卒業式レクは旅立つ人だけのものじゃない~高齢者施設で出来た日々を拍手に変える春の門出~

[ 介護現場の流儀 ]

はじめに…春の拍手は去る人だけのためじゃない

3月の午後、窓の向こうで風がやわらかくなり、施設の廊下にも春の気配が入り込んできます。そんな日に「卒業式をしませんか?」と声をかけると、「え、私は学校へ行っていたかしら」と笑う方がいるかもしれません。けれど、卒業は学生だけのものではありません。通う日々の中で笑顔が増えたこと、立ち上がる勇気が育ったこと、誰かと過ごす時間を楽しめるようになったこと。その一歩一歩には、ちゃんと拍手を贈る理由があります。

卒業式レクは、お別れを寂しく飾る行事ではなく、その人が歩いてきた時間を「おめでとう」に変える晴れ舞台です。

旅立つ方にも、見送る方にも、スタッフにも、「自分にもまだ楽しみな節目がある」と感じられる一日。春の一期一会を、涙だけでなく笑顔と拍手で包めたなら、施設のいつもの午後は少し特別な景色になります。

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第1章…卒業の記憶は年齢を越えて心を起こす

「卒業式」と聞いた瞬間、胸の奥から出てくる景色は十人十色です。

体育館の少し冷たい床、緊張して受け取った証書、校門の傍で風に揺れていた桜。晴れ着の袖を気にしていた方もいれば、慣れない革靴が痛くて「感動より足が限界だったわ」と笑う方もいるでしょう。集合写真では澄ました顔をしていたのに、家に帰った途端に泣いてしまった――そんな思い出も、長い月日を越えてフイに顔を出します。

高齢者施設で卒業式を行う魅力は、その人の人生に眠っていた春の記憶が、今の笑顔に繋がることです。

「私の卒業式は雪だったよ」「うちは卒業証書より、帰りにもらった紅白まんじゅうの方が楽しみでね」「はいはい、そこは正直でよろしい」

そんな会話が1つ始まれば、隣の方も、向かいの方も、自分の記憶を少しずつ持ち寄ってくれます。昔の話を競うのではなく、違う人生が同じ春の空気の中で並んでいく。正に和気藹々、会場の空気までふんわり明るくなっていきます。

そして施設で祝いたい卒業は、学校を出た日の思い出だけではありません。

杖を使いながら自分で玄関まで歩けるようになった日。最初は「行きたくない」と、うつむいていた方が、お茶の時間に友達の席を探すようになった日。機能訓練(体を動かし、生活しやすい力を保つ練習)で、昨日よりほんの少し手が伸びた日。誰かの名前を呼び、笑い合う時間が増えた日。

人は何歳になっても、「出来なかった昨日」から卒業して、新しい今日へ進むことができます。

もちろん、ご本人に「本日、めでたく卒業です」と伝えたところで、「じゃあ明日から宿題はなしね」と返されるかもしれません。そこは困ります。体操まで休まれては、スタッフの計画表が静かに泣きます。けれど、そんな冗談が返ってくるくらい心がほどけているなら、その時間はもう十分に素敵な式の始まりです。

卒業は、誰かと離れるための言葉ではなく、積み重ねてきた歩みに名前をつける言葉。今日まで頑張ってきたことを皆で見つけ、「よくここまで来ましたね」と拍手に変えることができたなら、施設の春は思い出話だけで終わりません。

見送る側の胸にも、「私も明日、少しだけやってみようかな」という芽がそっと育つのです。


第2章…証書一枚で「出来た時間」が晴れ舞台になる

卒業式らしさを一気に引き上げてくれるもの。それは、立派な舞台装置でも、高価な飾りでもありません。

名前の入った一枚の証書です。

施設で過ごす日々は、ともすると「今日は体操をした」「昼食を食べた」「無事に帰宅した」と、いつもの予定の中に溶け込んでしまいます。けれど、その方にとっては、朝きちんと着替えて出かけたことも、苦手だった運動に参加したことも、隣の席の方と笑い合えたことも、決して小さな出来事ではありません。

証書に記すのは、上手にできた結果だけでなく、その人らしく積み重ねてきた時間です。

「あなたは毎週、明るい挨拶で皆さんを元気にしてくださいました」「あなたは体操に笑顔で参加し、私たちに挑戦する姿を見せてくださいました」「あなたはお茶の時間の名司会として、会話の花を咲かせてくださいました」

こんな言葉が読まれたら、ご本人は「まあ、そんなに褒めたら、明日から出演料をいただかないとね」と照れ隠しをされるかもしれません。スタッフは一瞬ひるみます。まさかレクリエーション室に料金表が必要になるとは。けれど、その笑いの中にこそ、認められた嬉しさがフワリと滲みます。

