啓蟄って何?土の下がざわつく3月の春支度と虫たち入門

[ 3月の記事 ]

はじめに…冬眠組の「起床ベル」が鳴る季節です

3月の空って、ちょっと気まぐれですよね。朝は「まだ冬じゃん…」と肩をすくめる寒さなのに、昼になると「え、春きた?」みたいな顔をして日差しがぬくっとしてくる。コートを着た自分と、マフラーを外した自分が、同じ日に共存する季節です。

そんな“冬と春の綱引き”のちょうど真ん中辺りにやってくるのが、二十四節気の1つ「啓蟄(けいちつ)」。字面が強い。もう、漢字だけで虫がザワザワしはじめそうです。

啓は「ひらく」。蟄は「土の中などにこもる」。つまり啓蟄は、「こもっていたものが、扉をひらいて出てくる頃」という合図なんですね。昔の人は、気温や風の匂い、土の具合、草木の気配を見て、「あ、そろそろ地面の下が起きるぞ」と分かっていた。天気予報もアプリもないのに、精度が高い。もうそれだけで、昔の人に一礼したくなります。

ただ、ここで1つ正直に言いたいのは、「虫が出てくる」と言われても、私たちの多くはこう思いますよね。
「いや、まだ寒いけど?虫、出るの早くない?」
分かります。私も同じ気持ちです。啓蟄は“春の確定宣言”というより、“春の準備開始の号令”に近いんです。土が緩んで、雨が増えて、日差しが少しずつ強くなって、やっと虫たちが「……え?起きる時間?」と目をこする感じ。起床はしたけど、まだ布団から出きれてない、あのテンポです。

そして面白いのが、啓蟄は虫だけの話では終わらないところ。昔からこの頃には、松の木に巻いた藁の“腹巻き”を外す「菰(こも)はずし」みたいな風習もあって、人間側も虫との駆け引きを始めます。春って、のどかに見えて意外とバチバチなんですよね。

この記事では、啓蟄がどんな期間を指すのか、どんな天候になりやすいのか、そして「結局どんな虫がいるの?」という素朴な疑問まで、優しく楽しく眺めていきます。読んだ後に外を歩くと、まだ何も見えない地面が、ちょっとだけ“にぎやかに見える”ようになるはずです。

【2026年の啓蟄は3月5日~3月19日】

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第1章…二十四節気の啓蟄は「土の扉が開く合図」だった

啓蟄(けいちつ)と聞くと、「春になった!虫が出てきた!」と元気よく言いたくなるのですが、現実の空気はまだまだ手強いです。朝は息が白い日もありますし、地域によっては雪が降って「え、啓蟄さん?今どこにいるの?」と問いかけたくなることもあります。けれど、啓蟄は“今この瞬間に春が確定した”という宣言ではなく、「春が動き出す準備が整ってきた」という合図なんですね。

字の意味はとても分かりやすくて、啓は「ひらく」、蟄は「こもる」。冬の間、土の中や落ち葉の下、木の隙間などでじっとしていた小さな生き物たちが、少しずつ外に向かう頃合いを表しています。昔の人は、気温の数字より先に、土の匂い、日差しの角度、雨の増え方、草木の芽の膨らみを見て「そろそろ起きるぞ」と感じ取っていたわけで、観察力がプロ中のプロです。私たちがスマホで天気を見て「ふむふむ」と言うのに対して、昔の人は地面を見て「ふむふむ」だった。格好良い。

啓蟄は「二十四節気」という暦の仕組みの中の1つで、1年をざっくり24の季節の目安に区切ったものです。啓蟄はその中でも、だいたい3月上旬から春分の手前辺りに置かれます。さらに細かく見ていくと「七十二候(しちじゅうにこう)」という、3つに分けて季節の変化を言葉で切り取る仕組みもあって、ここがまた情緒の宝箱なんです。

