目次
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「ママの小学校ではね、給食の揚げパンにきなこがたっぷりかかってたのよ〜。しかも、余った分は争奪戦だったんだから!」
その日、ママがいつもより少しだけうれしそうに話しながら、スーパーの袋からパンを出した。
パンはパンでも、砂糖まみれの、どこか心にすきま風が吹くようなコッペパン。
私はそれをひとくちかじって、そっとつぶやいた。
「…これ、きなこ、どこいったの?」
私は小学2年生。
見た目は子ども、中身はわりと大人。
つまり、名探偵タイプの女の子だ。学校ではまだ九九が言えない男の子が、ヒーローごっこで戦ってる。
でも私は、いま戦ってるの。
失われた“きなこ揚げパン”という名のミステリーと。
きなこの揚げパンなんて、どこにでもあるでしょ?なんて思ってた。
けど、うちの近所にはない。スーパーのパン棚に並んでるのは、白い砂糖のやつばかり。
しかもなんか、揚げてないっぽい。
ふわふわしてるし、カリッともしてない。見た目だけ“揚げた風”のコッペパンに、うす〜く甘さがまぶされてる。
「これは、偽装か?」
そう思ったとき、私はこの謎を解き明かすことを決意した。
ママの思い出の味は、なぜうちの町にはないのか?
そもそも“きなこ揚げパン”って、どんなパンだったのか?
そして私は、それをもう一度、ママに食べさせてあげられるのか?
ここから始まるのは、ちょっとだけ壮大で、かなりお腹がすくかもしれない物語🩷。
これは、名探偵まどかが一年かけて追いかけた、「味の記憶」と「パンの真実」の探究ノートである。
うちのママはね、ときどき給食の話をすると、やたらテンションが高くなる。
この前もそうだった。
「千葉の小学校の給食ってね、きなこの揚げパンが最高だったのよ〜。揚げたてで、外はカリカリで、中はふわふわで、しかも香ばしいの!」
そのときのママの目はキラキラしてて、まるでアニメのヒロインが好きな人のことを語ってるみたいだった。
そんなにおいしいパンがあるなら、私も食べてみたい!って思ったの。
だって、うちの学校の給食に出てくる揚げパンは、きなこなんて見たことない。
たまに白い砂糖のパンは出るけど、それって、なんか…甘いだけ。
カリカリもしてないし、ふわふわもしてないし、なんなら揚がってない気がするのよね。
だから私は決めたの。この「ママのきなこ揚げパン伝説」のナゾをぜんぶ解いてみせる!
まず最初の調査は、“味の記憶”ってやつ。
つまり、ママが覚えてるそのパンの味って、ほんとにそんなにすごかったのか?
どこがどう違ったのか?
私は探偵ノートをひらいて、聞き込みをスタートした。
「揚げパンのきなこってね、なんていうか、ただの粉じゃないの。香ばしくて、パンの油とまざってて、きなこもちょっとしっとりしてて…咽込んだ記憶もない」ってママがうっとりしながら語るその横で、私はメモメモ。
「それにね、たぶん使ってた油も違ったのよ。今のスーパーのパンって、サラダ油の味しかしないけど、昔はもっと“こってり”してた気がするわ。ラードとかだったのかも」
ラード…?ラードって、たしか豚の油だったはず。
パンを豚の油で揚げるって、すごくない?それって…ほぼ豚カツじゃん。
次に私は、うちの近くのパン屋さんに突撃取材した。
あそこのおじさん、ちょっとぶっきらぼうだけど、パンのことはよく知ってるの。
「きなこの揚げパン?昔のは揚げたてをきなこにザザッとかけてたんだよ。今のはパンに粉を機械でふわっと吹きかけてるだけ。染みてないんだ、あれは」
ふむふむ、つまり味のキモは“粉の量”じゃなくて、“タイミングと勢い”だったわけね。
そして、最大の手がかりは、ママのぽつりとこぼしたこの言葉だった。
「たぶんね、あのパンって、余ったパンとか、売れ残りを揚げてたのよ。もったいないから。でもそれが、めっちゃおいしかったのよね…」
うーん……売れ残りが最高においしいとか、もう謎が深すぎるよ!
私は気づいたの。
もしかして“きなこ揚げパン”って、ただの食べ物じゃないのかも。
味だけじゃなくて、タイミングとか、使ってた油とか、揚げた人の工夫とか、いろんな“偶然と愛情のミックス”でできてたんじゃないかって。
スーパーで売ってるパンは、たしかにキレイで、甘くて、ふわふわで…でもね、あの伝説のパンにある“なつかしさ”とか“香ばしさ”が、どこにもないの。
たぶん、それって「規格通り」のパンには出せない味なんだ。
つまり私は、いま“伝説のパンの影”を追いかけているのかもしれない。
ということで、まどか探偵、最初の調査完了!
