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泥の中から今日も咲く蓮の花とおじいちゃんの午前5時

はじめに…それは誰にも気づかれない静かな朝の出来事だった

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高齢者施設の庭の片隅に、誰が置いたのか定かではない鉢植えがひとつ。

よく見れば、その中にニョキッと伸びる一本の茎。

葉っぱはまるでUFOの傘、茎は思春期の男子の背筋のようにグニャリと頼りない。

それでもこの子はじっと構え、梅雨明けの湿った空気に向かって静かにスタンバイしていた。

「なんか植えとるで」

「いやいや、あれは水のたまった皿や」

「うんにゃ、あれはワシの枕やったかも知れん」

朝の談話室では、例の鉢が何者なのかという議論が巻き起こり、いつの間にか「宇宙から来た水分補給装置」という謎設定まで飛び出した。

全員、想像力だけはNASA超え。

ところがある日の早朝、まだスズメすら寝ぼけている5時3分。

ひとりの入居者がふらりと廊下を歩き、例の鉢に近づいた。

そして──

「……咲いとる。」

たったそれだけのつぶやきに、施設の朝が、ほんのり色を帯びはじめた。

その花の名前を、私たちは知っている。

だけど、あの日咲いたその姿は、名前なんかよりも、もっと何かに似ていた。

それは、

「泥の中から、それでも咲く🩷」

そんな人生そのものだったのかもしれない。

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第1章…眠れぬ夜と廊下の端のつぼみのような影


高齢者施設の夜は、静かだ。

あまりに静かすぎて、たまに冷蔵庫のモーター音が「誰かがうめいているんじゃないか?」というホラーな疑惑を呼び、看護師さんが懐中電灯片手に巡回に出るほどである。

そんなある晩、ひとりの入居者、タケさん(仮名・85歳)は、ベッドの上で目をパチクリしていた。

テレビのリモコンはいつの間にか布団の中、読んでいたはずの新聞は上下逆で、めくったページには去年の競馬の結果。

「こりゃあ眠れんわい」と、タケさんは立ち上がり、誰もいない廊下を歩き出した。

その足どりは慎重そのもので、歩幅は平均1.2秒に1歩。

途中、自販機の前で「BOSS」と書かれた缶コーヒーのロゴに軽く敬礼しつつ、タケさんは静かに、あの鉢のある中庭へと向かった。

そして見つけたのだ。

暗闇の中に、ぽつんと浮かぶ、つぼみ。

しかも、なんだかちょっと猫背で、眠たそうにしている。

「お前も眠れんのか」

タケさんはぼそっと言った。

返事はない。

そりゃそうだ。

相手は花である。

だが、誰かに話しかけたくなる夜も、ある。

花だって、聞いてくれるような気がする。

その夜、タケさんはしばらくのあいだ、その“つぼみの影”の前に立っていた。

腰に手を当てて、鼻をすすって、なぜか少しうれしそうだった。

やがて彼は、誰にも言わずに部屋に戻った。

けれど翌朝、その出来事は、ささやかな“革命”として、施設中に広まることになる。

咲いたんだ。

咲いたんだよ、あれが。

その始まりの夜は、たった一人と、一つのつぼみの、秘密の時間だった🩷。

第2章…蓮の鉢と昭和のおやじギャグの奇跡的な親和性について


タケさんがつぼみを発見した翌朝、食堂は妙にざわついていた。

「咲いとったぞ」

「ほんまかいな」

「ワシも今朝5時に目が覚めたら花が咲いとったわ」

朝の味噌汁より先に話題になったのが、あの鉢である。

問題の鉢は、施設の中庭、通称“グリーンゾーン”の片隅にひっそりと置かれていた。

最初は「空き缶入れか?」と誤解されたものの、ある日職員さんが「ハスの花が咲くらしいです」と言ったのがきっかけで、にわかに注目を集めはじめた。

ところがこの蓮、朝早くしか咲かないという曲者である。

職員のAさん(早番)しかその開花を見たことがなく、「本当に咲いてるのか?」「CGちゃうんか?」と疑いの目を向けられていたのだ。

そんな中、タケさんの「咲いとった」証言は極めて重要である。

彼は証拠写真こそ持っていないものの、目撃者として十分な信頼性を持っていた。

なにせ、将棋では“王手飛車取り”より“昼寝取り”が得意な冷静沈着派だ。

しかし、目撃談だけでは人の心は動かない。

そこで始まったのが“蓮ウォッチング同好会”である。

午前5時に目覚ましをかける者。

起きたはいいが、歯を入れ忘れて沈黙する者。

そして、「ハスだけに、話すのは禁止?」と謎のダジャレを放って周囲を凍らせる者まで現れた。

ここにきて、蓮の花が咲いたことよりも、「早朝の中庭がこんなに賑わっている」という現象が話題になり、ついには施設長が「蓮が施設活性化の鍵とは…予想外でしたね」と、どこか遠い目でつぶやく始末。

そしてタケさんはというと、例の花を見たあの日から、毎朝の日課として中庭パトロールを継続中。

「ワシが第一発見者やけんの」と軽く胸を張って歩くその姿は、どこか“蓮の番人”の風格すら漂わせている🩷。

こうして、1つの花のつぼみが、数十人の早起きを誘発し、昭和のオヤジギャグをも再起動させるという、不思議な連鎖が施設に巻き起こっていた。

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第3章…咲いたんだよ──5時3分の自慢と謎の感動タイム


翌朝、午前5時3分。

またしてもタケさんは起きていた。

というより、起きる予定だった。

というより、もう寝てなかった。

ベッドに横たわりながら「起きたら勝ち」みたいな静かな闘志を燃やしていた彼は、目覚ましが鳴るより1分早く、そっとベッドから抜け出し、リビングを通って、足音を忍ばせるように例の鉢へと向かった。

