トナカイはなぜサンタと旅をするのか?雪の伝承と世界のクリスマス事情

[ 12月の記事 ]

はじめに…冬の夜をかける赤いそりの不思議

12月になると、街のあちこちに赤い服のサンタさんと、角の立派なトナカイの絵がならびますよね。子どもたちは「今年はプレゼント来るかな?」と胸を膨らませ、大人は「どうして乗り物がトナカイなんだろう?」とふと考えたくなります。馬でもなく、犬ぞりでもなく、なぜトナカイなのか――よく見るとこれはちょっと面白い謎です。

サンタクロースという形は今でこそ世界共通のイメージになっていますが、もともとは北の寒い地域で語られたお話や、教会が伝えてきた聖人伝、さらに19世紀のアメリカで作られたクリスマスの物語など、いくつかの流れが混ざって出来たものだと考えられています。つまり「初めからトナカイに乗っていたサンタさん」がいたわけではなく、あるタイミングで「冬の動物としてピッタリなトナカイ」がくっついて今の姿になった、という見方が出来るんですね。

そしてトナカイは、実際に北欧・ロシア・アラスカなどで人の暮らしを支えてきた大切な家畜でした。雪の上でも力強く歩き、荷物も引けて、ミルクや毛皮も役に立つ。そんな「冬の頼もしい相棒」を、子どもたちの夢の世界にも登場させたくなったのは、とても自然なことだったのかもしれません。

このお話では、そうした「なぜサンタと一緒にいるのがトナカイなのか」というところを、出来るだけやさしい言葉で辿っていきます。北の民話、18~19世紀のクリスマス物語、そして赤い鼻のあのトナカイが生まれた経緯まで、少しずつ糸をほどくように見ていきましょう。読み終わる頃には、クリスマスの絵を見る目がちょっとだけ大人になっているはずです。

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第1章…北の民とトナカイの本当の関係を辿る

北の国で暮らしてきた人たちにとって、トナカイは「クリスマスの飾り」ではなく、まずは生活を支える相棒でした。雪に覆われた場所では、畑も長くは使えませんし、家の周りで採れる物にも限りがあります。そんな環境で暮らす人たちは、移動できること、運べること、寒さに耐えられることをとても大切にしてきました。そこで力を発揮したのがトナカイです。

トナカイは寒さにとても強く、雪の上でもズシズシと歩いていきます。冬の間も地面を前足や角でかき分けて、下にかくれている植物を見つけ出すことができます。人が「この季節は食べるものが少ないな」と感じる時でも、トナカイは自分でエサを探してくれるので、家畜としてとても助かったわけですね。北欧やシベリアの人たちがトナカイを大切にしてきたのは、こうした「冬でも働ける力」があったからです。

また、トナカイはただ飼うだけではなく、乳を搾って食べ物にしたり、毛皮を温かい衣服にしたり、肉をいただいたりと、あらゆる場面で使われてきました。特に長い冬の間は、無駄に出来る物は1つもありません。1頭のトナカイを家族のようにして、全部使い切るという考え方がありました。これを知ると「冬の魔法の夜に、トナカイがそりを引く」という表現にも、どこか穏やかな敬意が感じられるようになりますよね。

雪の上を行くなら馬よりトナカイ

では、どうして馬ではなくトナカイなのか、というところが気になりますよね。馬は力が強くて走るのが得意ですが、深い雪の上では足を取られやすく、氷点下の世界にはあまり向きません。ところがトナカイは、分厚い毛と脂肪で体温を守り、足の造りも雪道に向いています。そりを引いて長く歩くには、まさにうってつけの動物だったのです。

こうして「雪の上を進む乗り物を引く動物」としてトナカイが選ばれたことが、後々「冬の贈り物を運ぶサンタさんの相棒」というイメージにも繋がっていきます。元々、現実の世界で、トナカイは確かに人を運んでいたし、荷物も引いていた。だから物語の中に入ってきても、不自然さが無かったんですね。

北の物語がクリスマスに混ざっていく

北の地域には、雪や氷の精霊、冬を司る老人、寒さを運ぶ魔法使いのような伝承がたくさんあります。人々は長い冬を越えながら「今年も来てくれますように」と願いを込めて物語を語りました。そこに、キリスト教の「12月に贈り物をする習慣」や「子どもにやさしい聖人のお話」が合流していき、だんだんと今のサンタクロース像が出来ていきます。

