昭和の日は昔話にお茶を添えて~思い出と今をつなぐ心のほっこり回想法~

[ 4月の記事 ]

はじめに…記憶はノートに書けないけど湯気とおしゃべりの中にふわっとよみがえる

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昭和の日と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか。

「祝日だし、お休みだし、まぁ嬉しいよね〜」くらいに思っているあなた。

その油断、見逃しませんよ。

実はこの日、時空の扉がこっそり開いているってウワサ、ご存じですか?

その扉の向こうには、タイル張りの台所、コタツにみかん、ラップのカシャ音とともに現れる謎のアルミホイルおにぎり…そんな“ザ・昭和”の世界が広がっています。

でも昭和は、ただの昔話じゃありません。

記憶と匂いと味がちゃんとつながっていて、今の私たちの中にまだ息づいているんです。

それを思い出すには、難しい勉強や長ったらしい説明はいりません。

新茶でもいれましょうか。ちょっといい和菓子も用意して。

あとは、おしゃべりがぽつり、ぽつりと始まれば、それだけで十分なんです。

今日は、そんな「やさしい時間」を旅してみましょう🩷。

昭和を懐かしみながら、でもちゃんと**“いま”を生きる活力**になるような、ちょっといいお話。

さぁ、あなたもお茶うけ片手に、昭和の回想旅行へどうぞ。

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第1章…お茶が一杯で会話が三杯で…昭和は“井戸端の魔法”でできていた


