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今日のお題は年越しそばです。
お蕎麦は蕎麦切りとかつては呼ばれ、日本蕎麦…日本発祥の文化の1つと言われます。
そんな蕎麦ですが、蕎麦粉の伝来は、奈良時代に遡ると言われます。
以降はお団子や粉末で食された蕎麦粉。
現在のそば切りの形になったのは、西暦1600年前後のことだと言われています。
つまりですね、年越しそばの発想自体が、江戸時代になってからというわけですね。
今日は、年越しそばが現在に至るまで定着したルーツを探る記事をご用意しました。
何故って?
いろいろと昔の風情を蘊蓄として理解して楽しむ年越しそばって、一段と高みにあるようで、 『 オツ 』 でしょ?
いや、蕎麦ですから 『 イキ 』 ですかね(*^▽^*)
蕎麦掻きと呼ばれる団子や蕎麦粉の形から、現在の麺の状態になったのが16世紀後半から17世紀前半のことだと言われています。
似た麺類のうどんも同様の時期に記録が残っているので、麺文化発祥は1600年前後が正解のようです。
さて、その当時に生まれた麺として食べるお蕎麦が、年末の年越しそばとして定着したのは何故でしょう?
文献では1814年の大坂繁花風土記に年越しそばの光景が描かれています。
この200年の範囲が年越しそばのルーツと言えるでしょう。
定着した理由はいろいろな諸説があります。
□ 蕎麦が細く長いので、延命と長寿の象徴として重宝された。
□ 金箔を延ばす時に飛散した金銀細工の粉を寄せ集めるのに蕎麦粉を用いたので、『年末の暮れにお金を回収しやすい』ということにかけたというもの。
□ お蕎麦が切れやすいので、厄災を年末ですっぱり切る!ついでに借金も払い終わる!
□ 博多で年を越せない町民にそば餅を振る舞い、翌年に皆の運気が上昇したというもの…。
□ そばは雨風で倒れても立ち上がる強さがあるので、新たな決意に向くとして験を担いだというもの。
□ 江戸中期に脚気が流行し、江戸わずらいと呼ばれたのですが、蕎麦を食べて治ったというもの。
□ 蕎麦=傍 ( そば ) とかけて、夫婦、家族が円満にという意味もありました。
お蕎麦の由来はいろいろなようですね。
他にも探せばたくさんあるかもしれませんね。
『 江戸わずらい 』 は、現代でいうビタミンB1欠乏症のことです。
蕎麦に含まれるビタミンB1がこれを予防する効果を発揮したとも言われています。
ついでに蕎麦の栄養素ですが…。
蕎麦粉に含まれるルチンは毛細血管を強化したり、高血圧を予防したり、酸化防止、つまりは老化予防にもなると言われています。
※ ただ、含まれるカリウムは体内のナトリウムの排出を促しますので、夏場などで脱水や塩分調整が出来ない持病を抱えた方は摂取を少なくした方が良い食べ物になりますよね。
※ また蕎麦粉アレルギーも注意が必要ですよね。
今となっては…というよりも、少しずつ庶民に定着したお蕎麦の文化の1つに、年越しそばの風習が誕生したと考えるのが自然ですよね。
先述の章より抽出して言い換えることで、子どもたちに説明すると適切になると思います。
『切れやすいお蕎麦で年内の悪い縁や厄災を切り、心新たに新年を迎える』
という意味合いと、お蕎麦に含まれる栄養が手先足先に作用しやすいので、子どもには成長の栄養になるとも言えますよね。
さらに、雨風で倒れないことから強い子になれるとも説明できますよね。
いろいろ工夫してみると、年越しそばの持つ大事な思いや風習を伝えられそうですよね。
新暦旧暦の課題もあるのですが、現代は現代らしく大晦日の12月31日に食べると良いでしょう。
どうしてもその辺りが気になるという方は、立春の前日の節分に再び食べると良いです。
朝食でも、昼食でも、晩御飯でも、お蕎麦を食べる時間は問われたりなんてしませんからね。
ですが、年越しそばは、そばにいる人と共に幸福になるという意味で食べる由来もありますので、家族全員揃って召し上がっていただきたいところですね。
…と、サラリーマンの方々、大晦日までお仕事ご苦労様です。
28日頃が仕事納めと言われる公務員の方以外は、お仕事でしょうか…。
…また毒ついて~と…。
冗談です。
公務員の方が、じつは年末年始も待機態勢だったり、当直だったりして一部の方が働いているのは、もちろん知っておりますよ。
そんなわけで、家族で揃って年越しそばに向かえない方々も少なからずおられます。
私の地盤の社会福祉もほとんどの方がそうですもんね。
冬の寒空ですから、年越しそばは温かいかけ蕎麦で…。
より温まるように、特別に天ぷら蕎麦で召し上がってみてくださいね。
天ぷらの油分と具材の栄養が加味されますので、かけ蕎麦よりも、より栄養価の高い料理に昇華しますので…。
皆様、良いお年をお過ごしくださいね(*^▽^*)