その時に「冬に一番よく働く動物」としてトナカイがそばに置かれた――そう考えると、とても自然です。つまり、トナカイは最初から飾りとして選ばれたのではなく、北で生きる人の知恵や暮らしの延長で、ゆっくり物語に入りこんでいった存在だった、ということですね。


第2章…そりを引く8頭が登場した18~19世紀の物語世界

1章では、北の暮らしの中でトナカイがどれだけ身近で頼もしい存在だったかを見てきました。では、あの「サンタさんのそりをトナカイがズラッと前に並んで引いている姿」は、いつ頃から物語として形になったのでしょうか。ここからは少し時代を下って、18~19世紀の本作りや新聞文化が盛んになった頃のお話になります。

この時代、欧米では「クリスマスを家族で楽しく過ごす」という習慣がしっかり根付き始めました。プレゼントを配る心温まるお話、冬の夜にやって来る不思議な訪問者のお話、子どもに読み聞かせるための詩――そうしたものがどんどん作られていきます。人が書いた物語がどこかの家庭で読まれ、さらに別の家庭にも伝わる。そんな風にして「サンタクロースの姿」が少しずつ標準化されていきました。

その中でも有名なのが、1823年にアメリカで発表されたとされるクリスマスの詩です。後に「サンタクロースがやってきた」と訳されることになるこの詩は、空からやってきた陽気な老人が、8頭のトナカイに引かれたそりで屋根に降り立つ様子を、とても生き生きと描いていました。ここで初めて「8頭のトナカイがそりを引く」という、私たちも見慣れたスタイルがはっきりとした形になるわけです。

この詩には、1頭1頭に名前がついています。ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ダンダー、ブリクセム――少し外国語っぽくて、口に出すとリズムがよくて、子どもが喜びそうですよね。つまり作者は「ただそりを引いている動物」ではなく、「サンタさんの仲間としてのトナカイ」を描こうとしたのだと思われます。数を8頭にしたのも、リズムの良さや、そりをキビキビと動かすイメージを出したかったからでしょう。

なぜこの時代に「細かい設定」が増えたのか

この頃のヨーロッパやアメリカでは、人々が冬に読む物語をとても大事にしていました。静かな夜に蝋燭の光で読むお話は、家庭の時間を温かくするものでしたから、そのお話の中に出てくる人物や動物の姿は、出来るだけはっきりした方が喜ばれたのです。だから「ただのトナカイ」よりも「名前をもつ8頭のトナカイ」の方が、子どもたちの心に残りやすかったわけですね。

もう1つ大きいのは、この時代の人たちが「冬の空をかけるサンタさん」を本気で美しく描こうとしたことです。真っ白な雪の上、月明かりに照らされた屋根、そこに赤い服を着た老人が、角の立派なトナカイを連れて現れる。こうした絵になる情景は、読む人の心を掴みます。だから作家たちも画家たちも、どんどん細部を盛り込んでいき、結果として「8頭でそりを引く」という姿が強く定着することになりました。

現実のトナカイ文化との橋わたし

ここで面白いのは、作中のトナカイが「架空の動物」ではなく、実在する北の動物として描かれていることです。つまり、物語を書いた人も、読んだ人も、「雪国には本当にこういう動物がいて、人を乗せたそりを引いている」という知識は持っていたと考えられます。フィクションでありながら、まったくの空想ではなく、現実の文化に足が着いている。だからこそ、後の世代にもすんなり受け入れられていったのでしょう。

このようにして、18~19世紀の物語の中で「そりを引く8頭のトナカイ」という、いかにもクリスマスらしいイメージが完成していきました。次の章では、そこにさらに1頭、あの有名な赤い鼻のトナカイがどうやって加わったのかを見ていきます。


第3章…赤鼻のルドルフが加わって9頭になったアメリカ流アレンジ

2章でお話しした通り、元々のサンタさんのそりは8頭立てで描かれていました。ところが20世紀に入ってから、この並びにもう1頭、とても目立つトナカイが登場します。そう、童謡でも有名な「ルドルフ 赤はなのトナカイ」です。これが加わることで、サンタさんのそりはグッと物語性が高まり、子どもたちにも覚えやすい形になっていきました。

このルドルフが世に出たのは、アメリカでクリスマス向けのお話を配る企画が行われたことが切っ掛けだとされています。1939年、当時の人たちは「家族で読める、温かくて夢のあるお話」を求めていました。そこで作られたのが、鼻が赤くて、しかもそのせいで仲間に入れてもらえなかった1頭のトナカイが、雪の夜に大活躍するというお話です。