証書を渡す場面は、無理に豪華にする必要はありません。いつも使っている部屋に春色の花を飾り、椅子を少し整え、司会がご本人の名前をゆっくり呼ぶ。音楽が小さく流れ、仲間から拍手が届く。その瞬間、日常の部屋が晴れ舞台に変わります。

大切なのは、本人を驚かせて感動させようと頑張り過ぎることではなく、ご本人の気持ちや体調に合わせることです。認知症(記憶や判断の力に変化が起き、生活に支えが必要になる状態)のある方には、急な演出が不安に繋がることもあります。「今日は皆さんでお祝いをしますよ」と先に伝えたり、席を落ち着く場所に用意したり、疲れたら途中で休めるようにしたり。臨機応変な気配りがあれば、式はグッとやさしい時間になります。

一枚の証書は、その人の人生に点数をつける紙ではなく、「あなたの頑張りを私たちは見ていました」と届ける手紙です。

花束を抱え、少し照れた顔で拍手を受ける姿を見た時、周りの利用者さんも気づきます。「私にも祝ってもらえる何かがあるかもしれない」と。誰か一人の表彰が、会場全体の明日への張り合いになる。そんな一石二鳥の春の日なら、準備に追われたスタッフも、帰り際にそっと胸を張れるはずです。

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第3章…見送る式ではなくて次の目標が生まれる式へ

卒業式の拍手を見ているのは、証書を受け取る方だけではありません。

隣の席で手をたたく方、少し離れた場所から眺めている方、送迎の時間までそっと話を聞いている方。その胸の中にも、「あの人、素敵だったね」「私も何か出来るようになるかしら」と、小さな気持ちの変化が生まれます。

施設の卒業式レクが心に残る理由は、誰か一人の門出を祝うだけで終わらないところにあります。歩く練習を続けている方には「来年は私も前まで歩いて証書を受け取りたい」という目標が生まれ、お話が苦手だった方には「今度は拍手だけでなく、お祝いの言葉を言ってみたい」という願いが育つかもしれません。

目標と聞くと、急に運動会の作戦会議のように気合いが入りそうですが、暮らしの中の目標は、もっとやさしくて良いのです。

自分でお茶の湯飲みを持つ。昼食をひと口多く味わう。春の歌を皆と一緒に歌う。送迎の車に乗る時、自分から「またね」と言う。どれも表彰台に上がるような派手さはありません。けれど、その方の毎日から見れば、立派な前進です。

卒業式の後に、スタッフが「次はどんなことを一緒に喜びましょうか?」と声をかけると、会話の空気が変わります。「私は歩くのは無理よ」と言っていた方が、「でも、歌なら負けないわよ」と意気揚々。体操中は少し控えめだった方が、「証書に書いてもらうなら、朝の挨拶くらい頑張ろうかな」とポツリ。いや、それはもう挨拶係の採用面接を始めたくなる頼もしさです。

こうした変化は、無理に競争を作ることとは違います。リハビリテーション(心身の力を生かし、生活を取り戻していく支援)もレクリエーションも、誰かと比べて勝つためではなく、自分の昨日より少し気持ちよく過ごすためのものです。式を見た方が、自分なりの小さな目標を持てたなら、その拍手はもう次の日の力になっています。

祝われる人の笑顔は、見ていた人の心にも「私にも出来ることがある」という灯りをともします。

もちろん、思うように進まない日もあります。歩こうと思ったのに足が重い日、歌う気分になれない日、折角、立てた目標を「今日はやめとく」と布団に預けたくなる日。そんな時に必要なのは、がっかりした顔ではなく、「今日は休憩の日ですね。では、お茶の味見係をお願いします」と笑って受け止める余裕です。三寒四温の春のように、人の元気にも行ったり来たりがあります。

卒業式は、「もう来なくて良い人」を送り出すための式ではありません。通い続ける方にも、支えるスタッフにも、明日を楽しみにする理由を手渡す日です。誰かの達成を皆で喜びながら、それぞれの胸に次の一歩を育てていく。そんな式なら、拍手が終わった後の施設にも、明るい春の風が長く残ります。


第4章…戻ってきても続けてもいい門出の作り方

卒業式という名前には、少しだけ緊張が混じります。

「卒業したら、もう来られないの?」「私はまだ卒業なんてしないわよ。お昼ご飯が楽しみなんだから」

そんな声が上がったら、スタッフは笑って答えたいところです。「大丈夫です。こちらの卒業式は、追い出す式ではありません」と。

高齢者施設で行う卒業式レクは、利用を終える方だけの行事にしなくても良いのです。長く続けた体操への拍手、病気の後に戻ってこられた喜び、新しく仲間に声をかけられるようになった記念。卒業という言葉を、別れの札ではなく、人生の節目に結ぶ晴れやかなリボンとして使えば、参加する方の不安もやわらぎます。

