干さない特養の布団と足元30センチの話~夏の虫と冬の冷えをどう止めるか~
目次
はじめに…団地の布団干しの記憶と干されない特養マットレスの現実
まだ子どもだった頃、団地のベランダにずらっと布団が並んでいる光景を、当たり前のように見ていた人も多いと思います。手すりを雑巾でごしごし拭いてから、布団をよいしょと広げてかけて、最後はパンパンと大きな音を立てて埃を落とす。取り込む前にも、もう一度パンパン。あの一連の動きには、「家族に気持ちよく寝て欲しい」という気持ちがギュッと詰まっていました。
今の日本では、マンションの規約や天気、花粉や黄砂、共働きで忙しい暮らしなどが重なって、布団を外に干す家はグッと減りました。それでも在宅では、「干す家」と「何もしない家」との差は、とても大きいまま残っています。デイサービスの日に合わせて布団とマットレスを天日干しし、掃除機までかけているご家庭もあれば、数か月ほとんど動かない布団もあります。
ところが、特別養護老人ホームに目を向けると、話はまったく別の顔を見せます。そこに並んでいるのは、「誰かの私物の布団」ではなく、「施設の備品としてのベッドと寝具」です。シーツやカバーは、業者との契約で定期的に交換されますが、その下に横たわっているマットレスはどうでしょうか。失禁が日常茶飯事のフロアで、深夜におむつ交換を続ける中、どれくらいの頻度で、どこまで手を掛けてもらえているのでしょうか。
夏は湿気と暑さで、マットレスの中が虫やカビの温床になりやすくなります。古い造りの施設では、ベランダと居室の高さがほとんど変わらず、蚊やハエだけでなく、ムカデやゴキブリ、ネズミまで入り込めることもあります。冬は逆に、見た目はサラッとしているのに、失禁の沁み込んだマットレスがジワジワと冷たさを伝え、体温と体力を奪っていきます。シーツを1枚新しくしただけでは、マットレスの奥に溜まった湿気と冷えは、そのまま残ってしまいます。
現場の職員は、本当はそれに気づいています。シーツを剥がした瞬間にフワッと立ち上る臭い、マットレスの色、手で触れた時のヒヤリとした感触。けれど、1フロアに何十人もいて、夜勤は1人、清掃は時間で区切られたパートさんに分離されていると、「見なかったことにする」という小さな癖が、少しずつ身についていきます。善意がないわけではなく、善意が仕事の構造の中で押し潰されてしまうのです。
この文章では、在宅と特養の制度の違いを長々と語るつもりはありません。大事にしたいのは、「干さない時代のマットレスに、どんなことが起きているのか」をいったん正面から言葉にしてみること。そして、「だからこそ、今日からどんな工夫ができるのか」を、現場にも家族にも無理のない形で一緒に考えていくことです。
例えば、昔ながらの櫓コタツのような温もりと、布団乾燥機のような機械の力を組み合わせる方法があります。さらに、介護ベッドの足元にあと30センチの余白があれば、失禁のある高齢者にも、安全に温かさを届けられるかもしれません。人が直接触れない「熱源専用スペース」を作る発想です。
「介護=世話をすること」が、いつの間にか「介護=病人を増やすシステム」にすり替わってしまわないように。団地の布団干しの記憶を出発点にしながら、干されない特養マットレスの現実を見つめ直し、「病人製造ベッド」を少しでも「温もり製造ベッド」に近づける道筋を、ここから辿っていきたいと思います。
[広告]第1章…在宅と特養で布団の「持ち主」が違うというとても大きな差
在宅での介護を思い浮かべる時、多くの人はまず「その家の布団」を思い出すのではないでしょうか。押し入れから引っ張り出してきた来客用の布団だったり、子ども時代からの敷き布団をそのまま使っていたり、最近、慌てて買ってきた安めのセットだったり。特殊寝台をレンタルしていても、その上にどんなマットレスを敷くか、どんな掛け布団を使うか、最終的に決めているのはやはり家族です。
