桜・猫・電車で分かる~温故知新の会話術と記憶の景色~
目次
はじめに…以心伝心は本当にある~同じ言葉で別の景色が見えている話~
「桜・猫・電車」。この3語を見た瞬間、私たち介護職は反射的に「お、あれね」と思います。そう、あの検査の3語です。けれど同時に、胸のどこかでこうも思うはずです。「これ、ただの3語で済む話じゃないんだよな」と。ここが今日の記事の入口です。
検査の場面では、3語は“覚えて思い出す”ための道具として扱われます。もちろん、それ自体は大切です。でも、現場で私たちが毎日向き合っているのは、点数の上下だけではありません。生活歴、役割意識、土地の記憶、家族関係、そしてその人が大事にしてきた言葉の手触り。つまりアセスメントで言うところの「背景」です。3語は、その背景に触れる“扉のノブ”になってしまうことがある。ノブを回したら、思い出がふわっと開いてくる。そこには、本人にとっての季節があり、匂いがあり、音があり、時には涙も混ざります。
ここで、若いスタッフさんが戸惑いやすいポイントが出てきます。同じ「桜」でも、見えている景色が違うんです。若い人は「今の桜」を思い浮かべやすい。開花情報、花見スポット、写真の綺麗さ。ところが高齢者さんにとって「桜」は、人生の章立てそのものだったりします。入学式、初任給の日、引っ越しの朝、戦後の復興、子どもの手を引いて歩いた道。単語が同じでも、記憶の層が違う。すると会話の噛み合い方も当然変わってきます。ここに気づくと、コミュニケーションは“話題探し”から“景色合わせ”に変わります。
「景色合わせ」と言うと、なんだかロマンチックに聞こえますが、現場では割りと実務です。関わり方1つで、BPSDの引き金になることもあれば、落ち着きの回復に繋がることもある。声掛けの語尾、間の取り方、表情、視線、距離感。非言語の要素も含めて、私たちは毎日「その人の世界に入る入口」を探しています。ここで“以心伝心”が起きると、介護は一気に楽になります。あれこれ説明しなくても、表情がふっと和らぐ。こちらの言葉が届いた手応えがある。逆に言えば、届かないまま介助だけが進むと、心は置いてきぼりになります。五大介護の手順は守れているのに、何故か疲れる。何故か荒れる。か言い合いになる。現場あるあるですね。桜の花弁よりも、人間関係の方が舞いやすい日があるのも事実です。
そしてもう1つ、私たちが忘れがちな“現場の財産”があります。それが、ことわざや四字熟語です。これらは難しい言葉というより、世代によっては生活語です。新聞の言い回し、学校での素読、落語、講談、冠婚葬祭の挨拶。そうした積み重ねの中で、短い言葉に長い物語を詰める文化が育ってきた。だから高齢者さんが、こちらの想像以上にスラスラとことわざを出してくることがあります。その瞬間、空気が変わります。本人が“教える側”に戻れるからです。役割回復、自己効力感、尊厳。難しい言葉で言うとそうなりますが、現場で見るともっと単純です。目がキラッとします。「あんた、分かっとるね」と言われたら、たぶんその日は夜勤でも少し元気です。いや、元気は言い過ぎですね。せめてコーヒーが旨いくらいには元気です。
この文章では、「桜・猫・電車」を単なる検査の3語として扱うのではなく、会話と記憶を繋ぐ“共通の景色”として扱っていきます。テーマは温故知新。昔の引き出しを尊重しながら、今の現場で使える関わり方に落とす。さらに、以心伝心、十人十色、臨機応変、不易流行、一期一会といった四字熟語を、看板ではなく呼吸として散りばめます。むしろ四字熟語を振り回す記事ではありません。四字熟語に振り回されないための記事です。言葉が立派過ぎると、こちらの背筋だけが伸びて相手の肩がコリますからね。背筋はほどほどに、相手の表情はしっかり明るく。このバランスで行きます。