次の作戦は、「今のパンはなぜがっかりなのか?」を解明することにする!絶対においしさの“犯人”を見つけてやるんだから🩷!
事件はスーパーで起きていた。
いや、正確にはパン棚の前。
「きなこ揚げパン」と書かれた袋を見つけた私は、ちょっとテンションが上がった。
ついに出会えたか…あの幻のパンに──。
でも、帰って開けてひとくち食べて、私は思わずつぶやいた。
「……これは、パンにきなこ“風”の粉をちょろっとかけただけでは?」
ふわふわしたパン。
きなこはまぶされてるけど、どこかパサパサ。
何より、香ばしくない。
パンそのものは甘いのに、なんでか味がスカスカなの。
しかも、肝心の“揚げた感”がない。
パン屋さんの話だと、今の揚げパンって「焼いたあとに軽く油を塗るだけ」だったり、「揚げずにきなこだけかける“揚げ風パン”」もあるんだって。
揚げパンじゃなくて、揚げ“もどき”パンじゃないの…それじゃ満足できるわけないじゃん!
「きっと油が違うんだわ」
私はそう思って、スーパーの裏ラベルをじーっと観察。
そこには「植物油脂」とか「ショートニング」とか、カタカナと漢字が混ざった謎ワードが並んでいた。
ママは言ってた。
「昔はね、ラードの香りがほんのりしてて、それがパンに合ってたのよ」って。
私だってラードは知ってる。
焼きそばパンに入ってた豚の油身のやつ!つまり…今のパンは香りからして“別物”だったんだ!
それに、揚げたてじゃないことも問題だった。
たぶん、袋詰めして、冷めて、何時間も経って、それから売られてるから、パンがしっとりというより**“ぐったり”**してるの。
カリッとした食感もなければ、ジュワッと広がる油の甘みもない。
あるのは…「あ、粉が舞った」っていう軽いむせこみと、パンの自己紹介が終わったような沈黙だけ。
これは、まちがいなく、“本物”じゃない。
ママの思い出とは、ちがう。
あの味は、スーパーの均一パックじゃ再現できない何かだったのだ。
だけど、じゃあどうしてスーパーではこればっかり売ってるの?
それにはどうやら、“オトナの事情”というやつが関わっているらしい。
たとえば、油をたっぷり使うとコストがかかるし、日持ちもしないし、べたべたするし、袋に入れて売るには向かない。
そもそも、きなこって粉だから、舞って大変らしい。
口に入れる前に鼻に入るし、掃除も面倒だし。
おまけに、粉が舞う=アレルゲンも舞うってことで、工場では嫌われる素材No.1なのだとか。
私は思った。
ママがあんなに語った味は、「非効率のかたまり」だったんだ。
でも、それがいいの。手間ひまかけた“あの一瞬”だからこそ、忘れられない味になるんだと思う。
今のパンは、たしかにキレイで、お行儀がよくて、効率的で、安全。
でも、ちょっとおいしくない。
だから私は、今日もパンの棚の前で立ち尽くす。
袋の裏を見ながら、揚げたかどうかをチェックして、きなこが“本気”かどうかをにらんで──それでも「やっぱ違う」と言って棚に戻す。
私はまだ、本物のきなこ揚げパンに出会ってない。
だけど、その味を追いかけることが、もうすでに“冒険”なのかもしれないって、少し思ってる🩷。
私はね、ずっと思ってたの。
「なんでうちの町には、きなこの揚げパンがないの?」って。
きなこが売り切れてるわけでもないし、お豆の粉だから体に悪いわけでもない。
むしろ健康っぽいのに、スーパーにもパン屋さんにも“砂糖のパン”ばかり。
それも、ただ甘いだけの白砂糖をまぶしたやつ。
正直、きなこが恋しくてたまらない…。
でもね、ある日、ママのスマホをこっそり借りて「きなこ 揚げパン 関西」で検索してみたの。
そしたら──びっくり!
「関東ではきなこ揚げパンが定番。でも関西では白砂糖が多いです」って書いてあるページがたくさん出てきたの。
えっ、そういうものなの?
これってまさか、きなこvs砂糖の文化戦争なの?
私は急いで探偵ノートに書いた。
「きなこは関東、砂糖は関西、理由は……不明。これは、文化の境界線なのかもしれない」
でもね、よく考えたら変なのよ。
いまは令和。
電車も飛行機もあるし、ネットで注文すれば北海道のメロンだって届く時代。
なのに、“きなこパン”が関西で手に入らないなんて、なんか不自然じゃない?
