介護職が本気で妄想する~理想の老後と現実の折り合い方~
目次
はじめに…介護の仕事をしながら自分の老後を考えてしまう理由
介護の仕事をしていると、「もし自分が同じ年になったら、どんな暮らし方をしているだろう」と、ふと立ち止まって考えてしまう瞬間がありませんか。食事介助をしながら、入浴介助をしながら、ベッド周りを整えながら。目の前にいるその人の姿に、少しだけ未来の自分の影が重なって見えることがあります。
現場で働く人の中には、「どんなことがあっても自分は施設には入りたくない」と強く心に決めている人もいます。反対に、「この施設のような場所なら、ここで暮らすのも悪くないかもしれない」と感じる人もいるでしょう。同じ仕事をしていても、見てきた場面や体験してきた空気によって、老後のイメージは大きく変わります。
さらにややこしいのは、「理想の老後」と「現実として用意できる老後」が必ずしも重ならないことです。海の近くでのんびり暮らしたい、山間の小さな家で静かに過ごしたい、子どもや孫には迷惑をかけたくない、できれば最期まで自分のことは自分でしたい。頭の中で描く未来は自由なのに、現実にはお金のこと、健康のこと、家族の事情、地域のサービスなど、様々な制約がついて回ります。
それでも、介護の現場を知っている私たちだからこそ、少しだけ有利なこともあります。どんな関わりをしてもらえたら嬉しいか。どんな言葉をかけられると心がほどけるか。どんな支援のされ方をすると、人としての尊厳が守られたと感じられるか。たくさんの「老後のモデルケース」を見てきた分だけ、自分の未来を具体的に思い描きやすい立場にいるのです。
この文章では、「介護職の目線」で自分の老後を妄想しながら、その理想と現実の間に、どんな折り合いをつけていけばよいのかをゆっくり考えていきます。誰かの生き方を評価したり、「こうすべき」と決めつけたりするためではありません。未来の自分を一人の「利用者」として想像してみることで、今の暮らし方や働き方を、少しだけ優しく見直してみる。そんな小さな切っ掛けになれば嬉しいです。
[広告]第1章…「施設だけは嫌だ」と思ってしまう介護職の正直な気持ち
介護の仕事をしていると、ふとした瞬間に胸の奥から「自分だけは施設に入りたくないなあ」という呟きがこぼれることがあります。夜勤明けでヘトヘトになって詰所に戻った時。同じフロアを何度も行ったり来たりしながらコール対応をしている時。食事介助の列が途切れず、配膳も下膳も時間との戦いになっている時。ふと目に入るのは、決められた時間に起こされ、決められた時間に食べて、決められた時間にお風呂に入り、決められた時間に寝かされる「暮らし方」です。
もちろん、そこには安全や衛生を守るための工夫がギュッと詰まっています。職員の人数にも限りがあり、医療との連携も考えると、ある程度「流れ」を作らないと全員の生活が回っていきません。頭ではそれが分かっているからこそ、なおさら「ここで暮らす自分」を想像した時に、胸の辺りがキュッと締めつけられるような感覚になるのです。
食堂で同じテレビ番組をぼんやり眺めている入居者さんたちを見ていると、「もし自分があの椅子に座る日が来たら」と考えてしまう。カーテン一枚で仕切られた居室や、多床室のベッドを整えながら、「ここに自分の荷物を運び込んで、ここを『家』と呼べるだろうか」と自問してしまう。排泄介助や入浴介助の場面で、人としての大切な部分をどうしても他人に預けざるを得ない現実に向き合うたび、「最後まで自分のことは自分でしたい」という願いが、一層強くなることもあります。
中には、「餓死しても施設だけは嫌だ」と極端な言葉になってしまうほど、強い拒否感を抱く人もいるかもしれません。本当に食べずに死ぬつもりがあるわけではなく、それほどまでに「自分の暮らしを自分で決めたい」「人生のラストシーンを他人任せにしたくない」という気持ちが強い、ということの裏返しです。介護の現場で、様々な人の最期に立ち会ってきたからこそ、自分自身の最期についても、他人事ではいられなくなるのです。
ややこしいのは、そんな気持ちを抱えながらも、仕事では家族に「施設という選択肢」を紹介する立場にいるということです。在宅ではどうしても限界があると感じたとき、夜間の見守りが必要になった時、家族が心身共に追い詰められていると感じた時。支援のプロとしては、「ここなら安心して任せられそうだ」と思える場所を探し、情報を集め、パンフレットを並べて説明します。頭の中では「この人にとっては、今はここが一番安全で穏やかに暮らせる場所だ」と理解しているのに、心のどこかでは「自分だったらどうだろう」と別の声が囁き続けるのです。
