鼻歌と通りすがりマジックで介護現場の空気をふんわり変える方法
目次
はじめに…介護が詰まらないと感じる心から出発してみよう
介護の仕事をしていると、ふとした瞬間に「何だか詰まらないな」「毎日同じ事の繰り返しだな」と感じてしまうことがあります。もちろん、頭では「大事な仕事だ」と分かっているし、利用者さんの人生の一部を支えている自覚もある。けれど、現場で待っているのは、同じ時間割のようなケアと、終わりの見えない記録、少ない人手、張り詰めた空気……。気持ちが先にすり減ってしまうのも無理はありません。
しかも、利用者さんの前では「笑顔」「優しさ」「ゆとり」が求められるのに、上からは「手を止めるな」「しゃべり過ぎるな」「もっと効率良く」と理不尽なことを言われがちです。お年寄りとゆっくりお話しすることも、歌を口ずさむことも、本当は心のケアとして大切な時間なのに、それさえも「遊んでいる」と評価されてしまう場面を見てきた方も多いのではないでしょうか。
そんな現場の空気の中で、利用者さんの目から少しずつ輝きが消え、職員の心も摩耗していく。「こんな施設、いっそ無くなってしまえばいい」と黒い気持ちがよぎることさえあるかもしれません。でも、その場所に暮らす人や家族にとっては、今ある施設が生活の土台でもあります。だからこそ、本当に必要なのは「誰かを責めること」ではなく、今日から自分に出来る、小さな空気の変え方なのだと思います。
そこで、この記事では「鼻歌」と「通りすがりのマジック」という、特別な資格も道具もいらない、ささやかな2つの仕掛けに注目してみました。レクリエーションとしての本格的な出し物ではなく、あくまで普段の業務の中で、1秒だけ雰囲気をフワッと変えるための工夫です。歌詞を完璧に覚えていなくてもよい鼻歌、通りすがりに「お?」と感じてもらえる程度の小さなマジックなら、忙しい現場でも無理なく取り入れることが出来ます。
この記事のテーマは、「仕事量を増やさずに、介護の毎日に遊び心を1つ足すこと」。
壮大な理想や大掛かりなショーではなく、今日から想いの爆発した職員さんが1人でそっと試せる工夫を、タネや準備のポイントも含めて、出来るだけ分かりやすく整理していきます。介護をしている自分も、介護を受けているお年寄りも、どちらの心も少しだけ軽くなる。そんなささやかなヒントになれば嬉しいです。
第1章…黙々ケアは心が摩耗する~利用者さんと職員を同時に守る発想転換~
早番のフロアに入ると、まだ薄暗い廊下にナースコールの音と、車椅子を押すタイヤの音だけが響いている。誰も怒鳴ってはいないし、大きなトラブルがあるわけでもない。けれど、どこか空気が重くて冷たい。職員は真剣な表情でテキパキ動き、利用者さんはほとんど声を出さないまま、おむつ交換や更衣、朝食の準備へと流されていく。こうした「黙々ケア」の風景に見覚えがある方も多いのではないでしょうか。
現場では、「手を止めずに動き続けること」が強く求められます。上からは「しゃべってばかりいないで」「介護の手が止まっているよ」と言われることもあり、利用者さんとゆっくり会話をしたり、ちょっとした冗談を交わしたりする時間が「サボり」のように扱われてしまう場面もあります。結果として、職員は目の前のお年寄りに気持ちを向けるよりも、「仕事をこなすこと」「ミスをしないこと」に意識を集中させざるを得なくなっていきます。
その一方で、利用者さんの側から見るとどうでしょうか。毎日身の回りのことを手伝ってくれる職員さんが、怒っているわけではないのに、どこか表情が固く、笑顔が少なく、必要最低限の言葉だけを交わして立ち去っていく。「嫌がられているのかな」「迷惑を掛けているのかな」「頼みにくい」と、はっきりと口には出さなくても、心のどこかで自分を責めてしまう方もいます。本当は命を支えてもらっているはずなのに、日々の関わりの中で、ジワジワと心が摩耗していってしまうのです。
