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「ママ〜、きょうのおやつ、もう食べていい?」
その声が聞こえると、キッチンの時計はたいてい、午後3時をちょっと過ぎた頃。
慌ただしかった午前中も、お昼ごはんの片づけも、さっきまでのグズり泣きも、すべてがふわっと溶けていく──そんな不思議な時間の始まりです。
今日の主役は、ドーナツでもプリンでもありません。
そう、“おやつの時間”そのものが主役なんです。
8月2日は「おやつの日」。実は、「お(8)や(8)つ(2)」の語呂合わせから生まれた、なんとも平和で、誰も怒らない記念日。
おやつと聞けば、つい甘いものを想像しがちだけど、最近の子どもたちのおやつは、もはや大人顔負け。
バター香るフィナンシェに、カルシウム入りのチーズスナック、さらにはフルーツヨーグルトやスティック野菜まで。
子どもたちが食べてるのは、カロリー以上の“しあわせ”。
そして、ママが隣で「おいしいね」って笑えば、それはもう立派な魔法の時間。
“ごほうび”でも、“つなぎ”でもない、愛情と笑顔が交差する場所──それがおやつ。
さぁ今日も、午後三時の“ひみつ道具”をポケットから取り出す時間です。
準備はいいですか?
おやつのチカラ、なめたらあかんで🩷。
「ねぇママ、“おやつ”って、どうして“おやつ”って言うの?」
娘がバナナチップをもぐもぐしながら、ふと聞いてきた。
ママはカフェオレをひとくち飲みながら、笑って答える。
「それはね、昔の人が“八つ時(やつどき)”って呼んでた時間に食べてたからよ」
時は江戸。時計のない時代、町に響いたのは“時の鐘”。
カン、カン、カン……と鳴ったその数が、今で言う時間の目印。
八つ時、つまり午後2時から3時ごろ。
それはちょうど、小腹がすいてくるころ──。
朝ごはんと晩ごはんの間をつなぐ、心と体の休憩タイムだったらしい。
「えーと…その頃はおやつって何食べてたの?」
娘の目がきらきらと期待に膨らむ。
「お団子とか、せんべいとか、甘納豆とかね。油もクリームもなかったけど、みんなそれが楽しみだったの」
「うーん…お砂糖ちょっとだけ?」
「そう。甘さって、昔はとっても贅沢だったのよ。今みたいにチョコとかアイスとかコンビニに売ってなかったから」
考えてみれば、今のおやつはなんと華やかなことか。
箱を開ければ、バターが香るサブレ。
カップの中にはぷるんと揺れるプリン。
チョコの中にはナッツがとろり。
昔の八つ時の人たちが見たら、きっと目を丸くするだろうな。
「でもね、今も昔も変わらないのは、“ちょっとだけ食べてホッとする時間”」
「うん、それわかる~。おやつって、にこにこするよね」
ママと娘が顔を見合わせて、声をそろえて笑った。
その笑顔の中に、江戸の町の誰かの笑顔がそっと重なったような気がした🩷。
「ママ〜、このクッキー、なんかバターのにおいがすごいよ〜」
娘が袋からひとつ取り出して、手のひらの上でまるくてサクサクのかけらを転がす。
その甘い香りに誘われて、ママもちょっとつまみたくなる。いや、つまんじゃう。
「それね、フランス産のバター使ってるんだって。あとチョコチップもトリプル仕様らしいよ」
「ふらんすさん…トリプル…なんか強そう…」
かつて「おやつ」といえば、素朴な和菓子か果物が主流だった。
ところが今はどうだろう?
バターたっぷりのフィナンシェ、しっとり濃厚なガトーショコラ、ふんわり仕上げの生クリームパンケーキに、冷凍で届く本格チーズケーキ。
おやつは「間食」なんていう地味な呼び方じゃ追いつかない、もう立派な“スイーツエンタメ”である。
「ママ、このプリン…なんかトロトロしてる!」
「それ、クリームと卵黄が多めなのよ。コクが出るの」
「コク…?コクって、おいしいってこと?」
「そう、おいしいってこと」
カロリーも脂質も、気になるといえば気になる。
でもその“気になる”があるからこそ、口に入れた時の幸せが跳ね上がる。
罪悪感すら可愛く思える瞬間、それが現代のおやつの魔法だ。
最近では、ナッツやドライフルーツをベースにしたヘルシー志向のスナックや、タンパク質や鉄分が摂れる栄養機能食品タイプのおやつも増えてきた。
「今日はアーモンドバターで決まり!」「明日はチーズスティックでいこう!」
ママの選ぶ基準は、“子どもが笑ってくれるかどうか”と“自分のご褒美になるかどうか”。
「ねえママ、カロリーって、悪いの?」
ふと、娘が聞いてくる。
「ううん、ぜんぜん悪くないよ。動いたぶんは食べていいの。おやつは、元気になるために食べるんだから」
「そっか〜。じゃあ今日のプリン、ふたつ食べてもいい?」
「え?いや、それはまた別の話かな…」
でも、そう言いながらママの顔もほころんでる。
おやつって、どうしてこうも、親子を同じ顔にしてしまうのだろう🩷。
「ママ〜、これあげる。最後の一個、半分こしよっか」
娘が差し出したのは、小さなチョコビスケット。
ほんの一口サイズのそれを、指でパキッと折って、ひとつずつ口に運ぶ。