その矛盾に気づいた時、少しだけ後ろめたさを覚える人もいます。「自分は絶対に入りたくないと思っている場所を、人にはすすめているのではないか」と。けれど本当は、そこまで自分の老後を具体的に思い描いてしまうのは、現場で多くの人生を見てきた人だからこその感性でもあります。仕事の中での「施設」と、自分の暮らしとして選ぶ「施設」とは、どうしても重さが違う。そのギャップに揺れるのは、決しておかしなことではありません。
大切なのは、「施設が嫌だ」という感情を無理に押し殺すことではなく、その奥にある本当の願いを見つけることかもしれません。自分は何を守りたいのか。どんな自由を手放したくないのか。どこまでなら、誰かに委ねてもいいと思えるのか。その輪郭が少しずつ見えてくると、「ただ拒否する」だけの気持ちから、「自分なりの老後の形を描いてみよう」という前向きな感覚へと、ゆっくり変わっていきます。
次の章では、「施設だけは嫌だ」という気持ちを出発点にしながら、敢えて自由に、理想の老後を妄想してみることにします。現実の制約はいったん横に置き、「もし何でも選べるとしたら、どこで、誰と、どんな風に暮らしたいのか」。未来の自分に遠慮せず、心の中のキャンバスに思い切り描いてみましょう。
第2章…理想の老後を自由に妄想してみる~どこで誰とどう暮らしたい?~
第1章で、「施設だけは嫌だ」という気持ちの奥には、自分の暮らしを自分で選びたいという強い願いがあるのだと見えてきました。では、その願いをいったん思い切り膨らませて、理想の老後を自由に描いてみる時間をとってみましょう。お金のことも、家族の事情も、身体の状態も、ここではいったん脇に置いてかまいません。「もし何でも選べるとしたら」という前提で、未来の自分にプレゼントしたい生活を、ゆっくり言葉にしてみるのです。
まず考えやすいのは、「どこで暮らしたいか」という場所のイメージです。今と同じ家で、慣れ親しんだ家具や庭に囲まれて暮らしたいのか。海の傍の小さな街で、毎日潮風を感じながら散歩する暮らしに憧れるのか。山間の静かな集落で、畑や花壇の手入れをしながら四季を味わいたいのか。都会のマンションで、エレベーター1つで病院やスーパーに行ける便利さを優先したいのか。思い浮かべる風景によって、「自分が何を大事にしたい人間なのか」が少し見えてきます。
次に、「誰と一緒に暮らしたいか」を想像してみます。一人の時間を大切にしながら、自立した暮らしを続けたい人もいれば、家族やパートナー、気の合う友人たちと同じ敷地内で助け合いながら暮らしたい人もいます。多世代で暮らす賑やかさに安心する人もいれば、気心の知れた同年代同士で、緩やかな連帯感を持ちながら生活したい人もいるでしょう。「誰とも暮らしたくない」のではなく、「どんな距離感で繋がっていたいのか」を丁寧に見ていくことが大切です。
そして、「どんな1日を過ごしたいか」という時間の使い方も、老後の満足度に直結します。早起きしてゆっくりとお茶を入れ、新聞や本を読みながら静かに朝を迎えたいのか。午前中は近所を散歩し、午後は趣味の手仕事や音楽、ゲームなど、自分の世界に没頭したいのか。時々は地域のサークルやボランティアに顔を出して、人とおしゃべりする日があった方が嬉しいのか。1日の中で「自分の好きなことに使える時間」をどれくらい確保したいかを考えると、必要な支援の量や、住まいの形も朧気に見えてきます。
介護の仕事をしていると、「この人の老後、いいな」と感じる場面に出会うことがあります。家の中は決して完璧に片づいているわけではないのに、好きな物に囲まれて、好きな時間に起きて寝ている人。小さなアパートで暮らしながらも、訪問に行くたびに「今日はね」と嬉しそうに話題を用意して待っていてくれる人。スタッフや家族との関係が心地よく、笑顔が多い人。そうした姿には、「自分の好きなもの・好きなペース・好きな人間関係」がちゃんと残されているという共通点があります。
理想の老後を描く時、つい「広い家」「新しい設備」「恵まれた環境」といった分かりやすい条件に目が行きがちです。けれど実際には、部屋の広さよりも、「ここにいるとホッとする」と感じられるかどうかの方がずっと重要です。最新の家電やサービスが揃っていることより、「困った時に頼れる顔」が思い浮かぶかどうかの方が安心に繋がります。介護職として多くの現場を見てきたからこそ、「物」より「空気」「関係性」「時間の使い方」が老後の質を決めるという実感を持っている人も多いでしょう。