職員も、決して冷たい人間なわけではありません。…たぶん。むしろ、優しさや責任感が強い人ほど、「この人数で、この時間で、これだけのケアをこなさなければならない」という現実に押し潰されそうになり、自分の感情を切り離して「作業モード」に入らざるを得なくなります。怒鳴りたくなんてないのに、忙しさとプレッシャーが重なって、つい声が強くなってしまう。心の中では何度も反省しているのに、明日の体制も状況も変わらない。そんな自分を責め続けることで、職員自身の目の光も少しずつ弱くなっていきます。
利用者さんの心も、職員の心も、静かに…でも確実に擦り減っていく。その根っこにあるのは、「ケアの量」や「スピード」ばかりが評価されて、肝心の高齢者さんの「心地良さ」や「安心感」が見えにくくなっている構造そのものかもしれません。だからといって、現場の人間が一介護士として、いきなり人員配置を増やしたり、制度や評価の仕組みを変えたりするなんてことは出来ません。「こんな施設、潰れてしまえば」と黒い感情が頭をよぎることもあるでしょう。けれど、そこで本当に扉を閉めてしまったら、行き場を失うお年寄りや家族がいることも、また事実なのです。
では、経営者や上司などの指導陣以外に何も変えられないのでしょうか。そんなことはありません。現場の職員に出来ることは、確かに限られてしまいますが、「仕事の手は止めずに、心だけは凍らせない工夫」を少しだけ足していくことは出来ます。例えば、同じ更衣介助でも、黙々と無言で行うのか、鼻歌を口ずさみながら手を動かすのかでは、その場の空気は大きく変わります。同じ廊下の見回りでも、ただ通り過ぎるのか、通りすがりに小さなマジックで「お?」と笑顔を引き出すのかでは、残る印象がまったく違ってきます。
大掛かりなイベントや、特別な才能が必要なショーを目指す必要はありません。日常の業務の中に、ほんの少しだけ遊び心を混ぜることで、利用者さんの心の摩耗も、職員自身の疲れも、わずかずつ和らげていくことが出来ます。次の章からは、その具体的な一歩として、「鼻歌」と「通りすがりのマジック」をどのように使えば、忙しい現場でも無理なく取り入れられるのかを、ゆっくり紐解いていきます。
第2章…鼻歌1つで空気が変わる~仕事の手を止めない小さな工夫~
「歌う時間なんてない」「おしゃべりしていると注意される」。そんな現場でも、実はそっと忍び込ませることが出来るのが鼻歌です。歌詞を全部覚える必要もなく、わざわざ立ち止まって歌う必要もない。ただ、いつもの介助の手を動かしながら、ごく自然にメロディを口の中で転がす。これだけで、その場の空気は少し柔らかくなります。
利用者さんの立場に立ってみると、毎日の身支度やトイレ介助、移乗の時間は、時に「されるがままの時間」になりがちです。何も悪いことはしていないのに「また人の手を借りてしまった」と肩身が狭くなる方もいます。そこで、介護士さんの表情が険しく、ただ黙々と作業だけが進んでいくと、「嫌がられているのでは」「急がせてしまっているのでは」と、心の方が先に縮こまってしまうのです。
同じ介助でも、トイレ前の廊下から鼻歌が1つ添えられたら?それだけで、「この人、ご機嫌でいてくれているな」「今日はいつもより楽しそうだな」と感じてもらえます。歌詞までは聞き取れなくても、懐かしいメロディの一部が耳に届くだけで、若い頃の記憶や楽しかった日の景色がふっとよみがえることもあります。「あら、その歌、昔よく歌ったわね」と言葉が返ってきたら、その会話だけで、その人の1日の気分が大きく変わるかもしれません。
とはいえ、現場には現場の事情があります。おしゃべりをしながら介助していると、「手が止まっている」「仕事に集中していない」と見なされることもあります。その点、鼻歌は声量を調整しやすく、あくまで「手も目も動かしながら、気持ちだけを柔らかく保つ」ための小さな工夫として使いやすいのが小さいけれど大きな強みです。真剣な眼差しと観察眼はそのままに、雰囲気だけ少し明るくする介護技術と言っても良いかもしれません。