例えば、在宅でお父さんの介護をしている娘さんがいるとします。担当のケアマネや福祉用具専門相談員は、「身体の状態から見れば、このくらいの硬さが安全ですよ」「エアマットも選べますよ」と助言をくれます。それでも最後に契約書にサインをして、「これを借ります」「上に掛ける布団はこれにします」と決めるのは、その家の人です。自分たちの財布からお金を出し、自分たちの好みと事情の中で、「これなら父も気持ちよく眠れるかな」と想像しながら選んでいきます。
だから在宅では、同じように介護をしていても、布団に掛かる手間と配慮に、ものすごく幅が生まれます。デイサービスに出かける日には、敷き布団とマットレスをベランダに出して、天日でしっかり乾かしてから掃除機をかける家庭もあれば、「忙しくてそこまで手が回らない」と、シーツ交換だけで何か月も過ぎてしまう家庭もあります。それでも共通しているのは、「この布団で寝るのは、目の前のこの人だ」という感覚が、家の中にちゃんと残っていることです。布団が汚れてきた時、「そろそろ買い替えようか」「臭いが気になるね」と気づくのも、やはり本人と家族です。
一方、特別養護老人ホームに入所した瞬間、この構図はガラリと変わります。ベッド本体は施設が持っている備品であり、マットレスも多くの場合、施設が寝具業者と契約してリースしているものです。シーツやカバー、ラバーシーツ、掛け布団や毛布も、個人の私物ではなく、「この施設の設備」としてまとめて管理されています。入所してくる人は、その一式を「使わせてもらう立場」になります。
もちろん、家族が思い出の毛布やタオルケットを持ち込むことはあります。しかし、マットレスそのものを入れ替えたり、「この人にはもう少し柔らかいものに」「冬は別のタイプに」と細かく注文をつけたりするのは、現実的にはほとんど不可能です。そこには、防炎性能の基準や感染対策、業者との契約条件、コストの問題など、いくつもの見えない壁がこっそり並んでいます。結果として、「このベッドとマットレスでお願いします」と一度決まってしまうと、後は施設と業者の都合の中で、静かに時間だけが流れていきます。
ここで生まれる差は、単に「在宅は自前で、特養はリース」という程度の違いではありません。本質的には、「その布団に手を掛ける権利と責任が、誰の手元にあるか」という差です。在宅では、汚れや臭い、冷たさや寝心地の変化に気づき、そのたびに干したり、洗ったり、買い替えたりする決定権が、本人と家族の側にあります。特養では、同じ変化に気づいたとしても、「これは施設の備品だから」「契約の範囲だから」と、その場で勝手に手を加えることは出来ません。
さらにややこしいのは、特養の現場で働く職員も、「布団の持ち主」ではないという点です。シーツ交換や体位変換をしながら、マットレスのへたり具合や臭い、湿り具合を誰よりも感じ取っているのは介護士ですが、その人たちには、予備が無くなれば、勝手に新しいマットレスを手配する権限はありません。「気になるけれど、すぐには変えられない」というもどかしさが、日常の中に積み重なっていきます。
在宅と特養で、同じように高齢者を支えているはずなのに、布団を巡る空気感は、こうしてまったく別のものになっていきます。在宅では「この布団でおじいちゃんが眠る」という具体的な顔が浮かびますが、特養では「何番ベッドのマットレス」「何床分の寝具」という数の単位で語られやすくなります。誰かが悪いわけではないのに、「顔の見える布団」から「記号としての寝具」へと、少しずつ風景が変わっていくのです。
この章で伝えたかったのは、制度や契約の細かな話というより、「布団の持ち主が変わると、温もりの扱われ方も変わってしまう」という事実です。在宅では、ズボラな家もあれば、とことん手を掛ける家もある。その差は確かに大きいけれど、少なくとも、布団の状態に責任を持つ人の顔が見えます。特養では、その責任が施設と業者の間に分散され、現場の職員と家族は、その外側から状況を眺めるしかない場面が増えていきます。