そう思った私は、近所のパン屋さんで思い切って聞いてみた。
「なんで、きなこの揚げパンないんですか?」
すると、おじさんがぼそっと答えた。
「だって、売れへんもん。関西の人は、きなこより白い砂糖の方が好きやし…って会社の人に言われてるわ」
おぉっと、これはただの味の違いじゃないぞ。
誰かが“売れそうな味”を勝手に決めて、そう売ってるだけなんじゃ…?
私の頭の中に、うすくれない色のパン会社の会議室が浮かんだ。
「この地域は白い砂糖メインでいきましょう。きなこは関東だけの供給にします」
「えーと、九州は黒糖文化あるんで、そこも別パターンで」
「ロスが出ないようにパッケージは統一、でも味は分けて差別化しましょう」
……って、ちょっと待ってよ!
私たち、パンで国境つくってるの!?
同じ日本に住んでて、どうして「こっちは砂糖で」「そっちはきなこ」なんてことになるの?
“きなこ好き”の子どもが関西に生まれたら、それだけで一生おいしい思い出を持てないってこと?
なんだかちょっと…さみしくて、くやしくて、理不尽じゃない?
このままだと、私たちは“売れ筋”でしか生きられない。
パン会社が「この辺は砂糖です」って決めたら、私の思い出は売り場に並ばないまま消えていっちゃう。
これってもう、パンの話じゃない気がしてきた。
私は思った。
「本当の味って、“売れるかどうか”じゃなくて、“残したいかどうか”じゃない?」
きなこが好き。
それは、ママの記憶でもあって、私が追いかけてる“正体不明のおいしさ”でもある🩷。
それを“おとなの判断”で棚から消すなんて、ぜったいに許せない。
だから私は、探偵ノートに新しい項目を書いた。
《きなこパン文化復元計画》
それはまだ、ちいさな女の子の落書きみたいな夢だけど──いつか、ちゃんと誰かに届くといいなって思ってる。
私はふと思ったの。
「もしかして、日本以外でも“揚げパン”ってあるのかな?」って。
だって、パンってもともと外国のものでしょ?
きなこはないかもしれないけど、パンを油で揚げるぐらい、きっと世界のどこかで誰かがやってるはず。
さっそく私は図書室へ向かった。
え?Google先生?
もちろん使うけど、探偵には“足で稼ぐ調査”も大事なの。
しかも、図書室にはあの“なんでも知ってる”司書の先生がいる。
「先生、外国にも揚げパンってありますか?」
「あら、まどかちゃん…あるわよ、いっぱい!」
それから私は知った。
アメリカには“フライブレッド”っていう、ネイティブアメリカンの伝統的な揚げパンがあるってこと。
モチモチしてて、ハチミツやベリーソースをかけて食べるんだって。
もうおいしそうすぎる!
ハンガリーには“ラーンゴシュ”っていう、チーズやサワークリームをのせた豪快な揚げパンがあって、なんとトッピングにニンニクも使うらしい。
うーん…これは給食では出せなさそうだけど、すっごく気になる。
イタリアでは“クレシェンティーナ・フリッタ”っていう揚げパンがあって、ハムやチーズをはさんで食べるスタイルらしいし、リトアニアにはなんと、黒パンを油で揚げた“ケプタ・ドゥオナ”というパンスナックまであるんだとか。
パンを揚げるって、もしかして世界共通の正義?
私はノートにメモをとりながら、ちょっと心がぽかぽかしてきた。
“きなこ揚げパン”はたしかにうちの町では絶滅危惧だけど、世界にはまだ**“いろんな揚げパンの仲間たち”が生きてる**。
しかもどの国でも、揚げパンって庶民的で、あたたかくて、ちょっと甘くて、そして笑顔になれる食べ物なんだってわかってきた。
そう考えたら、ちょっとだけ嬉しかったの。
だって私は、“消えてしまった味”を追ってたつもりだったけど、実は世界中に“似た気持ち”を持った人たちがいるってわかったから。
きなこはなくてもいい。
サワークリームでも、ニンニクでも、黒パンでも、それぞれの揚げパンには、それぞれの国の思い出と工夫がつまってる。
それって、“味の文化”っていう地図みたいなものかもしれないって思った。
だから私は、新しい作戦を立てた。
次の探偵ミッションは…自分の手で揚げパンを再現してみること!🩷
世界の揚げパンがこんなに自由なんだから、私にもできる気がしてきたの!