具体的には、朝の更衣やおむつ交換の時間、ベッドから車椅子への移乗の瞬間、髭剃りや整髪といった身嗜みのケアの最中など、職員の手が忙しく動いている場面が使いやすいタイミングです。声を張り上げて歌うのではなく、口の中で軽くメロディをなぞるように、あるいは小さく口ずさむ程度に留めれば、他の利用者さんの迷惑になりにくく、上司や同僚からも「仕事の合間のささやかな癖」くらいにしか見えません。
選ぶ曲も、特別なものを用意する必要はありません。自然と口をついて出る童謡や唱歌、昭和の流行歌、季節の歌など、自分が楽に歌えるものが一番です。1曲にこだわる必要はなく、その日の気分や利用者さんの世代に合わせて、なんとなく合いそうなメロディを選べば十分です。「完璧に歌おう」と力むほど、逆にしんどくなってしまうので、「鼻歌だから多少外れてもご愛敬」くらいの気持ちで構えていた方が、長く続きます。
大切なのは、「音を出すこと」そのものよりも、「利用者さんの反応をちゃんと見ること」です。中には音や声に敏感な方、静かな環境を好む方もいます。少し眉が寄るようなら、そっと音量を下げるか、その方の前だけは鼻歌を辞める。逆に、目が輝いて口元が緩んだり、「その歌、好きなの」と声が出たりする方には、1フレーズだけ少し大きめに歌ってあげる。鼻歌を自分の気分だけでなく、「その人の安心感を測る物差し」として使うイメージです。
職員側にとっても、鼻歌は心の守りになります。忙しさがピークに達する時、人はどうしても表情が強張り、声が尖りがちです。そんな時こそ、自分の中のリズムを取り戻すために、敢えて1曲、短いメロディを心の中で流してみる。声にならない小さな歌でも、そのリズムに合わせて呼吸を整えるだけで、自分自身の気持ちの荒れ方が少し変わります。鼻歌は、利用者さんのためだけでなく、介護を続ける自分自身のための「小さなガス抜き」にもなるのです。
鼻歌を習慣にしていくと、介護の場面ごとに「この人にはこのメロディが合う」「この時間帯にはこの歌がしっくりくる」といった、自分なりのレパートリーが自然と出来ていきます。これはもう立派な職員の技量であり、履歴書に書けないけれど、その人にしかない強みになります。黙々ケアが当たり前になりつつある現場だからこそ、「仕事の手は止めないけれど、心は止めない」という意思表示としての鼻歌が、静かに力を発揮してくれるはずです。ちなみに介護現場から転職してプロの歌手まで登り詰めた立派な方もおられます。読者様はどなたかご存じですか?歌手から施設の経営者になられた方も多くいます。歌は突き詰め方1つで様々な可能性のある領域の1つなのです。
次の章では、鼻歌と同じように日常の業務を邪魔しない「通りすがりのマジック」に目を向けてみます。たった1秒の小さな不思議が、利用者さんと職員の間に、どんな笑いと会話を生み出してくれるのかを、具体的に見ていきましょう。
第3章…通りすがりマジックとは何か~その場の壱秒で「お?」を生む仕掛け~
通りすがりマジックという言葉を聞くと、まずイメージするのはユーチューブなどで見かける街角でのパフォーマンスかもしれません。何気なく歩いている人の前で、落とした花束がフワッと手元に戻ってきたり、缶ジュースが転がっていったはずなのに、次の瞬間には手の中に収まっていたり。スーパーのカゴが、手を伸ばしただけでスッと近づいてくる映像を見たことがある方もいるでしょう。「さぁショータイムです!」と舞台を構えるのではなく、ただの通行人の目の端に引っかかるような、不思議な一瞬。その「お?」「え?」「あれ?」という小さな驚きの呟きを、介護現場の毎日の中にそっと紛れ込ませよう、というのがここでの発想です。
