目次
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朝の時間って、いつも同じようで、ちょっと違う。
窓を開ければ、今日もセミが「おはよう」と言っているし、トースターはパンの耳だけ焦がすし、子どもの寝ぐせは芸術的だし、誰かが靴下を片っぽ探している。
そんなバタバタな朝もあれば、ふと目を覚ました瞬間、「あれ…静か?」と思ったら、家族全員二度寝中だった…なんて日も。
8月4日は“あの日”――あの言葉を口にするだけで、なんだか元気になれるあのひと言の日。
「お・は・よ・う」って、不思議な魔法ですよね。
言った人もちょっとすっきりするし、言われた人もホッとする。
この言葉が家の中を回り始めると、朝がちゃんと“はじまった気”になる。
さて、舞台は郊外に住む、にぎやか三世代8人家族。
上は80歳、下は0歳。
笑ったり、転んだり、抱っこされたり、ぼーっとしたりしながら、それぞれの“朝”を迎えていきます。
この夏、家族がそれぞれのカタチでちょっとだけ工夫してみたんです。
「今日のはじまりを、気持ちよくする方法ってないかな?」って🩷。
バタバタしたり、のんびりしたり、たまに寝坊したりしながら、でも最後はみんなで朝ごはんを囲んで「やっぱり、朝っていいなぁ」って思える。
そんな8人8色の夏の“朝時間”。
今日はちょっとのぞいてみませんか?
夜が明けるより少し早く、どこかで畳が「ギィ」と鳴った。
まだ空も目をこすっているような時間に、じわじわと動き出す二人がいる。
その一人は、ひぃじぃじ。
80歳、趣味は「誰よりも早く起きること」。
今日も縁側の障子をスッと開けて、「うむ、まだ誰も起きとらん」と満足気にうなずいた。
手には新聞と、昨夜から仕込んでおいた麦茶。
膝には黒猫のトラじぃが自動的に乗ってくる。
すでに体内時計は日本標準時より30分早いらしい。
もう一人は、ひぃばぁば。
78歳、朝の任務は「トマトの様子を見ること」。
いや、見るだけではない。
触る、摘む、語りかける。
「今年のアイコはお行儀がええなぁ」なんて独り言に、トマトも嬉しそうに赤くなって見える。
ふたりが朝を独占している時間は、まるで別世界。
テレビもスマホも使わない。
でも、時計もいらない。
涼しい風、カラスの声、庭の草の伸び具合、それだけで「今日は何曜日か」が分かるのだ。たぶん。
その頃、家の中はまだ夢の中。
8人家族のうち、6人は熟睡中。
つまり、8人家族の「朝の第一陣」は、この2人が切っている。
リビングの灯りもまだつかない。
けれど、冷たい水道水で顔を洗いながら、ひぃじぃじがつぶやく。
「この静けさがええんじゃ…戦の前の朝みたいでな」
朝食はまだまだ先。
みんなが目を覚ます前の“じぃばぁタイム”は、ひそかに家族の体内リズムを前倒ししてくれる、縁の下の時報係。
トマトの苗がしゃんとする頃、時計はまだ朝の6時。
けれど、ふたりの中ではもう正午くらいの充実感。
今日もこの家の一日は、この2人の「おはよう」からはじまるのだ🩷。
5時半過ぎ。
ふとんの中で、じぃじ55歳がそっと目を開けた。
誰かが動いている気配。
いや、音も気配もないのに、不思議とわかる。
あ、ばぁば54歳だ。
リビングの床を忍者のように歩いているのは、間違いなくあの人だ。
彼女の朝活は、静かに始まる。
まずは冷蔵庫の前で仁王立ち。昨日の残り物チェックに始まり、ヨーグルトにかけるブルーベリーの配置まで迷いながら、「あぁもう、豆乳の賞味期限っていつまで?」と、冷蔵庫に話しかけている。
ばぁばの動きに誘われるように、じぃじも起き出す。
彼の朝活テーマは“黙ってやれることだけやる”。
口を開けば、誰かを起こしてしまう。
特に0歳児は、空気の読めないアラームだ。
だから黙って新聞を取りに出て、黙ってお湯を沸かし、黙ってネクタイを選ぶ。
この家の「大人の朝」は、沈黙による連携プレーで保たれているのだ。
けれど、ときどきミスは起こる。
「ごはん炊いてなかった!」と叫ぶばぁば。
「そのネクタイ…法事みたい」と眉をひそめるばぁば。