読み終えた頃に、「3語って、あの場面でも使えたかも」「あの利用者さん、桜の話なら反応が違うかも」と、現場での声掛けが1つ増えたら成功です。ケアは大技じゃなく、小さな一手の積み重ね。桜の季節は短いですが、言葉の季節は今日から作れます。まずは「桜」から。次の章で、同じ単語なのに見えている景色が違う、あの不思議で面白い世界へ入っていきましょう。
[広告]第1章…十人十色の「桜」~若い人の今と高齢者さんの思い出が重なる瞬間~
「桜」と聞いて、あなたの頭に最初に出てくるのはどんな景色でしょう。河川敷の桜並木、通勤路の公園、スマホの写真フォルダの“春コーナー”。若いスタッフさんほど、現在進行形の桜がパッと出てきやすいと思います。けれど高齢者さんの「桜」は、同じ単語でも“層”が違います。季節の花というより、生活史のアルバムの見出しに近い。ここを踏まえると、声掛けが途端に変わってきます。会話の目的は情報交換だけじゃなく、安心の共有であり、関係の再構築でもありますからね。
介護の専門職っぽい言い方をすると、桜は立派なアセスメントの糸口です。環境因子、個人因子、参加、活動、心身機能。そんな分類を頭の片隅に置きながらも、目の前の相手には「今日は桜が綺麗ですね」と、まずは普通の人として声を掛ける。その“普通”が実は難しい。こちらが緊張して専門家の仮面を被るほど、相手は人として扱われていない感じがしてしまうことがある。仮面は節分の鬼だけで十分です。現場は毎日、節分ではありません。豆を投げる相手を間違えると大事故の素です。
さて、桜がどう十人十色なのか。ここからが本題です。高齢者さんが「桜」と聞いて思い出すのは、花弁の色だけではありません。音や匂い、身体感覚まで一緒に戻ってくることがあります。例えば「入学式の桜」。これは単なる式の記憶ではなく、制服の布の感触、靴の硬さ、親の手の温度、写真を撮る時の照れくささ、そういうディテールがまとまって帰ってきます。さらに世代によっては、戦後の暮らしや復興の記憶と桜が重なる方もいる。桜はいつだって季節の象徴ですが、同時に時代の象徴でもあるんです。
ここで、専門職として効いてくるのが「想起の仕方」です。認知機能が低下している方でも、エピソード記憶が揺らいでいても、情動記憶は残りやすいと言われます。だから「桜を見に行きましたか?」と事実を問うと難しくても、「桜って、見てると落ち着きますよね」と感情の方に寄せると表情が動くことがある。これは“ご機嫌取り”ではなく、相手の残っている回路に合わせる臨機応変です。正解を当てるクイズにしない。会話は、採点しない方が続きます。
さらに大事なのは、桜が引き出すものが「良い思い出」だけとは限らない点です。別れの桜、転居の桜、喪失の桜。花が綺麗な分、切なさも濃くなる。ここを理解していると、利用者さんの反応が読めます。桜の話題を出した途端に黙る人がいるのは、会話が下手なわけでも、拒否しているわけでもなく、単純に景色が深過ぎるだけかもしれない。沈黙が出た時に慌てて話題を変えないで、少し待てる人は、それだけでケアが上手い証拠です。沈黙って、実は相手が心のページをめくって確かめている時間なんですよね。ページをめくっている途中で「はい次!」と言われたら、誰でも嫌です。
では、どう声掛けを組み立てるか。おすすめは、質問から入るのではなく“共有”から入ることです。「今日は風が気持ち良いですね」「日差しが柔らかいですね」みたいに、答えを求めない一言を置く。そこから「桜の季節ですね」と繋ぐ。すると相手は、正解を探さなくて良いから、気持ちの方で返せます。「そうねぇ」「綺麗ねぇ」で十分。これが以心伝心の入口です。専門職はつい何でもかんでも評価を回したくなりますが、ここでは評価は一旦棚上げ。棚上げする棚を、心の中に作っておくと便利です。