介護の世界でマジックと聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのは、レクリエーションの時間に皆で集まって見るショー形式かもしれません。トランプを使った本格的な手品、ロープが切れては繋がるマジック、シルクハットから何かが出てくるような演出…。もちろん、そうした出し物も素敵ですし、上手な職員さんがいるとフロア全体が大いに盛り上がります。ただ、そうしたショーには「観客を集める」「環境を整える」「時間を確保する」「準備や練習を重ねる」といったハードルが付き纏います。忙しい現場では「やりたいけれど、そこまで手が回らない」という本音も、きっとどこかにあるはずです。
通りすがりマジックは、その反対側にある考え方なのです。特別なステージも、客席も、タイムスケジュールもいりません。職員がいつものように廊下を歩く、その途中で。おしぼりやおやつを配る、その手の動きの中で。ベッドサイドに声をかけて、立ち去るまでのわずかな数秒の間に、ふっと1回だけ紛れ込む小さな不思議。それが「通りすがり」であることに意味があります。あくまで主役は日常の介護であり、マジックはその端っこに添えられた飾りのような存在だからです。
大切なのは、「驚かせ過ぎない」という視点です。高齢になると、心臓や血圧の状態、認知症の症状など、人によって様々な背景があります。大きな音や派手な演出は、楽しいどころか恐怖に繋がってしまうこともあります。ここで目指すのは、椅子から飛び上がるような大仕掛けではなく、「今の、ちょっと不思議だったわね」と、後から思い出してクスッと笑える程度の緩やかな驚きです。例えば、テーブルの端に置いたハンカチが、ふと目を離した拍子に職員の手の中に移動している。お盆の上の小さなカゴが、「こっちにおいで」と声をかけると、何故か利用者さんの手元までスッと滑ってくる。タネを知ってしまえば単純でも、その1秒だけは、普段とは違う世界のルールが顔を出します。
もう1つ、介護現場ならではの視点として大事なのが、「時間を増やさない」という条件です。職員がマジックのために立ち止まってしまうと、その後のケアが押してしまいますし、「遊んでいる」と誤解される切っ掛けにもなります。通りすがりマジックでは、あくまで本来の動作の流れを崩さず、その一部を少しだけ“マジック風”に変えることを目標にします。落としたように見せた物は、実は落としていない。動き出したように見えるカゴも、実際には職員の手や体の動きの一部として自然に操作している。準備とタネさえ押さえておけば、普段の介助の速度を落とさずに、不思議のエッセンスだけを混ぜ込むことが出来ます。
利用者さんとの距離感も、通りすがりマジックならではの良さがあります。「これからマジックを見せます」と宣言してしまうと、見ている人はどうしても構えてしまいます。「失敗したら可哀相」「自分はよく分からないから、ついていけるか心配」と緊張してしまう方もいます。けれど、何気ない日常の動作の中でフッと起こる不思議は、「見せられている」という感覚よりも、「たまたま、その場に居合わせた」という感覚を残してくれます。驚いても、気づかなくても、どちらでも良い。気づいた人だけが「ええもん見た」「変わったもん見た」と、小さく声を上げ、微笑みを浮かべる。その緩さが、却って心に優しいのです。
通りすがりマジックは、利用者さんの目の光を守るための工夫であると同時に、職員自身の心を守る手立てにもなります。忙しさとプレッシャーの中で、介護の仕事がただの「作業」になってしまいそうな時、「この移乗の場面だけ、1回だけ不思議を仕込んでみよう」と自分に小さな遊びを許すことで、心の中の余白が守られます。「今日のハンカチ、上手くいったな」「〇〇さん、目を丸くしてたな」と思い出せる出来事が1つあるだけで、その日を振り返る気持ちも少し変わってきます。