この設定が、とても良く出来ているんですね。冬の吹雪の日は前が見えません。そんなとき、光る鼻を持つトナカイが先頭に立てば、サンタさんは世界中の家に安全に辿り着ける。つまり「皆と違っていたところ」が、ある日突然、宝物に変わるというお話になっているわけです。これは、子どもに語るお話としてとても伝えやすく、当時の家庭にスッと受け入れられました。

やがてこのお話は歌にもなり、1948年に発表されてから世界中に広がっていきます。歌は耳に残りますから、「トナカイは9頭」というイメージも、ここで強く固定されました。8頭でもお話としては完成していたのに、なぜさらに1頭足したのか。その答えは「より心に残るドラマを作りたかったから」と言えるでしょう。

「弱い立場の子がヒーローになる」物語の力

ルドルフのお話は、どこかシンデレラやみにくいアヒルの子に似ています。はじめは周りから浮いていた存在が、ある日、その子にしかできない役目を果たすことで認められていく。アメリカでこの手の物語が愛されたのは、「違っていてもいい」「あなたにしか出来ないことがある」というメッセージがはっきりしていたからです。

この考え方をサンタさんのそりに持ちこんだことで、トナカイたちは単なる「働く動物」から、性格や背景を持ったキャラクター集団に格上げされました。ここがとても大事なところです。キャラクターとして立ったからこそ、絵本にも描きやすく、歌にも乗せやすく、後の映像作品にも使いやすくなったのです。

9頭になっても基本の骨組みは北の文化

「アメリカで作られたお話だから、元々の北欧の世界観とは離れてしまったのでは?」と思うかもしれません。でも実はそうでもありません。吹雪の夜に、鼻で道を照らすという設定そのものが、すでに北国の冬を前提にしていますし、そりを引くという根本部分も変わっていません。つまり、土台は1章・2章で見てきた北の文化にあり、その上に20世紀のアメリカらしいドラマがそっと乗った、という形になっているんですね。

こうして、1823年に8頭が描かれ、1939年にルドルフが加わり、1948年の歌で一気に世界へ――という流れで、今わたしたちが見慣れている「サンタさん+トナカイたち」の姿が出来上がっていきました。次の4章では、ここからもう一歩だけ視点を日本側に寄せて、七福神や大黒様との似ているところも見てみましょう。


第4章…日本の七福神・大黒様との似ているところと違うところ

サンタクロースとトナカイの組み合わせを見ていると、日本でお馴染みの「七福神」や「大黒様」をつい思い出しますよね。どちらも冬から新年にかけての「目出度い気分」と一緒に語られることが多く、人に幸せを運んでくる存在という点でとても近いからです。ここでは、日本で昔から親しまれてきた福の神と、北国からやって来たサンタさんを並べてみて、どこが似ていてどこが違うのかをやさしく見ていきましょう。

まず似ている点として一番分かりやすいのは、「物を運んでくる」「豊かさを象徴する」というところです。サンタさんは子どもに贈り物をとどける人、七福神は福を積んだ宝船でやって来る神様たち、大黒さまは米俵の上にのって打ち出の小づちを持っている神様。つまり、どちらも「来てくれたら嬉しい存在」として描かれています。冬の時期にこうした存在を思い浮かべると、寂しくなりがちな季節にも明るい想像ができますよね。

ただし、ここで大きく違うのが「乗り物の選び方」です。日本の七福神が乗るのは海を行く宝船。これは、日本が海に囲まれた国であり、年の始めに「遠くから目出度いものが届く」という感覚を、船に託したからだと言われています。一方、サンタクロースは雪の上を行けるそり。こちらは、北の人たちが「冬に一番動けるのはそりだ」とよく知っていたからこそ選ばれた乗り物でした。海の民と雪国の民、それぞれが親しんでいた交通手段が、そのままお話の中の乗り物になったと考えると、とても自然ですよね。

一緒にいる相棒の役割の違い

さらに見ておきたいのが、傍にいる「相棒」の存在です。サンタさんにはトナカイ、大黒様にはネズミが寄りそって描かれることがあります。どちらも小さくて愛嬌があり、日常の中で人と関わりを持ってきた動物です。けれども役割は少し違います。トナカイははっきりと「運ぶ役」であり、サンタさんを乗せたそりを力強く引きます。つまり働き手としての性格が強いのです。