そして、桜の会話で意外と効くのが“役割”です。高齢者さんは、長い人生の中でずっと誰かの役割を担ってきた人です。母として、父として、職人として、店主として、町内会のまとめ役として。桜の話題は、その役割を呼び戻せることがあります。「昔はお花見の準備、何を作りました?」「お弁当で人気だったものってあります?」と聞くと、ただの思い出話ではなく、段取りや工夫の話になる。これは生活機能の話でもあり、作業手順の想起でもあり、何より“私はまだ語れる”という感覚に繋がります。ここで大事なのは、こちらが聞き役に徹すること。若い側が「今はこういうのが流行りで」と早口で話し始めると、桜が散るより先に会話が散ります。
また、桜の言葉を使う時は、敢えて難しい語を混ぜるのも現場では有効です。相手がその言葉を知っている世代なら、こちらが“子ども扱い”していないことが伝わります。「花吹雪って言葉、綺麗ですよね」「花冷えの時は、温かいお茶が恋しくなりますね」。こうした言葉は、説明しなくても通じる人には通じます。通じなければ、それはそれで「良い言葉ですよね」で終えれば良い。会話の目的は“正しさの一致”ではなく“安心の一致”です。
桜の話が上手くいった日、現場は静かに楽になります。歩行介助の足取りが少し軽くなる。更衣が少しスムーズになる。食事量がほんの少し戻る。こういう変化は、記録に書くと薄味になりがちですが、体感としては濃い。介護は結局、生活の連続です。だから会話も生活の一部で、会話が整うと生活が整う。逆に会話がバラバラだと、生活もバラつきます。桜の季節は短いけれど、桜の言葉は短くても効く。十人十色の「桜」を前に、私たちは相手の景色に並んで立つ練習が出来るんです。
次の章では、その練習を「猫」でやってみましょう。猫は可愛い。ここまでは全員一致です。けれど、その先に出てくる景色は、やっぱり一致しません。そこが面白くて、そこがケアになる。猫は、現場の空気をふわっと変える名アシストでもあります。猫は偉い。いや、猫はいつだって偉いのですが、介護現場でも偉いんです。
第2章…猫は可愛いだけじゃない~暮らしの記憶がひょいっと顔を出す~
猫は反則級に話題を作ります。廊下の掲示物に猫の写真があるだけで、「あら、可愛いねぇ」と空気が柔らかくなる。職員側の緊張もほどける。つまり猫は、現場の“空気清浄係”として採用したいくらい優秀です。もちろん勤務表には載っていませんが、載っていないところで働いてくれるのが猫の猫らしさです。
ただ、ここが大切で、猫の話題は「可愛い」で終わらないことが多い。高齢者さんにとって猫は、趣味や癒やしの枠を超えて、生活史そのものに入り込んでいることがあります。家の裏口、縁側、米櫃の近く、畑の小屋、商店の前、駅前の路地。猫がいた場所は、そのまま当時の“暮らしの地図”です。だから猫の話をすると、地図がひょいっと開いて、そこに住んでいた自分が戻ってくる。単語としての猫ではなく、家の匂い、土の匂い、夕方の光まで一緒に立ち上がる。これが猫の恐ろしさであり、ありがたさです。猫は小さいのに、連れてくる景色が大きいんですよね。
専門職っぽく言うと、猫は生活歴のスイッチになりやすい題材です。回想法に近い動きが自然に起こり、しかも本人主導で進みます。こちらが無理に掘らなくても、本人が勝手に引き出しを開けてくれる。ここで職員側がやるべきことは、知識を披露することではなく、アセスメントの耳を立てることです。「誰と暮らしていたか」「どんな役割を担っていたか」「何を大切にしてきたか」。猫の話は、家族関係、生活環境、価値観、喪失体験まで、いろんな情報が“自然な形”で混ざって出てきます。書類の質問票で聞くより、ずっと滑らかに出てくることもあります。猫は書類が嫌いですからね。たぶんペンも嫌いです。猫パンチが飛ぶので止めましょう。
ここで気をつけたいのは、若い職員さんが持っている猫のイメージが、現代仕様になりやすいことです。室内飼い、キャットタワー、可愛い動画、猫カフェ。もちろんそれも猫です。でも高齢者さんの猫は、もっと生活に密着していたりします。家に勝手に出入りしていたり、名前があっても無くても成立していたり、いつの間にか増えていつの間にか減っていたり、そして“別れ”も普通に含まれていたりする。そこに価値判断を持ち込まないのがコツです。「昔は外で飼ってたんですね」と分析すると、会話が急に検討会みたいになります。会話は会話のまま、ケアはケアとして効かせる。不易流行の感覚がここで必要になります。