もちろん、マジックが苦手な人もいれば、「そんなことより早く用事を済ませてほしい」と感じる利用者さんもいます。誰にでも同じように仕掛けるのではなく、「この人なら楽しんでくれそう」という顔触れにだけ、そっと使うことが大切です。つまり通りすがりマジックとは、「1秒だけ世界のルールを緩めて、相手の心に小さな風を通してあげること」。職員と利用者さんの間を流れる空気に、ほんの少しだけ遊び心とユーモアを混ぜるための道具だと言えるでしょう。
次の章では、そんな通りすがりマジックを、現場の職員さんがその日から実践できるように、簡単なタネと準備の考え方を整理していきます。難しいテクニックを覚えるのではなく、「なぜそれが不思議に見えるのか」「どこまでなら安全で、無理がないのか」を押さえながら、介護の現場にやさしく馴染むマジックの形を一緒に見ていきましょう。
第4章…その日から誰でも出来る~簡単なタネと準備のコツをやさしく整理~
ここでは、これまでの話をギュッと1つの実例にまとめていきます。テーマは「花束をうっかり落としたのに、ふんわり自然に胸元へ戻ってくるマジック」。香りのレクリエーションにもつながり、仕掛けの回収もしやすく、介護現場でも使いやすい形にしておきたいところです。
舞台は、いつもの食堂やリビングをイメージします。季節の花を束ねた花束をワゴンに載せて職員が登場し、「今日はお花の香りを楽しんでから、各テーブルに飾らせてくださいね」と声をかけるところから始まります。ここまでは、ごく普通の光景です。この「普通さ」があるからこそ、その後に起こる小さな不思議が際立ってくれます。
まずは準備の段階から見ていきましょう。使う花束は、大き過ぎず、片手で持てるくらいのサイズが扱いやすいです。その中心に来る花を1本だけ「仕込み担当」にして、茎の根元近くに細い糸を結び付けます。糸は透け感のあるテグスのようなものが便利ですが、無理に特殊な道具を用意しなくても、細めの糸を目立たない色で選べば十分です。結び目は、花束全体を束ねた時に見えない位置に隠れるよう、少し高めの位置に作っておきます。仕込み担当の花の周りを、他の花で囲むように束ね、茎の下の方を輪ゴムでまとめれば、見た目は普通の花束になります。この輪ゴム付近に磁石を仕込みます。利用者さんに配るのは周囲の花からにして、真ん中の1本は、最後まで職員の手元に残しておくつもりで組み上げておくと安心です。
糸のもう片方の先は、職員の左腕側に仕込みます。冬場の長袖ポロシャツやカーディガンなら、袖口からそっと中に通し、肘の内側あたりを経由してウエストポーチの中に入れておくと、外からほとんど見えません。ポーチの内側に伸び縮みするキーホルダーのような小さなリールを付けておき、その先に糸を結んでおけば、花束を落としても糸がスルスル伸び、合図とともにシュッと戻ってきます。右手側には、必要であれば小さめの磁石を1個だけ忍ばせておきます。例えば指輪型でも良いですし、右の胸ポケットの内側に金属の小片を縫い付け、磁石をその上から当てておく工夫で、花束が胸元に近づいた時に「ふわっ」と吸い寄せられるような動きが強調されます。磁石はあくまで補助役で、なくても成立しますが、抱きしめる動きを安定させたいときには助けになってくれます。
いよいよ本番です。ワゴンから花束を取り上げ、利用者さんに向かって「ちょっとお花を近くで見てくださいね」と笑顔で見せながら歩きます。長机の中央辺りでいったん立ち止まり、「あっ」と声を漏らしながら、低い位置から花束を床にそっと落とします。ここで大事なのは、本当に高い位置から落とさないことです。花や花瓶を傷めないよう、膝の高さくらいから、ゆっくり手を離すイメージで十分です。糸は袖の中から伸びていますが、利用者さんの目にはただ「手から滑り落ちた」ように見えます。