「黙ってるだけじゃ、評価されんもんやな…」とつぶやくじぃじ。
とはいえ、文句を言いながら朝の空気を吸う2人の背中は、なかなかにシンクロしている。
結婚32年。
波風の立たない朝のルーティンは、長年の経験という名の知恵袋から絞り出された成果。
しかも最近は、ばぁばが朝活に“ストレッチ”を取り入れている。
ソファの前で、こっそりテレビをつけてヨガポーズ。
「ひざ、固まってきたわぁ」と言いながら、頑張る姿はちょっとだけ可愛い。
それを見たじぃじ、無言でラジオ体操を始める。
なぜか第2体操だけ。
何をするでもなく、でも何かをしてる。
派手さはないけれど、2人の呼吸がそろったとき、家の空気が少し整う🩷。
出勤まであと1時間。
8人家族のエンジンを静かに温める2人の姿に、この家の朝の平和は、しみじみと守られているのだなぁと思うのだった。
午前5時50分。
かすかな泣き声とともに、1階の静寂が破られた。
この家で“最も小さいモーニングコール装置”、0歳の末っ子次女が、元気よく号泣。
同時に、2階の寝室で何かがドサッと崩れた音。
ママ30歳である。
夢の中でマラソンしていたら、現実でもゴールテープを切ることになっていた。
「お、おはよう…」
その声はすでに、戦場に立つ者の覚悟がにじんでいる。
オムツ➡ミルク➡抱っこ➡再びオムツ。
世間ではこれを“朝活”とは呼ばないかもしれない。
だが本人にとっては、もはや立派な“朝のルーティンエンタメ”。
そのころ、2階からひょっこり登場するのがパパ32歳。
髪はボサボサ、目はまだシャットダウン中。
でも彼の手には、娘(8歳)の体操服と水筒と、なぜかティッシュの空箱。
「全部ママがやると思うなよ理論」を小脇にかかえて、やや寝ぼけながらも協力プレイを繰り広げる。
「おにぎり2個でいい?」
「うん。海苔はパリパリがいい」
「それ、昨日も言われた」
夫婦の朝は、スピード勝負と記憶力バトル。
ママはミルクを片手に長女のヘアアレンジ、
パパはゴミ出しのついでにベビーカーのタイヤに空気を入れている。
無言のうちに、段取り力がカンストしていく。
…が、忘れちゃいけない。
この家の“第2の目覚まし時計”である8歳長女は、まだ爆睡中。
そろそろ起きてもらわないと間に合わない時間なのに、なぜかママは赤ちゃんを抱きながら、ラジオ体操の第1を小声で始めた。
「なんで体操してるの」
「私にもわからん…」
そんなこんなで、やっと全員が目覚めた頃には、パパはもうYシャツを着て車のカギを探しているし、ママは娘の登校準備と赤ちゃんの離乳食セットを並べながら、すでに1日分くらい働いている。
でも、パパが玄関を出る前、ママが一言。
「今日、10分だけ2人で朝コーヒー飲んだじゃん。あれが一番うれしかった」
「俺も。ミルク混ざってた気がするけどな」
育児って、たいてい計画どおりにはいかない。
けれど、そんな“崩れた時間”の中にこそ、ふとした幸せが落ちていたりする🩷。
今日の朝活?
それはね、笑って「おはよう」が言えたってこと。
それだけで、すごいんだってば。
「夏休みって、朝がヒマなんだよね」
8歳の長女が、唐突にそう言ったのは、朝ごはんを食べ終えたあと。
大人たちが洗濯やゴミ出しや育児でバタバタする中、彼女だけがポツンとテーブルで、箸を持ったままテレビを眺めていた。
学校がある日なら、もう時間割チェック➡歯みがき➡ランドセル装着➡出陣!の流れだったはず。
でも今日は、何もない。
時間はある。
自由もある。
けれど、何をしたらいいか、思いつかない。
…そこで、ひぃじぃじからの一言が刺さった。
「朝の空気は、昼よりキレイなんやで」
そのひと言で、彼女の瞳がキラーンと光る。
数分後。
玄関に現れたのは、麦わら帽子・長靴・虫取り網装備のちょい昭和スタイル。
外に出ると、すぐ近くの公園に向かい、セミの声に耳をすませる。
「ミンミンゼミか…いや、アブラゼミ!」と、誰にも聞かれてないけど解説が入る。
朝の空は、ちょっと白くて、ちょっと青い。
まだ照りつけるような暑さじゃないから、土のにおいもやさしい。
“自由すぎてやることがなかった”時間が、“わたしだけの冒険時間”に変わっていく。