猫の話題が良いのは、本人の役割を回復しやすい点です。「猫にご飯をあげてた」「毛布を敷いてやった」「病気の時に心配した」「子猫を人に譲った」。この語りは、自己効力感や養育感情を呼び戻します。パーソン・センタード・ケアでいう“その人らしさ”が、猫を通して自然に表に出る。すると介助の場面でも、ちょっとした協力が得られやすくなることがあります。別に猫で誘導しているわけではなく、気持ちが整うと身体の動きも整いやすい、という生活の当たり前が起きるだけです。ケアは気合いではなく、段取りと空気。猫は空気担当です。
とはいえ、猫は万能ではありません。猫が連れてくる景色は、優しいものばかりとは限らない。猫の別れ、家族の別れ、引っ越し、貧しさ、孤独。猫の話をした途端に表情が沈むこともある。その時に大事なのは、話題を慌てて切り替えないことです。ここで役立つのがバリデーションの姿勢です。事実を整えるより、感情に寄り添う。「そうだったんですね」「寂しかったですね」と、相手の景色の横に立つ。こちらが正解を作ろうとすると、相手は語る気を失います。相手が語るのは、正確な年表ではなく、生きてきた実感です。そこを尊重できると、以心伝心は起きやすくなります。
声掛けの入り方は、桜の章と同じで“共有”からが安全です。「猫って、見てると落ち着きますよね」「あののんびり感、見習いたいですよね」。このくらいの温度で置くと、相手は答えを探さず、気持ちで返せます。そこで相手が乗ってきたら、「猫、好きでしたか」と軽く聞けば良い。ここでも質問は“テスト”にしないこと。見当識を確認したくなる気持ちは分かりますが、会話の目的は確認作業ではありません。確認作業にすると、相手は“試されている”と感じやすい。猫の話で試験会場の空気を作るのは、猫にも失礼です。猫はたぶん帰ります。
そして、猫の話題は、介護職側のチーム連携にも地味に効きます。同じ利用者さんでも、職員ごとに関係性の深さは違う。そこで「猫の話が出た」「縁側の話をしてた」「子猫を世話してた」みたいな情報が共有されると、関わりが繋がっていく。申し送りが“介助手順”だけにならず、“その人の物語”が混ざる。これが続くと、ケアの統一感が出ます。統一感が出ると、本人も落ち着きやすい。結局、現場はこうした細い糸を束ねていく仕事なんですよね。猫の糸は、意外と丈夫です。
猫は、語りの入口であり、暮らしの記憶の案内役であり、時々、心の埃を払うハタキでもあります。うまく使うというより、上手く“同席してもらう”感じがちょうど良い。猫を主役にすると、猫が主役になってしまい、人間の話が消えます。猫は主役を奪いがちです。だからこそ、猫は名脇役にして、利用者さんを主役にする。ここがプロの関わり方です。
次の章では「電車」に行きます。電車はさらに面白いです。移動手段なのに、時間そのものを連れてきます。駅の匂い、切符、改札、制服、通勤、遠足、上京、帰省。電車は人生を運んでいた乗り物なので、話が濃くなる準備は出来ています。猫でほぐした空気のまま、次は“時代のホーム”に立ってみましょう。
[広告]第3章…電車は移動ではなく時代~駅の匂いまで思い出す人がいる~
電車の話題は、介護現場で使う時に少しだけ覚悟がいります。何故なら電車は「移動手段」ではなく、生活史の“時間軸”そのものを運んでくるからです。桜が季節の扉なら、猫は暮らしの扉。電車は、人生の章のページまで連れてきます。しかも、駅の匂い付きで。あれはもう、記憶の駅弁です。食べてないのに満腹になるタイプです。
