緑の奔流・第2弾~祖母の気分が芽吹く「新しい緑」図鑑つき家庭レジャー~
目次
はじめに…緑は増やすほど落ち着く~でも“被らない”ほど笑える~
祖母が緑を選ぶ日は、だいたい「今日は静かにしたい日」です。眠い日、ちょっと不安な日、テレビのニュースが重たかった日。そんな日に祖母は、台所の小松菜じゃなくて、わざわざ緑の湯のみを選んだり、緑の膝掛けを引っ張り出したりします。私はそれを見て「今日の祖母は、緑スイッチが入ったな」と思うのですが、孫はもっと正直で、「ばあば、緑の日?」と聞きます。祖母はにこっとして「緑の日だよ」と言う。そこから家族の遊びが始まります。
第1弾の“緑の奔流”では、春夏秋冬でいろんな緑を増やして、祖母の1日をやわらかく広げました。だから第2弾は、同じことを繰り返さないのが約束です。緑って、身近だからこそ「また同じ?」になりやすい。でもね、緑は広い。草も、香りも、果物も、海の緑も、雨の日の小さな生き物も、全部緑です。私たちはそれを“被らないように”集めていきます。被らないってだけで、家族は吃驚するし、祖母は「へえ、こんな緑もあるんだねぇ」と目を丸くします。新しい緑は、ちゃんと感動を生むんです。
もちろん、祖母を真っ緑の部屋に閉じ込める話ではありません。緑は、生活の中にちょいちょい差し込むのが一番効きます。朝は香り、昼は味、夕方は映像、夜は静かな眺め。祖母の体調に合わせて、量もテンポも変えられる。それが家庭の強みです。施設だと難しい「今日はこれ、明日はこれ」が、家だとできます。孫が「緑を出し入れ出来るの、家って凄いね」と言った時、私は思わず「それを言うなら、家って押し入れが凄い」と返してしまい、祖母に「押し入れは緑じゃないよ」とツッコまれました。こういう小さな笑いも、緑の効果の一部です。色が落ち着くと、言葉が優しくなるから。
この第2弾では、春は正式名称 ヨモギ(蓬) や 青じそ(大葉)、そして雨の季節に気配が増す ニホンアマガエル。初夏は 枝豆、香りが主役の バジル(スイートバジル)、海の緑として アオノリ(青海苔)。秋は シャインマスカット、香りの酸味が大人な カボス(香母酢)、小さな宝石みたいな ピスタチオ。冬は 寒締めほうれん草、そして ブロッコリー。どれも、祖母が「見て」「嗅いで」「少しだけ味わって」、疲れたら「映像で楽しむ」に切り替えられる緑ばかりです。
祖母の気分は毎日同じじゃないけれど、緑を足すと整いやすい。孫の元気は毎日同じじゃないけれど、緑を足すと笑いに変わりやすい。私の段取りも毎日完璧じゃないけれど、緑を足すと“まあ良いか”が増える。つまりこの第2弾は、緑の種類を増やす話でありながら、家族の「緩く上手くいく時間」を増やす話でもあります。
さあ、祖母の「緑の日」が来ました。孫はもう台所を覗き込んでいます。「今日の緑、なに?」。祖母は湯のみを持ち上げて「今日は新しい緑だよ」と言いました。私は心の中で、よし、と小さくガッツポーズします。新しい緑は、今日もちゃんと祖母の心を動かします。次の章から、その“新顔たち”を、季節の空気と一緒に連れてきます。
[広告]第1章…春の緑は「草と気配」~ヨモギと青じそと雨の日のニホンアマガエル~
春の緑は、いきなりドーンと来ません。冬の終わりの灰色が、ちょっとだけ薄まって、「あれ、今日は空気が軽いぞ?」みたいな顔でやって来ます。祖母はその変化に敏感で、窓を少し開けただけで「春の匂いがするねぇ」と言います。孫は「春の匂いって、何味?」と聞くので、私は「味じゃなくて鼻で食べるやつ」と答えました。祖母が笑って「じゃあ鼻は大食いだね」と言い、春の一発目から話が転がります。