最初は「蟄虫啓戸(すごもりむし とをひらく)」。文字通り、籠っていた虫が戸をひらく頃。次が「桃始笑(もも はじめて さく)」。桃の花がほころぶ頃で、“笑う”という字を使うのが何ともニクい演出です。最後が「菜虫化蝶(なむし ちょうとなる)」。菜っ葉を食べる虫が、蝶へと姿を変える頃。虫が出てきて、花が笑って、虫が蝶になる。短い期間の中に、春のストーリーがギュッと詰まっています。

ここで1つ、啓蟄の面白さは「虫だけの話じゃない」ところです。虫が動き出すということは、裏返すと「人間も動き出さないといけない」ということでもあります。昔の暮らしでは、虫の発生はそのまま農作物への影響に繋がりました。だからこそ、啓蟄には「そろそろ畑も本格的に始めよう」「虫の気配もよく見よう」という、春の“仕事スイッチ”みたいな意味合いも重なっていったんですね。春はぽかぽかのんびり、という顔をしながら、実は生活の現場ではスタートダッシュの季節でもあります。

そして、啓蟄を語る時に外せないのが「桃」の存在です。桃の節句のイメージもありますが、昔から桃は香りや見た目の華やかさで特別扱いされてきました。春の入り口で桃が話題に登場するのは、ただ花が咲くからだけではなく、「春が来たぞ」と感じさせる象徴でもあったのだと思います。今だと、梅や桜に目が行きがちですが、桃の花が一斉に咲く景色は、本当に“別世界の明るさ”があります。もし近くに桃畑のある地域があるなら、啓蟄の頃に少し足を延ばしてみるのも、季節の勉強が一気に体験になります。

つまり啓蟄は、「虫が出る日」という単純な話ではなく、土の中の生命が目覚め、花がほころび、暮らしのエンジンが掛かり始める“春の点火式”みたいなもの。まだ寒さが残っていても、目に見えないところでスイッチが入っている。そう思って外を見ると、地面がちょっとだけ賑やかに見えてくるから不思議です。


第2章…啓蟄の空はご機嫌ナナメ?~三寒四温でコートが迷子になる日々~

啓蟄の頃の空は、とにかく落ち着きがありません。昨日はぽかぽかで上着を手に持って歩いたのに、今日は風が冷たくて「やっぱ冬の続きじゃん…」となる。三寒四温という言葉がピッタリで、気温が上がる日も増えるのですが、その分、寒暖の入れ替わりが激しく、天気も変わりやすくなります。

晴れていたと思ったら急に曇り、そして雨。雨が降ると地面がしっとりして、土が少し柔らかくなります。ここが実は大事で、土が乾ききって固いままだと、地中にいた小さな生き物たちは外へ出るのに一苦労なんですね。啓蟄の雨は、虫たちにとっては「起きていいよ、出口は開けといたよ」と言われているようなものかもしれません。人間にとっては洗濯物が悩ましいですが、地面にとっては“春のストレッチ”みたいな時間です。

そして、この季節を語るなら、是非、登場して欲しいのが「菰(こも)はずし」です。菰というのは藁で編んだ敷物のようなもので、冬の間、松の幹にぐるっと巻かれている姿を見たことがある方もいるかもしれません。見た目は完全に“松の腹巻き”。松だって冷えるんだなぁ、と思いたくなるのですが、目的は防寒というより害虫対策の意味合いが強いとされています。

昔からの考え方では、冬の間に松につく害虫を菰の中に集めておき、啓蟄の頃に菰を外してまとめて処理する、という知恵がありました。いわば「虫よ、こっちの部屋に集合してね」と誘導しておいて、春のスタートで一気に退場してもらう作戦です。人間側も本気です。啓蟄が“虫の開幕”なら、菰はずしは“人間の迎撃開始”と言っても良いくらいです。

