もひとつ、小さな発見をポケットにしまって——🩷
[ ⭐ 今日も閲覧ありがとう 💖 ]
読み込み中…読み込み中…読み込み中…読み込み中…😌来場された皆様、今日という日の来訪、誠にありがとうございます
お気づきのご感想を是非、お気軽にお寄せくださいましたら幸いです
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