まず最初の新顔の緑は、正式名称 ヨモギ(蓬)。春の草の王様です。道端で見かけることもあるけれど、触るだけじゃ“感動”までは辿り着き難い。だから我が家は、春の緑を「食べて始める」作戦にしました。祖母の前に置いたのは、よく分かる形のよもぎ餅。孫がひとくち食べて「これ、草なのに美味しい!」と叫び、祖母が「草って言い方!」と笑います。私は心の中で、よし、春の緑が一段階レベルアップしたと思いました。ヨモギは香りが強いので、食べる量は少しで十分。祖母の体調に合わせて「匂いだけでも春」として成立します。
祖母が気に入ったのは、色よりも香りでした。「緑って目で見るものと思ってたけど、鼻にも来るんだねぇ」。この言葉、すごく大事です。視力が落ちても、香りはちゃんと届く。だからヨモギは、春の入口にちょうどいい“緑のベル”なんです。孫は「ばあば、緑のベル鳴った?」と聞き、祖母は「鳴った鳴った、鼻が鳴った」と答えて、また笑いが起きました。
次の新顔は、正式名称 青じそ(大葉)。ヨモギが“和菓子の春”なら、青じそは“食卓の春”です。青じそは葉っぱ1枚で香りが立つので、祖母の負担が少ない。しかも「葉っぱが主役」というのが分かりやすい。孫は青じそを見て「これ、緑の手!」と言いました。指みたいにギザギザしてるからだそうです。祖母は「手なら、こんにちはって言いなさい」と青じそに話しかけ、孫が真似して「こんにちは!」。私はその流れのまま、青じそを刻んで冷ややっこにのせました。祖母が「お豆腐が急に春になった」と言い、私は「これが青じその仕事」と返しました。青じそは、料理そのものを変えるというより、“気分の向き”を変える緑です。
ここまでで、春の緑は「草の香り」と「葉の香り」で、既に鼻が満足しています。でも孫は、さらに刺激を求めます。「春は生き物の緑もいるよね?」。そこで登場するのが、正式名称 ニホンアマガエル。春から初夏、特に雨が増える時期に気配が強くなる小さな緑の住人です。とはいえ、祖母を雨の外に連れ出してカエル探しをするのは現実的じゃない日もある。だから我が家は、ここで“映像の出番”にします。スマホやテレビで、ニホンアマガエルの写真や動画を見せるだけで十分なんです。
孫が動画を再生して「見て!手が吸盤!」と叫びました。祖母は画面を見て「まあ、緑の小さな芸人だねぇ」と言い、私は「芸人って言い方が新しい」と笑いました。ニホンアマガエルは、見た目がかわいいだけじゃなく、雨の季節の象徴でもあります。祖母が「雨って嫌な日もあるけど、この子がいるなら悪くないね」と言った時、春の緑は“景色”から“意味”に変わりました。
春の緑は、強く押さないことがコツです。ヨモギは香りで春の扉を開け、青じそは食卓を軽くし、ニホンアマガエルは雨の日に小さな笑いを置いていく。祖母は途中で疲れたら、目を閉じて匂いだけ楽しめばいい。孫は飽きたら、動画を止めて別の遊びに移ればいい。私はその間で、祖母の「今ちょうど良い」を見てタイミングを調整する。それだけで、春は十分“緑の奔流”になります。
祖母が最後にポツリと言いました。「春の緑ってね、押し寄せるというより、そっと増えるんだねぇ」。孫がすぐに「じゃあ今日は“そっとの緑の日”!」と宣言し、祖母が「名付けが上手だね」と頭を撫でました。春の緑は、草と気配の緑。家の中でも、ちゃんと季節は始められる。そう確信した1章でした。
第2章…初夏の緑は「台所のヒーロー」~枝豆とバジルとアオノリで食卓が若返る~