誰かが「お茶にする?」と言うと、なぜかみんな自然に集まってきたものです。

畳の部屋でちゃぶ台を囲んで、座布団に足を絡ませながら、「あら、あなた来てたの〜」なんてご近所さんが勝手に混ざってくる。

家族の誰かがいつの間にかポットにお湯を足して、お茶菓子の包みを破って広げる。

それはもう、魔法でも何でもなく、ただの「日常」という名の儀式でした。

昭和って、何かを語り合おうとして始まる時代じゃなかったんです。

むしろ、「語らずにはいられない」ことが、そこらじゅうに転がっていた。

テレビの裏のホコリ、タンスの上の謎のビニール袋、ストーブの上に乗せたヤカンからの「ピー!」がうるさくて消される瞬間。

そのどれもが、立派な話のタネでした。

そして、昭和の“井戸端”は、場所を選びません

近所の軒先、公園のベンチ、商店街の八百屋の前、果てはお風呂屋さんの脱衣所まで。どこでも誰かが立ち話を始めれば、そこがもう井戸端会議の会場になっていたのです。

「最近どう?」じゃなくて、「見てこれ、このカステラ。銀紙がめくりにくいのよ!」から始まる会話。

そこから話はお隣さんの嫁入り道具、息子の成績、近所にできた魚屋の話へとジャンプしていく。

テーマなんて必要ないんです。

話したいことは、だいたい、お茶を飲んでいるうちに勝手に湧いてくるものだから。

そんな昭和の“井戸端力”が、いまの世の中に少し足りないのかもしれません。

だって、車移動が当たり前になって、ご近所さんと道端で会話する機会なんてほとんどない。

ポストに手紙を入れるついでに誰かと目が合う、そんな機会すら希少種です。

でも、だからこそ。今日みたいな「昭和の日」には、あえてお茶の時間を作ってみるといいんです。

ちょっと目新しいお茶、ちょっといいお菓子。

ほら、あの頃と同じように、「なんだか話したくなる」空気が、ぽつりぽつりと立ち上がってきませんか?🩷

第2章…懐かしい景色は写真より匂いで思い出す!雨上がりとタールのこと


昔の雨上がりには、空に虹がかかるより先に、地面からモヤっと立ち昇る**「タールの香り」**が先に鼻を突いてきたものです。

今ではまず嗅ぐことのない、あの独特の香ばしいような、むせ返るような、言ってしまえば「ちょっと異臭」のような…あれです、あれ。

でもね、あの臭いを嗅ぐと「あっ、夏が近い」って思ったりしたものなんです。

不思議と。

それがアスファルトのせいなのか、電柱の根っこのせいなのか、舗装工事の名残なのか、真相は誰にもわかりません。

だけど、昭和の記憶というのは、そんな「謎のニオイ」から始まることが多いのです。

たとえば、蚊取り線香の匂い。

たとえば、ちゃぶ台の下でくすぶるストーブの灯油の匂い。

たとえば、体育館のマットと雑巾と体操服が合体したような、あの「ザ・学校のにおい」。

記憶って、写真よりも、映像よりも、匂いの方がよっぽど強力だったりするんですよね。

香りひとつで、急にランドセルの重さを思い出したり、ガラスの引き戸の開け方がよみがえってきたり。頭では忘れていたことが、鼻だけはきちんと覚えていたりして。

まったく鼻ってやつは、なかなか働き者です。

「懐かしい匂い」と聞いて、真っ先に思い出すのが食べ物じゃないあたりが、昭和の深みです。

建物の匂い、道の匂い、服についた誰かの家の匂い。

今の時代の家は、どこに行っても“無臭で清潔”なのが当たり前ですが、昭和の家ってぜんぶ違う匂いがしたんですよ。

玄関を開けた瞬間に「あっ、◯◯さんちだ」ってわかるくらい。

今の若い人たちに「どんな匂いだったの?」と聞かれると、うーん…と首をかしげるのですが、実はこれ、説明しようとするからわからなくなるだけ。

感じるものは、感じた人にしかわからないって、それもまた昭和の良さかもしれません。

だからこそ、今の空気がどんなに洗練されてても、時々「なんか物足りないなぁ」って思っちゃう。

無臭の部屋、音のないエアコン、均一に並ぶ照明と家具。

とっても快適なはずなのに、昭和育ちは「ちょっとざわつく」んです。

静かすぎて落ち着かない。

あれ?今、私どこにいるんだっけ…?って、ふわっと不安になるとき、ありますよね?

そんなときこそ、あえてタールの香り…はさすがに無理としても、蚊取り線香でも炊いてみませんか?🩷

あの香りを吸い込むだけで、一気に夏の縁側へワープできる。

これ、昭和の日の特権です。

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第3章…味は心に残るっていうけれど…再現しちゃダメなこともあるんだ


味覚って、ほんとうにやっかいなものです。

目で見たって、耳で聞いたって、わかったような気がしても、いざ口に入れてみた瞬間、「あっ、これじゃない…」ってなる。

そういう“ガッカリ感”に、何度だまされてきたことでしょう。

昭和の味を知ってる者にとって、これがまた大問題なのです。

昔ね、近所に焼き鳥屋さんがありました。

屋台でした。

白い煙がもうもうと上がっていて、あれを吸い込むだけで腹が減るんです。

ネギマ、ぼんじり、つくね。

どれを食べても最高で、小学生のくせに10本20本なんて平気で食べてた。

なのに今では、どうでしょう。

スーパーでパック詰めの焼き鳥を買ってみても、見た目は似ていても、あの“ジュワッとした”昭和の感動が…来ないんです。

これはもう、味の思い出ってやつが強すぎるのが原因でしょう。

記憶の中の味って、なぜか年々レベルアップしていくんですよね。

10年前より美味しかった気がする。

さらに10年経つと、幻の味になります。

だから「思い出の味を再現しよう!」なんて言い出したら、たいへんな目に遭います。

ほぼ確実に、「あれ?こんなだったっけ?」ってなる。

悲しいけど、これ、真理なんです。

同じ材料、同じ調味料、レシピも合ってる。

なのに違う。

どうして?