若い世代にとって電車は、便利で速くて時刻表がスマホの中にいる存在です。遅延情報もすぐ分かるし、改札もピッと通れるし、乗り換え案内が親切過ぎて、逆に脳が休みがちになる。ところが高齢者さんの電車は、もっと身体感覚が濃い。切符の紙の硬さ、改札鋏の音、ホームのアナウンスの調子、窓から入る風、座席の木の冷たさ。今の電車を知っている人でも、思い出すのは“当時の電車”だったりします。だから同じ「電車」でも、見えている景色が一致しませんよね。ここでも十人十色です。
専門職として面白いのは、電車の話題が見当識や注意機能の話に自然に繋がるところです。とはいえ、ここでやってはいけないのが“会話の検査化”です。つい、「どこ行きの電車でした?」とか、「何駅でした?」と確認したくなる。けれど、電車は思い出の流れが出やすい分、質問を連発すると流れが止まります。思い出って、湯船と同じで、急にかき回すと冷めるんですよね。あったまってきたところで、桶で水を入れない。電車の話は、温度管理が大事です。
電車が連れてくるのは、出来事だけではありません。役割と関係性です。通勤電車だった人は、仕事の自負や仲間意識を持っていることが多い。遠足の電車だった人は、子どもの頃のワクワクや先生との関係が出る。上京の電車だった人は、不安と期待の混ざった顔になる。帰省の電車だった人は、家族の匂いに戻る。つまり電車は、本人の人生の「参加」と「活動」をまとめて引き出してくれる。アセスメントでいうところの“参加の履歴書”みたいなものです。履歴書なのに、写真が動く。便利過ぎます。
そして、電車の話は、時代の言葉も一緒に運びます。例えば「切符を買った」「改札で切ってもらった」「駅員さんがいてね」と言われたら、その人の世界の交通インフラが見えてきます。ここで職員側が「今はスマホで」と早口で返すと、会話はホームから転落します。安全第一。相手の世界の中で、まず一緒に立つ。温故知新は、昔を否定しない姿勢でもあります。昔を否定すると、本人の人生の一部を否定した感じになってしまうことがある。電車はそれが起きやすい題材なので、慎重に扱う価値があります。
電車の話題がBPSDの文脈で出てくることもあります。「帰らなきゃ」「会社に行かなきゃ」「子どもが待ってる」。こういう訴えは、現場ではよくあります。ここで「もう仕事はしていませんよ」と現実を正そうとすると、火に油になることがある。電車の世界は、今の事実というより“役割の世界”が動いている場合が多いからです。ここで役立つのは、現実検討の押し付けではなく、気持ちの受け止めと代替の提案です。「お仕事、気になりますよね」「じゃあ、ここで予定を確認しましょう」と、まずは同じホームに立つ。その上で、本人が落ち着ける方向へ誘導する。これは誤魔化しではなく、安心の回復を優先する臨機応変が大事です。ケアの現場は、正論だけでは回りません。正論は真っ直ぐ過ぎて、曲がり角でぶつかります。
電車はまた、身体機能の話にも繋がります。乗り降り、段差、手すり、混雑、揺れ。本人が語る「電車は危ない」「もう乗れない」は、移動能力や不安のサインかもしれない。逆に「電車でどこどこに行った」は、まだ残っている自信や意欲のサインかもしれない。こうした語りを、リハビリや生活機能の目標設定に生かすのは、専門職の腕の見せどころです。ただし、腕を見せようとして腕を振り回すと、相手が引きます。腕は見せるものではなく、支えるもの。電車の話も同じです。相手が語りやすいように支える。これが以心伝心に繋がります。
電車の話題を広げるコツは、路線名や駅名に飛びつかないことです。飛びつくと職員側の知識自慢大会になりがちで、相手の人生が置いてきぼりになります。それより、「電車に乗るとどんな気持ちでした?」と感情に寄せる方が、本人の世界が出やすい。あるいは「窓から何が見えました?」と情景を聞く。情景は、記憶の引き出しを整然と開けやすい。質問の形はシンプルでも、中身は深くなります。専門職の会話って、難しい言葉より、簡単な問いの方が深いことが多いんですよね。変に格好つけると浅くなる。電車だけに、見栄を張ると空回りします。