春の緑が「そっと増える」なら、初夏の緑は「台所で元気に跳ねる」感じです。気温が上がって、窓を開ける回数が増えて、祖母が「今日は風が軽いねぇ」と言い出す頃。孫はもう待ちきれません。「次の緑、食べられるやつがいい!」。私は「初夏の緑は食べられるどころか、こっちに手を振ってくる」と言い、祖母が「また変なこと言ってるよ」と笑います。ここで家の空気が軽くなるのが、初夏の良いところです。
まず登場するのは、正式名称 枝豆。これはもう、初夏の代表選手です。祖母が落ち着きたい日に緑を選ぶなら、孫が元気過ぎる日は枝豆を出せば良い。何故なら枝豆は「食べながら落ち着く」不思議な緑だからです。殻を開けて、プチッと出して、口に入れる。その小さな作業が、孫のスピードをちょっとだけ落としてくれます。祖母はゆっくり、孫は勢いよく、私は塩加減を気にする。たったそれだけで、家族のテンポが一つにまとまります。
孫が枝豆を見て「これ、豆のベッドだね」と言いました。殻の中で寝ているように見えるらしい。祖母は「じゃあ起こさないように食べなさい」と真顔で言い、孫が「無理!」と爆笑しました。こういうやりとりがあるだけで、緑は“食べ物”から“時間の仕掛け”に変わります。祖母にとっては、手を動かしながら話せるのがちょうど良い。疲れたら、見ているだけでも参加できます。
次の新顔は、正式名称 バジル(スイートバジル)。初夏の緑の主役は、実は「香り」です。春はヨモギと青じそで鼻が喜びましたが、初夏の鼻はもう一段階テンションを上げられます。バジルは、葉っぱを一枚千切っただけで香りが広がる。祖母が「うわぁ、外国の緑だねぇ」と言い、孫が「緑にも国があるの?」と聞くので、私は「ある。今この葉っぱは旅してきた顔をしている」と、またよく分からないことを言ってしまいました。祖母が「旅してきた顔って何」と笑い、孫が葉っぱをじっと見つめて「確かに旅してる」と言い出します。もう何でも良い、笑ってるなら成功です。
バジルは、料理としてはトマトと合わせたり、チーズと合わせたりが定番ですが、ここでは“祖母の負担”を最小にしたいので、無理に本格料理にしません。葉を軽く触って香りを楽しむ、台所で「嗅ぐだけ体験」をするだけでも十分です。祖母が「香りって、体の中のスイッチを押すねぇ」と言ったのが印象的でした。目で緑を見て、鼻で緑を感じて、口でちょっと味わう。五感のうち、使えるところを無理なく使う。それが家庭の強みです。
そして三つ目が、正式名称 アオノリ(青海苔)。名前に“青”が入っているのに、色はちゃんと緑。孫がここで大混乱します。「青なの?緑なの?どっちなの?」。祖母は落ち着いて「海の緑は、青って呼ばれることがあるんだよ」と言い、私は心の中で祖母の説明力に拍手しました。孫はまだ納得せず、「じゃあ海は緑なの?」と聞きます。私は「海は心の色」と答え、祖母に「また詩人ぶってる」とツッコまれました。
アオノリの良いところは、「少しで世界が変わる」ところです。焼きそばでも、おにぎりでも、冷奴でも、フワッと振りかけるだけで香りが立つ。祖母の体調が万全でない日でも、アオノリなら一瞬で“初夏”が作れます。しかも海の緑は、外に行かなくても連れて来られる。祖母が「潮の匂いって、若い頃の記憶を連れてくるねぇ」と言った時、私は初夏の緑が“思い出の扉”にもなるんだと気づきました。
ここで孫が、突然まじめな顔をして言いました。「ばあば、緑って、食べると元気になるの?」。祖母は少し考えてから、「元気になり過ぎたら困るけどねぇ」と笑い、「でも、落ち着く元気ってあるよ」と答えました。落ち着く元気。これが初夏の緑のテーマでした。枝豆は手を動かす元気、バジルは香りで切り替える元気、アオノリは少しで景色が変わる元気。元気の形がそれぞれ違うから、祖母の気分にも合わせやすい。