その瞬間、なぜだろう──お互い、特別な“ありがとう”を言わなくても、ちゃんと気持ちが通じてる気がした。
おやつって不思議。
「いただきます」も「ごちそうさま」も、ちょっとゆるんでいて。
「おいしいね」や「それちょうだい」が、スッと口から出てくる。
親子でも、気持ちのスイッチが噛み合わないことがあるけれど、そんなときこそ、おやつの時間がすっとその“間”を埋めてくれる。
それはまるで、会話のパッチワーク。
甘くて、あったかくて、柔らかい。
保育園から帰ってすぐの時間。
お友達と何があったか、今日はどうだったか、じっと見つめていても話してくれないけど、クッキーの袋を開けてあげると、ちょっとずつほぐれてくる。
「今日ね、〇〇ちゃんがブロック貸してくれなかった」
「そっか。でも、△△ちゃんが一緒に遊んでくれたって言ってたよね」
その会話の隙間に入るのが、ぽろぽろこぼれるお菓子のかけらたち。
大人も同じ。
職場での疲れや、家事のストレス。
言葉にしたら愚痴になっちゃうけど、誰かと一緒にお茶を飲んで、おやつをひとつつまめば、「ま、いっか」って気持ちになれるから不思議だ。
おやつの時間って、実は“栄養補給”というより“気持ちの補給”。
栄養バランスも大事だけど、もっと大事なのは“笑顔のバランス”なのかもしれない。
一緒に食べるだけで、なにかが伝わる──それがおやつの力。
「ママ〜、明日のおやつはなに?」
「なにが食べたい?」
「うーんとね、チーズのやつ!」
「ふふ、チーズのやつ、探しておくね」
言葉がふくらんで、気持ちがつながって、笑顔がまるくなる午後三時。
今日もまた、何気ないおやつの時間が、親子の“いちばん好きな瞬間”をつくってくれている🩷。
「ママ、おやつの時間って子どものための時間でしょ?」
そう言いながら、娘は楽しげにアイスを舐めている。
でもママは、その横でこっそり引き出しを開ける。
中から取り出すのは、個包装された高カカオのチョコレート。
そう、これが“大人のおやつタイム”──いや、“生き延びるための儀式”なのです。
朝は寝起きのぐずぐず、昼は洗濯物との格闘、午後は保育園の送り迎えと晩ごはんの献立地獄。
そして夜には「ママ、これ読んで~」「おふろ一緒がいい~」のラブコール連打。
そんなフルコースを走り抜けるママのエネルギー源、それがあの一粒のチョコ。
カカオ70%でも90%でもいい、口に入れた瞬間、世界がちょっとだけ静かになる気がする。
たとえ誰にも褒められなくても、「今日も全部やり切った」と思えない日でも、ママはおやつひとつで、明日へ向かう“気持ちの燃料”を補給してる。
時にはコンビニで出会った限定プリンにときめいたり、冷凍庫にこっそり隠してあるアイスが“ご褒美貯金”だったりする。
そして、最近ハマってるのはSNSで話題のお取り寄せスイーツ。
“自分のためにだけ買う”って、なんて尊い行為なんだろう。
子どもが寝たあと、ひとり静かにスナックを開ける瞬間。
「これがなきゃ、やってられないわよ」とつぶやきながら、
どこかのママときっと同じ顔で、ソファに沈み込んでる。
世の中には“おやつのない育児”なんて存在しないんじゃないかと思うくらいに。
もちろん、全部をおやつに頼っちゃいけないってわかってる。
でも、カロリーよりも心の満足度が勝つ夜がある。
「ごほうびおやつ」「しみじみおやつ」「涙ふきおやつ」──どれもママの気持ちを静かに整えてくれる。
「ねぇママ、明日もまた、おやつある?」
娘の声が聞こえて、ママはほほえむ。
「もちろん。ママにもあるし、あなたにもあるよ」
そして心の中でそっとつぶやく。
“それがないと、ほんとにやってらんないのよ”って🩷。
おやつって、食べるだけのものじゃない。
チョコ一粒で今日の疲れが消えることもあるし、プリン一口で娘の機嫌がまるごと戻ってくることもある。
「おいしいね」の一言が、何時間分もの言い争いを帳消しにしてくれる。
そう考えると、おやつってもしかして、平和の象徴かもしれない。
8月2日は「おやつの日」。
「お・や(8)つ(2)」の語呂合わせなんて軽やかなきっかけが、今日の午後にふたりの笑顔をくれた。
おやつがあると、子どもとの会話が生まれて、ママ自身も少しだけ立ち止まれる。
「さっき怒りすぎちゃったかな」とか、「あれ、今日まだ自分を褒めてないな」とか、ちいさな気づきをくれるのが、おやつの時間。
栄養バランスはもちろん大事。
カロリーも気にしないわけにはいかない。
でも、それ以上に“誰かと一緒に食べる”っていう経験そのものが、明日を元気にしてくれるってこと、忘れちゃいけないと思う。
だから今日はちょっと特別に、いつもよりも少しだけ高いお菓子を買ってみようか。
あの子と半分こするのもいいし、自分ひとりでこっそり楽しむのもあり。
だって、おやつの時間は誰のものでもない、“私たちの時間”だから🩷。
そして、そんな甘くてあったかい時間をひとつひとつ積み重ねていけたら、きっと世界は、もっともっとおいしくなる──そんな気がするのです。
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