だからこそ、この章での妄想は、単なる夢物語で終わらせなくて構いません。「自分は、本当はこんな場所で、こんな人たちと、こんな風に時間を過ごしたいのだ」という本音を、少しでも具体的な言葉にしておくことが大切です。紙に書き出してみてもいいですし、頭の中で「未来の自分の1日」をなぞってみるのも良いでしょう。理想をはっきりさせることは、現実を受け入れにくくするのではなく、「何を優先し、どこで折り合いをつけるか」を決めるための土台になります。
次の章では、ここで描いた理想の老後を踏まえながら、介護の現場で見てきたからこそ「ここだけは譲れない」と感じるポイントについて、もう少し掘り下げていきます。未来の自分を一人の利用者としてイメージしながら、「これだけは守って欲しい」「これは自分でも守りたい」と思う部分を、一緒に整理していきましょう。
第3章…仕事で見てきたからこそ分かる~自分の老後で譲れないポイント~
介護の仕事を続けていると、「この人の暮らし方、素敵だな」と感じる場面と、「これは自分の老後では味わいたくないな」と胸が痛くなる場面の両方に出会います。
理想の老後を自由に描いてみた第2章を踏まえると、今度は現場での経験から見えてきた「ここだけは譲れない」というポイントを、そっと拾い上げていく作業が必要になってきます。
まず、多くの人が心のどこかで求めているのは、「自分で選べる部分が、ほんの少しでも残っていること」です。食事の時間やお風呂の順番、服薬のタイミングなど、どうしても他人に合わせざるを得ない場面が増えていく中で、「お茶はこれが好き」「今日はこの服が着たい」「この音楽をかけてほしい」といった、小さな選択肢が残っている人は、表情が柔らかいと感じることが少なくありません。逆に、何もかも決められていると感じている人の表情には、諦めや閉塞感が滲み出てしまうことがあります。未来の自分を思い浮かべた時、「どんなに支援が必要になっても、日常のどこかに自分の意志を差し込める余白は残しておきたい」という願いが、自然と浮かんできます。
次に見えてくるのは、「自分の身体や生活について、ちゃんと説明を受けたい」という思いです。現場では、時間に追われながら処置やケアを進めなければならないことも多く、つい説明が一言で終わってしまうことがあります。それでも、「今からこういうことをしますね」「こういう理由で、こちらを選びました」と目線を合わせて伝えられた時の利用者さんの安心した表情を思い出すと、未来の自分に対しても同じようにして欲しいと強く感じます。たとえ判断力が弱くなっても、何が起きているのか分からないまま扱われるのではなく、「ちゃんと人として説明され、同意を求められる存在」でありたいのです。
また、「生活の場としての落ち着き」も、譲れない要素の1つかもしれません。どんなに立派な設備が整っていても、職員の出入りが慌ただし過ぎたり、常にバタバタした空気が漂っていたりすると、そこはどこか「職場」であって「暮らしの場」にはなり切れていないように感じます。反対に、決して豪華ではなくても、照明の温かさや匂い、声のトーンなどから、「ここは誰かの生活が息づいている場所だ」と感じられる環境では、利用者さんの表情も和らぎやすくなります。自分の老後を考えた時、「設備の立派さよりも、落ち着ける空気と、好きな物を傍に置ける余地が欲しい」と思う人は多いのではないでしょうか。
さらに、「痛みや不快感を、出来るだけ我慢しなくていいこと」も大切なポイントです。現場では、痛みをうまく言葉に出来ず、表情やしぐさの変化からようやく気づかれる高齢者もたくさんいます。トイレを我慢してしまう人、寒くても遠慮して布団を増やして欲しいと言い出せない人、体位交換を頼むことに申し訳なさを感じてしまう人。そんな方たちと関わるたびに、「もし自分が同じ立場になった時には、我慢が美徳になってしまわない環境であってほしい」と思わずにはいられません。痛みや不快感は、寿命そのものよりも「今を生きる質」に直接影響します。未来の自分には、「遠慮せずに訴えられる関係」と、「その声をちゃんと受け止めてくれる人」がいて欲しいのです。