初夏の緑は、台所が舞台です。祖母が椅子に座って、孫がテーブルの周りを小走りして、私は火を使わない範囲で段取りをする。そんな日常の中に、枝豆・バジル・アオノリという“新しい緑”を一つずつ置いていくと、食卓が若返るというより、家族の会話が若返ります。祖母が笑って、孫がしゃべって、私がツッコまれる。初夏の緑は、台所のヒーローでした。
第3章…秋の緑は「ごほうびの宝石」~シャインマスカットとカボスとピスタチオの大人緑~
初夏の緑が台所で跳ねるなら、秋の緑は静かに光ります。暑さが引いて、冷たい飲み物をぐいぐい飲まなくても良くなって、祖母が「空気が落ち着いたねぇ」と言う頃。孫は何故か急に大人ぶって「秋は“ご褒美”の季節なんだよ」と言い出します。誰に教わったのか分かりませんが、その言葉は意外と当たっていて、秋の緑はまさに“ご褒美の緑”です。
ここで大切なのは、秋の緑は「草」でも「葉」でも「海」でもなく、ちょっと高級そうに見えるところ。祖母の気分がフッと上がる瞬間は、食べ物の値段じゃなくて“特別感”で生まれます。だから第3章は、緑を「宝石みたいに扱う」章です。見て、香って、少しだけ味わって、言葉にして、笑う。秋の緑は、その一連がいちばん映えます。
まず登場するのは、正式名称 シャインマスカット。秋の緑の王様です。祖母が一粒持ち上げた瞬間に「あら、綺麗」と言うのがもう勝ち。孫は「ぶどうなのに、緑の風船!」と言います。私は「風船は割れるけど、これは割れない」と言いかけて、口の中で割れるよなと思って黙りました。祖母が「割れる前に食べなさい」と笑って、はい、また家族のテンポが揃います。
シャインマスカットは、味の説明が簡単なのも良いところです。祖母が「甘いねぇ、でも重くない」と言い、孫が「ばあば、重くない甘さって何?」と聞く。私は「秋の甘さは、落ち葉みたいに軽い…」と言いかけて、祖母に「また詩人」と言われます。孫は何故かそれを気に入って「落ち葉あまさ」と名付けました。こういう“勝手な命名”が出たら、秋の緑は家族の記憶に残ります。
次に登場するのが、正式名称 カボス(香母酢)。これが秋の緑を一気に“大人”にします。カボスは柑橘で、旬は秋。香りがキュッと鋭くて、祖母の顔が一瞬でシャキッとします。孫は顔をしかめて「これ、緑のレモン?」と言い、祖母が「近いけど違うよ」と優しく訂正します。私はここで、家族の会話が“学び”に変わるのを感じます。難しい説明は不要で、「香りの種類が違う」という感覚だけで十分です。
カボスは使い方がたくさんありますが、家庭での“気分の緑”としては、少し絞って香りを立たせるだけでも成立します。焼き魚にちょん、うどんにちょん、炭酸水にちょん。祖母が「香りが口の中を掃除してくれるみたい」と言った時、私は秋の緑の役割が見えました。秋は食べ物が濃くなる季節だから、カボスみたいな“すっと切る緑”が気持ち良い。落ち着くだけじゃなく、切り替えが出来る緑です。
そして三つ目が、正式名称 ピスタチオ。これがまた、緑の顔をした“おしゃれ担当”です。孫は初めて見るとき「これ、豆?石?」と迷います。祖母は殻を見て「貝みたい」と言い、私は「確かに、食べられる貝」と言ってしまい、祖母に「貝じゃない」と笑われます。ピスタチオの良いところは、食べる前に手を使うこと。殻を割る、指で摘まむ、その小さな作業が、祖母にも孫にも“ゆっくり”な時間をくれます。