もちろん、実際に通所を終える方や、別の暮らしへ移る方を見送る日もあります。そんな時ほど、式の言葉は丁寧に選びたいものです。「もう大丈夫ですね」と決めつけるのではなく、「これまでご一緒できた時間を嬉しく思います」「新しい毎日にも、あなたらしい笑顔がありますように」と届ける。体や暮らしの状況は変わっても、ここで築いた縁まで消えるわけではありません。

門出を祝うとは、行き先を決めることではなく、その人が選ぶ明日を笑顔で応援することです。

卒業証書を渡した後には、ご本人が安心できるひと言も添えたいものです。

「近くに来たら、また顔を見せてくださいね」「行事の日には、ご家族と遊びに来てください」「また会ったら、今日の写真を見ながら笑いましょう」

この言葉があるだけで、卒業式は「さようなら」の場ではなくなります。人生の道の途中に、いつでも思い出せる休憩所が1つ増えるようなものです。去る側も見送る側も、名残惜しさを抱えながら、どこか晴れ晴れと席を立てます。

通い続ける方を祝う場合も同じです。「卒業」と言いながら翌週も普通に来られるとなると、「先生、卒業したはずなのに出席簿に名前があります」と小学校なら軽い事件ですが、施設なら大歓迎です。証書を受け取った翌日に「昨日は主役だったから、今日はお茶を濃いめにしてね」なんて注文が飛んできたら、式は大成功。ご本人の中に、祝われた嬉しさと、ここで過ごす楽しさがきちんと残っている証拠です。

また、式を開く時には、本人の希望を置き去りにしないことも大切です。人前で褒められるのが嬉しい方もいれば、注目が集まると落ち着かない方もいます。盛大な入場が似合う方には拍手をたっぷりと、静かな時間を好む方には少人数でカードと花をそっと渡す。千差万別の喜び方に合わせてこそ、祝いの時間はその人らしいものになります。

スタッフにとっても、卒業式は日々の支援を見つめるあたたかな機会です。送迎の車で交わした挨拶、お風呂上がりの笑い声、食事を囲んでこぼれた昔話。何気なく過ぎていた時間が、式の日には1つ1つ大切な宝物だったと気づかされます。仕事の忙しさに追われる日ほど、その発見は胸に沁みるものです。

笑って送り出し、笑って迎え直せる場所。通い続ける方には、次の楽しみを見つけられる場所。そんな和顔愛語(穏やかな表情とやさしい言葉で人に接すること)の空気が育つなら、卒業式レクは春の行事を越えて、施設そのものの魅力になります。

「卒業、おめでとうございます。ところで来週の桜餅の会、席を取っておきますね」

そんな少しおかしな送り出し方があっても良いでしょう。旅立ちに拍手を贈りながら、戻れる扉もちゃんと開けておく。そのやさしい余白が、利用者さんにも家族にも、スタッフにも、心地よい春を運んでくれるのです。

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まとめ…また明日へ向かう人に拍手を贈ろう

卒業式レクの日、証書を受け取った方の笑顔は、きっと会場にいた皆さんの心に残ります。

「こんな年になって卒業式だなんて」と照れながら、花を大事そうに抱える姿。隣で拍手をしていた方が、帰り支度の途中に「私も次は歌を頑張ってみようかね」と、呟く姿。忙しく動いていたスタッフが、片づけながら「今日は、やって良かったなあ」と小さく笑う姿。

そのどれもが、卒業式レクの立派な答えです。

高齢者施設での卒業は、通う日を終える方だけに贈る言葉ではありません。昨日より笑えたこと、自分から挨拶できたこと、誰かの応援に手をたたけたこと。暮らしの中に生まれた小さな節目を見つけて、「よく頑張りましたね」と皆で喜ぶ日にも出来ます。

誰かの歩みに拍手を贈れる場所は、見ている人の明日まで明るくしてくれます。

式が終わったからといって、物語まで終わるわけではありません。次の行事を楽しみに通う方もいれば、新しい暮らしへ進む方もいるでしょう。少し休んで、また笑顔を見せに来てくださる方もいるかもしれません。どの道を選んでも、「ここで過ごした時間は嬉しかったですよ」と送り出してもらえた記憶は、心の中でそっと支えになります。

そして、決めゼリフを1つだけ。

「笑う門には福来る」です。

拍手の中で笑った日があれば、春の先にある毎日も、どこか前途洋々(これから先が明るく開けていること)に見えてきます。卒業証書を受け取った方も、見送った方も、準備に走り回ったスタッフも、明日にはまたいつもの席へ戻るでしょう。

そこで誰かが言うのです。

「ところで、次に卒業するなら何からにする? 体操のさぼり癖?」

「それはまだ留年でお願いします」

そんな笑い声まで響いたなら、卒業式レクは大成功。人生の節目は、泣いて送り出すだけでなく、笑って次の楽しみに結び直すことも出来るのです。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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