ここまで読んで、「電車って重いな」と思った方、安心してください。電車の話は重い分、笑いも作れます。例えば「昔の改札、切符を切る音が気持ち良かったですよね。今はピッで終わるので、たまに心の中で“カチン”って鳴らしてます」と言うと、笑ってくれる方がいます。もちろん相手を見て言います。誰にでも通じるギャグではありません。ギャグも臨機応変です。事故ったら、次の駅で降ります。いや、現場では降りられません。
電車は、人生を運んでいた乗り物です。だから会話に使う時は、こちらも人生を運ぶつもりで扱うと良い。移動の話をしているようで、実は生き方の話をしている。ここに気づくと、電車はただの話題ではなく、ケアの資源になります。資源は増やすものではなく、見つけるもの。電車は足元に落ちている大きな資源です。拾い方さえ間違えなければ、現場の会話はグッと豊かになります。
次の章では、ここまでの“景色合わせ”を、ことわざ・四字熟語の力でさらに整えます。電車で時代のホームに立てたら、次は言葉で景色を揃える番です。難しい言葉で相手を置いていくのではなく、短い言葉で一緒に歩く。そんな使い方を、臨機応変に試していきましょう。
第4章…臨機応変が一番効く~ことわざと四字熟語で会話の景色を揃える~
ここまで「桜」「猫」「電車」で、同じ単語でも見えている景色が違う、という話をしてきました。では、そのズレをどう埋めるのか。答えは気合いでも根性でもありません。専門職っぽく言うなら、コミュニケーションは“介入”ではなく“調整”です。調整の道具は、難しい専門用語より、短くて含みのある言葉の方が効く時があります。つまり、ことわざと四字熟語です。言葉が短いのに、景色が長い。この性質が、現場ではとても役に立ちます。
ことわざや四字熟語が効く理由は、単純です。説明が少なくて済むから。高齢者さんの多くは、長い説明を聞いて納得するよりも、ピタリと来る言い回しが“体に入る”世代です。しかもことわざは、教訓として押しつける道具ではなく、気持ちを整える合図として使える。ここがポイントです。職員が上から「こうしなさい」と言うのではなく、本人の世界の中にある言葉で、本人の気持ちが落ち着く方向に整える。これが臨機応変の技術です。ここで職員が偉そうだと、ことわざがただの説教になります。説教になると、ことわざは急に重くなります。重いことわざは、電車より重い。いや、電車は重いですが、会話の空気が重い方が現場にはきついです。
まず“温故知新”です。これは今回の記事の背骨なので、現場ではこういう場面で使えます。新人さんが、利用者さんの言葉が理解できずに焦っている時。「昔の話は昔の話」と切り捨てそうになる時。そこで「温故知新でいきましょう」と言うと、空気が変わります。過去の話を“脱線”ではなく“資源”として扱う合図になるからです。温故知新は格言ですが、現場ではチームの共通言語になります。申し送りで「今日、温故知新いけました」なんて言い方をすると、ちょっと笑えて、でも意味が通じる。こういう合図があるチームは、ケアの方向が揃いやすいです。
次に“以心伝心”。これも便利ですが、使い方を間違えると危険です。「以心伝心で分かってくださいね」はダメです。完全に投げています。以心伝心は、相手に求めるものではなく、自分たちが作りにいくもの。現場での使い方は「以心伝心の入口に立てたかどうか」です。表情が緩んだ、声量が下がった、呼吸が整った。そういう小さな変化を見つけて、「今の、以心伝心っぽいですね」と軽く共有する。これは観察と評価を、温かい言葉で包んだ形です。専門職は評価が仕事ですが、評価をそのまま出すと冷たく見える。だからこそ、以心伝心みたいな言葉が“柔らかいラベル”として働きます。