ピスタチオは秋から冬にかけて、ちょっとしたおやつとして相性がいい。食べる量が少なくても満足感が出るので、祖母の負担が少ないのも助かります。孫は「緑のナッツって、なんか賢くなる感じがする」と言いました。私は「賢くなるなら、宿題に出そう」と言い、祖母が「緑で釣るな」とツッコみます。こういう軽い冗談が自然に出るのも、秋の空気のおかげです。
秋の緑は、3つとも“見た目が上品”です。シャインマスカットは宝石、カボスは香りの刀、ピスタチオは小さな工芸品。祖母が「緑にも大人の顔があるんだねぇ」と言ったとき、私は第1章や第2章の緑とは別の景色ができたと思いました。春は気配、初夏は台所、秋はご褒美。緑は季節で性格が変わるから、祖母の気分にも合わせやすい。
最後に孫が、シャインマスカットを指さして言いました。「秋の緑って、食べる前から嬉しいね」。祖母は頷いて「そう、目で嬉しくて、香りで嬉しくて、最後に味で嬉しい」と言いました。順番まで言えるのが凄い。秋の緑は、家族に“ゆっくり喜ぶ方法”を教えてくれる緑でした。
第4章…冬の緑は「甘くなる緑」~寒締めほうれん草とブロッコリーで心まで温かい~
秋の緑が宝石みたいに光るなら、冬の緑は「静かに居座る」緑です。寒い季節って、色が減るんですよね。外の景色は茶色や灰色が増えて、家の中も、気づくと同じ場所ばかり見てしまう。祖母はそんな日に、青や緑を選ぶことが増えます。孫は「ばあば、冬は色が寒いの?」と聞き、祖母が「寒いのは色じゃなくて人間だよ」と返します。私は「たしかに」と頷きつつ、冬の緑は“人間のための緑”だなと思いました。
冬の緑の一番わかりやすい主役は、正式名称 クリスマスツリー。本物のモミの木でも、飾りのツリーでも、とにかく冬の緑はこれが強い。しかも冬の緑は、見るだけで成立します。祖母にとっても負担が少なく、孫は飾り付けで暴れて満足する。私はというと、片付けの未来を見て遠い目になりますが、ツリーがあるだけで家が「季節の部屋」になるのは確かです。
孫がツリーを見上げて「これ、緑の星の塔だ!」と言い、祖母が「星は上にあるんだよ」と笑います。私は「じゃあ塔のてっぺんに星を載せよう」と言って飾りを渡し、孫が真剣に手を伸ばす。その時間の間、祖母は座ったまま目で追い、時々「そこもう少し右」と指示を出します。冬の緑は、動けない日でも“参加できる緑”なんです。ここがすごく大きい。
次に登場する冬の緑は、正式名称 抹茶。秋は宝石、冬は安心。抹茶は、香りと温かさが一緒に来る緑です。祖母が落ち着きたい日にぴったりで、孫も「緑の飲み物って魔法っぽい」と喜びます。私は「魔法は甘さで決まる」と言い、祖母に「現実的過ぎる」と笑われました。
抹茶の良いところは、“緑を体の中に入れる”感覚が優しいことです。濃い緑なのに刺激が強過ぎず、温かくして飲むと、肩の力が抜ける。祖母が「冬はね、こういう緑が良い」と言った時、私は納得しました。冬の緑は派手さよりも、静かな安心。孫は抹茶の泡を見て「緑の雲!」と呼び、祖母は「雲なら飲めないねぇ」と言いながら、ちゃんと飲みます。孫はその様子を見て、「雲、ばあばの中に入った」と言い、私は「詩人が増えた」と思いました。
そして3つ目が、正式名称 スギゴケ(杉苔)。ここで冬の緑が一気に“新しい発見”になります。食べ物でも飾りでもない、でも確かに緑。苔は冬でも緑を保つ種類が多く、室内でも楽しめます。祖母が「これ…森の床だねぇ」と言い、孫が「床なのにふわふわ!」と指でそっと触ります。私は「強く触ると苔がびっくりする」と言って手を止めさせ、祖母が「苔にも気持ちがあるの?」と笑います。孫は真顔で「ある。だってふわふわだもん」と返しました。こういう会話が生まれる時点で、もう苔は勝っています。