そして忘れてはならないのが、「自分の歴史や価値観を、誰かが知ろうとしてくれること」です。カルテや計画書には書ききれない、その人の人生の物語があります。若い頃の仕事、子育ての苦労、趣味や好きだった歌、悩み抜いた選択。それらを、ほんの少しでも共有してくれる誰かがいることで、今の自分の姿も違って見えてきます。現場で、「この方は昔こういう仕事をされていてね」と職員同士が話している時、その人の表情がほんのり誇らしげになる瞬間を目にすることがあります。自分の老後について考える時、「介護を受ける一人の高齢者」ではなく、「長い人生を歩んできた一人の人間」として扱われたいという願いが、静かに浮かび上がってきます。
こうして振り返ってみると、自分の老後で譲れないポイントは、煌びやかな理想というよりも、「ごく当たり前の人としての感覚」を守りたいというところに落ち着いていくのかもしれません。自分で選ぶ余地が少しでもあること。きちんと説明され、尊重されること。落ち着ける空気と、好きな物や時間が傍にあること。痛みや不快感を一人で抱え込まなくていいこと。自分の歩んできた道を、誰かが見つめ直してくれること。そうした要素が積み重なって、ようやく「ここなら自分も暮らしてみたい」と思える老後の姿が見えてきます。
次の章では、これらのポイントを踏まえながら、「未来の自分を介護するつもりで、今から整えておきたい暮らし方」について考えていきます。老後の不安をただ抱え込むのではなく、「今の自分に出来る一歩」を見つけることで、未来の自分へのささやかなエールにしていきましょう。
第4章…未来の自分を介護するつもりで~今から整えておきたい暮らし方~
第3章までで、「自分の老後ではここだけは譲れない」というポイントが少しずつ見えてきました。自分で選ぶ余白が欲しいこと。ちゃんと説明され、尊重されたいこと。落ち着ける空気や、我慢しなくていい環境が大事だということ。では、それらを未来の願いとして抱えたまま、ただ不安に揺れているだけで良いのでしょうか。ここからは、「未来の自分を介護するつもりで、今の暮らしを少しずつ整えていく」という視点で考えてみます。
まず意識したいのは、「今の生活リズムを、未来の自分が続けやすい形にしておく」という発想です。介護の仕事はどうしても不規則になりがちで、夜勤や残業続きの生活が当たり前になることもあります。若いうちは気力で乗り切れても、「この生活が10年、20年と続いた先に、未来の自分の身体はどうなっているだろう」と立ち止まってみると、少し怖くなる瞬間もあるかもしれません。だからといって、すぐに働き方を大きく変えるのは現実的ではありませんが、休みの日の過ごし方や、眠る前の時間の使い方など、ほんの少しだけ自分を労わる方向に舵を切ることは出来ます。「未来の利用者さん」ではなく「未来の自分」を支えるつもりで、無理を積み重ね過ぎない暮らし方に微調整していくことが、大きな一歩になります。
次に、家の中の物や情報を、「今の自分と、未来の自分と、誰かが一緒に分かる状態」に近づけておくことも大切です。現場では、通帳や書類があちこちに分散していて、本人も家族も所在を把握しきれていないケースに出会うことがあります。そのたびに、「ここがもう少し整理されていたら、もっと安心して暮らせるのに」と感じることも多いでしょう。未来の自分のためには、大掛かりな断捨離をしなくても、よく使う書類や連絡先をまとめたファイルを1冊用意しておく。自分が頼りにしている病院やサービスの情報を、簡単なメモにして残しておく。そうした小さな整理が、いざ支援を受ける段階になった時、「本人の希望を叶えやすい環境」に変わっていきます。
人間関係についても、「少しだけ頼れる窓口」を増やしておくことが、未来の自分を守ることに繋がります。家族や親しい友人だけでなく、近所で挨拶を交わせる人、ちょっとした世間話が出来るお店、気が向いた時に顔を出せるサークルやオンラインのコミュニティ。そうした緩やかな繋がりは、若いうちは「無くても何とかなるもの」に見えるかもしれません。けれど、介護の現場で孤立した高齢者に関わる機会があるほど、「誰か1人でも、自分の変化に気づいてくれる人がいること」の大切さを痛感します。未来の自分がいざ支援を必要とした時、「あの人に相談してみよう」と思い浮かぶ顔が1つあるだけで、状況は大きく違ってきます。
もう1つ、未来の自分を介護するつもりでしておきたいのは、「自分の希望を言葉にして残しておくこと」です。エンディングノートのような立派な冊子でなくても構いません。ノートの片隅に「具合が悪くなった時にお願いしたいこと」や、「もし入院や施設入所が必要になった時に、出来ればこうして欲しいこと」を、思いつく範囲で書き留めておく。「自分が大切にしている価値観」「どうしても避けたいこと」「最期まで続けたい楽しみ」などを数行でも残しておく。それは未来の家族やケアマネにとって、何よりの手掛かりになりますし、何より自分自身が「黙って諦めるしかない立場」ではないことを確認する作業にもなります。