この、目には見え難いけれど決定的な差が、夏の虫の温床や冬の冷えとして、マットレスの中に静かに溜まっていくことになります。次の章では、その「溜まり方」の具体的な姿を、季節ごとの風景とともに追いかけていきます。
第2章…マットレスに溜まる湿気の正体~夏の虫と冬の冷えはこうして生まれる~
在宅でも特養でも、「マットレスの中で何が起きているか」を実際に見たことがある人は、そう多くありません。見えるのはシーツの表面までで、その下でゆっくりと時間をかけて溜まっていくものは、ほとんど想像に任されているのが現実です。けれど、シーツを全部剥がし、鼻と手と目を総動員して確かめてみると、そこには季節ごとに違う顔をした「湿気の溜まり場」が広がっています。
まず、梅雨から夏にかけてのマットレスを想像してみてください。湿度は高く、部屋の窓を開ければ外からは蚊や小さな羽虫がふわふわ入り込んできます。古い造りの施設では、ベランダや庭と居室の床の高さがほとんど変わらず、サッシの隙間や床の小さな段差から、ムカデやゴキブリ、ネズミまで侵入できてしまうこともあります。そんな環境で、失禁のある高齢者が毎晩同じ場所に寝ているとどうなるでしょうか。
おむつから漏れた少量の尿は、防水シーツや吸水パッドでだいぶ受け止められます。それでも完全にゼロにはならず、汗と混ざりながら、少しずつマットレスの中へ沁み込んでいきます。表面が乾いたように見えても、スポンジ状の内部には水分が残り、そこに体温で温められた温い空気がこもります。ダニやカビ、細菌にとっては、これ以上ないくらい快適な棲家です。シーツを剥がした時に、なんとなくムッとした匂いが立ち昇るのは、その「気配」が外に漏れてきた証拠でもあります。
夏の夜、エアコンや扇風機で部屋の空気を冷やしても除湿しても、マットレスの内部まではなかなか届きません。利用者さんの肌は、一番下にあるマットレスからの湿った暖かさと、上から掛けられた掛け布団の熱を同時に受け取っています。痒みや湿疹が増えたり、夜中に何度も寝返りを打ったりする背景には、こうした「見えない環境」が静かに影響していることがあります。本人はただ「何だか寝苦しい」「痒い」と訴えるだけで、マットレスの中を直接見ることは出来ません。
一方で、冬のマットレスはまったく別の顔を見せます。空気は乾燥しているはずなのに、失禁や汗の歴史を抱えたマットレスは、触るとどこかじっとりと冷たさを含んでいます。表面のシーツは洗いたてで真っ白でも、その下の中身には、乾いた尿や汗の成分、皮膚の粉、埃、繊維くずなどが混ざり合った層が、薄く、しかし確実に積み重なっています。シーツ交換のたびに全部剥がし、ベッドの周りを箒ではいた時、パラパラと目に見える粉が落ちてくるあの光景を覚えている人もいるでしょう。その粉は、ほとんどが、そこに寝ていた人の身体からこぼれ落ちた「生活の欠片」です。
冬場は窓を閉め切り、換気も最小限になりがちです。失禁があった日には、防水シーツの上から新しいシーツを掛け直し、「はい、綺麗になりました」と次の仕事に向かわざるを得ない場面も多くあります。しかし、湿り気を含んだマットレスは、見えないところでジワジワと冷たさを蓄えています。その上に薄いシーツを1枚はっただけでは、利用者さんの背中や腰、お尻、足元に伝わる冷気は消えてくれません。むしろ、布団で上から蓋をしてしまうことで、冷たさが内側に閉じ込められ、長時間にわたって体温を奪い続けることもあります。
ここで怖いのは、「冷たい」という自覚が本人からはあまり出てこない点です。高齢になると、温度を感じる力も、体調の変化を言葉にする力も、少しずつ落ちていきます。「よく眠れなかった」「なんとなく怠い」「風邪を引いたみたいだ」といったサインの裏側に、冷えたマットレスがあると気づける人は多くありません。職員の側も、忙しさの中で手の平をマットレスにそっとあて、「あれ、この冷たさはちょっとおかしいな」と立ち止まれる余裕を失いがちです。