ただ、ここがまた現代らしい話で、近年では「思ったほど害虫が入っていない」「むしろ松にとって大事な虫まで巻き込んでしまう」といった理由で、菰はずしを行わない地域も増えています。自然の世界って、善玉・悪玉を人間の都合で分けたくなるけれど、実際はもっと複雑なんですよね。松を守るつもりが、松の味方を減らしてしまうこともある。そう考えると、菰はずしは“伝統行事”であると同時に、「自然の仕組みをどう理解して付き合うか」という学びの場でもあるんだと思います。

それでも、行事として続いている地域では、季節が一歩進んだことを目で見て実感できる貴重な機会です。暦の言葉だけだと「ふーん」で終わりがちですが、松の腹巻きが外されると、「あ、ほんとに冬が片付けに入ったんだ」と分かります。人間の暮らしの側でも、冬の片付けと春の準備が始まるわけですね。

啓蟄の“どんな日か”をまとめるなら、虫が動きやすくなるために土が整い、花がほころぶ準備が進み、人間も虫も同じ地面の上で新しい季節に向けて動き出す日、という感じでしょうか。春はのんびりに見えて、実は舞台裏が大忙し。空も地面も生き物も、皆で「よし、そろそろ行くか」と袖をまくっている。そんな季節の入り口が啓蟄なんです。


第3章…松の腹巻きを外す儀式「菰はずし」~虫との知恵比べが始まる~

啓蟄と聞くと、つい「虫が土からニョキッ!」という絵を思い浮かべますよね。けれど実際のところ、啓蟄の虫たちは“全員一斉に起床”というより、「おはよう…まだ布団の端っこ…」みたいな、緩やかな目覚め方をします。日当たり、雨の後、風の冷たさ、地面の湿り具合で、起きるタイミングがズレる。虫の世界も、けっこう個人差(個虫差?)があるんです。

啓蟄の頃に動き出す代表選手は、やっぱりチョウやガの仲間です。七十二候の「菜虫化蝶(なむし ちょうとなる)」という言葉があるくらいですから、昔の人も「青虫が蝶になる」という変化を、春の象徴として見つめていたのでしょう。畑や庭先で、白い小さなチョウがフワッと飛んだだけで、「あ、春が仕事し始めた」と感じるのは、たぶん人類共通の感覚です。

それから、ミツバチやハナバチの仲間も、陽だまりに出てきます。花が増える季節ですから、虫たちの側も忙しくなっていきます。蜂と聞くと少し身構えてしまう方もいますが、春先の蜂は“花のチェック係”みたいに見えることもあります。こちらが騒がなければ、向こうもそこまで騒がないことが多い。もちろん油断は禁物ですが、啓蟄は「自然観察の入口」としては最高の時期です。

アリもこの頃から活動が目立ってきます。冬の間も完全に止まっているわけではないのですが、地面が緩んでくると、行列の姿が見えやすくなるんですね。テントウムシも、ふとした日に「え、こんなところに赤い宝石?」みたいな顔で登場します。虫のサイズ感なのに、色だけ主役級。反則的に可愛いです。

そして、啓蟄で面白いのが「昔の言葉の“虫”は、私たちの思う虫より範囲が広い」という点です。今の感覚だと、虫といえば昆虫を思い浮かべますが、昔はカエルやヘビ、カメのような生き物も“虫”の仲間として扱われることがありました。漢字を見ても虫へんがつく生き物がいますよね。つまり啓蟄は、「地面の下や物陰に身を潜めていた小さな生き物たちが、少しずつ動き出す季節」の合図でもあるんです。春の夕方、カエルの声が聞こえ始めたり、日なたの石の傍で小さな生き物の気配が増えたりするのは、まさに啓蟄らしい風景です。

一方で、「蟄虫啓戸(すごもりむし とをひらく)」に具体的にどの虫が含まれるのかは、はっきりした記録が残っていないと言われています。だからこそ、想像が広がるんですね。落ち葉の下にいたダンゴムシ、土の中のミミズ、枯れ草に潜んでいた小さなクモ、家の軒下でじっとしていた小さなハチやハエの仲間。虫の世界は層が厚いので、啓蟄は“主役級だけが登場する舞台”ではなく、“裏方も含めて全員が準備運動を始める日”と考えると、すごくしっくりきます。