そして“十人十色”。これは現場で一番大切な言葉かもしれません。何故なら、否定しないから。認知症ケアでありがちな擦れ違いは、「正しい話」に寄せようとし過ぎるところにあります。けれど相手の語りは、その人の世界の正しさで出来ている。そこに十人十色を置くと、こちらも相手も楽になります。「そういう見え方もありますよね」「人それぞれですね」。この一言で、相手の世界を尊重できるし、職員側の焦りも減ります。焦りが減ると、介助の動作も丁寧になります。丁寧になると、拒否も減りやすい。結局、言葉は行動に影響します。十人十色は、ケアの動きまで整える小さなスイッチなんです。
では、ことわざはどう使うのか。ここが面白いところです。ことわざは“その人の文化資本”を呼び戻す力があります。つまり、本人が教える側に立てる。役割回復です。こちらが「ことわざってありますよね」と振ると、スラスラ出てくる方がいます。ここで職員が「へぇー、凄いですね」で終わるのはもったいない。続けて「その言葉、どういう時に使ってました?」と聞くと、生活歴の深掘りになります。しかも本人の気分が良いまま深掘りできる。アセスメントとしては理想的です。本人が主導で語り、職員は聞き取り、必要な情報が自然に出る。ここで職員は、メモを取りたくなるかもしれませんが、メモは目の前で取ると現実に戻り過ぎます。心の中のメモ帳を使いましょう。どうしても必要なら、後で記録に落とせばいい。会話の最中は、会話の温度を優先します。
ただ、ことわざには“刃”もあります。使い方次第で相手を傷つける。例えば「急がば回れ」と言うつもりが、「あなたは急ぎ過ぎだ」と聞こえることがある。ここで大事なのが、不易流行の感覚です。変えてはいけないのは、相手の尊厳を守る姿勢。変えて良いのは、言葉の形です。ことわざをそのまま言わなくても良い。「急がなくて大丈夫ですよ」「ゆっくりで良いですよ」と、今の現場の言葉に置き換える。これが不易流行です。古い言葉をありがたがるのではなく、その人に届く形に整える。ここがプロの臨機応変です。
さらに、四字熟語は“チーム内の合言葉”としても効きます。新人教育やOJTで、長々と説明するより、短い言葉を合図にする方が残ることがあります。例えば「十人十色で行こう」「温故知新ね」「臨機応変で」。この言い方は軽いですが、軽いからこそ現場で使える。現場は忙しいので、長文は置き去りにされやすい。四字熟語は短文なのに、意味が圧縮されている。圧縮ファイルみたいなものです。解凍する時は、現場の状況に合わせて解凍します。解凍に失敗すると文字化けします。文字化けしたら、素直に謝りましょう。謝れる職員は信頼されます。これもまた専門職の力です。
最後に“一期一会”。これは、現場では大袈裟に聞こえるかもしれません。けれど介護現場の会話って、実は一期一会の連続です。今日の5分が、明日は同じ形で来ないことがある。本人の体調、気分、環境、関係性。全部が毎日違う。だからこそ、たった一言が効く日がある。桜のひと言で笑う日。猫の話で安心する日。電車の話で泣く日。そういう“その日だけの景色”を大事にする姿勢が、一期一会です。大袈裟な標語として掲げるのではなく、「今日のこの瞬間を丁寧に扱おう」という、職員の心の持ち方として置く。これが出来ると、ケアは不思議と乱れ難くなります。乱れる日がゼロになるわけではありませんが、乱れた時の立て直しが早くなります。立て直しが早いと、職員の疲れも少し減ります。疲れが減ると、また笑えます。ユーモアは贅沢品ではなく、現場の安全装置です。
ことわざや四字熟語は、知識の飾りではありません。景色を揃える道具であり、相手の世界に並んで立つための“踏み台”です。踏み台は、乗ったら偉くなるものではなく、届くために使うもの。届いたら、スッと降りる。ここまでがセットです。次のまとめでは、不易流行と一期一会を軸に、桜・猫・電車で作った景色を1つに束ねて、「明日から使える」形に整えて終わりましょう。
[広告]まとめ…不易流行と一期一会~今日の5分が“ケア”になる春の言葉~