一方で大黒様の傍にいるネズミは、宝を齧る仕草を見せたり、豊作を暗示したりする存在として描かれます。日本では、米や穀物を食べるネズミが増える=それだけ食べ物がある=豊か、という連想があったためです。ここには「神様を手伝う動物」というより「神さまの恵みを表す動物」というイメージが強く出ています。どちらも動物が登場するのに、1つは働き手、もう1つは縁起物という違いがあるのは面白いところです。

冬を乗り越えるための物語という共通点

もう1つ、見逃せない共通点があります。それは、どちらも「寒い時期を楽しくするための物語」だということです。北国であれ日本であれ、冬はどうしても活動が減り、食べ物も少なくなり、心が内向きになりがちです。そうした時に「もうすぐサンタさんが来るよ」「新年になったら七福神が来るよ」と語り合うことで、家族の気持ちが明るくなります。

サンタクロースの場合は夜空から、七福神の場合は海から――と、来る方向も違いますが、「遠くからわざわざ来てくれる」というところは共通しています。遠いところから来るもの、季節を越えてやって来るものは、昔から人の心を惹き付けました。サンタさんが雪の中をトナカイと走る姿を思い浮かべる時、日本の子どもたちが宝船の絵に願いを書いて枕の下に入れた気持ちと、実はそんなに遠くないのかもしれません。

日本式に楽しむならどうする?

ここまで見てくると、「サンタ+トナカイ」と「七福神+宝船」は、土地の違いがあるだけで、とてもよく似た役割を果たしていることが分かります。ですから日本でクリスマスを楽しむ時も、かならずしも西洋の形をそのまま真似る必要はありません。例えば、サンタさんが日本に来る時だけは、雪道ではなく港から上陸してくるイメージを描いたって良いんです。あるいは、トナカイに乗ってくるけれど、持ってくる袋の中身はおせちにまつわる小物だったりしても面白いですよね。

大事なのは「冬にやって来る、ちょっと不思議でやさしい存在」という芯の部分です。そこさえ押さえておけば、北の国の物語と日本の福の神の世界は、十分に仲良く並べて語ることが出来ます。次のまとめでは、ここまでの流れをもう一度やさしく振り返って、皆さんがすぐにお話に使えるように整えてみますね。

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まとめ…夢を大事にしつつ起源も楽しむクリスマスの読み解き方

ここまでお話を辿ってくると、サンタクロースとトナカイの組み合わせは、決して「たまたまそうなったわけではない」ということが分かります。北の国では、冬でも動ける頼もしい動物としてトナカイが傍にいて、家族のご飯にも、移動にも、衣服にも役立つ存在でした。そんな現実の背景があるからこそ、「冬の夜、贈り物を運ぶそりを引く役」として物語の中に入ってきても不自然では無かったのです。

さらに18~19世紀になると、家庭で読むクリスマス物語が広まり、作家たちが「サンタさんはこんな姿で来るんだよ」と細かく描きはじめます。ここで8頭のトナカイが並び、名前まで付けられたことで、今の私たちが思い浮かべる絵がグッとはっきりしました。そこに20世紀のアメリカで「赤い鼻のルドルフ」というドラマ性のある1頭が加わり、子どもたちにも語りやすい、やさしいお話になっていったわけです。違っていることが役に立つ――このメッセージは今読んでも温かいですよね。

そして日本に目を向けると、七福神や大黒さまが「目出度い物を運んでくる存在」として冬~新年の時期に登場します。海の国が宝船を、雪国がそりを選んだだけで、やろうとしていることは、とてもよく似ています。遠くから、季節をこえて、家族に笑顔を運んできてくれる――この芯の部分は共通です。だから日本のクリスマス記事でも、「北の民話の名残」と「日本の福の神の感覚」を少しだけ混ぜてあげると、皆さんにとって身近な話になりやすくなります。

サンタとトナカイの話は、子ども向けの夢として語ることも出来ますし、大人向けに「どの地域の暮らしから来たのか」「どの時代に形が整ったのか」をやさしく説明することも出来ます。冬の記事として長く使い回せる素材になりますので、今回の流れをベースに、クリスマスの飾り付けや世界の冬の行事、北欧の食べ物の紹介などに広げて話題を広げていくのも、楽しい時間となるのでお勧めです。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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