そして、家に戻ってくると、今度は「自由研究始める!」と宣言。
机の上に並ぶのは、拾ってきたセミの抜け殻、草のしおり、朝顔の花びら。
ばぁばが持ってきた色鉛筆を並べて、「このピンク、朝顔の色に似てるね」と言う声が、ちょっとだけ誇らしげ。
ママがミルクを作りながらチラッと見て言った。
「今日は朝からすごい活動的じゃん」
「うん。セミの声で目が覚めたし」
「それ、たぶん弟の泣き声だよ」
「…じゃあ、ありがとうって言っておこうかな」
自由な時間が、不安じゃなくなったのは、“朝はヒマ”と思っていた自分が、“朝ってチャンスかも”に変わったから。
夏の朝、ひとつ賢くなった気がする。
それは大人からもらったヒントと、自分で作った選択の結果🩷。
次は何をしようかな。
朝って、もしかして一番ワクワクする時間かもしれない。
時刻は午前5時47分。
家族が「もうひと眠り…」と思っていた矢先、突如鳴り響く“オペラのソプラノ”のような叫び声。
この家で最も小さく、最も声がデカい――0歳の末っ子女子の朝が始まった。
まず、ママが飛び起きる。
パパがベッドの中で一瞬だけ目を開く。
長女は枕を頭にかぶる。
ひぃじぃじは縁側で「おっ、今日も定刻通りやな」とニヤリ。
起きるつもりのなかった全員が、なんとなく目覚める。
彼女はまだ“朝活”という概念を知らない。
ただ、生理的にお腹がすいて、おむつが気になって、背中がちょっと冷たくて、「うぅぅぅ……あああああ!!!」と叫ぶだけで、朝が始まる。
ミルクを飲みながら、天井の模様を見つめるその目は、なぜか哲学者っぽい。
飲み終えたあとの「フハァ〜」というため息が、なぜか人生に達観している。
おむつを替えられている間、手足をばたつかせるのも、ひとつの“運動”。
本人は覚えていないけれど、立派な“健康習慣”。
しばらくすると、誰かの膝の上に座ってニコニコし始める。
次に泣くまでの、短い平和な時間――それはまるで夏の夕立のあとの虹のよう。
そんな中、8歳の姉がぽつりとつぶやいた。
「なんかさ、この子が一番“ちゃんと朝してる”気がするんだけど」
ママも笑いながら答えた。
「まぁね。寝て、起きて、食べて、運動して、笑って泣いて、また寝る。理想的よ」
ひぃばぁばがトマトを見ながら一言。
「ええなぁ、泣くだけで誰か来てくれるって…」
0歳児の朝活は、だれかのスケジュールにも、だれかの癒しにも、そして家族の笑顔にも、静かにしっかり貢献している。
泣き声から始まった朝なのに、気がつけば誰かが笑っている。
それが、ちびっこ大魔神のすごいところ。
何もできないようで、実はとんでもなく“してくれてる”。
今日も彼女は、満足げに指をちゅぱちゅぱさせながら、パパのスーツにヨダレをつけて、また世界を征服した気分なのであった🩷。
この家の朝には、ふたつの“老いの流派”がある。
ひとつは、ひぃじぃじ&ひぃばぁばの「超早朝絶対主義」。
もうひとつは、じぃじ&ばぁばの「まあまあ早起き寛容派」である。
ひぃじぃじは、4時台にはもう目を覚ましている。
まだ夜明け前、うっすら明るくなりかけた空を見ながら、「そろそろ鶯が鳴く頃や」と呟くが、家族の誰も確認していない。
ひぃばぁばは、同じく早起きだが「無音草取り」などを得意とし、自分だけの時間を誰にも邪魔されずに過ごす達人。
朝のトマトに語りかける様子は、もう夏野菜の精神科医である。
一方、じぃじ&ばぁばの朝は、もう少し“現代社会寄り”。
だいたい6時過ぎに、スマホのアラームでゆるりと目覚め、ストレッチをしてからトーストを焼くか、トーストを焼いてからストレッチするかで悩む日々。
じぃじは最近、動画で学んだ「腸活体操」を導入中。
やや腰をひねりながら、「この動き、意外と下っ腹にくるぞ」などと真面目に言っている。
ばぁばはその横で、ラジオ体操第1の動きにスローBGMをかぶせて「勝手にヨガ」に変換。
まさに自己流、ここに極まれり。
しかし、決してこの二世代がぶつかることはない。
価値観の違いはあっても、朝は争いを生まないのだ。
理由は簡単、「朝に喧嘩する元気がない」から。
それに、朝の空気の中では、たいていのことが許せてしまう。