いよいよ、まどか探偵の「おいしさ復元作戦」が始まる──。
私はついに決意した。
もう、スーパーの棚に期待しない。
パン会社の効率だとか、マーケティング会議だとか、そういうのとはもうサヨナラする。
私は“自分で”作る。
きなこの揚げパンを──この手で!
作戦コードは「きなこ・リバイバル作戦」。
キッチンに立った私は、白いエプロンに手ぬぐいを巻いて、もう完全に気分は給食室のプロフェッショナル。
ただし、調理実績は「卵割り1回」「おにぎり失敗3回」。
…多少のリスクは覚悟の上だ。
材料はシンプル。
コッペパン、サラダ油、きなこ、砂糖。
あと、大事なのは情熱。
まずは油を熱しすぎて、ママに「それ煙だからね!」と叫ばれる。
次にパンを入れてみたら、なんと油がジュワッと広がって、パンが金色に…!
「きゃーっ!おいしそうっ!」
揚げパンって、本当に“揚げるパン”なんだね…。
私はなぜか感動しちゃった。
油から引き上げて、すぐにきなこをまぶす。
いや、まぶすっていうより、ぶっかけた。
なぜなら、それが正義だから。
袋にきなこ+砂糖をたっぷり入れて、パンを入れて、ふりふり。
思わずテンションが上がって、フリフリしすぎて袋が裂けた。
キッチンが粉まみれになった。
でも、いいの。
これは戦いだから。
そして、ついに完成──“まどか特製・揚げたてきなこ揚げパン”。
見た目は…まあまあ。
でも、あの香り。
あの黄金色。
あのフワジュワな手触り。
「ママ、できたよ」
ママがひとくち食べたとき、私はその目を見逃さなかった。
ほんのちょっと、うるんでた。
「…これよ。私が食べたかったの、これなのよ…」
私は、言葉じゃない“ありがとう”を受け取った気がして、胸がじーんとあったかくなった。
味は完璧じゃないかもしれない。
パンがちょっと焦げてたり、油っぽかったり、きなこが鼻に入ったりもする。
でも、それでもいい。
自分の手で作った“思い出”は、どんな高級品よりも特別なんだ🩷。
私は気づいた。
「もう売ってないなら、自分で作ればいい」
「味を知らない子がいるなら、いっしょに作ってあげればいい」
それが、きなこ揚げパンの未来をつなぐ方法かもしれないって。
その日から、私は“パン作戦本部長”を名乗ることにした。
うちの家では、パンにきなこをかけるのは私のしごと。
なぜなら、この手で思い出をまぶすことができる人は、そう多くないから。
私がきなこ揚げパンを自作してから、ちょっと気になることがあった。
うちのクラスの子たちに聞いてみたの。
「ねえ、きなこの揚げパンって知ってる?」
そしたら…え?何それ?という顔がほとんど。
なかには「パンに粉って…変じゃない?」とか、「揚げパンって出たことないよ〜」っていう子までいた。
なんということでしょう。
この国の未来を担う子どもたちが、きなこ揚げパンの存在を知らないだと!?
このままじゃ、“きなこ揚げパン”は博物館入り確定の文化財コースになってしまう…!
私は家に帰ってから、真剣に調べた。
そしたらね、今の給食って、昔よりもずっと「ヘルシー・低脂肪・高栄養バランス」が求められてて、揚げパンそのものが“特別メニュー”になってる学校もあるんだって。
出たとしても、年に1回とか2回とか。
しかも、油の関係で揚げてない「焼き揚げパン風」になってるところも…。
それに、アレルギー対応とか、調理効率とか、いろんな理由が重なって、きなこみたいに粉が舞う素材は避けられることがあるらしい。
「えー、それって、きなこが悪いわけじゃないのに…」って、私はちょっとショックだった。
つまり、私が追いかけていた“あの味”は、ただスーパーから消えたんじゃない。
学校の食卓からも、静かに消えかけていたんだ。
でもね、私は思ったの。
たとえ給食に出なくなっても、たとえ子どもたちが知らなくても、思い出の中で生きてる味は、本当には消えないって。
それに、誰かが「こんな味があったんだよ」って話せば、それはちゃんと“伝わる”。
きなこ揚げパンが消えたって言われたって、私はもう知ってる。
おうちで揚げて、きなこをたっぷりまぶして、鼻に入って「クシュン!」ってなるのが本物なんだって。
だから私は、きなこを“知ってる側”の子として、できることをしていきたい。
未来の子に、「それ、すごくおいしいよ」って胸を張って言えるように。
たぶんそれが、“思い出を継ぐ”ってことなのかもしれない。
この味が絶滅しないように。
もうひとりのまどか探偵が、明日も生まれるように。
私はこれからも、粉まみれの戦いを続けるつもりだ🩷。
私が図書室で見つけた古い給食資料には、こう書いてあった。
「きなこ揚げパンは、戦後の子どもたちの栄養を補うために生まれました」
その言葉を読んだとき、なんだか胸がぎゅっとした。
だって、私たちが「おいしい!また出して!」ってはしゃいでたパンが、実は“生きるために工夫されたもの”だったなんて、思いもしなかったから。
ラードで揚げて、きなこをたっぷりまぶして。
エネルギーもたんぱく質もちゃんと取れて、余ったパンまで有効活用。
あの時代の大人たちは、「おいしくて、体にもいい」を両立させようとしてたんだ。
その努力って、すごくない?