桜、猫、電車。どれも日常の単語です。けれど現場でこの3つが出てきた瞬間、それは単語ではなく“景色”になります。しかも、その景色は人によってまったく違う。若い職員さんが見ているのは、今、目の前の春、今、目の前の可愛さ、今、便利な移動。高齢者さんが見ているのは、そこに積み重なった生活史、役割、家族、時代の匂い。だから会話がかみ合わない日があるのは、能力不足ではなく、前提が違うだけです。ここを理解した時点で、もう半分は勝っています。半分勝ったと思えるだけで、現場の心が軽くなります。心が軽いと声が柔らかくなる。声が柔らかいと、相手も落ち着く。結局、ケアは空気で回っている部分が大きいんですよね。
今回の話で一番大切なのは、「話題を合わせる」より「景色を揃える」という発想でした。桜の時は、相手の季節の扉の前に一緒に立つ。猫の時は、相手の暮らしの地図の横で頷く。電車の時は、相手の時代のホームで待つ。どれも、こちらが引っ張るのではなく、並んで立つことが中心です。専門職は支える仕事ですから、会話でも支える。会話を支えるって何かというと、相手の語りが流れる方向を邪魔しない、ということです。検査みたいに質問を連発しない。正しさに寄せようとして訂正しない。相手の世界を否定しない。これは、頭では分かっていても、忙しいと忘れます。だからこそ、短い合図が必要になります。
そこで効いてくるのが、四字熟語とことわざでした。温故知新は、昔話を脱線ではなく資源として扱う合図。十人十色は、見え方の違いを肯定する合図。以心伝心は、相手に求めるのではなく、こちらが作りに行く合図。不易流行は、姿勢は変えずに言い方は変える合図。一期一会は、今日の5分の価値を丁寧に扱う合図。これらは飾りではなく、現場の動きと心を整える“合言葉”になります。合言葉があるチームは、乱れた時の立て直しが早い。立て直しが早いと、職員の疲れが少し減る。疲れが減ると、ユーモアが戻る。ユーモアが戻ると、利用者さんも笑える。笑える時間がある現場は、強いです。ここでの「強い」は筋肉の話ではなく、しなやかさの話です。しなやかさがある現場は、転び難い。転んでも起き上がりやすい。これが臨機応変の土台です。
そして、最後にもう1つだけ。桜・猫・電車が「認知症の検査の単語」になってしまうと、現場の会話は薄くなります。単語を覚えられたかどうかが主役になるからです。でも本当は、その単語が引き出す景色こそが主役です。覚えられない日があっても良い。思い出せない日があっても良い。けれど、桜を見て落ち着く、猫の話で表情が緩む、電車の音に耳を澄ます。そういう反応は、その人の人生がまだそこにある証拠です。私たちが扱うのは、正解の数ではなく、生きている実感の手触りです。ここを忘れなければ、介護は五大介護だけの世界にはなりません。むしろ五大介護は、関係性が整った時にスムーズに回りやすい。関係性は、会話で整います。会話は、景色を揃えることで整います。凄く地味ですが、現場ではこれが効きます。
明日からの小さな実践としては、桜・猫・電車のどれかが話題に出たら、まず“共有の一言”から入ってみてください。「今日は日差しが柔らかいですね」「猫って見てると落ち着きますね」「電車の音って、懐かしい気持ちになりますね」。答えを求めない一言です。そこから相手が乗ってきたら、情景か感情をそっと聞く。「何が見えました?」「どんな気持ちでした?」。最後に、合言葉を心の中で置く。「十人十色でいこう」「温故知新でいこう」。これだけで、会話の温度は変わります。温度が変わると、介助の手つきも変わります。手付きが変わると、相手の安心も変わります。安心が変わると、今日という1日が変わります。
桜・猫・電車は、単語の形をしているだけの“記憶の入口”です。その入口の前で、こちらが急いで鍵を開けようとしないで、相手が開けるのを待つ。待てることが、専門職の技術であり、優しさであり、時には一番効く支援になります。春は短いですが、言葉の景色は一年中使えます。どうぞこの先も、現場の景色を一緒に揃えながら、笑える時間を増やしていきましょう。
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