そして、今から少しずつ練習しておきたいのが、「一人で頑張り過ぎないことを、自分に許す」という姿勢です。介護職は、どうしても「人の役に立ちたい」「迷惑を掛けたくない」という思いが強く、自分のことは後回しにしがちです。頼ることが下手なまま年を重ねると、いざ支援が必要になった時、「助けて」と言えない自分に苦しむ場面も増えてしまいます。小さなことからで構いません。体調が悪い日は家事を簡略化する、自分だけでは難しい作業は早めに誰かに相談する、心が疲れた時は「疲れた」と口に出してみる。そんな日々の選択が、「未来の自分が誰かに頼ってもいい」と自然に思える土台を作っていきます。
これらのことは、どれも完璧にやろうとすると息が詰まってしまいます。理想の老後に向けて立派な計画を立てるより、「未来の自分が困らないように、今日はここを少しだけ整えておこう」という、小さな積み重ねで十分です。介護の現場で多くの人生に触れてきたからこそ、その一歩一歩がどれほど大きな意味を持つのか、私たちは知っています。
最後のまとめでは、自分の老後を思い描くことが、決して暗い作業ではなく、「今日の自分を大切に扱うこと」そのものに繋がっている、という視点からもう一度振り返ってみます。未来の自分と、今の自分の間に、優しいバトンリレーが生まれるような締め括りを、一緒に見つけていきましょう。
[広告]まとめ…自分の老後を思い描くことは~今日の自分を大事にすること~
介護の仕事をしていると、他人の老後を支えることには慣れていきますが、自分の老後をまっすぐ見つめるのは意外と難しいものです。施設だけは嫌だと感じたり、在宅にも不安を覚えたりしながら、「きっと何とかなるだろう」と心のどこかで棚上げにしてしまうこともあります。それでも、日々、様々な人生の最終章に立ち会っている私たちは、本当は誰よりも、自分の未来について具体的に考える準備が整っているのかもしれません。
理想の老後を自由に妄想してみると、自分がどんな場所に心惹かれ、誰との繋がりを大切にしたいのかが、少しずつ輪郭を帯びてきます。海辺の街かもしれないし、今と同じ自宅かもしれないし、気の合う仲間と支え合う暮らしかもしれません。そこに正解はありませんが、「自分は本当はこうしたいのだ」と気づくことそのものが、既に人生のハンドルを握り直す行為になっています。
一方で、仕事を通して見てきた現場の現実は、理想をほどよく落ち着かせてくれます。設備の立派さよりも、説明してくれる人の眼差しや、我慢しなくて良い空気の方が、暮らしの質を左右していること。小さな選択肢が残されている人ほど、その人らしさを保ちやすいこと。自分の歴史を知ろうとしてくれる他者の存在が、老後の孤独感を和らげてくれること。そうした気付きは、そのまま「未来の自分へのメモ」として胸の中に蓄えられていきます。
未来の自分を介護するつもりで今の暮らしを整えることは、大袈裟な準備を始めるという意味ではありません。生活リズムを少しだけ優しく整えたり、家の中の大事な物や情報を分かりやすくまとめておいたり、頼れそうな人との緩やかな繋がりを増やしたり。具合が悪い時には無理をせず、「助けて」と言う練習を重ねてみることも含まれます。そうした小さな選択の積み重ねが、やがて未来の自分を支えてくれる土台になっていきます。
自分の老後を具体的に思い描くことは、決して暗くて重たい作業だけではありません。いつか介護を受ける立場になった時の自分に、「ここまでよく頑張ってきたね」と声を掛けてあげるための準備でもあります。どんな暮らし方を選ぶことになっても、そこに至るまでの時間をどう使ってきたかが、その人の表情や言葉に滲み出てくるからです。
介護職として日々を生きる私たちは、他人の老後を支えるプロであると同時に、自分自身の老後を形作る当事者でもあります。施設だけは嫌だと感じる気持ちも、在宅に拘りたい思いも、そのどれもが間違いではありません。その奥にある「自分の人生を自分で選びたい」という静かな願いを受け止めながら、今日の暮らしを少しだけ丁寧にすること。それが、未来の自分に届ける一番確かな贈り物になるのだと思います。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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