それぞれの持ち場、それぞれの歩幅で。
ひぃじぃじは座って新聞を読み、じぃじは立って洗濯物を干し、ばぁばは麦茶をつくり、ひぃばぁばはなぜかもう一度トマトの様子を見に行く。
そのすべてが、“家族の朝”の一部になっていて、誰もが誰かの“起動音”になっている。
「歳をとると朝が早くなるって言うけど、それもまた才能やな」
じぃじが呟くと、ひぃじぃじは涼しい顔で答える。
「才能やない、習慣や」
なるほど、どちらも正しい。
この家の朝がきちんとまわっているのは、早すぎる人と、ちょうどいい人がいるから。
朝って、速さよりも“重なり方”が大事なのかもしれない🩷。
朝はバラバラ。
でも朝食は、いっせいに。
この家の不文律みたいなもの。
時間もテンションも食欲もそろってないけど、とりあえず“並ぶ”ことだけはそろえる。
テーブルの上には、いろんな朝活の成果が並ぶ。
ひぃばぁばが朝摘みしたミニトマト、ばぁばのぬか漬け、パパ特製のなんとなく形が個性的なおにぎり。
8歳の娘が自分で盛りつけた納豆と、0歳の赤ちゃんがさっき落としたスプーン。
「これ、塩むすびって言うより“しおボム”やん」
じぃじがパパのおにぎりを見て苦笑い。
「爆発的においしいって意味でしょ?」とパパが言い訳すると、ママが笑いながら「わたしの目覚ましより目が覚めたかも」とうなずいた。
8歳女子はというと、朝からトマトを4つ食べた。
「だってひぃばぁばが育てたんだもん」と言われたら、誰も止められない。
ひぃじぃじは新聞を読んでいるふりをしながら、テーブルを横目でチェック。
さりげなく自分の茶碗のご飯の量が少ないことに気づいて、でも言わない。
すぐあとに赤ちゃんがヨダレでベタベタのスプーンを落として、その音で忘れた。
ばぁばはヨーグルトにきなこをかけながら、じぃじに話しかける。
「昨日の洗濯物、夕方までに取り込んだ?」
「えっ…」と固まったじぃじが黙ったままご飯をかきこむ。
8人分の朝は、それぞれの“朝”を通り抜けて、ようやく集まる“にぎやかの極み”。
赤ちゃんの笑い声が突然食卓に降ってきたり、ひぃばぁばが「トマトに塩かけすぎ」と小言を放ったり、ばぁばの麦茶が全員のコップを制覇しそうになったり。
でもそのすべてが、いつもの朝。
特別じゃないけど、ちゃんと“ひとつの家族”としてまとまっている時間。
誰かが静かだったら、誰かがにぎやかで、誰かが動いたら、誰かが笑って、誰かがこぼして、誰かが拾う🩷。
朝って、何かを片づける時間じゃなくて、何かを分け合う時間なのかもしれない。
今朝も、8人分の“おはよう”が、ちゃんと並んでいた。
朝って、どうしてこうも毎日ちがうのだろう。
昨日と同じ布団で寝たはずなのに、起きたときの気分がまったく違う。
同じ景色のはずなのに、空の青さが違って見える日がある。
この家の8人も、8つの“朝”を持っている。
超早起きで新聞を読みながら風を読む人もいれば、ミルクを片手にふらつきながら“朝が戦場”な人もいた。
にぎやかに、静かに、自由に、こっそりと——
誰かの「おはよう」は、もう誰かの“朝活”だったりする。
でも、朝ごはんの時間だけは、ちゃんと全員がテーブルに集まる。
それぞれの朝が、それぞれのスピードで重なっていく。
まるで家族という名のオーケストラ。
誰かの寝ぐせが指揮棒で、赤ちゃんの泣き声がトライアングル。
ひぃばぁばのトマトが第一バイオリンで、ばぁばのぬか漬けがチェロ。
決して完璧じゃない。
ときには寝坊も忘れ物もあるし、おにぎりが塩辛すぎて、朝から水分補給しすぎる日だってある。
でも、そんな朝も含めて、家族の“リズム”になっていく。
たった一言、「おはよう」
それだけで、人と人の距離がちょっとだけ近くなる。
それだけで、一日のスタートがやさしくなる。
もし今日の朝、なんとなく気持ちがモヤモヤしていたら、ちょっと深呼吸して、窓を開けて、言ってみてください。
「おはよう🩷」
そこから始まることは、案外、いいことだったりするのです。
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