花束が床に落ちたように見えたら、職員は半歩だけ下がり、左手を胸元に軽く添えます。「ごめんね、戻っておいで」と、まるで花束に話しかけるように声を掛けながら、心の中でリールを意識します。左腕を少し引くと、ウエストポーチの中のリールが糸を巻き取り始め、花束が床の上を職員の方へ向かってスルスルと滑ってきます。右手は花束の進行方向に添えるだけで、あくまで「導いているフリ」をする程度にとどめておきます。
胸元に近づいてきたら、両腕をフワッと広げ、花束を抱きとめるように胸に引き寄せます。右手の指輪に磁石が仕込んであれば花束は左手がリール、右がゴムと綺麗に揃いやすいです。胸元に仕込んだ磁石と金属があれば、さらにこの瞬間に「フッ」と吸い付くような感触になり、見ている側には、花束が自分から飛び込んできたかのように映ります。職員はそこで満面の笑顔を浮かべ、一呼吸、香りをしっかりと味わう演技を加えると、不思議さと温かさが同時に伝わっていきます。
このあとが、香りレクの時間です。抱きとめた花束から、仕込みのない外側の花を1本ずつそっと抜き取り、「〇〇さんにはこの色が似合いそうですね」「この香り、若い頃を思い出しませんか」と声をかけながら手渡していきます。利用者さんにはしばらく花の香りを楽しんでもらい、一巡したところで「では、皆さんのテーブルに飾らせてくださいね」と回収して花瓶に活けていきます。真ん中の仕込み花だけは最後に自分の手元で抜き取り、控室に戻ってから糸を外しておけば、利用者さんの手元には仕掛けのない花だけが残ります。
安全面の配慮も、忘れてはならない大切なポイントです。まず、花束を落とす場所は、利用者さんの周囲や足元から十分に離れた位置に限定します。車椅子のフットレストや歩行器には決して引っかからないよう、職員自身が足元の床を確認してから行うのが基本です。滑りやすい床材の場合は、特に慎重に。どうしても不安があれば、落とすのではなく、花束をいったん低い位置に置いてから、糸で引き寄せるだけの演出に変えても構いません。磁石を使う場合は、ペースメーカーをお使いの方の胸元に近づけない、テーブルの下には磁石を這わせない、といった配慮が必要です。磁石はあくまで職員の衣服側にとどめ、利用者さんの身体からは距離を取るようにしておくと安心です。
リール付きの糸は、事前に何度かリハーサルをしておき、伸びる距離や戻るスピードを体で覚えておくと、いざという時に慌てません。最初は造花で練習し、本番では強い香りが出やすいカーネーションやバラなど、季節感のある花を選ぶと、マジックと香りレクの両方が綺麗に繋がります。「今日はちょっと余裕があるな」という日にだけ披露する、というくらいの力加減で続けていくと、職員にとっても無理のない楽しみになります。
こうして見ていくと、花束マジックは、特別なショーではなく、あくまで日常の介護の延長として使える小さな遊び心だということが分かります。落ちたはずの花束が胸元に戻ってくる一瞬の不思議、その後に続く香りと会話の時間。準備と安全さえ押さえておけば、その流れのすべてが、利用者さんの目の光と職員の心の余裕を、そっと守ってくれる時間になっていきます。
[広告]まとめ…大げさなショーはいらない~小さな遊び心が介護の毎日を少し明るくする~
「介護ってつまらない」「毎日が作業みたいで苦しい」。そんな気持ちから始まった今回のテーマは、決して甘い理想論ではありません。むしろ、現場で心を擦り減らしながら働いている人の、本音のため息から生まれた問い掛けだったと思います。制度も人員配置もすぐには変わらない。けれど、その中で働く自分の心と、目の前の利用者さんの表情だけは、ほんの少し守りたい。この記事全体は、そのささやかな願いを形にするための試行錯誤でもありました。