そして、ここが人間側の現実として大事なのですが、虫が動き出すということは、当然ながら「虫との距離が近くなる」季節でもあります。農作業や庭いじりをする方にとっては、芽吹きと同時に、葉を食べる虫や作物に影響する虫も増えてくる時期です。啓蟄が「農業を本格始動しよう」という意味合いを持つ、と言われるのも納得で、春は“育てる季節”であると同時に、“守る季節”でもあるんですね。松の菰はずしがまさにそれで、虫が動くなら、人も対策を動かす。春は、長閑さと戦略が同居しています。

とはいえ、啓蟄は「虫が怖い季節」ではなく、「自然が目を覚ます季節」です。虫の気配を感じられるようになると、散歩がちょっと楽しくなります。地面の近くに春がある、という感覚が持てるからです。今日虫を見かけなくても大丈夫。啓蟄は“今まさに起床中”の合図ですから、寝ぐせのまま出てくる子もいれば、まだ布団の中でモゾモゾしている子もいます。春は、そういうところが可愛いんです。


第4章…啓蟄に目覚めるのは誰だ!?~青虫・チョウ・アリ、そして“虫扱い”された仲間たち~

啓蟄というと、どうしても虫が主役になりがちです。けれど実は、啓蟄の面白さは「虫が動く=人間も動かざるを得ない」という連動にあります。春って、ぽかぽかして気持ちはのんびりするのに、生活の現場は急に忙しくなる。まるで“春だけ時間が早送り”になるみたいな感覚、ありませんか。

冬の間は、気温が低いので、草木も虫も動きが少なめです。ところが啓蟄の頃になると、雨が増えて土が緩み、日差しが少しずつ強くなり、草木の芽が「そろそろ出ても良いですか」と顔を覗かせ始めます。すると虫たちも、「じゃあ私も…」と起きだす。ここまでは自然の流れですが、問題はその先で、虫が起きると、当然ながら人間の生活圏にも虫が戻ってきます。

庭で土をいじれば何かが動き、畑に出れば葉っぱに小さな穴が開き、ベランダの植木鉢の裏に「君、冬こんなとこにいたの?」という住民がいたりする。啓蟄は、自然が目覚める音が聞こえる季節であると同時に、人間にとっては「はい、今年も虫とのお付き合いが始まりますよ」という、ちょっと現実的なお知らせでもあるんです。

だから昔の暮らしでは、啓蟄は暦の言葉として美しいだけでなく、「そろそろ畑を本気で動かすぞ」という合図でもありました。春の種撒きや苗の準備、土作り、水の管理。そこに虫の動きも重なってくるので、のんびりしている暇があまりない。啓蟄は“春の入り口”というより、“春の現場集合”みたいなものだったのかもしれません。今で言えば、長い連休が終わった翌朝の出勤日みたいな感じです。心はまだ布団の中なのに、暦が「行くぞ」と背中を押してくる。

そして、ここで再登場するのが、2章で触れた「菰(こも)はずし」です。松の幹に巻かれた藁の“腹巻き”を外す、あの儀式。あれは単なる季節行事ではなく、「害虫対策、始めます」という宣言でもあります。虫が動き出すなら、木を守る側も動く。啓蟄は、自然と人間の知恵比べが静かに開幕する時期なんですね。

面白いのは、こうした行事や暦が、ただの“風情”で終わらず、暮らしの中の実用として根づいてきた点です。虫は可愛いだけではありません。農作物にとっては困りものになることもあるし、家の中で出会うと人間の方がびっくりしてしまう。でも、虫がいなければ花粉を運ぶ存在も減り、自然の循環が弱くなる。つまり、虫は「敵」と決めつけられる存在でもなく、「味方」と決めつけられる存在でもない。人間側の都合と、自然の仕組みの間で、毎年ほどよい落としどころを探してきた。その積み重ねが、啓蟄という季節の言葉に詰まっている気がします。