夏は「虫」と「湿気」、冬は「冷え」と「粉塵」。季節ごとに主役は違って見えますが、その根っこにあるのは、どちらも「マットレスの中にたまった湿気と汚れ」です。昼夜を問わず失禁が続くフロアでは、その蓄積のスピードは在宅とは比べものになりません。しかも、在宅と違って、マットレスをベランダに運び出して天日干しをすることも、家族が好きなタイミングで買い替えることも出来ません。
こうして、特養のマットレスは、表面だけ定期的に綺麗になりながら、中身だけが年単位で「湿気と冷えの歴史」を背負っていきます。利用者さんは、その歴史の上に毎日身体を横たえ、夏には虫とカビの気配を、冬には底冷えを、静かに受け続けることになります。日々のバイタルチェックや服薬管理に比べると、どうしても優先順位が下がってしまうこの「寝床の環境」が、体調不良や感染の影の主役になっているかもしれないという視点は、もっと語られていいはずです。
次の章では、この現実を前にした時、現場の善意がどうやって押しつぶされ、「見て見ぬふり」の小さな悪さに変わっていくのかを、30年前の記憶と現在の状況を重ねながら考えていきます。
第3章…善意を殺して小悪党になる瞬間~見て見ぬフリが病人を増やす~
マットレスの中で何が起きているのかを知れば知るほど、「だったらちゃんと対処すればいいだけの話じゃないか」と思いたくなります。ところが、現場に立ってみると、それがどれほど難しいことかにすぐ気づきます。ここには、「誰も悪人ではないのに、結果だけ見るとひどいことになっている」という、介護の厄介な構図が隠れています。
シーツ交換の場面を思い出してみましょう。ラバーシーツとシーツを剥がし、掛け布団のカバーも外し、汚れ物を手際よくまとめていく。そうして素のマットレスが顔を出した瞬間、フワッと鼻に届く臭い、薄っすらとした黄ばみ、手の平に伝わるヒヤリとした感触。介護士は、本当はそれを一番近くで感じ取っています。「ああ、またここもだいぶきてるな」と、心のどこかで思っています。
ところが、その場で出来ることには限りがあります。目の前には、まだシーツ交換を待っているベッドがズラリと並んでいます。1フロアに30人、夜勤は1人、日中だって人手が足りず、時間は常に押し気味です。「このマットレスは交換ラインだ」と気づいても、今すぐ新しいものを持ってくる権限も時間もありません。看護師に伝えても、「また後で相談しましょう」と棚に上げられることもあります。施設長に話を上げようとして、「そんなに簡単には替えられないよ」とため息をつかれた経験がある人もいるでしょう。
そうやって何度か「言っても動かない」体験を繰り返すうちに、人の心には小さな防衛本能が芽生えます。次にマットレスの黄ばみと臭いを感じた時、「これは問題だ」と真正面から受け止めるのではなく、「まあ、防水シーツがあるし」「ラバーシーツもしているから」と、自分の中で理由を付けて押し戻すようになります。善意そのものが消えるわけではありません。ただ、善意を発動させると自分がつらくなるので、見えないところにそっとしまい込む癖がついていくのです。
30年前の古い施設では、シーツを全部、剥がした後、ベッドの周りを箒で掃き、その後、掃除機を掛ける、という流れが当たり前のようにありました。床に落ちる粉の多さにギョッとしながらも、「やっぱりこんなに出るんだな」と実感できる時間がありました。今はどうでしょうか。清掃は専門のパートさんに任され、介護士はシーツ交換とケアだけ、床やベッド下は別担当。時間制で動くパートさんも、丁寧にやりたい気持ちはあっても、1つ1つのベッドの歴史まで追い駆けている余裕はありません。仕事が細かく分断されるほど、「全体の責任」を引き受ける人は見え難くなっていきます。