でもね、今の給食って…たしかに「安全」にはなったかもしれない。
でも、“おいしい”“楽しい”“もう一口食べたい”が、どんどん消えてる気がする。
アレルゲン?わかる。
命に関わることもある。
でも今は、代替え食だってできるし、工夫のバリエーションもあるはずなのに、
どうして「全員一律、きなこは危ないからナシ!」ってなるの?
どうして「粉が舞うからやめとこう」で片付けちゃうの?
教育って、“みんな一緒”だけが正解じゃないんじゃない?
誰かが食べられないなら、「じゃあ代わりにこうしよう」「選べるようにしよう」
そういう工夫が“教育”じゃないの?
なのに今は、「手間だからナシ」で終わる。
私は気づいてしまった。
アレルゲンだけじゃない。
クレームを避けたい大人たちと、効率を求める企業の握手が、大事な“食の文化”を静かに潰してるんだって。
添加物で日持ちするパン。
冷めても柔らかいように化学調味された味付け。
見た目がキレイなだけの、お行儀のいい献立。
それって、本当に“豊か”って言えるの?
「思い出に残る味」と「とりあえず無難な味」
その境目に、未来の子どもたちが立たされてる。
私は叫びたい。
「揚げパンにきなこをまぶすのに、企業の許可なんていらない!」
「文化は、効率じゃ測れない!」
「“おいしかった”は、心で作るものでしょ!」って。
そう思ったら、なんだかパンの粉をまぶす私の手が、ちょっと誇らしく思えてきた。
この粉、ただの大豆じゃないよ。
文化をまぶしてるんだよ。
そして私は、探偵ノートの最後のページにこう書いた。
きなこ揚げパンは、給食のごちそうだった。
そして、当時の大人たちが作った“文化の知恵の結晶の1つ🩷”だった。
だから私は、今日もきなこをまぶす。
ママの記憶と、自分の意地と、未来のために。
きなこ揚げパンって、なんでこんなに気になるんだろう。
あの日からずっと考えて、調べて、食べて、粉まみれになって、また考えて。
気づけば、私は揚げパンのことばっかり考える小学2年生になっていた。
最初はただ、ママが話してくれた“思い出の味”を食べてみたいって思っただけだった。
でも追いかけてみたら、それはひとつの家庭の話だけじゃなかった。
時代のこと、地域のこと、学校のこと、商売のこと、文化のこと──
小さなパンの話の中に、いろんな人の努力とか、歴史とか、そして想いがつまってた。
給食のおばちゃんたちが、売れ残ったパンをどうにか子どもたちに届けようって、ラードでジュワッと揚げて、きなこをたっぷりまぶしてくれたこと。
それを食べて、みんなが笑顔になって、おかわりジャンケンがはじまって、それがいつの間にか“伝説の味”になったこと。
それが、ちゃんと意味のある「ごちそう」だったって、私は今ならわかる。
でも、いろんな事情で、そのパンは今はもう売られてなかったり、給食に出なくなってたりする。
おとなの都合とか、工場の効率とか、粉が舞うから掃除が大変だとか──
なんかそういう理由で、あの味は静かに消えかけている。
だけど私は、思うの。
それって、ほんとに仕方ないこと?
味って、だれかが作って、だれかが覚えてて、そして、だれかがもう一回作れば、ちゃんと残せるんじゃないかなって。
だから私は、今日もまぶす。
おうちで揚げたパンに、きなこをどさっとまぶして、むせながら食べる。
ママが笑ってくれて、私も笑って、また揚げパンの思い出ができる🩷。
それがきっと、“次の誰か”に伝わるスタートになるんだと思う。
きなこ揚げパン。
それは、おいしさの思い出であり、家族の味であり、そして、なくなりそうになった文化を守るための、ちいさな勇気のしるし。
私は今日も探偵ノートに記す。
「この味を知らない子がいたら、教えてあげること。それがわたしの、まどか探偵としての最後の使命です。」
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