ここで、少しだけ視点を変えると、啓蟄は農業だけでなく、私たちの日常にも“本格始動”の切っ掛けをくれます。冬の間に「寒いから…」と先送りにしていたこと、ありますよね。運動、部屋の片付け、靴の手入れ、冬物の整理、生活リズムの立て直し。啓蟄は、虫だけでなく人間にも「そろそろ土から出ようか」と声を掛けてくる暦なんです。

とはいえ、啓蟄の頃の寒暖差は油断ならないので、ここで無理をすると、春のスタートで躓きます。張り切りすぎて薄着をして風邪を引く、みたいな“春あるある”は避けたいところです。啓蟄はアクセルを踏む季節ですが、急発進は禁物。虫もいきなり全速力ではなく、陽だまりからそっと始めます。私たちも同じで、まずは小さな一歩からで十分なんだと思います。

啓蟄は、「虫が出る」という一言で片付けるにはもったいない季節の合図です。土の下が動き、木が芽吹き、虫が目覚め、人もまた春の生活へギアを入れる。春は優しい顔をして、ちゃんと背中を押してくる。そんな“静かな号令”が、啓蟄なんですね。

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まとめ…春は虫も人も本格始動~土と一緒に気持ちもほぐしていこう~

啓蟄は、字の通り「閉じていたものがひらく」季節でした。冬の間、土の下や落ち葉の下でじっとしていた生き物たちが、雨でやわらかくなった地面と、少し強くなった日差しに背中を押されて、そろそろ外に出てくる頃合い。春の到着をド派手に宣言するというより、「春の準備が整ってきましたよ」という静かな点火式のような存在でしたね。

七十二候の言葉もまた、春の流れを美しく教えてくれました。虫が戸をひらき、桃の花がほころび、菜っ葉の虫が蝶へと姿を変える。ほんの短い期間の中に、自然のストーリーがちゃんと並んでいるのが面白いところです。昔の人が「春ってこう進むんだよ」と、言葉で季節をメモしてくれていたおかげで、私たちは今も春の変化を見つける目を持てるのだと思います。

そして啓蟄は、虫の話だけで終わりませんでした。松の幹に巻かれた藁の“腹巻き”を外す菰はずしのように、人間の側も虫の動きに合わせて暮らしを調整してきた歴史があります。虫が動けば、人も守りの知恵を動かす。春の景色はのどかに見えて、舞台裏は意外と戦略的。そこがまた、季節の面白さなんですよね。

ただ、ここでひねくれ者の私が、1つだけニヤリと言いたいことがあります。暦を整えて広めたのは、時の権力者でもありました。つまり啓蟄という美しい言葉の裏には、「よし、そろそろ働いてもらう季節だぞ」という現実の匂いも、ほんのり混じっていたのかもしれません。春はロマンだけで回っていない。自然の厳しさの中で、暮らしを成り立たせるための“段取り”が必要だった。そう思うと、啓蟄は詩的でありながら、かなり実務的な暦でもあったのだと分かります。

とはいえ私たち現代人にとっての啓蟄は、もっと気楽に受け取っていいはずです。「虫が出てくるから怖い」ではなく、「自然が目覚めるから面白い」。今日たまたま虫を見かけなくても大丈夫で、啓蟄は“みんなが起床中”の合図です。寝癖のまま出てくる子もいれば、まだ布団の中でモゾモゾしている子もいる。春の始まりは、そんな緩いテンポがちょうど良いんです。

啓蟄の季節に、散歩のついでに地面を少し眺めてみてください。落ち葉の影、石の隙間、日当たりのいい土の縁。そこに「春が動いている気配」が見つかると、いつもの道がちょっとだけ楽しくなります。虫が土から出るなら、私たちの心も冬眠を終えて、軽くひらいていきましょう。急に全力じゃなくて良い。まずは陽だまりから、そっと始めるくらいが、啓蟄らしくてちょうど良いのです。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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