そこには昨日と変わらない“つぼみ”が──と思った次の瞬間、

パアッ…と。

花が、ほんのすこし、開いた。

それは、「おはよう」と言うにはまだ遠慮がちだけれど、「今日は咲く気あるで」と伝えるには十分な開き方だった。

タケさんの目が丸くなった。

次に口が三日月型になった。

そのあと両手が、謎の盆踊りのようなポーズをとりはじめた。

「おぉぉ……ワシがまた、見たぞ……これは…あれや……あの……」

名状しがたい感動を噛み締めながら、彼はそのまま数秒間、固まった。

そして朝食の時間。

タケさんは、例の席につき、しれっと湯呑を持ちながら放った。

「咲いたんだよ、今日も」

食堂は一瞬静まり返ったあと、

「見たんか!?」

「写真あるんか!?」

「タケさんばっかりずるい!」

という、騒然とした“羨望の嵐”に包まれた。

中でも施設最年長のミノさん(91)は、「タケ坊ばっかりズルイやん」と言いながら、納豆のパックを開ける手が止まり、しばし目を閉じた。

「……そうか、咲いたんやな」

その表情には、ほんの少し涙がにじんでいた。

誰かが朝、花を見て感動したことが、誰かの心にもそっと灯をともす。

誰かの「見た」が、誰かの「見たい」を呼び起こし、やがてそれは、誰かの「起きてみようかな」になる。

施設全体に、じんわりと広がる小さな革命🩷。

それは特別なリハビリでも、最新の機械でもない。

一輪の蓮の花と、5時3分のタケさんの“ちょっとした自慢”が生んだ、静かな感動タイムだった。

第4章…蓮の花は誰にも媚びないからこそ泣けてくる


その日もまた、朝は静かにやってきた。

セミの声はまだ控えめで、風がカーテンをそっと持ち上げたように、ゆるやかに始まる7月の朝。

タケさんは、例のごとく早起きしていた。

いや、もうこれは“開花管理責任者”といってもいいレベルである。

起床、観察、開花確認、報告、そして謎のガッツポーズ。

彼の朝は、完全に花のためにある。

それでも、ある朝──

花は、咲いていなかった。

つぼみのまま、固く、閉じていた。

「咲かん日もあるんやな」

そうつぶやいたタケさんは、まるで自分に言い聞かせるように、その場を離れた。

だが数時間後、気温がぐっと上がった昼過ぎ、誰かが叫んだ。

「咲いとるやないかーい!!」

全員が走った。

走ったというより、転がるように中庭へ向かった。

あの蓮の鉢の前で、利用者も職員も、笑って、泣いて、なぜか手を合わせていた。

「何を拝んどるんや、これは仏壇ちゃうで」

「いやいや、蓮は仏教っぽいイメージあるやろが」

蓮の花は、まったく気にしていなかった。

誰が見ていようと、いまいと、ただ咲く。

誰に褒められなくても、ただ咲く。

媚びないし、空気も読まないし、「今が見頃です」なんて札も出さない。

それでも、咲く。

その姿に、誰もが少しだけ泣きそうになった。

なぜかは分からない。

でも、分かる気がする。

長く生きてきて、いろんなことがあって、いろんな花を咲かせ損ねたり、咲かせたことを忘れてたり、それでも今、こんな朝に、誰に見られなくても、「それでも咲いた」その事実に、なんだか胸がじんとした。

ミノさんがぽつりとつぶやいた。

「咲くってのは…なんやろな、自分でええと思ったときに、ちゃんと自分のために咲くことや🩷」

その言葉が、朝の空気の中にふわりと溶けていった。

蓮の花は、相変わらず何も言わなかったけれど、その沈黙が、なぜだか、いちばん深い言葉のように思えた。


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まとめ…人生の見頃はまだこれから咲く花の中にある


気づけば、あの鉢植えのまわりには毎朝ひとり、ふたりと人が増え、誰からともなく「おはようございます」と声が飛び交うようになっていた。

「蓮の花は朝しか咲かんのやって」

「開いたら3日くらいで散ってまうらしい」

「でもな、また別のつぼみが咲くんやて」

まるで、自分たちの人生を解説しているような会話だった。

一度咲いたら、それで終わりじゃない。

今日は咲かなくても、明日がある。

うまく咲かせられなかった昨日も、いつか誰かの記憶の中で、「咲いてたやん、あのときちゃんと」って言ってもらえることもある。

花の開花には、気温も、光も、風も、タイミングもあるけれど、人が心を開く瞬間にも、きっと同じようなリズムがあるんだろう。

施設の中庭で揺れる蓮の花は、今日も変わらず咲いている。

誰かに見られていようと、いまいと。

年齢も肩書きも、昨日の失敗も、咲くことには関係ない。

咲くことに、許可はいらない。

誰かの評価も、拍手もいらない。

ただ、咲きたいときに、咲けばいい。

そう思えた朝があるだけで、人生の“見頃”は、まだまだこれからだと思えてくる。

次に咲くのは、あのつぼみかもしれない。

もしかしたら──あなたかもしれない🩷。

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