スギゴケは、いわば「冬の緑の小さな庭」です。外へ行けない日でも、家の中に“静かな森”を置ける。祖母は長く見ていても疲れ難く、孫は観察が遊びになります。私は季節の説明を少しだけ足します。「冬は外の色が減るから、こういう小さな緑が心を支えるんだよ」。祖母は「支えるって良い言葉だねぇ」と言い、孫は「じゃあ苔は“支え係”!」と名付けました。係が多い家族です。
冬の緑は、参加しやすさが命です。クリスマスツリーは目で参加、抹茶は香りと温かさで参加、スギゴケは観察で参加。祖母の体調が良い日は全部やれば良いし、疲れている日はツリーを眺めるだけでも良い。孫は飽きたら飾りを数えたり、抹茶の泡を「雲の形当てクイズ」にしたり、苔を「森の地図」にして遊べます。私はその間で、祖母の表情を見て「今は見るだけの日」「今は香りの日」と切り替える。家庭だからできる柔らかい調整です。
祖母が最後に言いました。「冬の緑はね、派手じゃないのに、ずっとそこに居てくれるのがいい」。孫がすかさず「じゃあツリーも苔も、居ていい!」と宣言し、私は「抹茶は飲んだら居なくなる」と言って、祖母に「当たり前だよ」と笑われました。冬の緑は、静かな安心。派手じゃないのに心を動かす緑が、ちゃんとこの季節にもあります。
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緑って、いつでも同じ顔をしているようで、実は季節ごとに性格が違いました。第1章の緑は、春の「芽吹きの合図」。正式名称 スズラン や ネモフィラ のように、見た瞬間に「始まったね」と言わせる緑でした。第2章は初夏の「台所で跳ねる緑」。正式名称 ずんだ、枝豆、メロンソーダ のように、口に入れる前からテンションが上がって、家の中の会話まで弾ませる緑でした。
そして第3章の秋は「ご褒美の宝石」。正式名称 シャインマスカット のつやっとした緑、正式名称 カボス(香母酢) のキュッとした香り、正式名称 ピスタチオ の手の平サイズの丁寧さ。秋の緑は、少しだけ贅沢な気分をくれて、ゆっくり喜ぶ順番まで教えてくれました。第4章の冬は「静かな安心」。正式名称 クリスマスツリー は見るだけで季節を立ち上げ、正式名称 抹茶 は香りと温かさで肩の力を抜かせ、正式名称 スギゴケ(杉苔) は家の中に小さな森を置いて、落ち着きの居場所を作ってくれました。
こうして並べてみると、緑は“ただの色”じゃなくて、暮らしの中で役割が変わる「生きてる色」なんだと思います。家族の誰かが元気な日も、ちょっと疲れた日も、外に出にくい日も、緑は方法を変えながら寄り添ってくれる。見る緑、香る緑、味わう緑、触れる緑。どれも無理をしなくて良いのが、家庭で楽しむ強みでした。
祖母がフッと笑ったり、孫が勝手に新しい名前を付けたり、娘が「今日はこれだけで十分だね」と調整できたり。そういう小さな積み重ねが、派手なイベントよりも深い満足につながっていきます。緑は刺激を足すだけじゃなく、落ち着きも増やせる。だからこそ、家族の気分に合わせて“広げてもいいし、縮めてもいい”。この自由さが、緑の一番の優しさでした。
最後に、祖母が言うとします。「緑ってさ、見てるだけで呼吸が深くなるね」。孫がすぐ返します。「じゃあ緑は、息の先生!」。私は笑いながら、「先生、今日も出席してくれてありがとう」と心の中で言います。季節が変わっても、緑は形を変えて、また家に来てくれます。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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