忙しさと分業化、そして「お金の話」も、善意を押し潰す大きな要因です。マットレスの交換には、当然ながら費用がかかります。リース契約の本数を増やせば、その分、施設の支出が増えます。「まだ使える」と判断した方が帳簿上は楽です。加えて、特養では医療費や受診の付き添いの負担が家族側に大きく被さる仕組みもあり、施設側にとっては、体調を崩した利用者が外来受診や入院になっても、「ベッドの空きが出来た」「ショートステイに回せる」といった、別の意味でのメリットが生まれてしまう場面もあります。
こうした構造の中で、「冷たいマットレスが原因かもしれない」という視点は、誰の頭の中でも二の次、三の次に押しやられていきます。現場職員も、本当は分かっています。失禁が続く人ほど風邪を拗らせやすいこと、いつも同じベッドの人ばかり皮膚トラブルを起こすこと、冬になると特定の部屋の利用者が次々に体調を崩すこと。けれど、その全てを「マットレスのせいだ」と口にしてしまえば、自分たちが守ってきた日常そのものを疑うことになってしまいます。
そこで、人は「気づかないフリ」という、小さな悪さを覚えます。マットレスに手を置いた時の冷たさを、深追いしない。臭いを感じても、「このくらいなら」と心の中で線引きをして通り過ぎる。申し送り帳に一行書けば済む場面でも、「今は忙しいから、また今度にしよう」とペンを置く。その積み重ねの先に、「病人を増やすベッド」が、静かに量産されていきます。
ここで強調しておきたいのは、「だから現場はダメだ」「介護士が悪い」と責めたいわけではないということです。むしろ逆で、善意を持って入ってきた人の心が、忙しさと構造の壁に押し潰されていく過程をきちんと言葉にしておかないと、いつまでも同じことが繰り返されるという危機感です。善意を殺して“小悪党”になる瞬間を見逃さず、「あ、今、自分は見て見ぬふりを選ぼうとしているな」と気づけるかどうかが、介護の質の分かれ道になるのではないでしょうか。
次の章では、この重たい現実を前にしても、今日からできる小さな工夫や、構造そのものを少しずつ変えていくための具体的なアイデアを整理していきます。櫓コタツや布団乾燥機、そして「足元30センチ」の発想が、どのようにして冷えと湿気と向き合う味方になり得るのかを、一緒に考えていきましょう。
第4章…干さない時代の現実的な解決策~布団乾燥機と足元30センチの新提案~
ここまで読んでくださった方は、「じゃあ、いったいどうしたらいいのか」という気持ちになっているかもしれません。マットレスの中で湿気と冷えが溜まっていく現実を知ってしまうと、ただの愚痴で終わらせるわけにはいきません。かといって、全ての特養で毎日マットレスを天日干しに、というのも現実的ではありません。干し難い時代だからこそ、機械や道具の力を借りながら、今ある条件の中でできる工夫を積み上げていく必要があります。
最初に押さえておきたいのは、「マットレスは必ず剥いで、見て、触る」という基本です。シーツ交換のたびに、ラバーシーツや防水シーツを含めて、一度は全部剥がして素のマットレスを出す。そして、色と臭いを確認し、手の平で表面と角を撫でて冷たさや湿り具合を確かめる。ここで大事なのは、使い捨てのプラスチックグローブ越しではなく、素手に近い感覚で触ってみることです。冷えやしめりは、指先の感覚に一番正直に伝わってきます。失禁があった日には、防水シーツが表面で受け止めているように見えても、可能であれば一度は剥いで交換する。この「ひと手間」を徹底するだけでも、マットレスの状態を放置し続けるリスクはグッと減っていきます。
とはいえ、どれだけ観察しても、マットレスそのものを外に運び出して干すことは簡単ではありません。そこで頼りになるのが、布団乾燥機の力です。布団乾燥機は、布団やマットレスの中に温風を送り込み、内部の湿気を飛ばすための道具です。昔の櫓コタツのように人が中に入って温まるのではなく、「布団だけをコタツに入れてあげる」ようなイメージに近い存在です。設定温度は高めで、一定時間、人は入らない前提で運転するからこそ、カビやダニへの抑制効果も期待できます。ここを誤解すると危険ですが、「人が入るコタツ」と「寝具を整える機械」は、そもそも別物として使い分ける必要があることです。