答えは、「一緒に食べた人」がいないから。

あの頃の味は、単にうまかっただけじゃないんです。

家族がいた。

隣にいた。

ストーブがついていた。

テレビの音がしていた。

おしゃべりがあって、時には喧嘩もあって、だけどみんなで食べた。

それごとが“味”だったんですね。

だから、今その味を“素材だけ”で取り戻そうとしても、そりゃ無理な話。

食べ物は、思い出ごと食べてたんです。

思い出のない焼き鳥は、ただの焼き鳥。

心の中で焼かれた焼き鳥には、もう誰も勝てないんです。

なんてこった。

でも、ここで無理して再現しようとしないのが、大人の知恵。

昔の味は昔の味として、「それはあれで最高だった」と納得して、今は今の美味しさを楽しむのが、いい昭和っ子の在り方です。

なにしろ、今の焼き鳥は冷めてもおいしい。

冷蔵庫に入れても翌日まで生きてる。

それってある意味、昭和では考えられなかったすごい技術ですよ。

思い出は、思い出のままでいいんです。

うっかり再現して、「あれ…」となってしまった焼きそば、ホットケーキ、駄菓子の数々に、私たちは何度も教わってきました。

「味の記憶には勝てないよ」って。

だから今はもう、焼き鳥の煙の話だけでいい。

あの頃の味は、あの時だけの特別。

それでいいんです🩷。

第4章…記憶の旅を終えたら今のごちそうに感謝してみる。


さて、思い出の味には勝てないと腹をくくった昭和育ちの私たちですが、じゃあ今の時代に美味しいものがないのかと言われれば、いやいや、そんなことはありません。

むしろ、最近のスイーツとか、ちょっとびっくりするレベルで進化してるんです。

もう、なんかね、見た目が宝石。

もはや冷蔵庫に入れておくのが申し訳ないくらい、神々しいんです。

昔はケーキといえば白いスポンジに缶詰みかんがのっていて、ちょっと斜めってても気にしなかった。

でも今は、甘さ控えめで素材の風味が生きていて、見た目も味も「なんですかこれ、芸術ですか?」ってなる。

ロースィーツとか、米粉のグルテンフリーパンとか、昭和のおばあちゃんに見せたら「焼いてないの!?生で!?…え、それはスイーツなの?」ってびっくりするだろうなぁ。

でも、そのびっくりも含めて楽しいのが、今の時代。

どんなに懐かしくても、あの頃にはなかった“優しさ”が、今の食には詰まってるんです。

お腹にやさしい、身体にやさしい、アレルギーにも配慮されて、しかもちゃんと美味しい。

もう、平成を通り越して、令和の料理人たちは優しさのプロですよ。

隠し味に「気づかい」とか入ってるんじゃないかなって本気で思います。

そして最近の食って、なんだか“安心して笑える味”が多い気がするんです。

昭和は時に「鍛えられる味」でした。

給食の牛乳にしても、納豆にしても、ちょっとした修行感があった。

でも今は、無理しなくていい。

苦手なものは除いていいよって言ってもらえる。

それだけで「ありがてぇ…」ってなるあたり、私たち、なんだか丸くなりましたね🩷。

だからこそ、思い出の味はそのまま胸の中にしまっておいて、今日この日に食べるのは、今を生きる人たちがつくってくれた“令和のごちそう”。無理に思い出を引っ張り出さなくてもいいんです。新しい美味しさは、これからもどんどん出てくる。

そう思うと、生きてるってちょっと楽しいな、って思えてきませんか?

第5章…語って笑ってそして明日へ!思い出はいまを優しくする魔法


気がつけば、誰かの思い出話に乗っかって、また別の誰かが「うちもそうだった」と話し出す。

聞いてるようで聞いてなくて、でもなんとなく全員の話が混ざって、笑い声だけが妙に一体感を持って響く

そんなお茶会があったとしたら、それこそが“成功した回想法”なんだと思います。

「昔はねぇ…」って始まる話には、大抵ちょっとしたドラマが入ってます。

雨が降ってたとか、泥だらけだったとか、みかんの箱がこたつの脚代わりだったとか。

あ、あと牛乳瓶のフタを歯で開けてたとかね。

聞いてる方も、思わず自分の“あの頃”をひっぱり出してきたくなるから不思議です。

でも大事なのは、何を語るかじゃないんです。

語るという行為そのものが、人の心をあたためるんです。

うまく話そうとしなくていいし、ちゃんと聞こうとしなくてもいい。

ただ、お茶があって、お菓子があって、「なんかしゃべってみたくなった」っていう空気があるだけで、もうそれは立派な“時間のごちそう”です。

それに、人の話って不思議なもので、自分がしゃべったつもりがなくても、隣の人が話したことに勝手に共感して、勝手に思い出して、勝手に元気になる。

つまり、しゃべる人も聞く人も、どっちもちゃんと満たされるんですよね。

すごいでしょ?

電気もWi-Fiも要らないのに、心だけはフル充電されるんです。

そしてまた、次の日。

お茶の時間にふと昨日の話を思い出して、「そういえばあの人、あんなこと言ってたなぁ」なんてニヤニヤする。

そしたらもう、回想法は完全にあなたの生活に溶け込んでる。

たったそれだけで、ちょっとだけ明日が生きやすくなってる気がしてくる。

それが、回想の持つ不思議な力なんです。

昭和の日という名前の祝日、ただのお休みにしてしまうのはもったいない。

ちょっと声を出してみるだけで、心がほぐれる。

語ることで、自分の“今”を好きになれる

だからこそ、ぜひ一度、ためしにやってみてください。

車座にならなくていいんです。

回想法って、ちゃぶ台の横でも成立するんですから🩷。


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まとめ…昭和は遠くなっても今ここにある!話すだけで心がほぐれる昭和の日


昭和の日は、昔の出来事を難しく語るための日じゃありません。

むしろ、「なんかあったよね〜」「うちもそうだった!」って笑いながら、

ぽろりぽろりと記憶がこぼれていくような、お茶とおしゃべりのための祝日でもあるのです。

写真や映像じゃ思い出せない、あの匂いや、味や、空気感。

お茶を一口すすると、「そういえばさぁ…」と自然に言葉が出てくる。

それだけで、その場にいた誰もがちょっとだけ柔らかくなって、何気ない一日が、ちょっとだけ“いい日だった”になる。

これってすごく素敵なことだと思いませんか?

あの頃の味は、もう作れなくてもいい。

あの頃の景色は、もう戻らなくてもいい。

でも、あの頃を覚えている誰かがいて、それを聞こうとしてくれる誰かがいる。

それが、昭和の日の“ほんとうの贈り物”なのかもしれません。

そして、おしゃべりのあとのデザートには、ちょっとだけ今っぽいスイーツを並べてみるのもいいでしょう。

「なんだこれ、焼いてないの?」「ケーキなのに砂糖使ってないの!?」なんて、思い出の話から一転、今を笑う話に変わったなら——

それは、過去と未来がちゃんと握手した瞬間です。

今日も、誰かと話せた。

笑えた。

なんか、ちょっとあったかくなった。

それだけで、昭和も、平成も、令和も、まるごと味わえた気がします。

また来年の昭和の日も、どこかで誰かが、こんなふうにお茶を飲んでいますように。

あの日も今日も、いい日だったと思えるように。

さぁ、新しい時代も悪くないぞって、今を生きる力にかえていきましょうね🩷。

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