目次
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夏の甲子園が始まると、どこの施設も朝からザワつく。
テレビの前の席取りが熾烈になり、「チャンネルはNHK固定!」と職員が宣言しない限り、フロアはまるで実況ブースのような緊張感に包まれるのだ。
「ほら、早よテレビつけんと!始まるで!」
「今年の◯◯高校は、ええピッチャーおるんや!」
「孫が、こないだあの球場の近くまで行った言うてなぁ…関係ないけどなんか嬉しいんや!」
こうして集まってくるのは、元・球児だったおじいちゃんもいれば、野球のルールをよく分かっていないけれど“若者が一生懸命頑張る姿”に心を打たれるおばあちゃんもいる。
なかには「うちの近所の子が出とる」と言い出す人もいて、その“近所”というのが実は東京から300キロ離れていたりするから油断ならない。
でもね、この「見守る気持ち」こそが、この夏のもうひとつのドラマ🩷。
青春の汗と涙を支える、静かなスタンドの応援団。
介護施設の中にだって、ちゃんといるんです。人生の裏方に徹してきた名監督たちが。
さあ、そんな“見守り応援席”の熱き夏、始球式とまいりましょう──。
「え?あのじいちゃん、元・甲子園球児なん?」
施設にいる若手スタッフがこっそり驚いていた。
無理もない。
廊下をカクカク歩き、ベッドでは腰に湿布。
新聞の文字は虫眼鏡がなきゃ読めない。
でも、テレビで野球が始まると目の色が変わる。
サイドスローのピッチャーが出てきた瞬間には、「あかん、あの腕の角度は甘い。左打者に狙われるわ」とひと言。
的中。
打たれる。
解説者より解説うまいやん。
「おじいちゃん、野球詳しいんですねぇ」なんてスタッフが水を向けると、「昔ちょっとな、投げとった」とポツリ。
この「ちょっとな」の裏には、夏の汗と泥と、地方大会決勝の涙がぎっしり詰まっている。
ポロリと語られる昭和30年代の球場。
バットは木製、ユニフォームはウール混、冷房のないバスで移動し、頭にはカチ割り氷を直接ぶちまけて熱中症対策。
「今の子はええなぁ。アイシングにシャワーやろ?わしらは蛇口やぞ、蛇口!」
そんな昔話を、まるで野球マンガの一コマみたいに語ってくれる。
すると普段あまりしゃべらない別の利用者さんも「わしは応援団やった。太鼓、いっつも叩きすぎて指皮むけとった」と参戦。
気づけばそこは甲子園レジェンドたちの談話室に早変わり。
ユニフォームは着ていなくても、心にはいつまでも“背番号”を背負ってる。
テレビの中では若者たちが走っている。
けれど、心の中では、昭和の球場に白球を追いかけていた自分がまだいる。
今の球児と昔の自分が重なるたびに、画面の向こうに向かって自然と声が出る。
「そこで踏ん張れ!わしらの時代なら、ここで送りバントやぞ!」
「監督の顔が引きつっとる!あれは次、盗塁の合図や!」
施設の壁を越え、画面の先へと飛んでいく声援。
それは、体は施設にあっても、心はいつだってグラウンドの真ん中にいる証。
“ただのテレビ観戦”なんて言わせない。
これは立派な、真夏の再登板なのだ🩷。
この世にはいろんな応援スタイルがある。
メガホンで叫ぶ人、タオルを振る人、ただじっと見守って涙する人──でも介護施設の甲子園ファンたちは、なんといっても“うちわ”に命をかけるのだ。
ある年、施設のレク係が言った。
「せっかくやから応援うちわ作ってみましょか〜」と軽いノリで始まったのが、地味にとんでもない事態の始まりだった。
「俺のは赤で“根性”って入れてくれ!」
「わたしは“がんばれ〇〇高校”って書いてな。筆文字で頼むよ。できれば達筆で」
「表は〇〇高校、裏は“あの夏、俺は応援団長だった”って書いてくれや」
えっ…それって…表札ですか?
一族の旗印ですか?と聞きたくなるくらいのこだわりよう。
だが作り始めてみれば、これがまた良い。
切って、貼って、書いて、笑って。気づけばあっという間に時間は過ぎ、普段は制作レクに参加しない“孤高の観戦派”までが「俺も作ろかな」とこっそり寄ってくる。
そして完成したうちわは、ただの紙製品ではない。
それは彼らの“夏の誇り”だ。
あるおじいちゃんはそれを大事そうに枕元に置いて寝ていたし、おばあちゃんの中には職員が知らぬ間に自分の部屋の壁に“額装”していた強者もいた。
試合当日には「うちわ持ったか?」「忘れたら罰金やで!」という謎の罰ゲームが課されるほど、皆のテンションは最高潮。
テレビがつく。
映し出されるのは、灼熱の甲子園。
でもこっちも負けてはいない。
エアコンの効いたフロアの最前列、手作りうちわが一斉に空を舞う。
「頑張れ〜!」「ナイスプレー!」「わしの高校、ええとこで出とるやろ!?」
いやそこ…3回戦で負けてたよね?と心の中で突っ込んだ職員は、黙って一緒にうちわを振った。
この瞬間、うちわは風を送る道具ではない。
記憶と想いを扇ぎ、心を甲子園へと連れていく魔法のアイテムなのだ。
こうして、応援席はますます熱を帯びていく🩷。
エアコンは切ってないのに、なぜか汗をぬぐう職員の姿も──。
あの日の試合、確かに名勝負だった。
でも誰より泣いていたのは、テレビの向こうの球児じゃなかった。
うちの施設の談話室、右から二番目のリクライニングチェアに座るおじいちゃん。
リプレイが流れるたび、ティッシュの山が増えていく。
「いや〜ええ試合やったなあ……あかん、泣けてきよる……」