失禁が常の人の場合は、夜間の温もりをどう確保するかも大きな課題になります。ここで櫓コタツ的な仕組みと布団乾燥機を組み合わせる発想が役に立ちます。寝ている間は、櫓コタツや湯たんぽ、足元用の電気敷きマットで「人のいる空間」をじんわり温め、利用者が起きてから布団乾燥機を差し込んでマットレスと布団の内側を徹底的に乾かす。無理やり全ての人に強要するのではなく、「どうしても冷えやすい人」「失禁が続いている人」から優先して、このセット運用を検討していくと現実的です。布団乾燥機の温風で、マットレスの一部が少し焦げるくらいのことがあっても(焦げないですけど万が一ね)、それが足先からさらに30センチ先の位置で起きているように出来るなら、利用者の身体への危険性は大きく変わって安心できます。
つまり、浮かび上がってくるのが、「介護ベッドは足元にあと30センチ長さが必要なのではないか?」という発想です。今のベッドは、マットレスの長さとフレームの長さがほとんど同じで、足を伸ばせばすぐにフットボードに触れてしまいます。そこに湯たんぽや電気敷き毛布、櫓コタツ的な熱源を置けば、どうしても足が触れる位置に近づき、低温火傷や事故のリスクが高まります。けれど、ベッドのフレームだけを足元側に30センチほど延長し、その部分には人が横たわらない前提で「熱源専用スペース」として設計したらどうでしょうか。利用者の足は従来通りの位置に留まり、その向こう側に、湯たんぽや足元マット、櫓コタツの熱源、布団乾燥機のホースの出口などを集めて配置できるようになります。
この30センチは、単に背の高い人のための延長ではありません。失禁のある高齢者に、安心して冬の温もりを届けるための「安全距離」です。人が触れない位置に熱源を置けるからこそ、「少し焦げたら大変だ」と怖がって何も使わない極端な選択ではなく、「安全な場所で、適切な道具を、適切な温度で使う」という中庸が目指せます。さらに、足元の余白は、おむつ交換のときに清潔なパッドやバスタオルを一時的に広げておく場所としても役立ちます。道具を床に直接置かなくてよくなるだけで、介助のしやすさも衛生面も少しずつ改善されていきます。もちろん、ベッド枠からせり出して邪魔になることもあるエアマットのコントロールパネルの設置場所としても有効化され、解消されるかもしれません。
現時点で市販されている介護ベッドの多くは、こうした構造を前提に作られていません。既存の規格や契約の枠の中で、いきなり「足元30センチの延長を標準に」と求めるのは簡単ではないでしょう。それでも、「人が寝る部分だけでベッドを設計するコンパクト設計の時代は終わりつつあるのではないか」という問いを投げ掛けることには意味があります。これからの介護ベッドには、「人の身体が乗るエリア」と「熱源や道具を安全に置くエリア」という二つの機能を持たせる必要があるのだ、と提案していくことが、未来の標準を育てていく一歩になります。
干し難い時代に、干さなくても済む布団なんてありません。人の身体から出る汗や尿と、部屋の湿気と、季節ごとの温度変化。その全てを受け止めているのがマットレスと布団です。だからこそ、布団乾燥機のような機械の力と、櫓コタツや湯たんぽのような古くからの知恵、そして足元30センチのような新しい発想を組み合わせながら、「冷たくて湿った寝床」を「安心して眠れる温もりの場所」に近づけていく工夫が必要になります。次の「まとめ」では、ここまでの話をもう一度振り返りながら、在宅と特養のどちらにも共通する「温もりを守る視点」を整理していきます。
[広告]まとめ…「病人製造ベッド」を「温もり製造ベッド」に替えるために出来ること
団地のベランダいっぱいに布団が並んでいた風景を思い出す時、そこには「この布団で家族が眠る」という、とても個人的な気持ちが重なっていました。手すりを拭き、布団を干し、パンパンとはたき、取り込む時にもまたひと仕事。あの手間は面倒そのものでもありましたが、同時に「この人に気持ち良く眠って欲しい」という願いの塊でもありました。