黙々と進むケアの中で、一番先に傷ついていくのは、実は利用者さんだけではありません。「早くしなきゃ」「怒られないようにしなきゃ」と、自分を追い詰め続ける職員の心もまた、静かに摩耗していきます。優しくありたいのに、余裕がなくて声が尖ってしまう。ふと窓に映った自分の顔が、思っていた以上に疲れた表情をしていて、ハッとする。そんな経験をした人も、多いのではないでしょうか。だからこそ、「仕事の手は止めないけれど、心は止めない」ための工夫が必要になります。
鼻歌は、そのための1つめの鍵でした。特別な準備はいらず、歌詞がうろ覚えでもかまわない。季節の歌でも、昔ながらの流行歌でも、自分が自然に口をついて出るメロディを、手を動かしながらそっと流してみる。たったそれだけで、利用者さんの表情がフッと緩んだり、「その歌、若い頃によく歌ったのよ」と会話が生まれたりします。鼻歌は、利用者さんの不安な心をなだめるだけでなく、忙しさに飲み込まれそうな自分自身の呼吸を整える、小さなリズムにもなってくれます。「今日はちょっとしんどいな」という日ほど、一曲分のメロディが、心の中に余白を取り戻してくれることもあるはずです。
2つめの鍵が、通りすがりのマジックでした。大掛かりなショーではなく、ほんの1秒だけ起こる小さな不思議。落ちたはずの花束が胸元に戻ってくる光景は、「わぁ」と声を上げるほど大袈裟ではないかもしれませんが、「今の、ちょっと不思議だったね」と、後から思い出して微笑める余韻を残します。準備の段階でリールや糸、磁石の位置を工夫し、安全に気を配りながら仕込みをしておくことで、介護の流れを止めずにマジックを紛れ込ませることが出来ます。そして、その流れのまま、花の香りを楽しんでもらい、最後には各テーブルの花瓶に飾る。マジックと香りレクがひと続きの時間になることで、「驚き」と「安らぎ」を同時に届けることが出来るのです。
大切なのは、鼻歌もマジックも「やらなければならない仕事」ではなく、「自分と利用者さんのために、そっと足しても良い遊び心」として扱うことです。毎日必ず披露しなくてもいい。余裕のある日だけ、雰囲気が重くなり過ぎたと感じた時だけ、一度だけ混ぜてみる。それくらいの力加減の方が、長く続きますし、他の職員さんにも受け入れられやすくなります。そして、こうした工夫を積み重ねていくうちに、「この人と一緒だと楽しい」「ここにいるとなんだか安心する」と感じてくれる利用者さんが、少しずつ増えていくかもしれません。
介護の現場を一晩で劇的に変える魔法はありません。けれど、1人の職員が鼻歌を口ずさみ、壱本の花束に小さな不思議を仕込み、目の前のたった1人の利用者さんを笑わせることは、今日からでも始めることが出来ます。その小さな試みが、同じフロアの仲間に伝わり、別の時間帯のスタッフに受け継がれていけば、「ここ、前よりちょっと明るくなったね」と感じられる日が、いつかふと訪れるかもしれません。
介護が「詰まらない」だけで終わってしまうのは、あまりにももったいない。鼻歌と通りすがりマジックというささやかな道具をポケットに忍ばせながら、自分の心と利用者さんの笑顔の両方を守る、そんな介護の形を、これからも一緒に探していけたら嬉しいです。
※追記
リールも磁石も、今回は花束にしましたが、紙幣や空き缶、トランプやカード、おしぼりといったより軽い物を対象にすると、より自然で重力法則に反した不思議な一瞬を介護現場でも再現できやすいです。インターネットで検索すると種を意外に多く紹介されています。様々なジャンルから知恵を借りて、現場の生活を一歩ずつ豊かにしていく視点が大事です。失敗しても良いのです。お笑い芸人並みの大きな笑いでなくても十分。ほんの少しずつの変化が現場にある生活に大切なのです。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
[ 応援リンク ]
[ ゲーム ]
作者のitch.io(作品一覧)
[ 広告 ]
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。