泣きながらでも語る。
語りながらも泣く。
そう、これは立派な“涙の実況中継”だ。
普段は寡黙で、夕飯時に「醤油とって」くらいしか口を開かない彼が、この日だけは饒舌だった。
「キャッチャーの子、エラーしたやろ?あれ、責めたらあかんのや。プレッシャー、半端ないんやで」
「お、今のサード。肩ええなあ。わしの時代にもおったわ、ああいうやつ。大体モテるんや」
そのうち、職員たちも巻き込まれていく。
若手スタッフが「今のボールって、どこがすごかったんですか?」と聞こうものなら、そこから20分間の解説タイムが始まる。
「よし、今の話は“チェンジアップとは何か”を知るための入門編や!」と、熱量がもうNHK教育テレビの講師ばり。
でも、不思議なことがある。
こうして語っているとき、彼の表情がどんどん若返っていくのだ。
まるで時を遡って、記憶の中のグラウンドに戻っているような顔になる。
この人にも、こんな顔があったのか──そんな発見に、職員の胸も熱くなる。
やがて実況席はもう一人増える。
隣の椅子におばあちゃんが座って、「わたし昔、商業高校の応援団やったのよ」と言い出す。
「ユニフォームが破けたら、夜なべして縫うたんやから」
「野球部って、お風呂が長いのよね〜。みんなで順番待ってたわ〜」
おっと、今度は裏話が出てきたぞ。
これはこれで貴重な“甲子園の裏側実況”である。
球児のプレーが記憶を呼び起こし、記憶が語りを生み、語りが笑顔を作る🩷。
テレビは今や、ただの映像装置じゃない。
それは時空を超えて、青春の真っ只中へワープする装置なのだ。
「人生って、送りバントばっかりやなあ」
そのつぶやきが妙に沁みた午後。
白球を見つめながら、涙の解説者たちは、今日もリビングの実況ブースで熱く語る。
「勝っても泣く。負けても泣く。応援してるだけでも泣く。なんや、野球ってズルない?」
と、うちの施設の名物ばあちゃんが言った。
この人、普段は『大岡越前』と『相棒』の再放送にしか興味がないのに、甲子園のシーズンになると急に“熱血応援団長”に変身する。
うちわを振る手に、なぜかリズム感があるし、「ピッチャーびびってる〜!」なんてフレーズを職員より先に叫び出す。
どこで覚えたのか聞いたら、「昔、孫に教えられてな。最初は意味わからんかったけど、叫んだらスカッとするんや!」と笑っていた。
試合が終わると、いつもより静かな空気が流れる。
「終わっちゃったなあ…」
「明日も試合あるんか?」
「ここの高校、ええとこまで行くで。あの背番号1、将来プロや」
その言葉の数々には、どこかしら“自分自身”が重なっているようだった。
応援とは、誰かの努力を肯定する行為だ。
けして自分がグラウンドに立っていなくても、その気持ちは一緒になって走り、転び、泣いている。
それは若者のためのものじゃない。
むしろ年を重ねてきた者だからこそ、沁みるのだ。
誰しも、一度は何かに挑んで、打ちのめされて、また立ち上がってきた。
だからこそ、「あの子はよう頑張ったな」「エラーしても堂々しとった」と言える。
そして、「自分の人生も、捨てたもんじゃなかった」と静かに振り返る。
それは、甲子園という場所が持つ、奇跡の魔法。
そうやって、静かに試合が終わるたびに、施設の空気がふわっとやさしくなる。
いつもより「ありがとう」の声が多くなったり、「今日はええ一日やったな」とポツリこぼれる。
野球って、テレビの中だけの話やないんやなって、心の中で職員はつぶやく。
見守るだけだなんて、とんでもない。
ここにいるみんな、全員が立派な“人生のレギュラー”だ。
だから今年も応援しよう。
声を出して、手を振って、ときに涙を流して。
サヨナラホームランは、グラウンドの向こうだけじゃない。
この施設の中にも、何度だって奇跡は起こるのだから🩷。
甲子園は、ただの高校野球大会じゃない。
それは、人生という名のスタジアムに響き渡る、応援の交響曲。
そしてその旋律は、介護施設の片隅で、テレビの前の椅子からも確かに流れているのだ。
若者が必死にプレーする姿に、思わず涙を流すおじいちゃん。
応援うちわを両手にリズムを刻むおばあちゃん。
実況さながらの解説を始める元・球児たち。
そして、「わたしは昔ね、あの学校の事務員やったのよ」なんて、誰も知らなかった人生の伏線が明かされる瞬間。
介護施設の夏は、ドラマであふれている。
応援するという行為は、誰かを元気にするだけじゃない。
自分自身をも、奮い立たせる。
「今日も泣いてしもたわ」と言いつつ、顔は晴れやか。
「明日も見よか」と言う声には、まだまだ人生はこれからやぞ、という力強さがある。
それが、甲子園の魔法。
高齢者の方々が主役になれる瞬間が、応援にはある。
介護施設で観戦するという一見“静かな時間”の中に、心の全力疾走がある。
そしてその時間こそが、人生の幸福度を上げてくれる、何よりのレクリエーションなのだ。
今年の夏も、テレビの前には名監督が集う。
手にはうちわ、心には背番号、頭には記憶のアルバムを開いて。
球児たちの声が、プレーが、汗が、笑顔が、この施設にも風を運んでくれる。
そう、見守ることは、戦うことなのだ。
人生を全力で応援してきた人たちが、今もなお、若者を全力で応援している。
この夏、日本でいちばん熱い応援席は──もしかしたら、あなたの施設のリビングかもしれません🩷。
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