在宅の介護では、その感覚は今もどこかに残っています。特殊寝台を借りていても、上にどんなマットレスや掛け布団を使うか決めるのは家族であり、「そろそろ臭いが気になる」「そろそろ替え時かな」と判断して動くのも、やはり家の中の人たちです。手を掛ける家と、ほとんど何もしない家との間に大きな差は生まれますが、それでも「この布団の持ち主は誰か」が、はっきり見える世界です。
特養に入った瞬間、その構図は静かに変わります。ベッドもマットレスも、シーツも毛布も、ひとまとめに「施設の備品」となり、利用者はそれを使わせてもらう側に回ります。現場でマットレスの冷たさや臭いを一番感じている介護士にも、簡単には入れ替えを決められない事情があります。業者との契約、コスト、防炎性能、感染対策。様々な条件が幾重にも重なり、「気になるけれど、今は動けない」という葛藤が積み重なっていきます。
その間も、マットレスの中では季節ごとの物語が進んでいきます。梅雨から夏にかけては、失禁と汗と湿気が混ざり合い、ダニやカビ、虫たちにとって居心地のよい空間が育っていきます。冬になると、長年の汚れや湿り気を抱えたマットレスが、見た目は綺麗なシーツの下でジワジワと底冷えを生み出します。背中や腰、お尻や足先から奪われていく熱は、風邪や体調不良、皮膚トラブルの影の主役になっているかもしれません。それでも忙しさと分業化、費用の事情が重なり、「見て見ぬふり」という小さな悪さを覚えてしまう場面は、残念ながら少なくありません。
だからといって、「現場が悪い」「施設が冷たい」と切り捨ててしまえば、ただの告発で終わってしまいます。この文章で目指したかったのは、「干さない時代に、どうやってマットレスと向き合うか」を、在宅と特養の両方から具体的に考え直すことでした。マットレスは必ず剥いで、見て、触って状態を確かめること。失禁が続く人には、防水シーツを単なるお守りではなく、きちんと管理する道具として扱うこと。そして、天日干しの代わりに、布団乾燥機という機械の力を借りて、内部の湿気を意識的に飛ばしていくこと。
さらにもう一歩踏み込んだ提案として、「介護ベッドの足元にあと30センチの余白を」という話もしました。これは、ただ長いベッドが欲しいという話ではありません。櫓コタツや湯たんぽ、足元用の電気マット、布団乾燥機の温風など、さまざまな熱源を「人の足先から少し離れた場所」に安全に置くための距離です。人が横たわるエリアと、熱源や道具を置くエリアを分けることで、失禁がある高齢者にも冬の温かさを届けやすくなりますし、介助の時に清潔なタオルやおむつを一時的に広げておける「作業スペース」にもなります。
干し難い住まいが増え、布団を外に出すことが難しくなった現代だからこそ、「寝床の環境」に目を向けることはますます大切になっています。どんなに栄養や薬に気を配っても、毎晩冷たく湿ったマットレスに身体を預けていれば、体調を崩しやすくなるのは当然です。逆に言えば、マットレスと布団の状態を少し良くするだけで、体の底から楽になる人がたくさんいるかもしれません。
「介護=病人を増やす仕組み」ではなく、「介護=温もりを生む仕組み」であって欲しい。そんな当たり前の願いを実現するために、まずは目の前の一枚のマットレスから、そっと手の平を当ててみるところから始めてみませんか。冷たさや臭いに気づいてしまったら、それをただ飲み込むのではなく、仲間と共有し、出来る範囲の工夫を一つずつ積み上げていく。その先に、「病人製造ベッド」から「温もり製造ベッド」へと、静かに変わっていく未来が見えてくるはずです。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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